2023年1月20日金曜日

老人の趣味

 

               同級生です。楽しそうです



この歳になって、昔やっていればと思うことが浮かぶ。今から始めても遅くはないかもしれないが、それでも昔、若い頃にやっていれば、その後の人生ももっと楽しかったと思うものがある。

 

1.音楽

初めての楽器は、小学4年生頃のリコーダーで、これは結構ハマって、一日中吹いていた。小学6年生の頃、姉にギターを習って“禁じられた遊び”を友達と一緒に伴奏して、クラスの皆の前で発表したことがあった。ところが中学、高校、大学とレコードで音楽を聴くことは合っても、楽器を触ることはなかった。

1970年代は誰もがギターを始めた時代があった。土井まさるの“TV ジョッキー”という番組の奇人変人コーナーの優勝者には白いギターが与えられ、みんなが欲しがったような時代であった。フォーク、ロックの全盛期で、フォークギター、エレキギターに若者は群がり、高校の文化祭となると学年でも3組くらいのバンドが演奏した。文化祭には女子も呼べるために、モテようとバンド作った友人もいるが、そうした不純な目的であっても、いまだに楽器を演奏し、バンドを組んでいる。おそらくは一時はギターから遠ざったこともあったろうが、中年になって、急にギターを始め、バンドを作ったのであろう。またアマチュアのこうしたバンドが活動する機会や場所も多くなった。 

家内は、幼稚園から小学校の低学年くらいまでピアノをしていた。2、3年くらいしかピアノを習っていない割には才能があるのか、結婚してからも簡単な曲は楽譜を見て弾いていた。娘には数年ピアノを習わしたが、全く上達しないのを見ると、家内はピアノの才能があるのではと、数年前に電子ピアノを購入し、今はヤマハの教室で習っている。子供の頃、数年間学んだだけで、この歳になってショパンが弾けるのだから、これは羨ましい。

私も20年前には、ハーモニカのトゥーツ・シールマンスに憧れ、ジャズハープに挑戦したことあった。もちろんハーモニカはトゥーツと同じホーナー社のクロマティックハープを買った。トゥーツが監修したジャズハープという音楽教則本を購入して、練習したが、いきなりジャズピアノに挑戦したのが無謀だったのか、練習時間が不足したいたのか、二台のクロマティックハープは引き出しにしまわれたままである。つい数年前も、ヤマハのヴェノーヴァというサックスのような楽器が出たので、すぐに購入してサックスの練習をし、さらに調子に乗って、ローランドのエアロフォンという楽器を購入した。買った時は、毎日にように吹いていたが、結局、これも半年ほどで飽きて、使っていない。

 

2.

 小学校の頃に、絵画コンクールで何度か賞をもらったこともあるし、中学、高校の成績も体育と美術だけは常に90点以上であった。ただこれも本格的に習ったことはなく、子供が幼稚園に行っていたときには、BSアニメの読者コーナーに子供に絵の指導をして(修正を加えて)2回ほど載ったことがあったし、セーラームーンの絵を子供の友人にあげると、私も私もと十枚以上のセーラームーンの着色絵を描き、人気者になったこともある。10年前にお袋がこちらに来たときに、日本画のテクニックをほんの1時間ほど習い、必要な筆やペリカンの固形水彩を買い、これも半年くらいは絵を描いていた時期があったが、続かない。3年ほど前には、写真を撮って、それを拡大コピーして、なぞる方法を見つけ、弘前市内の建物を写真に撮り、それを元に絵にした。これも10枚ほど描くと飽きてしまって、描かなくなった。どうも飽きっぽいのと、基礎的な段階でギブアップしてしまう。せめて20, 30歳までに教室に通い基礎を学んでいれば、もう少し描けたと思う。

 

