2023年10月8日日曜日

西弘前のロック喫茶「JAIL HOUSE 33 1/3」 奈良美智個展

 

西弘前エリア(1977年)


1014日から青森県立美術館で、奈良美智さんの個展が久しぶりに開催される。「The beginning place ここから」という展示会で、巡回でなく、単独開催となる。是非行ってみたいものである。奈良さんの人気は凄まじく、海外にも多くのファンがいて、今回の個展も青森県単独開催のため、台湾、中国などからこの個展を目当てに来日する人も多いと思う。来年225日までの長期の公開なので、これを機に青森の冬を楽しんでほしい。雪、温泉、食事、いろんな楽しいものが青森県にはある。

 

この個展の内容は知らなかったが、今日の東奥日報の誌面に第5テーマとして、奈良さんが弘前高校在学中に建設に携わり、アルバイトをしていたロック喫茶「Jail House 33 1/3」の店舗が再現されているという。1977年に店の前で撮られた写真が載っているが、アメリカ南部の田舎の店という感じで渋い。1977年頃というと私もアメリカ、サザンロック、リトル・フィート、リンダ・ロンシュタットやレオン・ラッセルなどよく聞いた時代である。写真1枚であるが時代を感じさせる。

 

以前にも紹介したが、1977年発行のタウン誌、「DEED」というところが出した、弘前市内マップにもこのロック喫茶「Jail House」が載っているので、紹介したい。今は西弘エリアも寂れているが、1977年当時はこの「Jail House」以外にも多くの若者向けの店があった。地図に載っているところを紹介すると、Fork喫茶「York」がある。当時、ロック好きとファーク好きは分かれていたが、今はどちらも懐かしい。弘前学院女子大学には「すき大と読んではいけません」のコメントがある。お盛んだったのか。近くの喫茶クイーンには「●女子大生のたまり場なんだって」のコメントが、また「メガトンハウス」には「私設映画館(アパートメント、シアター)、撮影機材レンタルetc.他に伝販撮影など」、「劇団夜行館」、最近は見ないが、ろうそくの不気味な扇ねぶたで毎年ねぷたに出陣していた。


公園のところには、「児童公園 夜はーーー」となり、その下には「どこから出てくるのか学生多い。(その割にはmottor?は少ない)」となり、「Jail House 33 1/3」には「American Rock & Booze 夜は酒がメイン」となっている。Boozeとは聞き慣れない言葉だが、調べるとアルコールのスラングだそうだ。西弘駅の前には「︎ 100円不可 市外」となっている。若い人にはわからないと思うが、当時、公衆電話から市外に電話する場合は、10円玉を大量に持っていき、例えば5秒ごとに10円を入れ続ける。機種によっては100円玉可能な電話もあり、この場合は、手間が減る。家でも長電話すれば、料金が高いせいで、親から長電話するなと怒られたものだ。

 

他にも土手町の喫茶店を見てみると、一番町には「Coffee 美術手帖Jean 」の名があるが、どんな喫茶店か気になる。かくみ小路には「Jazz スガ マニアック最右翼!外タレのコンサートもあったりする」とある。本町から元大工町に行く小路には「ジャズ Ken」があった。また東長町の今でもある川越の黄金焼屋の2階にはライブハウスがあったようで、そこのコメントには、「らいぶはうす 萬燈篭(まんどろ、と読む)市内唯一のライブハウス。フォーク系の出演が多いが、他にもフィルムコンサートや演劇などもやっている。殆んどチャージ制、場所だけ貸すのはやっていない。西弘前のJail House 33 1/3と同じオーナー」の説明がある。

 

この市内マップの作者は、おもしろい人で、たとえば和徳町にところには「和徳にはホラ吹きが多いと云うーーー?」とか、坂本町の東北女子短期大学の女子寮のところには「ストームをかけてもムダじゃ」とあり、また弘前駅の南側には「小林音楽旅館」があり、「名物 音楽風呂個室」となっておる。風呂に入りながら音楽を聴けるということか。


地図の左上には、タメ口か「文字が細かすぎる、と云う人も居るでしょうが、そうカンタンにこの紙面の情報を君のモノにされてはタマランよ。これだけ調べるのに君一人じゃ何ヶ月かかる?ホント、できればもっと細かく書きたい位だよ。全情報を載せるためにはね。」となっているが、今から50年前の弘前を再現する重要なツールとなっている。当時の映画館も載っており、弘前東映、駅前日活、スカラ座、テアトル弘前、東宝劇場、ミューオリオン、日江劇場、弘前宝塚、弘前ミラノ座の9つもの映画館があった。

 

この弘前市内マップは一冊100円、何度も開いているうちに一部破れてきたので、知り合いの印刷屋に頼んで、デジタル化してもらった。本来なら作成者に連絡し、許可を得てからブログに載せるべきだが、連絡がとりようもなく、無断で使用している。こうしたサブカル的なものであっても、すでに50年経つと、当時の弘前市のことを知る重要な歴史的な資料となっている。貴重な資料である。






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