2023年1月26日木曜日

老人は若くなった

 





設定年齢は70歳と67歳







乃木大将、57歳





私も今年で67歳、自分では若いと思っていても、現実は老人世代である。それでも子供の頃に比べると、今の老人は若くなったなあと思う。昔であれば、70歳になれば、十分に老人で、ヨボヨボの腰の曲がったイメージである。実際、映画「楢山節考」で老母を山に捨てるシーンがあったが、確か主演の坂本スミ子は、息子の緒方拳の背中におぶされて山に捨てられていくのが70歳だったと思う。実際に70歳になれば山に捨てられるようなことはなかったにしろ、昔は70歳という年齢は十分に老いた存在だった。

 

日露戦争の英雄、乃木希典が明治天皇の崩御に殉じたのが62歳と聞くと、驚く人も多いと思うし、伊藤博文が朝鮮で暗殺されたのが68歳である。また小津安二郎の名作、「東京物語」の登場人物、笠智衆と東山千栄子の役の設定年齢が、それぞれ70歳と67歳となっている。また同じく小津安二郎のカラー映画、「太刀魚の味」に登場する笠智衆の恩師、東野英次郎の元教師の設定年齢が72歳である。小津安二郎自身、亡くなったが60歳で、今日の感覚からすれば、どれも10歳は老けている。東京物語の有名なシーン、熱海の海岸で笠智衆と東山千栄子が堤防に腰掛けて話すシーンがあるが、今の感覚で言えば、舘ひろしと大地真央が座って話しているようなものである。舘ひろしが父親、大地真央が母親であれば、全く違った映画になっていたであろう。

 

さらにいうと、「男はつらいよ 奮闘編」(1971)にトラさんの母親役としてミヤコ蝶々が登場するが、その時の年齢が51歳、今の感覚で言えば、酒井法子がトラさんの母親、とても無理である。また日本映画の老け役と言えば、飯田蝶子の名が出てくるが、彼女は75歳で亡くなり、多くの映画、たとえば若大将シリーズでばあさん役として出ていたのが1964年からで、年齢でいうと67歳であった。80歳くらいの役であろう。美空ひばりが亡くなったのが52歳、あの圧倒的な貫禄は今の52歳にはない。

 

こうしたことから、令和の年寄りは、昭和の年寄りより10歳は若いという仮説も当てはまりそうだが、どうであろうか。ただ乃木将軍の晩年の写真、上半身裸の写真を見ても、立派な体つきであるし、髭を剃り、髪の毛を黒に染めれば、それほど年寄りでもない。同様に飯田蝶子の写真を見ても、確かに老け役の化粧をしているが、肌は綺麗で、シワも少なく、今風の明るい洋服を着れば、もっと若くなる。

 

子供の頃、参観日というと母親が着飾って学校に来ていたが、ほとんどの母親が20から30歳であるが、結構老けていた。これは洋服、着物が地味なものを着ていたからで、母親そのものが老けていたわけではない。つまり、昔の人が老けていたのは、実際の体が老けていたのではなく、老けた化粧、服などがしていたからである。小学校の時、母親の友達で、戦後、ファッションモデルをしていた人がいた。赤や青の原色の綺麗な洋服を颯爽と着ていたが、当時の30歳代にしては、非常に目立ち、周囲から浮いた存在であった。昭和30年代の30歳代と言えば、茶色や灰色の服が主体であり、化粧も派手なものではなかった。こうした感覚が少しずつ崩れだしたのが、1980年代で、ヒッピー、ロック、ツイッギーなどの文化を経験した若者が結婚し、子供を作った頃から、30歳で原色の服を着る抵抗がなくなり、1990年代になると50歳代で娘の服を着る母親も珍しくなくなり、今ではユニクロやZARAなどの店舗に行くと、20歳の若者が買う服と70歳の人が買う服が同じで、年齢による区分がなくなっている。

 

さらにいうと、昭和の時代まで、子供、若者、中年、老人という大きな枠組みがあり、服装から曲の好み、考え方も大きく違っていたが、今ではこうした枠組みは消失している。大学生のころ、若者はロック、フォーク、中年は演歌、老人は民謡、浪曲という括りがあり、若者が民謡や浪曲を聞くことはほとんどなかったし、逆に老人がロックを聞くことはなかった。老人と若者がディープパープルについて語るというのが今の時代であり、こうしたノンエイジ(nonage)が主流となっている。一方、老人世代の若者化により、私も含めて周囲に威厳、貫禄のある大人という人がいなくなった。もはや62歳で乃木大将の風格を持つ人を見ることはない。

 

 

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