弘前城の北には、武家屋敷の面影を色濃く残す若党町と小人町があり、この地区は弘前市仲町伝統的建造物群保存地区になっています。サワラ塀に囲まれた家が並び、ここを歩くとあたかも江戸時代にタイムスリップしたような感じになり、多くの観光客が訪れています。
この地区には、現在旧岩田家、旧伊東家、旧梅田家の3棟の武家住宅が江戸時代をしのぶ建物として、保存され公開されています。この3軒はよく遊びに行って、常駐しているボランティアの方とお話をしたりしますが、昔の台所はこんなに暗かったのか、夏はいいだろうが、冬は寒かっただろうなあ、といった色々な感慨にふけったりします。歩くだけでなく、こういった建造物があるのは、観光コースとしては非常にいいことだと思います。
この地区にどうやら4棟目の武家屋敷ができそうです。文化庁のHPを見ていたところ
(http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2011_12/series_08/series_08.html)、住宅の立て替えで取り壊しが予定されていた古い建物を平成7年に市が所有者から譲り受け、これまで主要構造物を保管していたようです。何でも現存する18世紀中頃まで遡れる唯一の武家住宅で,市内最古のものだそうです。この旧笹森家についてはHPでは、保存地区北東部にあったとしています。明治二年弘前絵図で調べると、笹森の家は同地区には笹森要蔵と笹森藤太の2軒があります。笹森要蔵の家は先日、別の用事でお邪魔しましたが、古い家でしたが、明治末から大正頃の住宅で、これはこれで同時期の建築としては価値があるでしょうし、庭も昔の風情を残しています。今回、新たに公開される予定になっている旧笹森家は、おそらく小人町の笹森藤太の家でしょう。ちなみに今の住宅地図で調べると前の市長のところでした。よく保存したと思いますし、英断だったと思います。仲町地区にも30、40年前には多くの武家屋敷が残っていましたが、ほとんどが壊され残っていません。壊してしまえば、おしまいですが、解体し、保存しておけば、再建できるのです。こうした点では日本式家屋は分解、再建ができるのですが、西洋風家屋はこういうわけにはいけません。
この旧笹森家をどこに復元するかをHPには記載されていませんが、四軒目の武家屋敷としては楽しみです。ただ展示方法についてはもう少し工夫がいるかもしれません。この仲町地区は多くの偉人がいますので、実家なども含めた説明があってもよいかもしれません。笹森順造、笹森卯一郎、高杉兄弟、岩田平吉、小館かつ子(中田重治妻)、須藤勝五郎、岩川茂右衞門(今東光祖母実家)、須郷元雄、藤田雄蔵(航空研)などが若党町、小人町の偉人としています。マイナーといえばマイナーですが、こういった人物は逆に弘前でなければ知り得ない人物です。また若党町とは直接関係ありませんが、旧伊東家については、今東光の実家としてエピソードなども説明してもいいかもしれません。さらにお茶くらいは出して、無料休憩所を兼ねれば、案外ああいった家で飲んだお茶の味は記憶に残るかもしれません。さらにねぶたの前日でもいいのですが、江戸時代のコース、確か紺屋町から若党町に抜けるコースだったと記憶していますが、小型のものを運行するのも風情があっていいかもしれません。
2 件のコメント:
このブログを知り よく拝見しております。
津軽の人も 知っていなくなった事を取り上げてくれて 感心感嘆しております。
岩田邸は 岩田夏岳氏の甥御さんと知り合い あの家の話を聞かされています。
復元されはしましたが やはり予算が絡み どこか修繕の域であるようです。
いつもながら 何事においても もう一押しと言いますか ノリの悪いこの地です。
外部からの盛り上げに 慌てて反応するのも 相変わらずです。
なんか ここを読んでも申し訳ないような気持ちにもなります。
ともあれ 私的にはとても面白いブログです。
他のテーマでも 楽しんでいます。
弘前が観光地を目指すなら、もっと住民がこの町のことを知っていないといけないと思います。このブログがその一助になれば幸いです。
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