2020年12月6日日曜日

Orientation Magazineに名前が載りました

 


以前ヤフーオークションで落札した香川芳園の作品です

謝辞に私の名前を載せてくれました


 毎週火曜日の7時半から9時まで、弘前市内のレストランでワインを飲みながら、歯科医の友人4名と英語の先生を交えて、英語のレッスンを受けている。かれこれ10年近く続いているが、予習、復習というものを一切せず、その夜に集まって、時事問題について語り合う。こうして書くと、さぞレベルの高いレッスンのように思えるが、使っている英語はほぼ中学生レベルで、わからない場合は、辞書を引きながら喋っている。もう少し真面目に勉強すれば、十年も毎週レッスンを受けているのだから相当上達して良さそうだは、実感としては全く進歩していない。

 

 それでもこの歳になっても毎週英語に接することで、外国人と話す、英語の雑誌、書類を見る、あるいは英語でメールを送るのに、抵抗が少なくなった。もちろん喋ると言っても聞いてもわからないことが多いし、きちんと喋れるわけではないし、メールを送るにしても、ほぼ全文、ネットで検索しながら書いている。それでもそれほど抵抗がなくなったというのが、自分でも大きな成長だと思う。

 

 先日、アメリカ、シンシナティーに住む友人のホウメイさんから郵便が届いた。彼女はシンシナティー美術館の東洋美術部門の主任で、同館にある“芳園平吉輝”の署名のある二つの作品について、一緒に調査した。その結果をまとめて論文が、東洋美術の老舗雑誌“Orientations Magazine”に掲載されたので、その雑誌を送ってくれた。私が調査に協力した資料についても取り上げられ、丁寧な謝辞にも感激した。矯正歯科医として、これまで何度か矯正歯科分野の論文を書いてきたし、最近では、弘前の郷土史についても本も何冊か書いたが、これとは全く分野の異なる美術雑誌に自分の名が出て、非常に嬉しい。

 

 よくよく考えれば、これも英語のレッスンをしていたおかげで、以前であれば、英語のメールや手紙がきたらかなり尻込みしたであろうが、数年前にホウメイさんから初めてのメールがきて以来、数十のメールのやり取りをし、かなり長文のメールも送った。もちろん、文法的におかしな英語であろうが、内容が伝わればと割り切っている。“芳園平吉輝”の件でも、途中から中国のコレクターのチェンチェンという方も論争に加わり、三人で意見交換した。ホウメイさんは、二年ほど前に来日し、それについても実際に会って議論した。こうしたことも全て英語のレッスンによるものであり、もしレッスンを受けていなければ、こうしたチャンスがあっても、美術雑誌に載るまで話が発展することはなかったと思う。

 

 “芳園平吉輝”についてはこのブログでも何度も取り上げたが、他にも最近発表されたベネチア大学の東洋美術をしている先生が書いた論文(イタリア語)にも私のブログが引用されていて嬉しく思っている。一方、日本では私のようなアマチュア研究者の研究など見向きもされない傾向があり、論文などで引用されることはない。郷土史において、個人的に一番大きな功績は“明治二年弘前絵図”に発見であると思っており、すでに図書館に寄贈しているし、デジタルデーターの使用許可も出している。ただ専門家の鑑定を受けていないという理由で、未だ非公開で、知人が監修していた弘前コンベンション協会の“弘前検定”の副本以外に活用されたことはなく、ほぼ無視されている。どうしても弘前大学教授などの専門的な肩書きが必要なのであろう。

 

つい愚痴をこぼしたが、それでも一介の歯科医の名が英文の美術雑誌に載せてもらったことは個人的に大きな名誉であり、素直に嬉しい。私が35年前に書いた不正咬合者の咀嚼能力は、この分野の研究をする人が少ないせいか、いまだに多くの論文で引用され、歯科学生の標準的な教科書“歯科矯正学”でも取り上げられている。教科書を持って実習に来る研修医に、いつもこのことを自慢しているが、もう一つ自慢できるものが増えた。

 

青森に来てすでに26年になるが、自慢ずきの大阪人の癖はなかなか治らない。


PS;  その後、友人のシンシナティー美術館のホウメイさんからのメールで、大英博物館所蔵の西山芳園作とされていた3つの作品は、芳園平吉輝の作と表記変更されました。

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