2022年2月11日金曜日

学生運動とは何だったのだろう

 

東北大学でも年配の教授がこんな帽子、看板を被せられ、自己批判されられていた。自己批判をさせていた当時の学生も今は70歳以上、反省するなら、この格好で東京駅で一日中立って、自己批判しろと言いたいが

ベトナム戦争反対というが、中国のチベット侵攻、併合
、文化大革命には一言も反対しない。中国、ソ連の核兵器をきれいな核と称していた。


学生運動といっても今の若い人にはピンとこないと思うが、1970年前後、全国の学生が学校、社会に不満を持ち、大学封鎖、ベトナム戦争反対などの行動を起こした運動である。私が東北大学に入ったのは、昭和50年、1975年頃で、当時、ようやく学生運動も下火になってきたが、それでも、教養部では一部の学生が教授に三角帽を被せて自己批判させたり、教室前にバリケードを築いて授業できないようにしたりした。そのため、一部の先生の授業はなく、レポート提出だけで単位をもらえて助かった。図書館前では、角棒にヘルメット姿で、機動隊に突入訓練している一団もいるし、しょっちゅうアジビラもまいていた。

 

高校時代、朝日新聞や本多勝一の本に影響され、文化大革命を熱中していた私も、次第に文化大革命の実態を知るようになり、共産党、社会主義の欺瞞に気づくようになった。大学に入る頃には、全く共産主義、社会主義に失望しており、学生運動をしている学生から渡されるビラも何を書いているか全く理解できず、こいつらは自己満足で、こうしたビラを作り手渡しているだけだと感じていた。若者が社会に抵抗するのがかっこいいと思っていたのかもしれない。

 

当時から、東大入試まで中止となった当時の学生運動はいったい何だったのか、ずっと疑問であった。そうした疑問に答えてくれたのが「激動 日本左翼史」(池上彰、佐藤優、講談社現代新書)である。結論からいえば、この二人の著者は学生運動を「哲学・思想の面で新左翼に優れたものがあったのは間違えありません。しかし、政治的には全く無意味な運動だったと言わざるを得ないでしょうね。革命を成就させられなかったというだけでなく、その後、日本社会に何らかのポジティブな影響を及ぼしたわけでもありませんでした。」、「後世に残したものがないんですよね」と手厳しい。私自身、新左翼に哲学、思想的にも学ぶことはなく、運動自体、すべて無意味なものと考えている。

 

当時の学生運動に命をかけた先輩を多く知っており、今や70歳前後になり、好々爺であるが、当時の学生運動をどう思っているか。おそらく同様に無意味なものと思っており、当時の考えを思想的にも継続している人はほとんどいないし、むしろ保守化している人の方が多いくらいである。日本に暴力革命を起こし、粉砕せよとアジっていた面影は全くない。

 

過激化する学生運動の中で、内ゲバで大怪我をしたり、自身も大学をやめ、人生を棒に振った学生もいただろう。それだけの犠牲を払っても、何らかの社会の役に立ったなら、まだ報われようが、全く無意味というのは残酷である。佐藤は、「ロマン主義や社民主要打撃論的な内ゲバへの誘惑に流されることもなく踏みとどまり、現実的に考えるために必要なことの一つは、組織の内部に、「ダラ幹(堕落した幹部)」を作っておき、その現実主義を認めることです」、「新左翼の強さであると同時に最終的な命取りになったのは、彼らが官僚化しないことでした。現代の政治は官僚化しないとできないものであります」は書いているが、さすがに学生にこれを要求するのは無理である。実際、老人になっても日本共産党の看板をいまだに下ろせない連中が、学生時代、「こんなビラ配っても誰も読んでくれませんよ。漫画、アニメにして説明したらどうですか」と言ったダラ学生の意見は通らない。

 

思想にすっぽりはまり込むのは非常に危険であり、先日もマスクをしたくない主義の呉市会議員が騒いで搭乗した飛行機から降ろされるニュースがあったが、彼はおそらく市会議員の地位も含めてすべてを失うであろう。あと数年すれば、こうしたマスクをする、しないもニュースにさえもならないものであるが、主義思想に極端に走るとこうしたことになり、学生運動もまさに同じようなものであろう。こうした意味では、中国共産党を救った大恩人は、市場経済を中国に導入した鄧小平で、社会主義国に資本主義を導入するという反則技を入れることは、ダラ幹どころか、理想主義者からすれば真っ先に抹殺すべき大悪党である。この現実主義により中国民衆の生活レベルが一気に向上し、もし文化大革命のままの社会主義を続けていたなら、早晩崩壊していたのは間違いない。

 

そして総括として佐藤は「左翼というのは始まりの地点では非常に知的でありながらも、ある地点まで行ってしまうと思考が止まる仕組みがどこか内包されていると思います」、「共産主義なる理論がどういう理論であっても、それはどういう回路で自己絶対化を研げるのか、そして自己絶対化を克服する原理は共産主義自身の中にはないのだということは、今のリベラルも絶対に知っておかなければいけないことです」としており、その完璧な例を隣国、北朝鮮にみる。結局、共産主義は、スターリン主義、レーニン主義、トロツキー主義などいろんな理論があっても、最終的には自己絶対化、さらに政権を握ると、権力闘争、権力の独占、驚くべき官僚化などが、ほとんどの集団、国で起こり、佐藤の言うように共産主義にこれを超える理論はない。



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