2023年2月6日月曜日

宮本輝 よき時を思う

 



「流転の海」が完結し、お気に入りの朝の連続ドラマが終了したような虚しさと寂しさが残っていただけに、宮本輝さんの新作を心待ちにしていた。本屋に行くと、いつも数冊の本を購入するが、今回は、この本と、「駄菓子屋の(超リアル)ジオラマ」(荒木智、誠文堂新光社)、「世界の金玉考」(西川清氏、左右社)、「独裁の世界史」(木村浚二、NHK出版新書)、「左翼の害悪」(森口朗、扶桑社)、「雪の断章」(佐々木丸美、創元推理文庫)を買った。真っ先に読むのは、もちろん宮本輝さんの小説で、一気に読んでしまった。いつも思うが、宮本さんの作品は読みやすく、理解しやすい。これも作家の才能であり、おそらくは側に優れた校正者、編集者がいるのであろう。

 

つい最近読んだ本、「忘れる読書」(落合陽一、PHP新書)の中にこういった文章があった。「デジタルネイチャーとは、生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装することだ。そして同時に(近代的人間存在)を脱構築した上で、計算機と非計算機に不可分な環境を構成し、計数的な自然を構築することで、(近代)を乗り越え、言語と現象、アナログとデジタル、主観と客観、風景と景観の二項対立を円環的に超越するための思想だ」。落合さんの自書からの引用であるが、ちんぷんかんぷんである。私も若い頃は、難しい哲学書も読み慣れると理解できる様になると信じていたが、その後、40年以上、本を読み続けたが、無理である。落合陽一さんは、35歳で、こうした文章を書けるということは、頭の構造が元々違うのであろう。自分でも本を出す時は、できるだけ読者に理解しやすいよう平易にと意識しているが、それでも読みにくいという読者がいる。ただ、これだけは自分ではわからないので、優秀な校正者、編集者に見てもらい、原稿に赤を入れて、削除あるいは平易な言葉に変更すべきであろう。残念ながら、落合陽一さんのこうした文章を修正なしに出版するのは、PHP新書の校正あるいは編集の人にも責任があろう。そうした点では、今回の宮本輝さんの「よき時に思う」では、文章としては全く平易で、読みやすい。ただ最初に出てくる主人公が住む四合院の間取りがわかりにくく、イラストによる説明があってもよかったかもしれない。確かにネットで調べれば、理解できるが、ネットに疎い年配の読書には不親切である。昔の新聞小説の挿絵が懐かしい。イラストよりは漠然として、小説の雰囲気を壊さない。

 

内容については詳しく書けないが、90歳の祖母の最後の夢、これ以上ない豪華な晩餐会を開催する。祖母の人生の集大成、一夜限りの夢、おそらく宮本輝さんの夢でもあろう。これを読んでいると、デンマーク映画の傑作、「パペットの晩餐会」を思い出す。ユトランドの片田舎、牧師とその娘2人が敬虔な信者に囲まれて、静かに暮らしている。そこにフランスからやってきたパペットが家政婦として働き始める。時がすぎ、牧師が亡くなり、二人の美人姉妹も老け、父親の生誕100周年の晩餐会をすることになった。ちょうどパペットはパリで、宝くじに当たり、1万フランの莫大な賞金を手に入れ、それを全額、晩餐会に使うことにする。運ばれる珍奇な食材に住民は驚き、晩餐会に招かれた年寄った信者は、前もって決められた約束に沿って、食事を味わうことなく、食事の会話もしないことに決める。ただあまりにおいしさに、次第に頬は緩み、数々の懐かしい、楽しい思い出に耽っていく。こうした内容であるが、この食事シーンが素晴らしい。本当に美味しい料理は、人々を幸せにするし、思い出となる。いくらお金を貰っても、いくら高いものを買って貰っても、幸せにならないし、思い出にもならない。一瞬で跡形もなく、胃袋に納まり、糞として出る料理こそ、そうした意味を持つ。現代人は、昔に比べて美味しいものには慣れてしまっており、本書に登場するくらいの特別な晩餐会でなければ、記憶に残るようなものにはならないのであろう。故人を供養することは、仏壇で手をあわせることも大事であるが、心の中で、その人のことを思い出すことこそ本当の供養となる。そうした意味では、こうした破天荒な晩餐会は、祖母に対する一生残る思い出となり、故人の供養となろう。葬式に金をかけるくらいなら、その金で知人、親類に豪華な晩餐会をした方が楽しい。

 

ただ、本の後半部分が、どうも連続性という点ではしっくりせず、不消化に感じた。ごく些細なことであるが、p353に四合院のオーナーの娘、美紀が歯科医と結婚し、「歯科医は過当競争で経営は大変だと言われているが、羽柴クリニックは看護師を三名、歯科衛生士も三人雇って繁盛しているらしい」の記述があるが、これは間違いで、まず羽柴歯科クリニックでなければいけないし、歯科医院で看護師を雇うことはまずなく、歯科衛生士を六名雇っているで繁盛ぶりはわかる。

 

“よき時を思う”。過去に対する思いか、未来に対する思いか。本来なら小説のラストは、90歳の徳子の死で終わるものだろう。徳子は今は元気であっても、年齢から死はそれほど先にあるわけでない。死後、こうした晩餐会の思い出が、自分の愛する人たちに“よき時を思う”になってほしいという徳子の遺言なのだろう。そこを徳子の話から突然場面が変わり、四合院のオーナーの話に持っていくのが宮本輝さんらしいところで、オーナーにとっては、長男との和解、 “よき時を思う”が未来に繋がっていく。

 


0 件のコメント: