2015年6月8日月曜日

津軽人物グラフィティー 2

 新刊「津軽人物グラフィティー」を出して、10日ほどなるが、売れ行きは微妙である。前の「明治二年弘前絵図」、「新編明治二年弘前絵図」はそれぞれCDと絵図というおまけがあったので、内容以上によく売れたが、今回の本はおまけもなく、内容はやや硬いため、敬遠されているかもしれない。これまで地元でもあまり知られていない人物を中心にまとめたため、かなり歴史好き、それも郷土史が好きな人たち以外は、それほど興味がないのだろう。

 多くの人たちのおかげで完成したので、協力いただいた40人くらいの方に献本したが、丁寧な礼状がきて、恐縮している。よく考えると、こういった本をいただくと、取りあえず、読んでみてから礼状を書くため、かえって献本した方にはお忙しいところ、拙本をわざわざ読んでもらい申し訳ないことをした。内容がやや難しいため、かなりの時間を割くことになってしまった。

 間違いもすでに二カ所発見され、岡村チエの章では「岡村」を「岡本」に、また珍田捨巳の章では昭和天皇の子供「常陸宮」を「秩父宮」と間違えている。まだまだ間違いはあると思うと、お恥ずかしいところである。また索引がほしいという声もあったが、その通りで、各章ごとの人名以外にも多くの人物が登場しているので、その繋がりを知るためには、巻末に索引を入れた方がよかった。

 これまで矯正歯科関係の論文は多く書いたが、こういった文系の本を書くのは色々な点で難しい。最近の科学論文は長くて10ページ、普通は図、表も入れて5ページ、場合によっては3ぺージのものもある。文字数にして数千字であるが、今回の本の場合で、12万字と全く分量が違う。また科学論文では、緒言(目的)、方法、結果、考察、参照の5つに別れ、厳密な意味での文章は、緒言と考察だけで、それ以外は、結果を淡々と書くだけである。また緒言、考察も基本的には参考論文からの引用を主としてまとめるだけで、出来るだけ自分の意見は封じる。客観的に書くことが求められるし、そうでなければ査読で修正される。一方、こういった文系の書物も基本的には、引用を主体として客観的に自分の論拠を固めていくのが通常であり、引用文献も吟味し、もちろん小説からの引用などは文学論文以外もっての他である。その点、この本はむちゃくちゃで平気で小説から引用している。

 今回の本での一番の反省点は、小説ほど読みやすくなく、一方、論文になるほど厳格ではなく、中途半端な点であろう。小説を読んでいていつも思うのは、たった一行で片付けられることを数十ページに膨らませる才能が必要である。これには相当の文才と洞察力が必要で、私のような文才のない者にはとても望めない。一時、「アメリカに渡った女医 須藤かくと阿部はな」といった小説を書こうとしたが、わずか数行で諦めた。とても文章が書けない。そういった能力はどうやらなさそうである。小説を書いて食って行く人は、音楽家以上に難しく、神に選ばれた人なのであろう。ましてや、数十年、100年経っても生き残る作者は奇跡に近い。

 矯正歯科の論文の査読を長い間していたが、査読の場合は基本的には論文を褒めることはせず、もっぱら批判する。文字の間違い、論理の破綻、参考文献の適否、なかんずく方法に問題があるか、吟味される。そういった意味では今回の本は、自費出版のため、全く他人から批評されることもなく、文章の添削もないため、非常のレベルの低い内容となっており、初歩的な間違いも多く、出版すべきではなかったと後悔している。

 私の好きな荒井清明さんの「弘前今昔」という5巻になる平明な郷土史の本があるが、こなれた文体で読みやすく、こういった本をいつかは出してみたいというのが今のところの願いである。写真は本での使ったエジンバラでの昭和天皇と珍田捨巳である。

0 件のコメント: