2023年8月12日土曜日

アーティストの真骨頂

 


今朝の朝日新聞の書評欄を見ていると、最近、発刊された「未完の天才 南方熊楠」(志村真幸、講談社現代新書)の書評欄自体が逆さまに印刷されていた。あの天下の朝日新聞でも、こんな大きなミスをするのかと驚き、新聞を逆さまにして書評を読むと、なんと書評を書いたのはアーティストの横尾忠則であった。ここで、ああこれも彼流の芸術作品で、新聞ごと彼の作品にしたのだとわかった。その証拠に、書評自体に大きく、“Wanted"のように、デカデカと“未完”の文字が、さらに黒塗りの文字のところは逆に白くしているので、明らかに意図的にこうした趣向にしている。さすがに横尾忠則だと思った。

 

アーティストの一つの役割に世間を騒がせる、話題を作るというものがあり、独創的で、ユーニークなものほど、世間は注目する。爆発のアーティストと呼ばれる中国の蔡國強などもその一人である。横尾自体も最初は寺山修司のポスターなど、1970年代はそのイラストに多くの若者が衝撃を受けた。その後、画家に転向後も、次々と話題作を提供し、現在、87歳になるが、朝日新聞の書評のように、まだまだ創作意欲は活発である。

 

画家は、絵を売ることで生活している。よほどの大家でない限り、展覧会に出すような大型な作品は売れることはなく、家庭に飾られるような作品が主要な生活の糧となる。つまり、展覧会用の絵と生活のための絵の2種類が存在することになる。現在、ヤフーオークションの“掛け軸”と検索すると、数万点の作品が見つかる。大部分は、画家が生活にために描きまくった作品である。例えば、私の集めている播磨地域で活躍した日本画家、土屋嶺雪の場合、画壇とは無関係で、帝展などの主要な展覧会にも一切作品を出していないので、その作品の多くは、生活のために描かれたものである。活躍した大正から昭和時代、絵を売る方法としては、美術商あるいは伝手を頼りに注文を聞いて、買い手の希望に沿った絵を描いたと想像できる。嶺雪の子孫によれば、下絵なしに一気に描いたと言われ、一つの作品を描くのも早かったに違いない。それでも同じような絵を描くことは画家としてしたくないのか、彼の作品を23点ほど見てみると、幅広いテーマに挑戦しているのがわかる。

 

弘前出身の洋画家、奈良岡正夫さんは101歳まで長生きしたが、死ぬ間際まで絵がいくらで売れるか心配していた。若い頃、売れなくて苦労したのか、最後まで売れる絵として羊のばかり描いていた。新しいことにもチャレンジしたかったかもしれないが、人気があり売れる作品、つまり羊の絵をもっぱら描いた。横尾忠則さんからすれば、こうした画家の姿勢はもっとチャレンジしろと叱るかもしれないが、横尾のような売れっ子は数点売れれば、十分に生活でき、それほどあくせくしなくてもいい環境にあったのだろう。

 

土屋嶺雪の場合は、おそらく注文製作で描いていたので、作品の多くは家の新築などで喜ばれる吉兆の絵柄が多いが、一部は、歌舞伎の演目に関係するものがある。当時、流行っている歌舞伎俳優を描いて欲しいという要望があったのだろう。その中に鼓をもつ商人風の男と大きな簪を何本も髪に刺した花魁を恋文で繋いだ絵柄の作品がある。「歌舞伎 演目 鼓」で検索してみると、「義経千本桜 初音の鼓」、「堀川波の鼓」、「綾鼓」、大正二年の新作歌舞伎「鼓の里」などがある。ただどれも絵の内容とは一致せず、近いものとしては、昭和31年に有吉佐和子さんが書いた「綾の鼓」がある。ただ女性がお姫様、白拍子というよりは花魁であり、一致しない。誰か歌舞伎に詳しい人がいれば、教えて欲しい。





 


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