2014年1月10日金曜日

弘前藩領絵図 字鉄崎







 三厩の上字鉄村の海沿いにある字鉄崎について、インターネット上で公開されている絵図を並べて検討する。

 一番古い絵図は、正保国絵図(1645)で、この絵図は現在、青森県立郷土館が所有する。副本に正確な写しである。デジタル化されていないので、詳しく見ることはできないが、海岸に突き出た2つの崎が認められる。(1番目図)

 次に古いのは、元禄国絵図(1697-1700)で、原本は見つかっていないが、後年の写しが弘前大学図書館にある。ここにも2つの崎があり、右の方が字鉄崎であろう。(2番目図)

 天保国絵図(1838)は、元禄国絵図を下書きに、変更点を追加したものであり、海岸線は元禄国絵図に近い。ここでは「うてつ崎」の名称がでてくる。1838年当時の海岸線ではなかろう。(3番目図)

 村上島之充らの大日本國東山道奥州駅路図(1798)では、上字鉄村の海に「帆たて嶼(山に与)」と記載され、小さな小島とその沖の平たい島が見られる。ここで「崎」から「嶼」に変わっている。(4番目図)

 さらに伊能忠敬は享和2年(1802)に三厩、小泊などを測量している。上字鉄村から竜飛岬までは舟での測量である。ここでも上字鉄村の海には小さな岩、小島が散在している。(5番目図)

 そして現在の同地帯をGoogle earthで見ると、小さな島とコンクリートで囲まれた堤防のような物が見える。島までの水深は浅そうで、陸地から島まで歩いていけるかもしれない。(6番目図)

 弘前藩領絵図(7番目図)は、私のいいかげんな推測では、1760-1780年ころの製作と考えたが、そうするとこの時期から少なくとも1798年までに字鉄崎は何らかの原因で崎から小島になったものと思われる。これだけ地形が変化するとなると、その原因を地震に求めることになるが、この間の大きな地震としては、明和津軽大地震(1766)と寛政西津軽地震(1793)があった。明和津軽大地震は、震源地、弘前で、マグニチュード7.2から7.3の強い地震であった。寛政西津軽地震は、震源地が西津軽海岸でマグニチュードは6.9から7.1であった。寛政西津軽地震では深浦の荒崎と呼ばれるところが隆起して千畳敷海岸になっただけでなく、鯵ヶ沢の弁天崎が崩れたと言われる。字鉄崎も寛政西津軽地震とその後の海水による浸食により小島になったと可能性もあるが、震源地とは距離があり、はっきりしない。専門家のご意見をお聞きしたい。

*色んなところから勝手に図を拝借し、著作権上、問題あるが、ご容赦いただきたい。




追加です。明治7年の大日本海岸実測図の「陸奥国三厩湾」です。測量は津出身の柳樽悦で、また崎のような地形になっています。

2014年1月9日木曜日

永遠の0



 今日は、休診日で12月末に買ったI-Macに古いI-Macからデーター移行をしようと朝から格闘した。データー移行については、これまで何度も煮え湯を飲まされ、胃が痛くなったり、血圧が上がる、苦い思い出がある。最近もMacBook ProからMacAirに転送する際、無線で転送する設定にしたため、30時間もかかった。それでも朝起きると、きれいに移行できたのでまあまあと安心した。

 今回は本体の古いI-Mac(2007)からまず、MacBook Pro2009)に移行しようとしたが、どうも最近、I-MacHDの調子が悪いので、結局、主立ったデーターを一度、メモリースティックに入れ、それをMacBookにコピーするという原始的な方法をとった。古いプリンターなどのドライバーファイルをダウンロードして、何とかMacBook Proでも日常業務に支障のない状態にできた。

 そこで今日は、このMacBook Proから新しいI-Macへの移行を試みた。まずそこらにあるEther ケーブルで両方のPCをつなぎ、移行アシスタンでデーターの移行を行った。うまくつながり、所要時間2時間とでたので、一旦家に帰り、昼飯を食い、午後に再び、診療所を訪れると残り23分で止まっている。これはケーブルの問題かと思い、吹雪の中、近くにできたコジマ電気で、thunderbolt-Firewireのコネクターと念のためUSB2.0のケーブルを買った。早速、診療所に戻り、ThunderboltFirewire800で接続し直し、再び移行アシスタント。所要時間5時間。これは待ってもしようがないと思い、前から見たかった「永遠の0」を見るため、バスでワーナーマイカル弘前に行く。映画の感想は後で。十分に堪能した後、どうなったか気になるためタクシーで急いで診療所に行き、階段を上がり、見てみると5時間23分でストップ。10分待っても、所要時間に変化がない。晩飯を食いに自宅に帰り、1時間後、吹雪の中、診療所にいくと、これもストップしている。どうもMacBook Proの方がスリープするのが原因のようだ。朝の状態のままである。ここまで映画を除くと1日を完全に無駄にした。インターネットで検索するとThunderboltでつなぐとめちゃくちゃ早いということなので、今度は新しいMacAirにデーターぶち込んでから、手動で移行しようと思う。

 前置きが長くなったが、映画「永遠の0」はすばらしい。何度も泣かされた。ゼロ戦がこれほど正確に描かれている映画はこれまでなかった。CGの力と言えば、それまでだが、「トラ・トラ・トラ」や「ミッドウェイ」ではテキサン練習機を改造したゼロ戦が出てきて興ざめだった。さらに「パールハーバー」はCGだったが、機体考証が全くでたらめで、興ざめどころか怒りを覚えた。他の戦争映画でもゼロ戦はどうも描きにくいのか、いまいちの表現であった。この映画では時代考証に戦記作家の神立尚紀さんや、機体には詳しい中村泰三さんが参画されており、ゼロ戦の飛行状態も迫力があった。ネタバレで申し訳ないが、最後の特攻の場面で、21型と52型が登場する場面があったが、これを描き分けるのは難しいだろうと思っていたが、カウリング(エンジンカバー)の違いなど両者の違いをうまく表現していた。映画の内容は、私の好きな天沼俊さんの「戦空の魂」(この漫画も泣かせます)に似たようなエピソードがあるが、さすがに売れっ子作家の百田尚樹さんはうまくまとめている。ただひとつ気になったのは、これもネタバレだが、P51との空戦シーンで主人公が巴戦で撃墜されそうになるが、同僚との模擬戦であれだけみごとなひねり込みの技術がもっているのであれば、もっと簡単にかわせそうな気がする。坂井三郎は硫黄島の戦いで十数機のF6Fに追われたが逃げ果せた。

 特攻に関して、いつも胸を締め上げるような思いをするのは、通称、赤トンボ、九十三式中間練習機で編成された第三龍虎隊のことである。せめて死ぬならまともな機体でと思うのが人情だが、複葉機の九十三式中間練習機で飛べとは堪らない。ところがこの部隊が特攻隊史上最大の戦果を挙げるのは皮肉である。詳しくは
http://blogs.yahoo.co.jp/takeshihayate/33208337.htmlに記載されているが、米海軍駆逐艦Horace A. Bassも同隊の戦果と考えられ、7機出撃して1隻を撃沈、3隻を中小破という驚くべき戦果である。

2014年1月8日水曜日

弘前藩領絵図 新村、再興村からの考察



 性格的にしつこいというか、最近は弘前藩領絵図のオリジナルについて考えることが多い。以前、知人からいただいた二枚の絵図の内、明治二年弘前絵図については興味があったので、「明治二年弘前絵図」、「新編明治二年弘前絵図」ではこの城下絵図について詳しく調べ、本として発刊したが、もう一方の弘前藩領絵図についてはなおざりにしていた。当初は、消失したと言われる幻の明治国絵図かと思い、その道の権威の先生にも問い合わせたが、あっさり否定され、また書体から幕末から明治初期のものと思われたため、資料的価値は低いと判断した。

 明治二年絵図、地籍絵図の調査をしている内に、この弘前藩領絵図にもオリジナルがあり、幕末頃に模写されたと思うようになった。これまでの調査から、といってもアマチュアの適当なものだが、オリジナルの製作年は 18世紀末、1790年ころと推定した。絵図のどこかにでも、オリジナルの名前でも入っていればいいのだが、本地図についての説明は一切ない。1790年ころとなると今から220年以上前のもので、当時の弘前藩を知る重要なものと考えられる。

 本絵図は、国絵図と異なり、米の収穫量などの記載はなく、今の地図のように当時の村落をおおまかな位置関係を示したもので、駅路絵図に近い。前回、竜飛岬周辺について検討したが、他の方法として江戸期に弘前藩で新たに生まれた新村に焦点を当てて検討した。

