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川井龍介著“「19の春」を探して 歌に刻まれたもうひとつの戦後史”を読んだ。“ノーノー・ボーイ”(訳)、“大和コロニー”、“0対122 けっぱれ深浦高校野球部”などの著者の本はすでに読んでいたが、この本は絶版になっていたので、今回、アマゾンに注文して読んだ。
ノンフィクションの王道、関係者に会いに行き、インタビューをして、物語を作る、こうした手法により名曲「十九の春」のルーツを探りながら、奄美、沖縄を中心とする人々の暮らしと生き方を見事に描いている。
私自身、この地域への思い出が多く、この本を読みながらいろんなことを思いだした。高校二年生の夏休み、それも八月の末ごろだったが、家庭教師をしている先生と一人旅のことが話題となり、したことがないというと、それでは今すぐに行ってこいということになり、母も同調したので、何もわからず、神戸から船に乗って42時間、着いたのが沖永良部島であった。船中で知り合った大学生のグループと仲良くなり、レンタカーであちこち行ったり、地元の女子高校生と一緒に泳いだり、彼女に家に呼ばれたり、懐かしい思い出である。その後、奄美大島にも行ったが、旅館のおばさんが自殺しないかと何度も様子を見に来て鬱陶しいので近所を歩いていると、どこかで盆踊りの音が聞こえる。9月に入っての盆踊りで驚き、曲も三沢あけみの島のブルースなどがかかっていた。その後、始業式から2,3日遅れて出席したが、小中高校で初めてのずる休みだった。なんとなく頭の中で三沢あけみの歌声がリフィレインする。その後、鹿児島大学歯学部に勤務していた時、1年間、4回ほど、奄美大島と鹿児島の間にある十島村の巡回診療をした。ここでは診療が終わってすることもなく、何度か地元の宴会に招かれた。沖縄ほどではないが、三味線と歌、踊りという流れとなった。賑やかな宴会で、男女とも酔うと踊る。鹿児島でも経験したことはない。曲は忘れたが、島唄であったことは間違いない。
本の話に戻そう。著者とは先日、弘前で会ったが、同年齢で、育った時代も同じのために話題が合い、楽しい飲み会であった。本では“十九の春”の曲のルーツとして、ラッパ節、小川少尉の歌、さらにはノルマントン号沈没の歌などが出てきた。どこかで聞いた曲だと思い、調べると四年前のブログ(2015.3.7)に“日韓唱歌の源流”として安田寛先生の「すると彼らは新しい歌をうたった 日韓唱歌の源流」(音楽之友、1999)のことを書いており、そこで北朝鮮の軍歌とラッパ節などのYoutubeを添付していた。安田先生によれば江戸時代の日本人はファとシの音程がどうも崩れるようで、そのため賛美歌ではドレミソラの五音で構成した曲が取り上げられ、それが日本の唱歌のルーツになった。ところが琉球(沖縄)音階ではレとラを除いたドミファソシの五音となる。“十九の春”は、音階的にはファシ抜きの伝統的な本土の音階であり、歌詞も標準語で歌われていることから、多分本土から琉球に持ち込まれた曲であろう。ちなみに奄美音階は沖縄音階と異なり、ファシ抜きの本土音階となっている。越後民謡から発生した瞽女唄のメロディーが、津軽じょんがら節や十九の春につながり、さらには台湾や朝鮮にも広まった唄の伝播は、漁師、船員などの船乗りによるものであろうし、さらには東アジア人の原初的な、同じ人種間に流れる好感が関与しているのかもしれない。
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