2023年6月22日木曜日

父の写真

 







父が亡くなって10年以上経つ。子供にとって父親の経歴は、わかっているようでわからないことが多い。私の父も、徳島県板野郡一条で生まれ、大阪市で育ったというのはわかっている。東京歯科専門学校(現:東京歯科大学)を卒業後、学徒出陣で中国の東北部に行き、戦後はモスクワ南部の捕虜収容所で3年ほど抑留された後、大阪、神戸で勤務し、尼崎市東難波町で開業し、85歳で引退し、88歳で亡くなった。ただ小中学生の頃のことはほとんど分からず、母親に聞いても知らない。父の生前に聞いていれば、わかっただろうが、生前、特にそうしたことを聞くチャンスもないし、聞く理由もないため、そのまま分からずじまいである。

 

その後、アルバムから父の古い写真が出てきて、スマホで撮影し、そのデジタル写真を拡大して調査している。最初の写真(1)は、どこかの神社前で撮られた修学旅行の集合写真である。男女100名くらい、女子が多い、男子は制帽に、上下の学生服、女子はコートを着ているので分からないが、これも制帽に制服で、かなり裕福な感じがする。写真2は、祖父の葬式のようである。かなり大きさ葬儀で3人の僧侶がいる。写真3は寺の稚児行列の記念写真である。写真4は結婚式の記念写真で、大きな家の前で撮られている。

 

これらの写真の中で手がかりとなるのは、まず写真1で、父は大正8年生まれなので、小学6年生の修学旅行とすると昭和5年となる。昭和5年で、小学生、男女とも制服を着ているとなると、まず考えられるのは、私立小学校である。昭和5年頃の大阪の私立小学校は、追手門学院小学校と帝塚山学院小学校である。前者は偕行社の学校で男子校なので、合致しない。そこで帝塚山学院にこの写真を送付して確認したところ、男子の人数が多すぎること、卒業者名簿に父の名がないことから、ここではなさそうである。次に大阪の制服といえば、現在の大阪教育大学附属小学校、天王寺、平野小学校が考えられる。父は子供時代、祖父を早くに亡くしたが、祖母に経営才覚があり、大阪で遊郭を経営していて裕福であった。正月になると、広間の上座に芸妓衆を集めて正月の挨拶を行なっていたと言っていた。となると、戦前の大阪で有名な遊郭となると、飛田遊郭、堀江遊郭、南地五花街、松島遊郭、今里新地などである。写真4を見ると後ろの幕を見ると「榮樓」の名が見える。国会図書館デジタルコレクションで「榮樓」で調べると、北堀江町の住所となる。そうなると堀江遊廓が候補となる。堀江遊郭は心斎橋近くで、少し遠いが天王寺附属小学校に通えるかもしれない。そこで天王寺小学校に連絡して卒業者名簿に父の名がないか、調べてもらったが当該者はいないとの返事であった。

 

そこで戦前の堀江町の姿をまとめた「なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図」を注文した。届いた地図を見てみると、北堀江上通二丁目に榮楼の名が見えるが、家主は山下ヨネとなっている。ただこうした商売は、オーナーと家主は違う場合もある。さらに調べると北堀江上通一丁目に二軒の広瀬の名が見えるが、どうも長屋のような並びで、オーナーの家とは考えにくい。堀江地域は太平洋戦争中の空襲でほとんどが焼き払われた地域で、昔の記録は乏しく、ネット上でもあまり写真などの情報が出てこない。仮に父が堀江地区で育ったとなると、写真1の学校は堀江尋常小学校、写真2は阿弥陀池和光寺、写真3は同じく和光寺、写真4は北堀江上通の榮楼前となる。昭和5年頃の小学校の卒業写真を見ると、東京、大阪などの都市部では男女とも制服というところはあるが、さすがに女子の制帽は私立学校以外にないように思える。また戦前の阿弥陀池和光寺の写真を見ると、葬式の該当するような建物は見つからなかったが、一方、よく見ると、葬式にもかかわらず数名、水商売風の女性がいて、遊廓町を想像できる。

 

こうした昔の写真から、どこで撮られたかを調べることは、一種の謎解きにも似ており、ネットもなかった昔であれば、現地に言って、年配の方にインタビューして聞いて回ったであろうが、今であれば、国会図書館デジタルアーカイブ始め、多くの資料があり、驚いたことに大正11年から昭和41年までの大阪の市内電話帳を全て開示しているサイトもある。アメリカ人の友人に聞くと、彼の父親の記録、子供の頃の成績表、大学の卒業証書、軍人の記録、写真などは全て揃っており、さらには保険、通帳、株などの資産管理も同様に書類として残っているという。さらに地域の記録センターに行けば、故人であれば、あまり個人情報保護とは関係なく、かなりのことがここでわかるようである。転職が当たり前のアメリカでは、こうした履歴、レジュメを用意しておくことが必須であるが、日本では60歳以上の世代であれば、その親あるいは祖母、祖父の履歴を知らない人も多いと思う。それは自分の履歴やレジメを準備するような習慣がないためで、それもあってNHKのファミリーヒストリーという番組が成立する。アメリカではああした事実を知るのは割合簡単なのかもしれない。

 

今度は、堀江小学校に連絡して確認してみたい。













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