2020年3月3日火曜日

不定主訴と咬合


 噛み合わせに何となく違和感がある、顎がずれる、顎が痛くなる(顎関節症)などの訴えで、当院を受診する患者が少なくない。小学生でこうした訴えをする患者は少ないが、中学生、高校生、成人になるにつれ多くなり、とりわけ多いのは40歳以上の女性の患者である。大きく口を開けると痛いという患者のほとんどは、大きく口を開けない、硬いものを食べないといった患部を安静にする、あるいは温める、冷やすように指示すると大体は良くなる。あるいは軽い鎮痛剤を飲むことで、一過性のこうした痛みが良くなることが多い。ただ一旦良くなっても、また何かの拍子、例えばものすごく硬いものを咬む、あるいは顎を強く打つなどを契機としてまた悪くなることもある。

 神奈川歯科大学附属病院にはかみ合わせリエゾン診療科という専門外来があり、そこにはかみ合わせの異常を主訴とした患者が来る。その概要を調べた論文、「歯科における咬合異常感を訴える患者の実態とその考え方、対応」(玉置勝司、49,10,2009, 心身医)を見ると、来院した患者182名について精神医学的問診を行なった結果、咬合異常感を訴えている患者では84%が精神疾患に該当し、咬合異常感(違和感)を訴えて来院する患者では、歯科的問題だけでなく精神疾患もあわせもって来院する可能性が高いとしている。また顎関節症の治療で有名な中澤勝宏先生の「顎関節症を見直す:7。顎関節症と心」(歯科学報、103:69-93)を見ると、ここでは患者さんに最初に簡単な心理的スクリーニングテストをしており、問診を通じて何らかの精神的問題点を持つ患者を精神科に紹介しているが、半数以上の患者を心療内科の世話になっているという。

 いずれの施設も、顎に問題のある患者が多く集まり、あちこちの歯科医院を回ってから来るところであり、そうした意味ではかなり重度の患者が来るところである。最初に述べたように多くの患者では、簡単な生活指導あるいは何もしないまま症状が治まるのだが、いろんな治療をしてもなかなか治らず、次々と歯科医院を変える患者はこうした精神的な問題があるのかもしれない。治療を複雑にするのは、多くの歯科医は他のところで治らなくても自分は治せるという変な自信を持っており、何らかの治療を行う。普通、何軒もの歯科医院を回る患者は、難しい症例と分かるであろうが、歯科医というのは、どうしたことか一度の経験がなくてもチャレンジしてしまう。こうした歯科医のレスキュウ ファンタジー(救援幻想:他の人は治せなくても自分はできるという幻想)により非可逆的治療を行なってしまい、症状はますます悪化する。

 矯正歯科を宣伝する歯科医院の中には、顎関節症や顎の違和感を矯正治療で直ると宣伝して、患者に勧めるところがあるが、多くの顎関節症は簡単なコンサルトで治る。そうした治療で治らないケースでは、かなり精神的な問題も含んでいる可能性もあり、さらに矯正治療のような不可逆的な治療をすることで、さらに悪化することも考えられる。こうした身体表現性障害は、それほど珍しいものではなく、女性では男性の5倍、1-2%の発生率があると言われ、来院する患者にもそうした傾向の方がいて、かなり診療に苦慮し、応対に神経を使う。初診の段階で、こうした傾向がわかれば、治療を断ることもできるが、矯正治療に熱心で、早く治療をしたいというため、押し切られて治療を開始することがある。そのため初診の段階では、矯正治療のあらまし、費用など大まかな説明をし、よく検討してもらってから検査に入るようにしている。

 矯正治療は、命に関わるものではなく、緊急性も全くない。反面、かなり長い治療期間や高額な費用がかかるため、十分に検討して決めて欲しい。また治療結果にはある程度、80-90%くらい治るくらいに考えて欲しく、100%の治療結果を求めると、期待外れとなる。

2 件のコメント:

kuma さんのコメント...

こんにちは。玉置先生は学生時代私の直属の補綴のライターだったので何度もお話しする機会があり、後に彼の苦悩を幾度となく聞いていました。佐藤貞雄先生と供にシーケンシャルと咬合、不定愁訴と咬合、矯正学的に何処まで可能か、不足分をどうやって補綴でカバーするか、等など、誰もやらないようなことを随分と苦悩しながら活動していたのをよく聞いたのもです。そういう私自身もかなり刺激を受け、20年以上前レスキューファンタジーのとりこになり。100に一つの成功例に味を占めたばかりにその後とんでもないことに巻き込まれたりしました。この論文はまだ控えめな数だろうと以前読みました。現場はもっと修羅場だったと聞きます。玉置先生は精神的に大丈夫なのか?と心配したこともありました。
自分がやれば大丈夫、と言う感覚は今の新卒5年目くらいのドクター達の中でも積極的に臨床に取り組んでいるものが特にそう思うらしく(私もそうでしたが(笑))どんなところで開業しようが私なら大丈夫という面白い自信を持っているようで、これはいつの時代もそうなのかなと思ったりします。
60点、70点、80点、90点はあっても100点はかなり難しいかあり得ないな、と言うくらいの気構えは、臨床ではとても大事では無いかと思っています。精神を病み口腔にその目標を持ってしまう、その理由がもっと研究されることを期待するわけです。
長文失礼しました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。玉置先生と知り合いだったのですか。こうした診療科を作ることは大学病院の使命なのですが、実際の当事者となると、紹介されて来院する患者を断ることができないだけに、大変だと思います。本当はこうした経験を若手の先生に話してもらえばいいのですが、今は症例報告も倫理委員会や同意などもあり、以前より簡単に報告できなくなりました。