2022年8月11日木曜日

なぜ広告可能な矯正歯科専門医がないのか

 



ホンダの創設者、本田宗一郎は、昭和48年(1973)に昭和53年(1978)に67歳で、自分が作った会社の発展のために社長を辞め、後進に席を譲った。自分がいつまでも会社に残っていたのでは、若い人が活躍できず、世界的企業になるためには、自分は早く辞めた方が良いと決意した。本田宗一郎は84歳まで生きたので、まだまだ元気なうちに会社から身を引いたのである。

 

矯正歯科でも、1980年代、カリスマ的な先生がいて、一世を風靡した。多くの弟子が日本中にいて、その先生の名前を冠した研究会もできた。あんなに上手な矯正歯科医になりたいものだと憧れ、自分も実力がついたら、是非入会したいと考えていた。そうした折、2003年頃に、この先生を担いで、ある矯正歯科の団体が立ち上げられた。その発足理由として、矯正歯科の専門性の向上を目指したもので、矯正治療なら矯正歯科専門医という社会を目指そうというもので、賛同者も多かった。ところが会が正式に発足されると、次第に大学主体の日本矯正歯科学会と反発するようになり、日本矯正歯科学会とは別の開業医を主体とした認定医を作るようになった。この頃から厚労省としても歯科の専門医制度を検討し始めた。もちろん矯正歯科においても日本矯正歯科学会の認定医制度があったので、それをそのまま専門医制度に移行すればよかった。ところが、この団体も含めて2つの別の矯正歯科認定医ができ、日本矯正歯科学会による認定医制度がそのまま国の制度になることを頑強に反対した。この団体は政治家などに強い影響力があるため、結局、厚労省から3つの学会でよく検討して、まとめるようにということになった。それから約十年、三者で話し合い、ようやく二年前に統一試験を実施することができ、試験結果も発表されたのが昨年の1月。ところが、日本口腔外科学会、小児歯科学会などの反対があり、ストップしたままとなっている。すでに厚労省の認めた学会専門医は全て大学を中心とした学会が主導したため、専門医の資格に大学での研修期間を重視した。もちろん日本矯正歯科学会の専門医は全く問題がないが、他の2つ団体にはそうした研修期間の資格が不十分なのである。ここにきて最初に戻り、日本矯正歯科学会単独で検討することになった。

 

 

 

優れた臨床技術、考えを普及させるための研究会レベルであれば、全く問題ないし、偉大な臨床家の名をつけた、例えばアメリカのアングルソサエティー、ツイードファンデーションなどがある。ただ国が認める専門医の資格となると、日本矯正歯科学会以外の他の二団体は、どこかの時点で無理だろうということはわかっていたと思う。特に医科も含めた日本専門医機構など第三者機関ができた時点では。ところが、団体として引くに引けない状態となりそのまま20年過ぎ、結局、元に戻った。全く無駄な時間であり、昨今の一般歯科医でのアライナー矯正の患者被害を考えると、なぜ広告可能な矯正歯科専門医制度がまだできないか、善意で始めたものであったし、無理からぬ事情はあったにせよ、反省しなくてはいけない。

 

私も今年で66歳、本田宗一郎に例で言えば、そろそろやめ時である。歳をとると経験値は高くなるが、反面、融通がきかず、自分の意見を曲げない。自分のことで言うと、会合でも黙っていればいいのだが、つい何かしゃべりたくなり、理屈ばかり述べる。反論されると素直に従えばいいのに、ムキになって反論し、まとまらない。反省しているが、一種の老害かと自覚している。偉くなれば、その意見は無視できないため、より厄介である。会社組織では定年制を設けて、年寄りの発言を抑えてきたのは、老害の欠点をよく知っているからである。ただ唯一の例外は、終戦の大命を受けた鈴木貫太郎で、首相になったのは77歳。4ヶ月首相をして終戦でやめた。これだけは鈴木以外にはできなかったし、使命を果たすと、そのまま職を辞し、フェイドアウトした。


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