2024年6月13日木曜日

人生で驚いたこと

 

外国人観光客を初めてみる昆明市民

いつも行っている英語のレッスンのテーマが、「これまでの人生で最も驚いたこと」、「安心した」であった。死あるいは病気などは除くが。

 

1.飛行機事故

もう20年くらいなるが、青森空港から羽田に向かう飛行機に乗った時のことだった。離陸後、1、2分で後方左側からバンという大きな音が聞こえた。何かと思ったが、すぐにCAのアナウンスで、緊急着陸することが告げられた。ゆっくりと機体は旋回し、そのまま元の青森空港に着陸した。出口で昼飯の1500円券をくれたので、次の便に変更し、昼食を食べた。空港屋上から滑走路を眺めていると、職員が多く駆り出され、飛行場に落ちたエンジンの部品を回収していた。片方のエンジンが完全に破壊されていた。エンジンが二機ある飛行機は一機のエンジンでも十分に飛べるのはわかっていたが、流石に驚いた。数百回は飛行機に搭乗したと思うが、こんなことを経験したのは始めてであった。

2.山陰の小さな駅での出来事

友人と大学生の頃に山陰地方を旅行したことがある。金がなかったので、小さな駅の待合室で夜を明かそうと、ベンチで寝ていたところ、真夜中に酔っ払いのおじさんが突然入ってきた。手には斧を持って、ふりまわして、“殺してやる”と叫んでいる。私は隙を見てこっそり友人を置いたまま駅の外に出た。30分後に戻りと、友人はまだ寝ていた。

3.近くの銭湯で

 家にも小さな風呂があったが、一週間に一回くらいは近くの銭湯に親父と兄と一緒に行っていた。小学4年生くらいであったろうか。風呂場にいると、突然、近くに住む同級生の女子が男性用の風呂に入ってきた。びっくりした。小学校4年生といっても体の大きな子で、さすがにこの年齢で女子が男性用の風呂に入るのは勘弁してほしいと思った。次の日、学校で会うのが恥ずかしかった。

4.崖崩れ

 昔、親父が信仰していた神戸の宗教団体のビルが大雨で危ないという報告があり、なぜだか私と親父がそこに行った。阪急御影駅から山に向かったところにあり、ビルの横には小川がある。十人ほどの信者が集まって居間にいたが、親父ともう一人の人が裏の滝を見にいくと出ていった。その5分後にドカンという音がして、音がしたところまで部屋の中から行ってみると、そこの窓枠に親父が血まみれになってつかまっていた。すぐに大人に連絡し、助けてもらったが、突然の土砂崩れで、水に流されたとのことであった。幸い軽傷であったが、もう一人に人はさらに数十メートル流されて重傷であった。

5.沖永良部島で

 高校2年生の頃、夏休みの終わりに一人で沖永良部島まで、旅行した。大学生のグループと親しくなり、一緒に遊んでいたところ、現地に高校生の女の子と親しくなり、家に呼ばれて昼飯をご馳走になり、穴場の浜辺に案内してもらった。僕たちは海パンを履いて海に入っていったが、この女子高校生は何と、服を着たまま一緒に海に入っていったのには驚いた。

5.インド、タージマハル

インドのタージマハルをみるためにアグラにいって時のことである。リキシャに乗ってたアグラ城に向かう道で、突如、現地の人からビニール袋に入った色付きの水を投げられた。驚くというよりはかなり怒ったが、リキシャを引っ張る人に聞くと、ホーリというお祭りで、この日は誰でも色のついた水をかけてもいいことなっている。そんなこと全く知らない私にとっては全くただ驚くだけで、結局、その日は一日中、水をかけられたが、腹がたったので、わざわざ水を買って現地人にかけてやった。

6.中国、昆明で

1980年に外国人に初めて開放された中国の昆明に旅行した。我々のバスが昆明の繁華街で止まり、外に出ると、昆明の人が外国人を見ようと取り囲み、我々が動くたびにこの黒山の人手も一緒に動いていく。まるで映画スターになったような気分でこれには驚いた。

7.偶然の出会い

 年に一回くらいしか行かない東京で、仕事中の娘と東京駅でバッタリと会った。仙台に住む小児歯科の先輩の先生と弘前市の和菓子屋で、違う先生とは東京、上野のアンリー・マチス展で会った。

8.街中で鷹を見た

4月くらいだったが、医院から家に帰る途中に、電柱に鷹を発見した。2頭のカラスが連携しながら交戦していたが、5分くらいで鷹は逃げていった。

9.阪急電車で

高校2年生の時に阪急塚口から六甲駅まで確か日曜日、部活で阪急電車に乗っていた。座っているとお尻が変な感じがしたので、触ってみると茶色液体が指についていた。立ち上がって緑色のシートを見ると、そこにはうんこらしきシミがついていた。思わず「うんこがついている」と叫ぶと、その車両にいた全員が振り返り、恥ずかしかった。駅に降りて水で濡らした塵紙で拭いて、そのまま部活に行った。

10. 崖の上のポニョ

弘前の映画館に「崖の上のポニョ」を見に行った。木曜日の初回上映で客は少ないと思っていたが、上映時間になっても誰一人観客がいない。結局、観客は最後まで私一人で驚いた。

11.自転車のハンドルが取れた

昔、愛車のBD-1で走っていた時に突然、ステムからハンドルがポッキリ外れてしまった。よく転倒しなかったと怖かったが、ハンドルがないまま、自転車店にいくと、怪我をしなくてよかったですねと驚かれた。そのまま製造会社に持って行き、その後の車体は全て溶接からボルト締めに変更された、

12. 靴下のハチ

ある朝、靴下を履くと強烈な痛みがあった。靴下の中にハチがいてそれに刺された。強烈な痛みであった。

13. 住まい

家を購入しようと診療所近くの土地を探していたとき、いいところが見つかったが、高かったので、無理を承知で、かなり安い指値をした。半年後、流石にこの値段は勘弁してくれと言われたが、かなり安い値段で購入できた、不動産売買で、初めて売り手と対面したが、いつもお世話になっている歯科医の先生で驚くと同時に、恐縮した。それでも何とか売れて助かったと喜んでくれた。

14. 小さなネズミ

家内の実家にいた時のことである。畳の部屋に寝転んで、テレビを見ていると、頭元がゴソゴソする、起き上がって見てみると小さなネズミがいて、これは驚くというよりは怖かった。ゴキブリや蛇も驚くというよりは怖い。

15. おかまの東郷健

浪人中、ルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」という映画が上映されるというので、神戸まで見に行った。ところがこの映画公演は、おかまの東郷健引退公演のプログラムの一つで、ほぼ会場はホモの人たちでいっぱいであった。これも驚くというより恐怖に近かった。案の定の映画「忘れられた人々」もホモの映画であった。

16 .長嶋茂雄のサイン

小学生の頃に長嶋茂雄のファンだったとので、手紙にオバQのハンカチを入れて住所宛に送ったところ、後日、サインされて送られてきた、驚くと同時に嬉しかった。

17. 友人に家に遊びにいくと

大学の頃、友人に家に遊びに行き、勝手にドアを開けて中に入っていくと、まさにあの最中で、流石にごめんと行ってすぐに出ていった。

 

この歳になると、友人の死や病気、災害など、暗い話題の驚きも多いが、ここでは割愛した。こうして驚いたことを挙げると、旅行や何らかの行動をした場合に起こることが多い。歳をとるにつれて驚くようなことにあうこともだんだん少なくなるのだろう。逆に言えば、いつまでも驚くような人生を歩みたいものである。もちろん、楽しい驚きであるが。

明十三稜 人がいない 1980.4
 

 

3 件のコメント:

YMCA Yoshi さんのコメント...

広瀬さん。大変ご無沙汰してます。
YMCA天王寺予備校で同じクラスだった山谷佳之です。
覚えてますか?
アイウエオ順の並びだったので、席が近くてよく話をしました。
大学入学後50年近くが経つのですが、当時の仲間の、
服部譲二君、森本次一君、高橋康友君、岡山晃三君とはその後も
交友を続けて、最近では家族ぐるみで毎年旅行を楽しんでいます。
みんな元気にしてますよ。
さて先日、薩摩・長州に旅行した折、貴君の話になりました。
「僕らよりも少し出来の良い広瀬というやつがいたな」
「東北大の歯学部に合格したのはさすがや」
「あまり勉強の邪魔をせずによかったな」
「あいつ、僕らのことを覚えてるかなぁ」
「なんばの丸福珈琲店で土曜の午後に青臭い話をしたことぐらい覚えてるのでは?」
「日本は軍隊を持つ必要があるとかないとか、熱っぽく話をしていたな」
こんなことで、ネット検索したところ貴君のブログにたどり着いた次第です。
少しでも記憶があれば連絡をください。
なお、私(山谷)は、神戸大学農学部に進学。卒業後オリックスに入社して、
2016年4月1日より関西エアポートに勤務しています。
関西空港、伊丹空港、神戸空港の運営を行ってますので、興味があれば
ネット検索してみてください。

突然のメール!
少し驚いていただけたでしょうか?

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。なにせ50年前のことで、記憶の奥底から何となく、当時の交友関係を思い出しています。私の高校、神戸の六甲学院では浪人生はほぼ100%、大道学院という予備校に行きますが、そこの受験に落ち、大学受験に落ちた以上に落ち込みました。そうした訳で、高校の有人が一人もいない天王寺のYMCAに行くことになり、そこで他校の人と知り合いになりました。そのまま関西の大学に進めば交流が続いたのでしょうが、仙台に行きましたの、このコメントをいただくまで、全く失念していました。予備校時代の思い出として、体育館があり、そこでバスケットをしたこと、毎日、地下街でうどん定食を食べたこと、商店街でピンサロの兄ちゃんに腕を掴まれ、地下の店まで引きこまれたこと、ベ平連の先生が授業をしていて、毛沢東のことを褒めていたことなどを思い出します。いつも黒い服を着た女生徒が一人いましたね。あまり可愛くなかった。
薩摩、長州に旅行というのは、鹿児島と萩に行ったことでしょうか。移動が大変そうですね。私も鹿児島市には9年ほどいました。
空港関係というと、高校の友人にANAの木村健司、橋本佳典(今は大学の教授)、それとJALからボストンコンサルに行った御立尚資などがいますが、皆すでに引退しています。明後日、東京で会う予定です。
弘前にくる機会がありました、案内いたしますので、ご連絡ください。

YMCA Yoshi さんのコメント...

コメントバックありがとうございます。
御立さんと同窓ですか。
御立さんには関西エアポートの設立時にコンサルをお願いしました。
暫くお会いしてませんが僕のことは良くご存知だと思います。
どうぞ宜しくお伝えください。
弘前に旅行する時はまた連絡しますね。
顔を見れば記憶も戻ると思います!
黒い服を着てた女性は僕も記憶がありますよ(笑)
それではまた。
ご活躍ください。