3.オートバイ

大学生の頃、無性にバイクが欲しくなった。今はあまりバイクに乗る若者も少なくなったが、私が大学生の1970-1980年代は原付バイクの全盛時であった。ヤマハのパッソーラなどのスクーターが出たのもこの頃であった。友人が、ホンダの原付バイクに乗っていたので、何度か、大学校内で、アクセルに仕方など習って乗ったことがあるが、なかなか免許をとる時間もなく、そのままになってしまった。高校生、大学生の時に自動二輪の免許をとった友人は、今でも仲間を作ってツーリングをしている。高くて買えなかった、ハーレダビットソンなども何とか買えるようになって、嬉しそうにしている。私の場合は、山の方にいたときは、バイクが欲しくてたまらなかったが、歯学部近くの平地に住むようになると、ロードバイクを買って、そればかり乗っていて、バイクからは遠かった。今でこそ、バイクより自転車、ロードバイクの方が人気があるが、1980年ころ、ロードバイクなど乗っている人はわずかで、さらにレーシングキャプ、シャツ、パンツ、靴と本格的な格好で自転車に乗っている人は、自転車部くらいで仙台の町でもほとんど見かけなかった。仙台から松島まで、往復でだいたい60kmを走り、帰りには一番町の喫茶店モーツアルトに行っていたが、その格好で店に入ると驚かれた。今では痔や体力、交通事故の心配などでロードバイクには乗れない。

 

4.ゴルフ

ゴルフを始めたのは、鹿児島大学歯学部の矯正歯科に入局してからである。同級生、先輩でゴルフをやる人が多かったため、自然とゴルフ道具を買い、練習場にも通い、月に1度くらいの割でコースに行っていた。ところが新人、3名のうち、他の先生が早々と100くらいのスコアになるのに、わたしだけがいつも120くらいで全く伸びない。その頃、結婚もし、子供もできたので、自然にゴルフもやらなくなり、今に至る。他の先生は今でもずっとゴルフをやっていて、ゴルフは老人になってもやれるスポーツの一つである。まあこれは才能がなく辞めたものなので、それほど悔いはないし、復帰しようとも思わない。

 

年齢がいってもやれるものは、限られてくる。体力を要するスポーツは、90歳になってもマスターズ陸上に出ている人もいるが例外で、せいぜい、ゴルフか卓球くらいか。それ以外は文化系のものが主体となる。音楽、絵、文学(俳句、短歌含む)、書道などが思いつく。さらに読書や映画を見る習慣も若いうちに育まれる。私の場合もこうした習慣が大学生の時にできたことが今でも役立っている。とりわけ音楽と絵は才能も関係するので、合う合わないは一概には言えないものの、若い時に熱中してやっておけば、老人になって楽しいことが増えそうである。子供に色々な教室を通わせる親がいるが、ジャンルを問わず、好きなことを習わせるのも良いかもしれない。私の場合も子供の頃の習い事は、絵、習字、そろばん、水泳、好きだったのはプラモデル作り、読書、少年野球、漫画、アイススケート、ローラスケート、天文観測、スロットカー、切手、その後、中学になっては、サッカー、バスケット、登山、映画、音楽鑑賞(ロック)、旅行、飛行機(航空ファンの購読)、大学生になってからはサイクリング、ハーモニカ、スキー、海外旅行、カメラ、矯正科に入ってからは、ゴルフ、スキューバーダイビング、ヨット、開業してからは、英語、ブログ、郷土史、本の出版、北欧陶器、家具、日本画収集および研究(掛け軸)、キリムおよびラグなどで、思い出すと結構な数の趣味を体験しているが、興味があっても長続きしていないことがわかる。今のところ一番長く続いているのは、漫画で、小学校一年の少年マガジンから60年、読み続けている。

 

老人になって暇ができたからといって、何かできるのものではなく、それまでやってきたことの延長に何かをやるのだろう。そうした意味では、若いうちにいろんなことにチャレンジし、特に音楽関係は大きな武器となるので仲間とバンドなど作って熱中した方が良い。

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