今年の日本矯正歯科学会は、長野県松本市で行われた。3000名を越える参加者のため、市内の宿泊施設が足らず、今回は近郊の浅間温泉に泊まった。会場からは徒歩15分で、学会に行って温泉も楽しめ、充実した旅行となった。
ただ青森からはアクセスが悪く、まず弘前から新青森まで普通で、そこから東北新幹線で大宮まで、さらに長野新幹線で長野市まで、そして篠ノ井線で松本まで、7時間かかった。こういった長旅も楽しいもので、行きは「ロスジェネの逆襲」を、帰りは「有法子 十河信二自伝」(十河信二著、ウェッジ文庫)を読んだ。
「有法子」は新幹線の父、十河信二自らがその半生を綴ったもので、明治のエリートの剛胆な生き様を示している。とりわけ、妻への深い愛情には感動させられる。仕事一本の男にあくまで付き添い、50年にわたり献身的に仕えた妻。心臓発作に苦しむ妻に紅白の紐をつないで寝る夫。その状況を身内として体験する長女。美しい姿である。
十河信二の妻、十河キクは明治22年2月21日、岡崎重陽、タミの長女として生まれた。タミは青森県士族、野沢家の一人娘で、娘キクを函館の女学校に、その後、東京で勉強をしたいと言うと、夫を北海道に残して、三人の子供をつれて上京する。キクは日本女学校に入学、その後、音楽学校に入学するインテリ女性であった。
当時、弘前では、士族の娘は明治9年にできた弘前女学校(現 聖愛中学、高等学校)に行くのが普通であったが、さらに英語教育の進んだ函館の遺愛女学校に行かせたのか、それとも父親の仕事の関係で函館にいたのであろう。野沢という名の士族は、弘前では少なく、一人は画家野沢如洋の家(一戸家からの養子)があるが、如洋が野沢徳弥の四女かつと結婚したのが明治31年なので、岡崎タミはこの野沢家の出ではない。
もう一人の野沢家は山道町に野沢字一という人物がいる。この人物については不明であるが、おそらく岡崎キクの父あるいは祖父であろう。現在の明星幼稚園付近である。思わぬ人物が弘前と繋がっていておもしろい。
学会の方は、それほど目新しいものはなかったが、インプラントアンカーの若年者への適用が、15歳くらいでも3か月以上、固定して使えば、脱落率も10%以下のようだ。今後は高校生、中学生にももっと積極的に活用できるかもしれない。これまで中高校生には80年前から使われているヘッドギアーを使ってもらっていたが、これがインプラントアンカーで置き換われれば、患者さんにとって福音であろう。
松本の街は、美しく整備されたところで、周囲に3000M級の高い山があり、すばらしい観光地で、はっきりいって弘前は負けたと思う。兄が塩尻にいたため、30年前に数回行ったことがあり、フランス料理の有名店、鯛萬を訪れた。開店前だったので、予約を入れようとメニューを見せてもらったところ、安いディナー12500円?で、ワインをいれると18000円かと思うと、早々と逃げるように立ち去った。恥ずかしい。
松本中心街の橋のところで家内と座っていると、見知らぬ男性から松本の観光名所についての話を聞いた。当初、かなり胡散臭い感じがしたが、おそらくリタイアした人で、趣味で観光客に声を掛けているのだろう。こういった旅先のハプニングは意外に記憶に残るもので、私も弘前に来た観光客には、胡散臭いと思われるが、積極的に声がけしようと思う。
写真は、松本から長野への普通列車からとった姥捨駅の風景。スウィッチバック式の線路で、雄大な眺めと相まって、楽しい鉄道旅行だった。
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