2020年9月3日木曜日

明治のお金持ち

 青森県内にある弘前市の藤田記念庭園および洋館、金木の斜陽館など、昔の大金持ちの作った古い建物を見ると、その規模、豪華さに驚く。今の時代、これほどの自宅を建てる金持ちはいない。最近でこそ、所得税の累進性あるいは、税率の上限が下がってきたが、昭和61年ごろでは所得税と個人住民税を足すと88%、現行でも55%となる。もちろん大きな家に住んでいるとこれ以外にも膨大な固定資産税がかかるし、6億円以上の相続となると相続税が55%となる。東京のような地価の高いところで、200坪で6億円というのはありうる話で、その場合、3億円以上の相続税となる。  例えば、昭和61年頃、1億円の収入がある金持ちがいたとしよう。税金に8800万円支払い、残りは1200万円しかないので、それほど大きな家は建てられない。それでは明治時代はどうかというと、明治に早い時期では地租、土地に対する税金はあったものの、所得税、相続税はなかった。その後、明治20年に初めて所得税が作られ、その時の税制では300円以上の収入、今でいうと600-900万円以上の所得のあるものだけが所得税を払った。税率は19段階に分かれ、300円では3円、1万円で200円、20万円では6000円となる。一円は2、3万円であるとすれば、600万円の所得で6万円の所得税、40億円の所得で1億2000万円である。昭和61年の税率88%であれば、40億円の収入があれば税金は35億円であるので、34億円も安い。 

  ちなみに明治20年の国家予算を見ると、歳入は8816万円、1円の現行価値を高めに3万円しても2兆6000億円くらいにしかならない。2015年の日本の歳入は96.3兆円、そのうち税収は概ね60兆円である。明治20年の人口は約4000万人で。今は2倍以上になっているとはいえ、明治政府の歳入はあまりに少なく1/20以下である。明治国家は富国強兵で軍事費への支出は高かったが、それでも2020年度の防衛費は5兆3000億円で、明治20年の国家歳入の2倍となる。 

  “生きづらい明治社会 不安と競争の時代”(岩波ジュニア新書、松沢裕作)では、明治社会は今のような生活保護のような制度がなく、貧困に落ちても国が助けてくれる社会ではなかったとしている。政府は貧困層に冷たく、恤救規則という制度があったが、その拡大には大きな反対があったという。貧困者を助けることは怠けているものを救うことになり怠惰を容認することになるという考えである。ただこれも歳入の観点から見れば、違う。例えば平成26年度の生活保護負担金は約3兆8000億円、明治20年に戻すと人口が半分としても、6300万円相当、歳入の75%となる。明治の時代に今と同じような生活保護を行えば、国家は破綻する。 

  最近では、マルクス主義的な歴史解釈をする学者も少なくなってきたが、それでも、こうした財政的なことを全く無視した議論、あるいは過去の歴史を否定することは、気をつけた方が良い。歯科でも、患者さんの中には、ネット情報をそのまま鵜呑みにして、歯科医院でそうした治療を要求する人がいる。そこには自費という観点は全くなく、通常の健康保険治療でもそうした治療ができると思い、憤慨する。また一部のマスコミでも日本の医療制度をアメリカと比較して論じる向きもあるが、これも費用を全く無視した議論である。例えば日本では健康保険、高額医療制度を活用すれば、7万円くらいできる治療があるとしよう。それをマスコミではアメリカの治療に比べてサービスや治療の質が劣っていると論じる。アメリカの医療費が1000万円以上ということに、一言も触れない。  

 こうした税制と歳入、歳出の観点から日本の歴史を論じた文庫本レベルの本を知らない。アメリカでも1910年頃、最高税率は70%を超え、一時25%くらいまで低下したが、その後、1940年代には90%を超える最高税率となり、1981年まで70%を超える高い税率となっていた。その後、レーガン大統領時代に28%くらいまで下げられ、民主党政権では上がり、共和党政権では下げるを繰り返しているものの、オバマ政権の39.6%が最高である。こうした税制の変化は政策とも大きな関連を持つはずだが、あまり論点になっていない。不思議なことである。 

  ついてに言うと、明治時代、300以上の収入があって所得税を払う人は人口の0.3%くらいしかおらず、大部分の国民は主として住まい、田畑にかかる地租が税金のほとんどであり、今の固定資産税より多少多いくらいで、そうした意味では大部分の国民はあまり税金を払っていない社会であった。一方、医療費、学校などの費用は自腹であり、今で言う小さな国家が基本であった。

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