2023年5月6日土曜日

日本史における最も平和な時代

 

宮崎にいた頃なので、昭和63年(1987)のことであるが、父の友人二人がフェニックスカントリークラブにゴルフに来て、会食したことがある。その時の一人の先生は、戦争中、ラバウル航空隊にいて、米軍との熾烈な戦いをした経験をもつ。戦後、歯科大学に進学し、親父の歯科医院近くに開業し、年齢も近かったので、酒飲み友だったようである。興味があったので、米軍との空中戦など興味本位で聞いたが、笑ってあまり答えてくれなかった。

 

太平洋戦争が終わったのは昭和20(1945)で、軍隊の主力は将官含めると、当時20歳から50歳くらい、明治28(1895)から昭和元年(1925)生まれの世代となる。昭和63年というと、それぞれ62歳から92歳ということになる。さすがに90歳以降は亡くなっていたとしても、社会にはまだまだ戦争経験者は普通にいた。さらに私が生まれた昭和31(1956)となると、戦争経験者は31歳から61歳と、ほぼ日本社会はこれら戦争経験者で占められていたことになる。うちの親父にしても北支戦線で4年いて、その後も、モスクワ近くの捕虜収容所に2年ほどいた。ラバウル帰りの父の親友だけでなく、多くの日本人は戦争経験者で、悲惨な状況も経験しただろうし、兄弟、友人、知人も多く戦争で亡くなった。

 

戦後、生まれの世代と、戦争経験者との世代間のずれは、こうした経験差であり、戦争、あるいは死を身近に経験した人の覚悟というのは、絶対に我々は真似できない。江戸時代の人と明治時代の人との世代差は、もちろん幕末の混乱、士族社会の解体が横たわっており、明治時代の人と大正時代の人の間には、日露戦争が横たわっている。そして大正時代と昭和時代の人の間には支那事変、太平洋戦争が横たわっている。ところが昭和戦後の人と平成、令和の人の間には、大きな時代的な変化はなく、あまり世代差はない。戦争という人の生き死を問う経験の有無が厳然たる経験差となるが、日本は昭和20年(1945)以来、戦争を経験しておらず、すでに78年経っている。江戸時代は戦争のない平和な時代であったが、大阪の陣が終了したのが、慶長20年(1615)で、次の戦争となると、島原の乱で寛永14年(1637)、武力行使という点では、アイヌの反乱、クナシリ・メナシの戦いが寛政元年(1789)、ここまでほぼ150年、紛争はない。その後、大塩平八郎の乱が天保8年(1837)、長州征討が元治元年(1864)、鳥羽伏見の戦いが慶応4年(1868)となる。アイヌとの戦いから50年、75年となる。令和の日本は、江戸時代前期に次ぐ、長い平和の時代といえよう。400年の日本の歴史でも2番目長い平和な時代であり、島原の乱から80年というと西暦1717年、元禄あたりに相当するが、寛永の大飢饉(1642-43,享保の大飢饉(1773,天明の大飢饉(1782-87,天保の大飢饉(1833-39)などの江戸時代の四大飢饉は全て、この時期であり、さらに1652年の小浜藩領承応元年一揆はじめ29の大規模一揆があり、それほど平和な時期ではなかった。

 

こうした戦争などを経験したことがない世代がほぼ0歳から88歳(終戦時10歳)まで占める社会は、ある意味、精神的には多少の年齢差はあったとしても、断裂と呼ぶような大きな違いはなく、色でいえばグラディエーションのような様相を示している。特に昭和20年以降の世代、78歳以降の世代は、例えば、吉田拓郎は昭和21年、沢田研二は昭和23年、矢沢永吉は昭和24年、ユーミンは昭和29年、桑田佳祐は昭和31年などの歌手は、若い世代からも支持されており、私が子供のころ親父や爺さんが聞いていた、浪曲や民謡などとは扱いが完全に異なる。子供の頃、大人、40歳の人は大変怖く、老けていた。60歳以上になると完全に老人であり、威厳があった。ところが私も含めて今の大人は、誰一人、威厳のある人はおらず、ある意味、15歳の若者も70歳の老人も精神年齢はそれほど変わらないような気がする。自分自身も15歳くらいの頃は、還暦60歳になるとあんなに威厳のある人物になるのだろうと漠然と思っていたが、いざその歳になると、あまりの進歩のなさに期待薄、裏切られた気がした。この気持ちは戦後生まれのほとんど人が感じるもので、小津安二郎の映画に出てくるような人物は、全て戦争経験者で、そうした経験のない世代には、こうした大人らしさはない。小津の名作、「麦秋」の笠智衆が演じる医師の役年齢は38歳だが、今の38歳といえば、松山ケンイチなどの世代であり、ああした落ち着きはない。

 

戦後も阪神大震災、東日本大震災、新型コロナウイルスなどの大きな災害があったにしろ、今の我々は日本の歴史史上でも、大変平和な時代に暮らしているのを感謝しなくてはいけない。

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