江戸時代の書物というと、いわゆる“崩し字”が使われ、私のような知識のないものには、ほとんどわかりません。古絵図を見ていても、こういった文字で書かれていると、すぐにギブアップしてしまいます。江戸時代の人は、こんな難しい字をよく読めるなあと思っていましたが、実は江戸時代の庶民にとっては“崩し字”、行書(含む草書)の方が楷書より、慣れ親しんだ漢字だったようです。寺子屋では“後家流”と呼ばれる行書が教えられ、今の主流の漢字である楷書は唐様と呼ばれ、儒学者など一部の人々のみに使われていたようです。
弘前藩領絵図は、明治二年弘前絵図と一緒に巻かれて保存されていたこと、使われている漢字が楷書(含む異体字)であったことから、ほぼ同時期(明治初期)に製作されたものと推定しました。ただ弘前藩領絵図の方が、使われている和紙が厚く、日焼けもしていましたが、これは明治二年弘前絵図の外巻きに使われ、日焼けしたためか、やや製作が古いためだと考えました。「明治二年弘前絵図」でもそういった記述をして、むしろ明治国絵図との比較をしました。ところが茨城大学の小野寺教授に写真を見てもらったところ、明治国絵図とは様式が違うとの返答でした。確かに国絵図での書式の決まりには、当てはまりませんし、紙の質感、雰囲気も違うようです。
最近、弘前藩領絵図をもう少し調べたところ、記入されている地名などから、1760-80年ころ、年号でいうと明和から安永ころの絵図の写しと考えました。1800年前後、北海道が注目され、測量、地図作りが盛んに行われました。間宮林蔵、伊能忠敬などのビックネームはこの頃の人です。そこで当時の古絵図を調べていくと、どうも国絵図では行書で書かれていたのが、この頃の多くの絵図は楷書で書かれています。伊能図もそうですし、日本で最初の本格的な日本全図、「改正日本輿地路程全図」(1779, 長久保赤水)もそうです。長久保赤水の研究(http://www.kokudo.or.jp/grant/pdf/h21/uesugi.pdf)を見ると、製作過程の日記や絵図の説明文は行書で書かれていても、絵図の地名はすべて楷書で書かれています。これは測量、絵図製作という当時としては、最先端の事業において、現在の英語表記のように、唐様の楷書を使ったのかもしれません。また行書では崩しの少しの違いで読みが異なるため、地名のようなより正確な読みを必要とする場合は楷書の方が良かったのかもしれません。
こういった考えをすれば、弘前藩領図を楷書で書かれているからと言って、幕末期の製作、模写と決めつけることはできなくなります。可能性としては明和から幕末までの模写、あるいはオリジナルである可能性もあります。最大、今から250年前まで遡れるかもしれません。ただこういった絵図には、模写にしても、どこかに製作年度、タイトルが書かれているのが普通です。表面あるいは裏にです。ところがこの弘前藩領図では一切、こういった記入はありません。
絵図上には東西南北の記入がありますが、これは明らかに図中の字とは書体が違います。さらに西、東の字の一部が切れていますし、北、南の字についてもこんなに端に書くこともなかろうと思います。これは原図をカットしたと解釈できるのではないでしょうか。カットされたところに製作年度やタイトルが書かれていたのかもしれません。一方、弘前藩領絵図は明治二年弘前絵図とともに、折り目が一切なく、巻かれた状態で保存されていました(一枚もの)。通常、絵図は大きいため折り畳んで保存されます。弘前藩領絵図の大きさは、195cm×164cmで、厚い紙なのでくるくるっと巻いて紐で縛り、立てかければいいのですが、250年間も巻かれた状態で城内に保存していたとは、ははなはだ疑問です。
こうなると弘前藩領図の製作年代を決定するのは、年代測定しかありませんが、それほどのものではなく、絵画でもそうですが、多くの古絵図を見てきた専門家の直感が重要だと思います。現在、弘前市立図書館に寄贈していますので、閲覧いただき、判断いただければと思っています。なお費用の関係で、弘前藩領図は印刷屋さんによるデジタルデーター化はしていませんが、私のカメラで分割撮影していますので、ご希望の方にはこのデーターでよければ、いつでもお送りいたしますので、ご連絡ください。
下図は岩崎村周辺のものです。”崎”と”嵜”という漢字が使い分けられていますが、現在では、どちらも同じ意味です。昔は違っていたかもしれません。貝崎、森山崎、鹿渡ヶ沢崎など今はない崎があります。
*本日(1月19日)、紀伊国屋書店弘前店をのぞくと、「新編明治二年弘前絵図」の最後の1冊が売れていました。1年くらいで売り切れればと考えていましたが、少し早く売れてしまった感じです。今回は多くの本屋にも卸していますので、まだ他の本屋さんで売っているかもしれません。増刷はおこないません。
*本日(1月19日)、紀伊国屋書店弘前店をのぞくと、「新編明治二年弘前絵図」の最後の1冊が売れていました。1年くらいで売り切れればと考えていましたが、少し早く売れてしまった感じです。今回は多くの本屋にも卸していますので、まだ他の本屋さんで売っているかもしれません。増刷はおこないません。
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