2022年8月12日金曜日

夏休みの思い出 徳島県脇町

 

穴吹駅 ほぼ100年

昭和20年後半の脇町


母親の実家 井川本店








子供の頃、昭和40年前後の夏休みといえば、毎年、母の実家である徳島県脇町(現:美馬市)に帰省し、2週間ほどいた。

 

住んでいた兵庫県尼崎市、尼崎駅から神戸元町まで阪神電車で、そこから関西、加藤汽船の乗り場、ポートタワーのところまで歩いていく。神戸から小松島までは汽船「ぐれいす丸」に乗った記憶がある。神戸—四国間運行の大型船で、人気があり、この船のプラモデルを買った。中学生くらいになるとたまに昼間運行の高速船、水中翼船で行くこともあったが、波があると船酔いがひどく、あまり好きではなかった。

 

出港は夜の11時頃で子供にとっては眠たい時間で、お盆時期を外れていれば広い2等客室を自由に使えたが、お盆の時期に帰る時は、ものすごく混んでいて畳一畳あたりに二人くらいが寝た。一度は、船内に座るところもなく、外のデッキで夜空を見ながら寝たこともある。小松島港に着くのは朝早く、ここから小松島線で小松島に行き、ここで立ち食いうどんか名物の竹ちくわを食べ、そのまま徳島市を経由して穴吹駅まで行く。途中、列車の左手に吉野川が見えるようになるといよいよ脇町に近ずく。数年前に久しぶりに脇町に行った時に驚いたのは、昭和40年頃と駅舎は全く変わらず、トイレも昔もまま汚かった。一緒に行った娘はあまりの汚さにギブアップした。

 

穴吹駅からは、バスかタクシーで母親の実家のある脇町まで行く。脇町は、阿波藩家老の稲田家の所領であったところで、明治後も藍の生産、集積所として大いに栄えたところで、母親の実家は脇町のメインストリート(川北街道)にあり、化粧品と洋服などの雑貨を経営していた。子供頃、すでに母親の父親、つまり祖父は脳梗塞を患い、店の奥の10畳くらいの和室で寝たきりであった。田舎に着くのがお昼頃になるので、近くのうどん屋から出前をしてくれる。このうどんは本当に懐かしい。手打ち麺で、太さが均一でなく、うどんなのに少し縮れている。出汁がうまく絡まり、脇町の田舎というと、このうどんを思い出す。このうどん屋は、母の実家から20m西にある道を山側にさらに20m上がると成田医院があり、この前にこのうどん屋が(母に聞くと”よしろく”という名前で、母が生まれた頃にはあったので、少なくとも大正の頃からあった)あった。小学校5年生の時に、何となくここで遊んでいると、尼崎の難波小学校の同級生で友人の篠原くんとばったりあった。彼の母親の実家はこのうどん屋の近くであったようで、その奇遇に驚いた。

 

祖父が寝ている隣の8畳くらいの和室が客間兼食堂で、その横に土間があり、二つのかまどがあり、ここで煮炊きをした。そしてこの和室の奥には離れがあり、風呂と叔父さんの部屋があった。風呂はいわゆる五右衛門風呂で、和室の横にある庭に焚き口があり、ここで木を燃やして焚いた。最初は小さな木片と新聞紙で火をつけてそれをより太い木材に火を移していく。客間の二階が、私たちが泊まるところで、ここに蚊帳を張って寝る。

 

母親の実家の西隣はまなべの洋装店、鉄筋の立派な建物で、ここではおしゃれな服が売っていた。まなべのお兄さんが帰省すると、私たちに怪談など怖い話をしてくれた。東隣には古い貸本店があった。徳原のおじさんは、何でも若い頃は新聞記者をしていて、その蔵書を貸し出していたようだが、難しい本ばかりあって、お客さんが来ているのを見たことがない。この店も裏には広い庭があって、私と同じくらいの女の子がいて遊んだものだった。また店の前の道を東に向かって歩いていくと橋があるが、その川沿いを南に下りたところにオデオン座があった。一階は客席、二階は畳になっていて、この畳が珍しかったので、姉、兄と一緒に行くのはこの二階席で、年寄りは弁当を持って、また横になって寝ていたりした。一番印象に残っている映画は、「世界残酷物語」と「四谷怪談」で、これは怖かった。オデオン座のある大谷川沿いの道を歩いていくと、吉野川の川岸にすぐに行けたので、ここで子供は泳いだり、大人は釣りをしたりしていた。当時は藍染の工場跡があったが、その後、スーパーとなり、今は地域交流センターとなっている。

 

母親の妹は、この橋を超えたところに菓子屋をしていたので、そこに遊びに行くと店内に置いているお菓子をくれるので、楽しみであった。またある時、祖母からこずかいとして10円札をもらった。10円というと、その頃はすでにコインであったので、10円札を見たのは初めてあった。使えるものかと思い、兄と一緒に脇町中学校、最明寺に行く坂の入り口前にある雑貨店、ここでは子供向けの菓子や雑誌が置いていて、ここで使えるか試してみると、普通に使えて驚いた。

 

数年前に30年ぶりにこの通りを歩いてみたが、その凋落ぶりには本当にがっかりした。昔の面影は全くなく、東京、大阪ならいざ知らず、こうした田舎でも時の変化の激しさを感じた。



上記写真辺りの今 google streetviewより





 

 

 

 

最初の写真のカラー化 結構派手な着物



2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

むつの歯科医です。

「弘前 歴史 街歩き」購入いたしました。

時間と体力に余裕があるときは、家内と共に弘前を散歩、自然と景観を楽しみながら歩いて

います。先生の著書の地理的部分は把握していましたので、わかり易く、楽しく読まさせていただきました。

これからは、歴史にも目を向けながら散歩しようかと。

横町、山王町、東照宮あたりの広大な個人私有地の理由がよくわかりました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。見慣れた風景でも歴史を知ると、また違った風景となります。
ただ近年、この風景も急速に無くなっており、今回紹介した建物も後10年でなくなってしまうでしょう。