2008年2月24日日曜日

斉藤正午2


左の写真は、零戦落穂ひろい2(http://blog.goo.ne.jp/summer-ochibo/)というブログから引用した斉藤正午が搭乗した97戦である。ノモンハンでの体当たり攻撃で使用した機体を展示している。東京であろうか。多くの人たちが興味深げに見ている。

津軽奇人伝 続(原子昭三著 青森県教育振興会 昭和62年)に斉藤についての記載があるので紹介したい。

斉藤は、若い頃にはずいぶん無茶をしたようで、弘前中学5年生の時に友達と「東京まで一銭も持たずに行けるか」とかけをし、家族には内緒で友人と弘前から徒歩旅行を開始したという。色々なひとに助けられたり、旅行の目的を知ったある学校の校長には見上げた根性だと褒められ、ごちそうになったりしながら、何とか無事に東京まで行けたようだ。またその頃全国的には珍しかったスキーにも熱心で、大変名手だったようだ。

ノモンハンの空中戦の感想として「一番最初に出動した時は、手が震えて全然弾が当たらなかった。それでいろいろと考えた末、遠くから狙って射つより、近くにいって射つのが一番命中すると考えた。その通りやったら実によく命中した」と述べている。

これは多くのエースが述べているのと全く同じで、第二次大戦中の最大の撃墜王、352機を撃墜したドイツのエーリッヒ・ハルトマンも同様なことを言っている。ハルトマンも初陣では興奮のあまり300メートルの距離から射ったが、全く当たらず、結局は燃料切れで不時着するという不名誉なものであった。その後はドッグファイトはさけ、観察ー決定ー攻撃ー離脱の必勝パターンを編み出し、50メートルくらいに近接してから攻撃したようだ(不屈の鉄十字エース 撃墜王エーリッヒ・ハルトマンの半生 学研M文庫)。

日本の撃墜王の西沢広議や坂井三郎も同様なことを言っている。ハルトマンの記述では30メートルまで近接するとしているが、よく考えると戦闘機は時速600km、秒速で150m以上進む、相対速度ではそうではないといっても30メートルの距離とは1秒以内の距離であろう。コンマ何秒の間に目標を狙い、銃弾を発射して、離脱するのは、高度な技術とともに、勇気がいるであろう。普通の人ではとてもこの距離まで待てないであろう。斉藤の場合も勇気とともに沈着な冷静さも持ち合わせていたのであろう。

5機以上を撃墜したものをエースという。少数のエースが全撃墜戦果の30-50%を挙げているという報告があるが、エースという一種の特殊能力者にかかれば、通常の飛行士では太刀打ちできないようだ。まさに練達なエースにかかれば初心者などは赤子をひねるようなものであったろう。

自衛隊が導入を検討しているF22Aラプターという戦闘機はステルス性能を持ち、F15,16,18などの現行機との模擬空中戦では「144対0」、すなわち144機撃墜して一機も損害ないという驚異の性能を持つ。ほとんどは相手の見えないうちにミサイルを打って撃墜するというものであったようだ。もしステルス機同士で戦えば、目視による戦いとなり、最新兵器でも結局は搭乗員の能力に依存しそうである。

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