矯正材料をある器材会社に注文したところ、全く違った製品が送られてきた。当然、すぐに会社に電話をして間違いを報告し、再度ほしい製品を注文し、折り返し返却した。後日、請求書が送られてきて、その請求書を見ると、間違って送られてきた製品の代金も請求されてきた。文句を言ったところ、こちらには返品の記録はなく、取りあえず入金してもらい、返品を確認してから返金するとのことであった。この製品は過去、20年間に渡り、ずっと注文してきたもので、注文履歴を見れば、間違いはわかりそうなのだが。その後、こちらに宅急便の伝票があったので、番号を伝え、確認してもらうと、会社の返品棚の中にあったとのことであった。お粗末なことである。
担当係の人からは、丁寧に詫びられたが、こちらには一切、落ち度はないことから、“社長にはこのクレームの顛末は話したか”と言うと、“まだ言っていない”という。最近の若者は、こうした顧客からのクレームを自分で処理してしまい、上に上げない傾向がある。そのため、何度も同じような問題を発生させる。矯正の器材会社と言えば、小さな組織で、それこそ十名もいない規模である。こうした小さな組織でも上に問題が上がらないことがある。経営者としてはやっかいな問題である。
そこで社長も大変だと思い、“これから社長にも連絡するから、きちんと経過を報告するように”と少し脅して電話を切った。当然、すぐに社長からお詫びの電話がくるものと期待したが、結局、その後も社長からの電話はなかった。おそらく社長には担当係から説明はあっただろうが、解決したものと考え、電話しなかったのだろう。社員も社員だが、社長も社長である。
若い時には、社長や教授と言えば偉い人だと思っていたが、自分がその年齢になると、当たり前のことだが、優秀な社長、教授もいるが、アホな社長や教授もいることがわかり、さらに言うなら、アホの方が多いという事実も知るようになった。こうした会社の社員はかわいそうである。
以前いた鹿児島大学の教授は偉かった。“教授の名前が出て、解決するなら、すぐに行くから、自分で解決しようと思わずに連絡するように”といつも言われてきた。長年、外来長をしてきたので、助手、外来長の立場ではなかなか解決できない問題、例えば学校関係、官公庁関係の折衝では、教授が一度、頭を下げれば解決する問題が多々あった。お詫びに行くにも、私のようなペイペイが行くより社長、教授が行った方がむこうも納得することが多いし、偉い社長、教授は地位が持つ利用価値をよく知っていた。
大手銀行の専務をしている友人がいるが、彼の場合はもっと徹底していて、”俺はクレーム、お得意さんとの問題が起こった時に謝りに行くために高い給料をもらっている”と言っていた。自分のポジションをよく知った上での発言であろう。誰かが亡くなったら、いくら仕事が忙しくても顧客であれば、必ず行くとも言っていた。鹿児島大学の教授も日帰りで鹿児島から山形まで葬式に行くこともあった。わざわざ専務、教授が葬式に参加してもらったという効果を十分に知っているからであろう。
今の若者達は、根気がなく、入社してもすぐにやめてしまうという声をよく聞く。もう少し辛抱する気がないのかと嘆くが、よく聞いてみると、そうした上司のところで、何人も退社している。一人、二人であれば、今の若者といった概念で括られるのかもしれないが、それ以上の離職者をだす場合は、上司あるいは社長に問題がある場合が多い。大企業でもこうした問題があるようで、とんでもない不祥事が起こり、経営の危機に繋がることがある。日本航空の再建では、稲森和夫が幹部をしかりつけ、徹底的に内部を改革していった。優秀な若者を何人も辞められるよりは、無能な上司一人を辞めされた方が会社にとってよい。さらに言うなら、部下を何人も辞めさせるような上司の首を切らない社長も無能と言えよう。シャープ、東芝、三菱自動車などのように、社長、上司に問題がある企業は、大小に関わらず、もはや生き残れない時代になったかもしれない。
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