2023年4月19日水曜日

シンプルライフ

 

左上からアディダスROME, オニツカタイガーコルセア、ニューバランス990V4,
アディダス バルセロナ、ニューバランス990V5、アディダスSL72



玄関にあった5つの冬用のブーツも綺麗にして、来冬まで箱に入れて屋根裏部屋にしまった。いよいよスニーカーの季節になったが、玄関横の靴入れを見るとスニーカーだけで10足、さらにワークブーツが2つ、そしてスーツ用の靴が3つもある。一体、どれだけ靴があるんだろう。

 

そういえば、子供の頃、それも大学入る頃まで、基本的には靴は1つ、あとは長靴くらいしかなかった。足のサイズが大きくなる、あるいは破れて履けなくなるまで、同じ靴は履いた。よくあったのは、靴のサイドと靴底の境の部分が裂けて指が見える状態である。歩くたびにカポカポして歩けない。こうした状態になって初めて、母親に「靴が破れたので新しい靴が欲しい」と告げる。尼崎市の三和商店街の一番奥の方に安い靴を売っていた店があったので、そこまで母親と一緒に行って、買ってもらった。中学生になると、サッカー部に入ったので、靴は通学兼練習用のトレーニングシューズ、よく履いていたのはオニツカタイガーのリンバーという靴と、サッカー用のスパイクであった。これも基本的には破れて履けなくなるまで使い、そうなってから新しい靴を買った。

 

こうしたことは大人でもそうで、さすがに女の人はいろんな靴を持っていたが、親父についていえば、34足しか靴はなく、それを修理しながら使っていた。昭和50年頃までの話であるが、当時は、靴は非常に高く、貴重品だったし、そもそも、何足も靴を持つという発想がなかった。気に入った、あるいは履きやすい、歩きやすい靴があれば、一足で十分だという発想である。さらにいうなら、当時の靴、特に革靴はかなり硬く、新品の靴は履きにくく、歩きにくかった。豆ができたり、靴擦れができても、我慢して履き続けると次第に馴染んできて、歩きやすくなる。こうしたエイジングの期間もあり、一足を大事にした。もちろん、靴底が減れば、修理して直し、20年以上使う靴は普通であった。

 

こうした靴一足主義が失われていったのは、私の場合、大学生に入ってからである。時期は1970年の後半。雑誌「ポパイ」などが創刊され、それまでオシャレと無縁であった私も、こうした雑誌を読むと、アディダスのスタンスミスが、トップサイダーのデッキシューズが、セバゴのロファーが欲しくなり、金を貯めては買っていくと、たちまち狭いアパートの玄関が靴でいっぱいになった。自分では同じ靴を毎日履くと、傷みやすいと言い訳をしていたが、要はオシャレのために靴を買ったのだ。

 

同様に電化製品も、故障して、修理しても治らない、何度も故障する場合にのみ、新しいものを買ったが、最近では、故障していなくても、新しい電化製品を買うことが多い。まんまと資本主義のカラクリにはまっていて、結果、家中が物だらけになっている。アップルの創業者、スティーブジョブズは、一年365日、リーバイスの501ジーンズ、イッセイミヤケの黒のタートルネック、ニューバランスの992モデルのスニーカーであった。いずれも単体の商品として、機能的にもファッション的にも優れたものである。流石に衣料は、同じものを毎日着るわけにはいかないので、スペアを持たなくてはいかないし、冬用、夏用の衣料が必要となる。それでも自分の気に入ったものをとことん使っていくのも1つの生き方として、憧れる。

 

ここ数年、いろんな衣料を着てみたが、こうしたシンプルな衣服のコーデネートを考えると、まずスニーカーはニューバランス990で決まり。現在、V6まで進化しているが、あまり大きな変化はない。ズボンはLLビーンのドレスチノ(20年愛用)、冬はダブルエルチノ(同じく15年愛用、裏地付き)、上着は、冬はパタゴニアのキャプリーン・サーマルウェイトベースレーヤーとR2フリースのコンビ、夏はLLビーンのポロシャツ、などが着やすく、楽である。同様にダウンジャケットも、Nanga最強のマウンテンビレーコートもすばらしいだが、実際に一着となると、むしろLLビーンの初期のゴアテックスのWarden Parka25年ほど使っていて、こちらの方が良いかもしれない。今年は、Wild things のモンスターパーカーもかなり着た。ただパタゴニアのR2は生産中止となったし、最新のWarden Parka3wayになったのはいいが、重い。もはやスーツなど着ることもなくなったので、何とかできるだけ少ないワードロープで老後を過ごしたいと思っているが、最近着る服の80%はパタゴニアかLLビーンに偏っていている。どちらも高価であるが、10年以上は楽に持つので、使う頻度が高ければ、コスパは高い。


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