2023年10月4日水曜日

スポーツ選手への子供の夢 親は反対すべきである

 



子供の同級生の中にも、剣道がうまいので、強豪校である中学に越境入学する人もいたし、またわざわざイギリスの高校にサッカー入学させた知人もいる。患者さんの中にも、サッカーが好きで、岩手県のそれも部員が100名以上いる高校に行っている子供もいる。子供の好きなことをさせたいというのは親の気持ちかもしれないが、実際にスポーツで金を稼ぐ、つまりプロになるのは、東京大学に入学する100倍、あるいは1000倍も難しい。

 

例えば、J1リーグの登録選手数は555名、J2668名、 J3リーグは536名、これらを合わせて大体1600名が日本のプロサッカー選手と言える。J1の選手の平均年棒こそ3400万円と高いが、J2では400万円、J3ではそれ以下で、日本のサラリーマンの平均年収460万円に比べてもJ2J3の選手はそれ以下の収入といえよう。東大の入学者は毎年3000人に比べると、高校卒業してJ1リーグに入る選手は毎年数十人くらいで、比較にならないほど、サッカーでプロになるのは難しいし、普通の会社員並みの給料をもらうのはさらに難しい。また選手生命も短く、35歳以上で活躍する選手は少数で、せいぜい選手生命は10年程度であろう。かなりリスキーな仕事である。

 

こういうことがわかっているなら、親としてはいくら子供がサッカー選手になると言っても、反対すべきであろう。夢を持つのは結構であるが、中学生以上であれば、こうした現実もわからせないといけない。人気のあるサッカーでこれであり、柔道、剣道、バレー、卓球、その他の運動競技はさらに食べていくのは厳しい。努力だけでなく、むしろそれ以上に才能が関係する仕事である。

 

昔の話をすると、私がサッカーをしていた昭和40年代は、親が試合を見に来ることはまずなく、こちらも試合結果を話すこともなかった。近畿大会の出場し、優勝した時も、OBは応援にきたが、選手の親が来ることはなかった。親も仕事が忙しかったのか、子供の試合をわざわざ見にくるほど暇ではなく、小中高校のスポーツは単に遊び、趣味のように見ていた。同級生も国体代表に選ばれたが、校長も親も勉強に支障をきたすとして辞退したように、まず勉強、そして部活という流れであった。サッカーで言えば、戦前の日本サッカー界で活躍した、大谷兄弟で見てみると、大谷一二は、神戸一中から神戸商業大学に進学し、日本代表として活躍したが、大学卒業後は東洋紡績に入社し、最終的には社長、会長となった。弟の大谷四郎も、第一高等学校から東京大学に進学し、大学サッカーで活躍し、卒業後は朝日新聞の記者としてサッカーの普及に努めた。日本サッカー殿堂入り。

 

今は昔と違い、プロもできて、サッカーで稼げる時代となったと言っても、それができるのはごく一部の選手で、おそらく引退後は厳しい生活が待っている。サッカーのプロになる夢を捨てて、会社に入って、定年まで仕事する方がよほど安定した生き方であるし、現実的である。同様なことは、音楽家、画家などの芸術分野にも当てはまるが、これに関して、唯一スポーツよりいいのは寿命が長い点であり、作曲家や画家などを見ても、一生、死ぬまで仕事をしている人も多いし、江戸時代も含めてこうして生活している人も多くいる。一方、スポーツについては、江戸時代も含めると、プロのスポーツ選手は相撲くらいしかいない。子供が音楽家、画家になりたいと夢は、スポーツ選手よりまだマシな選択かもしれない。

 

おそらく野球の大谷選手や、サッカーの三苫選手に憧れる子供は多いし、将来、あんな選手になりたいと夢見ることであろう。ただこうした選手には99.99%なれっこなく、その0.01%に親も期待してはいけないと思う。本当に才能がある選手は、おそらく早い段階で誰かの目に留まるもので、むしろそうした選手を集めて、優れたコーチが指導した方がようのかもしれない。Jリーグの初代チェアマン、川淵三郎の履歴を見ても、早稲田大学卒業後、古河電気に入社し、日本代表になるものの、引退後は古河電工に勤務し、部長などを役職を経て、Jリーグのチェアマンとなった。私の従兄も同志社大、近鉄でラグビーをして、日本代表にも選ばれたが、引退後は近鉄で仕事をして定年まで勤務した。今は多くのスポーツがプロ化されているが、むしろ社会人競技であった時の方が良かったのかもしれない。

0 件のコメント: