今年の正月は、台湾映画の「セデック・バレ」を見た。第一部、第二部の4時間半にわたる超大作で、台湾では多くの映画賞を獲得した。内容は、昭和初期、日本統治下の台湾で実際にあった、台湾、少数民族のセデック族の抗日暴動、露社事件を描いたものである。
多くの日本人、日本兵が殺される映画で、こういった映画は後見が悪いものであるが、この映画に関してはそれほどいやな感じがしない。日本人、日本兵の現地人に対する横柄、ばかにした態度に誇り高い民族、セデック族が堪忍袋の緒が切れ、ついに暴動をおこす。それこそ、かたっぱしから日本人、日本兵の首をはねていく。ここまで描くとかえって痛快で、映画では数百人の日本人が殺される。実際の事件では、露社公学校の運動会に集まった日本人140名ほどが殺害されたが、その後の日本軍による掃討戦では日本軍兵士22名と警察官6名の損害であったので、第二部の内容はかなり誇張したものである。
日本人として、映画とはいえ日本人が殺されるのはいい気持ちにはならないが、どこか任侠映画に似て、セデック族の「勇敢でなければ虹の橋を渡れない」という伝統、男は勇気がなければ死んでもあの世にはいけないという部族に伝わる伝統には、感動する。映画のセリフにもあるが、かっての日本人、九州の隼人の性格はセデック族と似ており、卑怯な行為をすれば、地獄に落ちるという考えがあり、幕末期まで薩摩では、処刑人に肝を食らうことで勇気を誇った。処刑が行われると、若者達はその死体の肝をむさぼるように取り合ったという。もっと昔では、首狩りの習慣も隼人族にあったのだろう。
こういった暴動は、その後、徹底的な弾圧となる場合が多いが、日本人、軍の中にも、この暴動の原因を日本人による部族の侮蔑があったとし、同化政策を進めていった。その後、太平洋戦争では台湾の少数民族は高砂族と称され、主として南方戦線に投入され、ジャングル戦では圧倒的な活躍をした。強く、勇気があったのである。戦前、日本は台湾、朝鮮、中国を侵略したが、圧倒的な武力の中、最も勇敢に日本軍と戦ったのはこの台湾の少数民族で、これに比べると朝鮮の抵抗などなきに等しいもので、この勇気は人種を越えて、すごいと思う。
うちの叔父は、昭和初期から職業軍人として二等兵から叩き上げ、中国戦線を経て、ビルマ、インパール戦線で准尉として戦死したが、出征に当たり祖母は、日本刀を渡し、「これでチャンコロを切ってはいけませんよ。チャンコロでもおとうさんもおかあさんもいるのだから」と言った。当時の日本人は、中国人、台湾人、朝鮮人を相当、侮蔑していた。日清、日露戦争までは、まだ敵兵に対する敬意があったが、日中戦争になると軍の風紀は低下した。根底には日本人は優秀で、その他の民族は劣るという優越感があったのだろう。
南京戦後、日本軍の暴行、残虐行為に軍総司令官の松井石根大将は、泣いて部隊の軍規の乱れをしかったが、同席していた将兵は皆笑った。松井大将は日本陸軍きっての中国通で、中国人を愛した。南京陥落においても、敬愛する孫文が眠る中山陵の保護をまっ先に行った人物である。こういった人物が戦犯として処刑されたことは皮肉とかいいようがなく、後日、蒋介石が松井大将は無実であるが、誰か犠牲者が必要だったという談話が残っているが、あながち嘘ではなかろう。隣国の人々に敬意と尊敬を持って接すること。これには教養が必要で、ここが漢学の素養があった明治の軍人と昭和の軍人の大きな違いであった。
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