 江戸期において大掛かりな新田開発とそれに伴う新村ができたのは、まず寛政12年(1800)の新田再開発が挙げられる。藩主、津軽寧親のもと、家老喜多村監物、用人竹内衛士、そして新たに召し抱えられた平沢三右衛門貞次らが荒廃した廃田復興だけでなく、新田の開発に着手した。15年後には種々の困難があったが、1813年には田地2200町歩あまりが復旧、開拓され、三万石以上の増産に成功した。この時に新たにできた村は20あまりであった。

木作新田: 千代田村、下牛潟村、亀ヶ岡村、下車力村、入江流村、牛潟新町、蝉音新派、堅田村
広須組: 下富萢新町、下繁田村、家調新派
広田組: 藻川新町、福井村
飯詰組: 下松ノ木村
金木組: 田野沢村、下毘沙門村、長富村
金木新田: 長泥村
赤石組: 升形村
横内組:筒井新町
大鰐組: 久吉村

 21の新たな村ができ、天明大凶荒から廃村となっていた七村、木造新田の遠山里村、下遠山里村、嘉納村、広須組では緑川村、沼館村、再賀村、福富村が復興された。以上、すべて「続 つがるの夜明け よみもの津軽藩史 中巻」からの引用である。

 これらの村についてざっと調べると、寛政にできた新たな21村の名は弘前藩領絵図には発見できなかった。しかし遠山里村など7つの再興村については、「下遠山里村」を除く、「遠山里村」、「加納村」(嘉納村のこと)、「ミドリ川村」(緑川村)、「沼ダテ村」(沼館村)、「再賀村」、「福富村」の6つの名が確認できる。

 天明の大恐荒が始まったのは、天明3年から4年(17831784)であり、この大飢餓によって、多くの農民が田畑を捨てて、他国に逃散した。上記7再興村もこの頃になくなったとすれば、弘前藩領絵図のオリジナルは、もう少し古く、1770年代のものかもしれない。

 前のブログに戻り、字鉄崎が天災により島となったという仮説を挙げたが、今別まで被害のあった天明大地震(1766)まで遡ることができるかもしれない。その場合はさらに古くなり、1760年ころのものと思われる。国会図書館のデジタルアーカイブ、天保国絵図(1838)には、竜飛岬付近に「うてつ崎」の名があるが、天保国絵図は元禄国絵図を修正したもので、ことに海岸部の描写は元禄のものをそのまま記載したと思われ、作製年月日の参考にはならない

http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0200000000/0202000000)。また弘前大学附属図書館には元禄国絵図の写しとされる絵図があり(http://www.ul.hirosaki-u.ac.jp/collection/rare/viewer/)、同じく「うてつ崎」らしき地形は見られるものの、説明はない。県立郷土館の本田伸先生は、この絵図を江戸後期、幕末の近い時期の模写としているが、安い顔料が使われ、絵図としては稚拙であり、省略も多いように思われる。

 以上のことから弘前藩領絵図は、1760-80年頃に製作されたオリジナルを幕末ころに模写したものと思われる。比較的、丁寧な彩色、記載があり、藩によって作られたものと推定される。もう少し検討してみたい。

2014年1月6日月曜日

弘前藩領絵図 竜飛岬付近



 幕末の弘前藩領絵図の原本について、少し調べているが、ほとんど進展がない。弘前市立図書館所蔵の古地図が見られれば、もう少し村落の比較検討ができるが、アマチュア研究家には高望みで、もっぱら公開されている絵図、旅行記を探っている。

 吉村昭著、「間宮林蔵」(新潮文庫、2011)を読んでいると、間宮林蔵、19歳の時に、村上島之允と一緒に奥羽地方の宿場から宿場への駅路図の作製を命じられた。福島、仙台、一関、水沢、盛岡、一戸、野辺地と測量を進め、さらに陸奥湾に面した津軽半島、下北半島の調査を行った。津軽半島の海岸調査は間宮林蔵が行った。この駅路図は「陸奥州駅路図」として1798年に完成した。

 この駅路図は国立国会図書館デジタル化資料に「大日本國東山道陸奥州駅路圖」として収められている

 どこを比較しようかと思ったが、竜飛岬付近について見てみたい(5巻6,7ページ)。陸奥州駅路図では「たっぴ岬」と「帯嶋」(正確には山へんの与)となっているのに対して、弘前藩料絵図では「龍濱崎」、「ヨンヘイ シマ」(ランヘイ?)となっている。ヨンヘイと読むのか、ランヘイと読むのか、よくわからないが、ヨンヘイなら御幣のことか。全くわからない。「帯島」は有名な義経伝説に基づく名前であり、源義経が大陸に渡るにあたり、この島で帯を締め直したという由来をもつ。1800年ころにはすでに義経伝説がかの地まで伝わり、そういった名前がついたのであろう。とすればこの「ヨンヘイ シマ」は、義経伝説が伝わる前の帯島の古名か、アイヌ語であった可能性がある。ただこれについての資料はないので、はっきりしない。

 さらに陸奥州駅路図では「源兵衛」、「よろい岩」に続くが、弘前藩領絵図では「鎧岩」の記載があるだけである。陸奥州駅路図では「どむの澤?」、「梨木」、「まさかり泊?」、「上字鉄村」、「字鉄村」となるが、弘前藩領絵図では「字鉄崎」、「下字鉄」、「上字鉄」となる。陸奥州駅路図ではその後の集落は「釜の澤」、「藤志間?」となるが、弘前藩領絵図では「釜間」、「藤シマ」となっている。

 陸奥州駅路図には字鉄村の説明として「字鉄村ハ宝暦年間(1751-63)まで蝦夷の容貌タリ 酋長をクマタカアイノ フルクイン ウテレキ セキリハ クマカヒ ルウマンアイノ ソダツイン など云へる名にてありしが、今は服従せり」とあり、また「字鉄村」前の岩を「釜石」として、その説明には「判官義経塩を焼せらるより云伝へて岩の穴あり?」とある。間宮林蔵は若い時から、アイヌ、義経伝説などの興味をもつロマンチストであったのだろう。津軽一統記には、江戸中期に、龍飛村には1軒、松ヶ崎村には9軒、藤嶋村には1軒、字鉄村には4軒のアイヌ人の家があったようで、竜飛岬から今別にかけてアイヌ人が比較的多くいたのであろう。また字鉄では縄文から弥生時代の遺跡も見つかっており、早い時代から人が住んでいた。

 陸奥州駅路図では、集落として上字鉄村字鉄村釜の澤藤嶋六丁澗—中濱—三厩村—増川村—松ヶ崎村—濱松村—今別であるが、弘前藩領絵図では下字鉄—上字鉄—釜間—藤シマー六シマー中シマー三厩—増川—濱名—今別となっている。釜の澤が釜間、六丁が六シマ、濱松が濱名と同じなのはわかるが、上字鉄が下字鉄になり、字鉄が上字鉄になったかもしれないし、上字鉄がなくなり、新たに字鉄ができたのかもしれない。地名学の分野の話で、さっぱりわからない。伊能忠敬の1802年の測量では(下図)、上字鉄—下字鉄—釜澤村—藤島村—六町間—三厩—増川—濱名—今別となっている。字鉄村については元字鉄との表記もあり、弘前藩領図の下字鉄は上字鉄、上字鉄が下字鉄の間違いの可能性がある。いずれも戸数数戸の集落であり、地震、津波などの災害でなくなることもある。

 ここで一番気になるのは、現在図では三厩の上字鉄地区の海側に、ミサゴ島があるが、弘前藩領図では、同部には字鉄崎がある。周辺の地理を見ても崎と呼べるところはなく、浸食、地震などにより崎のふもと部分がなくなり、先が島となりミサゴ島になった可能性がある。藤島の記載があるのに、ミサゴ島の記載がないのが不可思議である。となると、深浦の千畳敷が出現した1793年の寛政西津軽地震によるという妄想が出てくる。

 今後、さらに調べていかないといけないが、弘前藩領絵図の原本は1790年ころか。
なお陸奥州駅路図の地名については、知識不足で読解できないので、その読みは間違っていると思う。

* 1/23  弘前図書館で調べると、貞享の検地水帳附属絵図では「大べい島」となっているようです。蝦夷語「オー」は群生する、うようよいるなどの意味で、「べい」(ぺい)は水という意味で、すなわち帯島というのは魚や鳥などが群生する、寄り集まってくるという意味だそうです。この当たり一帯の水域は魚の群生する場所です(三厩村誌、昭和54年、三厩村役場)。「ヨンヘイ シマ」はこの「オーペイ シマ」が訛ったアイヌ語と思われ、帯島と言われる前の古い名前と思われます。

2014年1月4日土曜日

冬休みの読書


 正月は寝正月で、溜め込んでいた本を読んでいました。そのひとつ、「ルポ「中国製品」の闇」(鈴木譲仁著、集英社新書、2013)は、中国で作製される歯科技巧物についての報告です。わたしの仕事にも関係ある事柄なので興味を持って読みました。

 日本では歯科技工士法によって、口の中に入れられる義歯や補綴物は、国家資格をもつ歯科技工士しか作られないことになっています。これに対して一部の歯科医師は工賃の安い中国に技工物を発注しており、これでは国内法はザル法であるとして、歯科技工士らが訴訟をおこしましたが、結局は却下されました。著者らもそうですが、その際の問題点を中国産食品、家電と同様、質の悪い中国製品が日本に雑貨として自由に入ってくるのは、けしからん、とりわけ口に入る補綴物は安全でなくてはいけないという論点に切り替わります。そして中国の技工所で作られている義歯には腎臓病やガンを誘発するベリリウムやニッケル、クロムなどが使われている、これでいいのかと告発します。

 まず歯科技工物の海外委託についてですが、実際に歯科医師側から海外委託をする例は少ないと思います。むしろ出来るだけ安い技工物を求める結果、技工所側からさらに工賃の安い中国に委託するようです。かって東京の技工所が工賃の安い青森の技工士に発注したのと同じ構図です。現行の保険制度では、点数が低いため、できるだけ安い技工料でということで、東京から青森に、さらに中国に、将来的にはベトナムにという、衣服に代表される産業構造に合致します。流通の普及、迅速、低価格化が後押しします。歯科技工士の高齢化と減少から、欧米のように、低価格製品(保険扱い)については、ますますこの傾向は強くなるように思えます。

 次に歯科用金属の毒性については、矯正用器材にも多く使われるニッケル、クロム合金は金属としては安定しており、口の中への金属イオンの溶出は微量であり、健康を害しないとの見解のようです。それでもこれらの金属を加工する際の粉塵を多量に吸う可能性のある歯科技工士への健康被害を配慮してドイツなどでは使用禁止となっています。今のところ患者に対する健康被害は確認されていないというのが現状です。かって充填材料として幅広く使われていたアマルガムについても水銀を含む金属として日本では現在ではほとんど使われていませんが、アメリカなどでは未だに一部の歯科医師により愛用されています。日本で禁止されたのも、患者への毒性より、アマルガムの廃棄の問題が大きかったように思えます。未だにアマルガムが使われている理由も、確実な健康被害が確認されていないためでしょう。

 最近では、医科でも人工関節、血管、骨など生体に人工物を入れることも多くなってきましたが、歯科はあらゆる器材が人工物であり、補綴、充填、矯正材料など使われる素材はキリがありません。私自身、器材の安全性については99%信じていますが、それでも1%のリスクはあり、技工物についてはすべて自分で作っています。矯正の技工物は特殊であること、材料を把握でき、問題があればすぐに対応できること、さらに一番大きな理由は経済的であることから、時間をみて自分で作っています。まあ、作るのも好きだという理由もありますが、いちいち技工所に廻すと時間がかかり、すぐに対応できません。さらに患者さんはしょっちゅう装置をなくす、破折させます。その都度、技工料が発生すると、一括料金の場合、何だか損したように思えるのも事実ですが、自分で作ればそういった思いも減ります。また患者に装置代を請求する先生もいますが、患者さんは不注意でなくす、壊すのですから、後のクレームになることもあります。

 この本もそうですが、自分の主張に合致する事実のみをピックアップし、世論を煽るようなルポラーターの論調は、やや怖い感じがします。一方、同じ時期に読んだ「近世大名家臣団の社会構造」(磯田道史著、文藝春秋、2013)はすごい本です。著者は歴史物のテレビなどで、よくコメンテーターとして登場する売れっ子ですが、この本は、著者の慶応大学での博士論文です。実証的な論文で、江戸時代の士族の暮らしを統計的に解析しています。学者とルポライターの手法は違うとは思いますが、多くの資料、発言の中から、真実を見つける点では同じであり、読者がすごいと思うのは、結論もそうですが、そこに至るまでの過程だと思います。

正月に読んだ本
「第三の銃弾」(スティーブ・ハンター著、扶桑社ミステリー、2013 ★★★
「ルポ「中国製品」の闇」(鈴木譲仁著、集英社新書、2013)★★
「近世大名家臣団の社会構造」(磯田道史著、文藝春秋、2013)★★★★
「百年前の山を旅する」(服部文祥著、新潮文庫、2013)★★★
「津軽弁と語源日本語における方言の力」(小笠原功著、北方新社、2013
難しすぎて評価できず ?

・「日本潜水艦史」(世界の艦船1月号増刊、海人社、2013 ★★★

2014年1月2日木曜日

韓国の悲劇5







 韓国が安倍首相の靖国神社参拝に強烈な反対をしている。中国が反対するのはわかるが、韓国は太平洋戦争当時、日本軍であり、ごく一部の韓国人を除き、大多数の韓国人は、日本兵士として戦争に参加し、中国、アメリカと戦った。それもいやいや協力したわけでなく、志願して参加した。韓国自身は、連合国側にいたつもりかもしれないが、連合国側であったという主張は戦後、欧米を含むすべての国から否定されている。

 さらに韓国にとって最も、重要な局面である朝鮮戦争では、一時、北朝鮮軍の侵攻により、釜山近くまで攻められ、あと一歩で国が滅亡していた。これを救ったのが白善燁将軍である。白大将は、満州国軍士官学校で学び、太平洋戦争中は豆満江国境上で中国人、朝鮮人らによる抗日ゲリラの討伐に従事した。現代の韓国が誇る抗日独立軍を討伐していたのである。戦後、韓国軍に入隊し、朝鮮戦争では多富道の戦いでは、アメリカ第27連隊と協同して、ここで何とか北朝鮮軍の進撃を食い止めた。まさに英雄である。
もう一人の英雄は、金錫源少将である。金将軍は陸軍幼年学校から陸軍士官学校を卒業し、日中戦争では歩兵大隊長(少佐)として2個中隊で中国軍1個師団を撃退した功で、金鵄勲章を与えられた。勇者である。戦後は、白将軍同様に韓国陸軍に参加し、朝鮮戦争では第三師団長として釜山橋に戦いでは勇猛をはせた。
このように韓国軍には、戦前、自由フランス軍のようなまともなレジスタンスが存在しなかったため、ほとんどの軍人は日本軍によって教育された、あるいは現役の日本軍士官であった。第11代までのすべての韓国陸軍参謀総長はすべて日本軍出身者であったというから驚きである。

 それが、現在ではどうかというと、白将軍、金将軍ともに親日派を断定され、糾弾されている。まさに恩を仇で返す所行である。また近代韓国の父、朴正煕大統領も同様に親日派とされ、糾弾されている。ここまでくるとまさしく冗談であり、お笑いである。朴正煕大統領は必ずしも親日ではないが、合理的な考えの持ち主であり、自分が受けた日本式教育を是としており、日常は日本の軍歌や演歌を愛した。そして旧来の朝鮮の姿に絶望し、近代的な朝鮮を作ろうとした愛国者である。日本の歴史を否定し、さらには自分たちの歴史を否定し、彼らの歴史は今の歴史しかない。これは国として本当に恥ずべきことであろう。

 朴正煕大統領時代のブレーンの中には、盧武鉉大統領を「あれは話にならん男だ。この国を壊す男だ」言うひとがいる。同様に「朴大統領、奥様が亡くなってからは酒席ではお酒の量が確かに増えた。槿惠は注意していたみたいだが、槿惠は娘、奥様とは違う」と。盧武鉉の流れに染まったマスコミの中では、反日の態度を取らないといけないのは、日本特務機関に協力していた父を持つ中国の江沢民主席と同じか。安倍首相は父親、安倍晋太郎と関係する古い韓国の友人がいて、韓国への外交政策については見切っているが、残念なことには中国については、歴代の首相の影のブレーンを務めた拓殖大学の佐藤慎一郎のような存在がいない。佐藤慎一郎先生の名著、「大観園の解剖」は中古本でも高い価格がつき、なかなか読めない本であるが、よく利用する近代デジタルライブラリーに収められている
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454268)。ハルピンの貧民窟を精緻に調べた記録であり、朝日新聞の本多勝一が取り上げた「万人杭」の実体を正しく伝える。山田純三郎、その弟子(敢えて言う)、佐藤慎一郎先生ほど、中国を知り、愛した人物はいない。二人とも中国語は方言から符丁まで知っており、さらに人物鑑定は際立っている。現状の日中間の問題について、山田純三郎、佐藤慎一郎先生に意見を聞きたいものである。

 写真は年末に平川市碇ヶ関に行った時に撮った写真である。多くの白鳥と鴨がいて美しい景色であった。

2014年1月1日水曜日

昨年購入した歯科用器材



 新年明けましておめでとうございます。このブログは皆様方からのコメント、メールで成り立っており、この場を借りて感謝いたします。

 最近は歯科の話題を載せること少なくなり、矯正歯科はやめたのかとの声も聞きます。確かに以前に比べて患者数も相当に減少していますが、そこそこやっていますので、ご安心ください。こういったブログの記事は暇な時に書きだめしています。昨年、暮れに書いたものです。

 昨年は、診療所のリフォームと新しい歯科用ユニットを購入しました。待合室は、前から好きだった北欧風にしたのですが、照明が少し暗いのが玉にきずです。

 昨年、購入した診療器材について少し説明いたします。

1)口腔内カメラ ★★★
以前にモリタのペンスコープという口腔内カメラを買いました。確か20万円くらいしましたが、どうも画像が悪く、また有線なので、カメラからラインを歯科用ユニット内にはわせ、ペンスコープ本体に繋ぎ、そこからまたラインを再び、ユニット内をはわせ、モニターに繋ぎました。高い割に、画像はデジタルカメラの5000円以下という30万画素しかなく、私の好きなシグマDP1400万画素ですので、1/40以下というものです。確かに口腔内カメラはカメラ本体が極めて小さく、画素数を上げられないといったハンディーがありますが、これでは鮮明な像が見られません。口腔内カメラではフランスのSOPRO社のものが有名ですが、数十万円もするため、新しいユニットにはアールエフ社のアインシュタインという口腔内カメラにしました。この会社はあまり評判がよくないのですが、値段も十万円以下で、無線でモニターに繋がるので、ダメモトで買いました。モニターは3万円くらいのデジタルテレビを代用しました。驚いたことに、画像はペンスコープよりよく、操作性も非常に使いやすく、大変重宝しています。アールエフ社には大変失礼いたしました。ただ一般のカメラに比べると、よくはなったとしても、画像としては相変わらず、最低ですが。

2)光重合器 ★★★★
これまでは、デンマークのFlash Max という器械を使っていました。この器械は非常に小型ですが、照射が強力で、矯正用ブラケットの接着のために3カ所当てても、各1秒、全体でも3秒で済みます。前の器械では1分くらい照射していたので、これは画期的なことです。ただ5,6歯しか連続照射ができないので、そこが少し不満でした。この器械が壊れたので、メーカーに修理に出そうとすると、Flash MaxP3という新しい光重合器が安く売るとのことでしたので、これに変更しました。デザインは旧型の方がかっこよかったのですが、新型の方が、連続照射時間が長くなりました。

3)口腔水分計 ★★★★★
今年11月にあった東北大学青森県人会で、東北大学歯学部診断学の笹野教授がテレビに出るとの情報をもらいました。笹野先生はサッカー部の先輩で、学生中は大変世話になりました。モーニングバードという番組の中で俳優石原良純さんがインタビューしていました。現代人には口が乾き、物を飲み込みにくい、しゃべりづらいなど、口の乾燥によるドライマウスの人が増えているという番組でした。その中で、笹野教授が石原さんを被験者として測定したのが口腔水分計「ムーカス」という機械でした。2秒で測れる優れた機械ですので、早速いくらするのか調べると、思いのほか安く、すぐに購入しました。新患の検査時に活用していますが、簡単に測定でき、便利です。ただ矯正歯科では患者さんは若年者が多く、今のところ標準値以下の人はいません(従業員にはいましたが)。一般歯科では高齢者も多く、活用するシーンはかなり多いように思えます。お勧めです、歯科材料のヨシダで扱っています(不思議なことにほとんど宣伝がありません)。

 昨年末には診療室のインターネット環境もISDNから光に変えました。診療所の方はあまりインターネットを使わないため、ISDNという旧式のもので我慢していましたが、昨今は添付資料も数十Mになり、ISDNでは数時間かかります。来年、早々には診療所のI-Macも7年ぶりに新型になります。来年は本格的な診療所のIT化に着手したいと思います。歳はいきますが、せめて器械だけでも最新のものを使い、若いつもりでいたいと思います。