当時、青森県では農村地方の国民学校の教師が不足していた。教員の数も少なかったが、僻地勤務を避ける教員が多く、無理矢理勤務した教員もまともな授業はせず、児童に自習ばかりさせている始末であった。こういった状況を聞くと、池田は俄然と「そうだ。 私はやはり国民学校の先生になろう。児童の教育こそは寸時もゆるがせにしてはならないのだ」、「人の好まぬところ、人に望まぬ学校へ行くことは、教育者の本懐である」と、知人の市立高女校長の柿崎守忠を訪ねて斡旋を依頼し、赴任が決まったのが下北郡田代の国民学校である。
田代とは青森県下北郡東通村田代のことで、今では東通原発があり、青森県でも最も財政的に豊かなところであり、すばらしく整備された国道があり、三沢、八戸などのアクセスもよいが、池田が赴任した頃は、田名部からは距離的に近いものの、徒歩以外に入る手段がなく、6時間かかる。この田代部落は戸数30戸で、無医村、さらに電灯もなく、ランプを使っていた。ここにある田代国民学校は二教室しかない掘建て小屋で、校長といっても、先生は一人、ここに一年から高等科の児童53人、そして幼稚園、男女青年学校、村の書記、さらに医者代わりをした。
校舎は二つの教室があり、ひとつは三間に四間ほどで、ここでは1、2年生と5、6年生、高等科の児童、もう一つはさらに小さく、3、4年生が入る四坪ほどの教室があった。職員室は軒下にある二坪くらいのもので、さらに先生夫妻の寝起きする六畳間と台所、風呂場があるだけで、校庭もない。学校の前の道路が校庭がわりで、生徒たちはそこで体操などをした。弘前高校の同級生の松木明医学博士が視察で訪れた時の感想に「私はあの建物を見た時、学校の附属物ではないかと思いました。これは物置か何かであって、校舎は別にあるのだろうと思ったくらいです。しかしそれが田代国民学校だと聞いて、唖然たらざるを得ませんでした。私は県下の国民学校は一通り見ていますが、あんな貧弱な学校は、おそらく二つとありますまい」、「教室は勿論のこと、私たちが談笑している台所の、炉辺にまで雨の雫が落ちるのです。けれども池田君は少しも意に介する様子はありません。奥さんも同様です。雨漏りなどは苦にならないといって、平気で話しつづけるのです。ご承知の通り田代では、まだランプを使っていますが、石油の切れた時はローソク、それもなければ燈火なしで過ごすのだそうです。しかも不足らしいことは一言も、漏らさないのには全く尼が下がりました」と言っている。
こうした校舎のこと以上に田代国民学校の問題は、児童の学力が低く、六年生になっても足し算ができないのである。その理由は、これまで赴任してきた教師のやる気のなさもあるが、家庭の理解がなく、欠席児童が多いと2/3に及ぶことがあった。これはいかんと「無届欠席厳禁」として学校の再建に乗り出し、児童の家を一軒一軒、雪の中、素足に草履で訪ねて行き、親に「国民学校は義務教育です。少しぐらいのことでは欠席させるのはよろしくありません。一生のうちで子供の時代が一番大切なのです。」と熱心に説き、これには村人も驚いて欠席児童はなくなった。さらに児童らの家庭も貧しく、昼飯は大方握り飯ももってくるだけだった。これでは栄養にならないと、日本女子大出の奥さんが、肉や魚などを使ったおかずを自費で作り、それを生徒に与えていた。給料の多くをこれに費やした。
こういった僻地のため、子供たちも風呂に入る習慣がなく、これでは学校衛生の見地からは捨てておけないと始めたのが、生徒を自宅の風呂にいれるのである。「垢といっても町の子供のようなものじゃありませんからね。二分も三分も厚くたまってついていて、なかなか落ちないですよ」。自分で水を汲み、薪でで焚いてから、生徒の体を洗うのである。
さらに生徒をなぐる時は、池田はまず自分の頭をなぐるのである。「先生のいいつけを守らないお前は悪い。けれどもお前がいいつけを守るようにすることが出来ない先生も悪いのだ」、普段家庭で、父兄にいつもやられている農家の子供たちだから、鉄拳の体罰くらいびくともしないが、池田さんのこの真剣な態度には、さすがに肝をつぶし、驚く。そして二度と同じ過ちを繰り返さない。
「脇野沢にいた頃でした。ある日、主人が私に向かって突然、僕の頭を見てごらんというのです。不思議に思いながらよく見ますと、頭一面に瘤だらけなんですの。びっくりしてその訳を尋ねましたら、今日は掃除当番の者が十五人、みんないけないことをしたので鉄拳の罰を加えたのさ。おかげで僕もこんなひどい目に遭ったよといって、苦笑していましたの。そのうち一箇所なんか、よほどひどく打ったとみえて傷になり、しばらく毛が生えませんでしたよ」
母親や妻が病気でも、絶対に欠勤することはなく、母親が亡くなっても、葬式を行う間際まで教壇に立っていたというほど、すべての生活を児童の教育に捧げた。
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