2026年10月24日土曜日

子供の頃の思い出2

 


6。風呂屋 
 
診療所の前にはHさんという菓子屋があった。そこのは同じ歳の女の子がいて、近所だったので、よく遊んだ。店舗では和菓子から洋菓子までいろんなものを売っており、店に奥にはそうした菓子を作る機会がいっぱいあった。色の黒い子で、背も高く、外国人のような感じだった。小学4年生頃のことだったと思うが、たまには大きな風呂に入ろうと家族で近所の銭湯に行った。内風呂もあったが狭く、夏場は炊くのも面倒ということでもあった。親父と風呂に使っていると、何とこのHさんの娘、クラスの同級生が平気な顔して男風呂に入ってきた。小学4年生といっても発育がよく、膨らむところは膨らんでいる。びっくりして思わず、目を逸らしたが、気まずくなってそのまま風呂から出て、帰った。次の日も平気でいつものように教室に来て、普通にしている。これには驚いた。5、6年生も同じクラスであった。 
 

7。 大阪万博(1970)
 
あれは前回の大阪万博の時のことである。中学2年生で、初めて、近くでの開催も会って4、5回は来場した。目当てのアメリカ館、ソ連館に行くには入場と同時に全速力では知らないと2、3時間待ちになるため、走った。夏のある日、その日は暑い日であった。BVDの白いブリーフの上の、先日、母親が大阪、本町で買ってきたマドラス柄の短パンをはき、上のTシャツで万博に行った。その1年後の、何かのきっかけで、このマドラス柄の短パンはボクサータイプの下着であることに気づいた。ブリーフの上にボクサータイプの下着を着て、大満員の万博に行ったわけである。恥ずかしい。短パンのチャック部分がボタンというのは少しおかしいとは思ったが、なんで下着なのに後ろにポケットがあるのか。AIに聞くと、コンドームの携帯のためとなっていた。


8。篠原くんのこと
 
小学4年生の頃、クラスの篠原くんとは仲良く、いつも遊んでした。図画の時間、お互いモデルになって絵を描くという設定であった。私は筆の先を鋏で切って、ほとんど水を使わないで点描で篠原くんの絵を描いてみた。図画の猪俣先生からは激賞された。
夏休みに母の実家のある徳島県の脇町の帰省していた時のことだ。近所のうどん屋あたりを歩いている時、何と、脇町で篠原くんとあった。お互い「何でお前がここにいるのか」と驚きあった。あとで母に聞く篠原くんのお父さんの実家で、うちの母もよく知っていた。


9。不思議なこと
 
中学1、2年生の頃、二回の自分の部屋で宿題をしていて、夕ご飯なので一階に降りてきて、皆でご飯を食べていた。テレビを見ながら食べていたが、何だか、玄関が閉まる音が聞こえた。「誰か出て行ったような音がした」と食堂から5mくらいしか離れていない玄関を確認したが、どこも異常はない。気のせいかと思って、二階の部屋に行くと、机の前に置いていた腕時計がない。母の知人からもらったスイス製の42石の時計で、中古だが気に入っていたものだ。すぐに泥棒に盗まれたと家族に言ったが、皆で一階で食事していた時間に2階の侵入して泥棒するのはいくらなんでも無理だという。あまりも大胆で、リスクが多い。部屋中、あちこち探したが、見つからず、今でも泥棒が入って盗んでいったのだと思っている。


10。ラジオ体操
 
夏の一時期、尼崎市の難波小学校では全校生でラジオ体操をする。小学6年生のとき、体躯部長だったので、校長先生が登壇するお立ち台で、朝の朝礼の際にここでラジオ体操をする。当時は今と違って難波小学校も一学年6組240名の六学年、1400名の前でのラジオ体操である。最初は緊張していたが、指先に意識を集中するようにした。今でもその習慣は残っている。フォークダンスでは女のこと手を繋ぐのが恥ずかったので、体育部長の特権で、レコード係になった。今だったら、逆の特権を使ったと思うが。学年対応の野球試合を企画し、優勝したのも嬉しかった。最後の外野への飛球をあまり野球が上手くない米山くんが捕球して優勝した。


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