2026年1月8日木曜日

日本歯科専門医機構、矯正歯科専門医


昨年の年末のようやく日本歯科専門医機構の矯正歯科専門医認定証が届きました。1222日に閉院してから来ましたので、結局、診療室には飾ることはありませんし、今のところ私にとってはあまり価値のないものです。ただここまでの経過を考えると個人的には感慨深いものがあります。

 

最初に日本矯正歯科学会の認定医制度ができたのは、私が鹿児島大学にいた頃ですので、40年くらい前のことです。当時、欧米でも矯正歯科と口腔外科は専門性が高く、いずれも長い歴史の専門医制度がありました。そんなこともあり日本矯正歯科学会でも専門医制度を作ろうとはじまったのが、学会の認定医制度です。大学などの研修機関に確か5年くらいいて、三十症例くらいの患者名を報告すれば取れました。大学にある程度、在籍していれば取れるというものでした。該当する先生はほぼ認定医をとったと思います。ただ日歯新潟の教授が一般歯科の研究生にも取らせようと、症例を重複させる不正がありました。本来なら常勤で5年以上、自分が治療した症例のうち30症例の簡単な治療情報を提出するのですから、週に一回ほどしか大学に来ない、実際に大学で治療したケースがない研究生には取れない資格です。当時の開業している矯正専門医は、個性的な先生が多く、多少、学園闘争も経験しているためか、こうした不正を強く抗議しました。そして一方では、日本矯正歯科学会とは別の学会、日本矯正歯科協会(JIO)という組織を作り、ここでも認定医を作ることになりました。

 

その後、認定医制度も資格審査が厳しくなりましたが、岐阜の浅井先生など数人の先生が認定医の上により厳しい資格試験、専門医を作ろうということになりました。確か20年くらい前だと思います。大学より開業専門医が主体となった制度です。前回の不正もあり、かなり厳しい制度となりました。まず研修医期間の確認はもちろん、10のカテゴリーの沿った症例を提出して、誰が提出したかわからないようにブラインドで審査されました。カテゴリーのあった症例を探すのが難しく、当時でも千症例以上診ていないと集まらないと言われていました。私は1回目の試験を受けましたが、これが一番優しい試験で、合格率は70%くらいだったと思います。それでも大学の教授が2、3名落ちました。審査官はまず症例を見て評価し、ほぼ試験の合否はここで決まります。その後、ブラインド試験なので、面接で初めて受験者がわかることになります。面接前には合否を決まっており、面接は合格者の中に人格的に問題ないかを調べる形式的なものです。もちろん試験官は、日本矯正学会の学会長を落とすわけですから、後で気まずかったようです。それでも学会長、教授まで落とす厳しい試験という評価を得たことは良かったと思います。その後、教授は落とされるリスクを恐れて、この専門医を持つ教授は数名にとどまりました。この矯正歯科専門医試験はさらに厳しくなり、ひどい時には合格率が30%程度で、なかなか取れない資格となりました。

 

その後、第三者機関による専門医制度が文科省から提示され、日本矯正歯科専門医機構による専門医制度が作られことになりました。矯正歯科においては、日本矯正歯科学会、日本歯科矯正協会、日本成人矯正歯科学会の3つの専門医制度がありましたので、文科省から統一するようにと言われました。そこで、3者で何度も協議をしましたが、なかなかも決まりません。それでも5年ほど前に、なんとかこの3つの団体の統一試験というものが実施され、私もこの試験官となりました。ところが先にできた口腔外科の先生から3つの学会のうち、日本矯正歯科学会以外は認められことになり、結局、この統一試験自体が無駄なことになりました。その後3年ほど前に、筆記試験も含めた再試験が行われ、ようやく日本歯科専門医機構、矯正歯科専門医ができました。

 

私は、これにも試験官として参加し、症例審査、筆記試験にも合格しましたが、機構実施の講義受講料を払うのを忘れてしまい、結局、最初の書類提出ができませんでした。もう引退が決まっていましたので、ここでギブアップしました。ところが、偶然、日本歯科専門医機構の矯正担当理事とは地元の旧知で、専門医の偏在、青森県には専門医がいないことを嘆いていました。そこで、もう一度、挑戦したのが、2年前、その後、昨年の春には合格となり、今回、ようやく認定証が届きました。現在、全国で233名、東北地方では、矯正歯科専門医は宮城県4名、山形県2名、岩手県2名、秋田県1名、そして青森県が私、1名となりました。ただ宮城県の2名は私と同年代か上、岩手県も私より上、と年齢が高く、若手の先生はどんどん専門医になってほしいと思います。


 

0 件のコメント: