2023年6月15日木曜日

方言




人気タレントの王林さんのおかげで、津軽弁の認知度も高まりました。津軽弁は、3つの特徴があり、一つは言葉そのものが標準語と違うことです。例えば、私のことを「わ」、あなたのことを「な」のようなものです。これは略した言葉と言えるかもしれませんが、友達のことを「けやぐ」、赤ちゃんのことを「びっき」、おでこのことを「なずき」と言いますが、これなど標準語とは全く違う言葉です。実際、こうした言い方がかなり多く、それが津軽弁をわかりにくくしている点です。二番目はイントネーション、アクセントが違います。これは王林さんの喋りを聞けばわかりますが、言葉自体は標準語ですが、イントネーションとアクセントが違います。大阪弁などは典型的です。3つ目は、母音が違うことです。硬くて噛みきれないことを「シネ、シナイ」と言いますが、これは「死ね」、「竹刀」とは発音が違い、「シ」の発音は「スウィ」、あるいはシとスの間の音です。それも喋る人によって違い、昔、弘前検定試験の勉強をしていた時に、「しね」と発音していると、ロータリークラブの人からかなり発音の修正をされましたが、結局できませんでした。歯科医の友人に話すと、「シナイ」の発音は「竹刀」と全く同じだと言っていたので、それは違うだろうと言うと「津軽生まれの俺が言うのだから間違いない」と怒られました。この母音については「弘前」を「フィロサキ」と発音する人を見たことはありませんが、詩人の福士幸次郎はそう書いています。家内に言わせると「ヒドサギ」と発音する人もいるようで、要は口をあまり大きく開けないで、ぼそっと発音するためでしょう。ただ一般的な母音、あいうえおとは異なる発音が存在するのは間違いありません。

 

一方、アメリカ人の先生に聞くと、アメリカでも方言があるが、あくまでアクセント、イントネーションの違いがあるだけで、地域により言葉そのものが違うということはないと言います。確かにイギリス英語とアメリカ英語では発音だけなく、単語も違うが、それでも津軽弁と標準語ほどの差はありません。ヨーロッパでは、たとえばイタリアで大きく分けて3つの地域別の方言があり、ナポリ語とシチリア語では発音だけでなく、単語もかなり違うといいます。フランスでは、ブルトン語というブルターニュ地方独特のケルト系の言葉があったり、オック語というカタローニャ語に近い方言もあるようです。同様にスペインのバスク語は方言というよりは、一つの民族とみた方が良いかもしれません。

 

中国では、標準北京語以外にも広東語、上海語など多種多様な方言があるし、タイでも北部と南部では言葉がかなり違うし、フィリッピンでは170以上の言語があり、これがタガログ語と英語を共通語として教育されていったようです。たた隣国の朝鮮では北朝鮮と韓国では発音などの違いはあるようですが、お互いわからないほどの違いはなく、同様に台湾も原住民語がありましたが、最近ではそうした言葉の消滅しつつあり、台湾語と標準北京語が一般的になっています。

 

こうしてみると、しゃべっている内容がほとんどわからないほどの方言は、むしろ独立した言語で、沖縄弁あるいは津軽弁ではなく、沖縄語、あるいは津軽語と呼んでもいいのかもしれません。朝鮮では、李氏朝鮮が600年以上に渡り統一王朝を築き、地域によりそれほど独立性が高くなかったことが、言語の標準化となったのでしょう。一方、日本では江戸時代の大名制度が、藩単位の独自性を構築することになり、近年になるまで独自の方言が狭い日本でも存在したのでしょう。特に他藩からの人の往来を極度に嫌った薩摩藩、弘前藩、あるいは琉球には、独特な方言が残っているのでしょう。

 

最近ではバスク地方をはじめ、独自の言葉を守ろうとする動きがあり、北海道でもアイヌ語を公用語に、義務教育でも習おうという運動がありますが、津軽でも祖母祖父の言っている言葉がわからない孫が多くなり、このままでは津軽弁が少しずつなくなるかもしれません。新しい知事になりました。家内の時代では高校で標準語をしゃべりましょうという授業があったそうですが、これからは授業で津軽弁を習う時代が来るかもしれません。方言というのはよそ者を嫌う、排他的な要素を持ちますが、他方、お国自慢、郷土愛につながります。どちらがこれからの時代に即しているか、一概に言えることではありません。もちろん、私のようなよそ者でも嫌われることなく、なんとかやっていけています。ただ弘前市内で言えば、昭和30年代まであった武家言葉、たとえば「ゴギンギョウ」や「オシズカニ」(さようなら)のような美しい言葉は完全になくなっています。どこかに記録は残っていると思いますので、曽祖母や祖母の会話など昔の津軽弁のテープがあれば、Youyubeにでも挙げてほしいと思います。









 

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