2020年9月6日日曜日

宮本輝 「灯台からの響き」







 小学2、3年生の頃か、毎週火曜日になると、近所の駄菓子屋に走っていき、山積みされた漫画雑誌、少年マガジンを買うのが、楽しみであった。家に帰ると貪りつくように読んだ記憶は懐かしい。現役の作家でこうした楽しみをもたらすのが宮本輝さんで、新刊が出るのが毎回楽しみで、買うと一気に読んでしまう。

 

 この作品も、内容についてはネタバレになるので述べないが、前作“草花たちの静かな誓い”が海外舞台、ミステリー調で、やや違和感が残っただけに、今回はいつもの宮本さんのタッチになったのが嬉しい。神戸で絶大な人気がある洋画家、小磯良平さんも一時、抽象画に挑んだことがあり、割合長い期間、新しい作風を作ろうともがいた時代があった。後年、小磯良平さんの回顧展を開くと、この時期の作品がつまらなく、むしろ原点の婦人像をさらに深化してほしいと思われ、この時期が残念でならない。宮本さんの場合は、こうしたこともよくわかった人で、少し冒険をしても、自分の得意な分野にまた戻る。

 

 宮本さんの最近の作品は、その作品のキイとなる言葉、趣味、人物、場所を配置する。今回の作品では、森鴎外の“渋江抽斎”、灯台、支那そばがキイとなる。明治の大文豪、森鴎外の作品、“雁”や“高瀬舟”などを読んだことがある人は多いと思われるが、実は森鴎外の作品の中で最も評価が高いのが“渋江抽斎”なのである。まあいっぺんに読んでみれば、わかるが、一回読んで、こんなにつまらない本はないと思うし、それ以前に最後まで読めない。ただ宮本さんもそうだが、何度も読んでいるうちに、江戸後期から明治に行きた市井の人々の息遣いをこれほど見事に淡々と描かれたことに驚くだろう。今、“城下の人”(石光真清著)という近代日本が生んだ素晴らしいノンフィクションを読んでいるが、鴎外の“渋江抽斎”はこれを大文豪がギュッと凝縮したようなもので、一時、弘前大学の松木明先生の人名誌で、渋江抽斎の登場人物のことを調べたことがあるが、その一人一人に、これまた渋江抽斎と同じような人生があり、鴎外の作品の奥深さに驚いた。作家にとり、ページ数を増やすことは、ある意味容易であるが、逆に必要最小限の言葉に省略するのは、非常に難しいし、決意がいる。この背景には、森鴎外の漢籍への深い知識が絡んでいるのは間違いなく、漢文では短い語句の中に多くの意味を持たせる。そうした意味では“渋江抽斎”は日本語で書かれた漢文の小説であり、これは漢文の素養が高い森鴎外以外にはもはや書かれない代物である。

 

 本題に戻ろう。本書では、各地にある灯台を巡って、主人公は旅をするが、我が青森県にも足を運んでくれ、竜飛崎にきて、龍飛崎灯台を見る。竜飛崎は弘前藩領絵図では“龍濱崎”とされ、その先にある小島、帯島は“ヨンヘイ シマ”となっている。アイヌ語では“オー”は群生する、うようよいるの意味で、“ペイ”は水の意味で、魚な鳥が群生する、寄り集まってくるという意味だというが(三厩村誌、昭和54年)、これがなまり“ヨンヘイシマ”と記載されたのだろう。せっかく青森県にくるのであれば、弘前に泊まりに、“渋江抽斎”の住んでいたところにも行って欲しかった。うちの母は大阪から弘前に来て、そこからなんとタクシーに乗って竜飛岬まで行った。車のない私にとっては、青森県に住みながら竜飛岬はアクセスが悪くなかなか行けないところであるが、本書に刺激され是非一度は行きたい。

 

 そういえば、森鴎外が“渋江抽斎”を知ったのは、鴎外の趣味である“武鑑”の収集で、その過程で、“渋江抽斎”の蔵書印のある武鑑に度々出会ったことによる。その後、渋江抽斎に興味を持つようになり、知人を介して調べていく。鴎外の執筆過程は、本書の亡き妻への一枚のハガキに導かれて多くの新たな親友、知人を得るのに似ており、“渋江抽斎”は一種の伏線と考えてよいかもしれない。ちなみに鴎外に渋江抽斎のことを知らせる佐藤弥六という人物は、佐藤紅緑の父、サトウハチロウ、佐藤愛子の祖父となり、佐藤家でも最も偏屈で愛らしい人物である。

 

 宮本輝さんの作品は、誰だって人生はやり直せるし、生き方も考え方次第で変えられると励ましてくれる。新型コロナウイルス騒動で大変な時期ではあるが何とか乗り越えてほしい。


PS:単行本の場合、あまりカバーを外すことはないが、この本の表紙はタイトルに沿ってオシャレです。



 

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