2007年12月26日水曜日

陸羯南賞



 今年は陸羯南没後100年にあたり、各種の催しが弘前で行われました。弘前文化センターで行われた記念展も多くの市民が来場され、関心の深さがうかがわれました。弘前市民への認知度は多少高まったと思われるます。しかしながら数年前、弘前商工会議所が提唱した「陸羯南賞」については、あまり進展していないようです。日本新聞協会では日本のピュリツアー賞としてボーン・上田記念国際記者賞がありますが、あまり知られていませんし、国民みんなから認知されたものでもないようです。

 「陸羯南賞」を作ったとしても、それが名誉ある賞として認められるためには、審査が厳正であることが条件となります。弘前市、あるいは弘前市商工会議所で主催しても、なかなか審査員を集めることは難しいと思いますし、費用もないでしょう。むしろ日本新聞協会と協力して、現在の新聞協会賞あるいはそれに準じる賞として「陸羯南賞」を作ったらどうでしょうか。今までの選考方法を変え、各新聞社の社長と有識者が自社以外の新聞記者あるいはジャーナリストを選ぶというやり方もあると思います。反骨のジャーナリストという基準で選択するのもよいのかもしれません。鎌田彗著「反骨のジャナリスト」の中で描かれている秋田の むのたけじさん などはまさにふさわしいでしょう。新聞社を退職して秋田の横手で一人で週刊「たいまつ」を発行し続けたジャーナリストです。毎日新聞社の社長北村正任氏も青森県の出身ですので、いいチャンスだと思います。

 このことをある記者に話していたところ陸鞨南と言っても全国的には知名度が低いからなあと言われました。このことで思い出すのは、知の巨人南方熊楠のことです。私が最初に南方熊楠を知ったのは高校生ころで、平野威馬雄著「くまくす外伝」(昭和47年)を読んでからです。多少誇張して熊楠の驚くべき人物像を描いています。それまでも平凡社で南方熊楠全集なども出され、一部のひとからは評価をされていたのですが、この本が熊楠ブームの原点と信じています。その後は鶴見和子はじめ、多くの作家による熊楠の本が出され、今の評価につながっていったと思います。ちなみにこの本を読み、熊楠に感化された私は神戸の古本屋に行き、熊楠全集を買って読もうとしましたが、あまりの難解のため中断しました(確か十二支考を含めた3巻です)。その後鹿児島から青森にくる時に近所の古本屋に売りにいくとこんな重い本はただでもいらないといわれショックをうけました。結局は捨ててきました。

 陸羯南も今のところ、くまくす外伝の出版前の状況かもしれません、何らかのきっかけでブレイクする可能性があると思います。平成21年からNHKスペシャルドラマとして「坂の上の雲」が始まります。羯南がどのように扱われるか期待しています。反骨のジャナリストとしての知名度が上がることを祈っています。そして陸羯南の生誕の地、弘前で「陸羯南賞」が表彰されればと思います。

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