2020年9月17日木曜日

弘前に住んで26年 津軽の特徴



 弘前に来て26年、尼崎にいたのが19年間、仙台は9年間、鹿児島は9年間いたので、弘前が一番、長く住んだところだし、おそらく死ぬまでここにいるだろう。確かに学校はこちらではないが、家内は弘前生まれで、その親戚、あるいは知人、友人もほとんどが弘前出身なので、周りはほぼ津軽衆に囲まれている。それでもいまだに驚くことがあるので、少し話したい。

 

1.     苗字の呼び捨て 敬語

 医者や学校の先生は、同僚同士でも“先生”と呼ばれるので、こうした呼び名に慣れており、それ以外の名字だけで呼ばれると、どうも違和感がある。もちろん、外に出れば先生とはつけないで“広瀬さん”と呼ばれることが多いし、これは普通のことである。ところが津軽では、どうも家では“ヒロセ”と呼ばれるようである。例えば“今日はヒロセの歯医者に行ってきた”、“ヒロセとこの受付は”などである。大阪では“広瀬先生のところに行っていた”あるいは“広瀬歯科の受付は”となるが、この“先生”、“歯科医院”が省略され、あたかも屋号のように“ヒロセ”と呼び捨てされる。学校の先生も同様である。津軽弁には敬語があり、昔は主として士族の言葉として、男女共、独特な敬語があったが、いつも間にか、そうしたサムライ言葉もなくなり、敬語=標準語と教育されてきた。家内の世代では高校で、綺麗な標準語、標準語の敬語を習う授業があったと言う。そのため、標準語が話せない場合は、敬語もできないことになり、郡部の患者さん、主としてその親、祖父に中には、歯科医院でも一切、敬語、丁寧語がない場合がある。最近では慣れたが、最初に“あんだあ(あなた)”と言われて時には驚いた。

 

2.     噂好き

 津軽の人は、何より噂、特に悪口が好きである。普段はおとなしいが、酒を飲んだり、長いドライブの車中で、人の悪口や噂話で盛り上げることが多い。不思議なことに人を褒めることはあまりなく、褒めている話がいつの間にか悪口となる。どうも褒めるのに抵抗があるようで、よその子供への悪口がその子の親に伝わって親同士がケンカになることもある。大阪ではよその子供の悪口が絶対に言うな、褒めておけば親は機嫌が良いとされ、京都人に至っては外で悪口を言っても何の得もない、いつも褒めろと言う。確かに人は褒められて怒る人はいないし、悪口を言われて喜ぶ人はいない。そうした意味では、外では誰に対しても悪口を言わず、褒めておいた方が無難であろう。

 

3.     墓参り好き

 鹿児島もそうであるが、津軽の人々も墓参りが好きで、春と秋のお彼岸と夏のお盆、これは必ず、行くし、それ以外にも月命日で行く人も多い。また自分の家だけでなく、親類や知人の墓も一緒に参る人もいて、お寺をハシゴすることがある。さらに老人だけではなく、子供、孫も一緒に行くことも多い。新寺町、禅林街の大きな寺を見ると、津軽の人々の信仰の深さが実感できる。また全国的には通夜は身内の人が、葬式は一般の人が集まる式であるが、津軽ではこれが逆になり、通夜が大掛かりとなる。また焼骨するのがものすごく早く、通夜の前に骨となり、通夜、葬式では骨袋に入った骨壷が置かれる。あと気になるのは、お坊さんがお経を読む時、鐘や太鼓を使い派手である。花篭も盛籠と言ってビールや食品が飾られ、パチンコ店の開業のようである。

 

4.     交通マナー、せっかち

 日頃、車に乗っておらず、どこに行くにも歩いて行くので、横断歩道に突っ込んでくる車には驚く。信号が青の横断歩道は、もちろん歩行者優先で、車は一時停止であるが、弘前市では多くの場合、徐行して停止することはなく、前の歩行者と次の歩行者との間に2mでも隙間があれば、右折、左折してくる。盛岡市、仙台市、あるいは尼崎市でも、横断歩道を渡る時、車はその数メートル前で一時停止するのが当たり前なので、軽くドライバーに会釈して渡るのが普通だが、ここ弘前では、自分の前後1mを車がすごいスピードで突っ切り、何度もはねられそうになった。ある友人は傘を持っている時は傘を前に出して車が突っ込むのを抑えると言っていたが、私も時たまする。ドライバーからすれば厄介な歩行者と思われるが、1m先の傘に急ブレーキをかけて止まり、罵声をあげるドライバーもいる。近くの郵便局も裏の駐車場が空いていても、近くに止めたいために平気で障害者用の駐車場に止める。普段はいい人が多いのだが、車に乗るとどうもせっかちになる人が多い。

 

5.     美人が多い

 津軽出身の芸能人は少ないが、うちに来る患者さんを見ても、美人が多いところだと思う。人を押しのけてまで前に出ようとしない性格のためか、芸能界などで活躍している津軽の女性は少ないが、街を歩いていてもハッとする美人がいる。この原因として、津軽では昔から度々飢饉が起こり、多くの人が亡くなったり、逃亡した。その後、再び各地から人が集まってきたが、ルートが二方面で、一つは裏日本の各地から水路、鯵ヶ沢、五所川原を介してのルートと、最も多いのは秋田から碇ヶ関を超えて来るルートであり、人種的には秋田県に近い。秋田県が美人の産地であるので、そこから来た人が多ければ津軽も美人が多い。

 

6. 偉人が多い

 “津軽人物グラフィティー”で書いたように津軽には極めて個性的な独創的な人物が多い。版画家の棟方志功、小説家の葛西善蔵、太宰治、愛生園の佐々木五三郎、奇跡のリンゴの木村秋則、スキーの三浦雄一、柔術の前田光世、現代絵画の奈良義智、ジャーナリストの陸羯南、冒険家の笹森儀助、考現学の今和次郎などなど、本当にたくさんいるし、共通項でまとめられるような性格がある。まず群れない、一人で活動し、周りから何を言われようと突き進む。チームとして活動するのは苦手で、大きな会社の創業者で津軽出身者は少ないし、金持ちではない。これは厳しい自然も関係するが、あまり枠にはまらない、非常識な人物が出るところであり、周囲もそれを助長し、面白がるところがある。実はバカにしているのだが。そうした強烈な個性がそのまま残され、いわゆる変人を生む風土となっている。ある韓国の歴史学者が“日本の歴史を見て、羨ましいのは多くの奇人がいることだ”と言っていたが、これは新しいこと、革新的なことは奇人変人から始まるというである。真面目な秀才型の人物は勉強で育つが、こうした変人は風土が生む。これだけ奇人変人の多いところは日本でも稀であり、そうした意味では1から4まで欠点を挙げてみたが、それを上回る津軽のすごいところであり、誇ってよい。中学生、高校生に奇人変人になれとは教育しにくいが、それでも自分の好きなことを、金にならなくても、人に認められなくとも、楽天的にやり抜くことは伝えてもよいだろう。



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