2022年2月8日火曜日

浮世絵美人画は、アニメの美人?

 

元時代の肖像画

宋時代の肖像画



浮世絵の美人画から推測して、江戸時代の美人は、切れ長の目、面長の顔だとする考えがあるが、はっきりいって、歌麿の描くような女性はこの世には存在しない。まず、顔のプロポーションがおかしく、全体の中であまりに目が小さく、細すぎるし、同様に唇も小さすぎる。全身に比べて頭の部分が大きすぎたり、小さすぎたり、手足の大きさも変である。要するに何か変なのである。こんな顔の女性が、もし現実にいたとしても、決して美人とは思わず、逆にギョッとするだろう。

 

西洋では、ギリシャ、ローマの彫像に見られるような写実主義は、油絵の技術、技法が確立された14世紀後半から人物を立体的に描くことができるようになり、ルネッサンス期にはあたかも生きているかのような人物画が登場する。その後の西洋の絵画は、抽象画の登場する20世紀まで写実的人物画がメインであった。

 

一方、中国を含む、朝鮮、日本などアジアの国々では油絵が広まらなかった。立体構成ができない二次元的表現法では、写実的人物像を描くのは難しく、中国、韓国の君主肖像画あるいは、日本では渡辺崋山の肖像画などを除くと一般的ではなかった。

 

そうした中、江戸時代、庶民の間で人気があったのは、浮世絵、そしてその美人画である。残っている明治初期の美人写真を見ると、当時の美人の基準は現代と似ており、江戸時代の実際の美人像は明治初期の美人像とそれほど違いはないはずである。明治10年の50年前は江戸後期で、令和4年の50年前は昭和47年、男はつらいよのマドンナ、吉永小百合さんはやはり美人であり、江戸後期の美人の写真はないものの、写真がある明治時代の美人と基準はそれほど変わっていないはずである。

 

おそらく江戸時代の人々も浮世絵美人を当時の江戸美人の実際の写実的な姿を現しているとは思っていなかったはずである。何となく特徴をカリカチュアしているもので、今でいうアニメや漫画の中の美人のようなものだろう。我々は、アニメ、漫画に日々接しているが、100年後の人々に令和の美人はアニメ、漫画の出ているような人物と言われると、もちろん否定するであろう。実際に少女漫画に出てくる美少女のような目が大きい人はいないし、宮崎駿のアニメの主人公のような人物はいない。このことから、江戸時代の浮世絵美人は、現在の漫画、アニメ美人と考えると理解しやすい。

 

江戸時代、日本人は本物そっくりな人物画に興味はなかったかというと、人形の分野では、生き人形という本物そっくりな人形を見世物興行に使ったことからも人気はあった。それでは浮世絵や肉筆画でも本物そっくりな美人画を描けば話題になり、人気が出そうであるが、実際、渡辺崋山の「鷹見泉石像」のような優れた写実肖像画があるものの、女性のそうした写実的肖像画はない。不思議なことである。隣国の中国でも、基本的には写実性より形式化された美人像が一般的であるが、唯一、皇后の肖像画については宋時代の宋徽宗后半身像や元時代の元世祖后半身像、あるいは清代の乾隆帝皇后肖像など本物そっくりな肖像画は残っており、油絵でなくても写実的絵画は可能である。

 

こうしてみると、江戸時代の画家もより写実的な美人画を描くことはできたであろうが、敢えてそうしたことをする意味を認めないか、何らかのタブーがあって、日本ではついに女性をリアルに写実的に描くことはなかった。さらにいうと、中国の皇后に匹敵するような、女性で肖像画を後世に残すような人物が日本ではいなかったことも理由の一つかもしれない。


0 件のコメント: