2018年7月8日日曜日

ワールドカップでベストエイトになるには


 ワールドカップの一次リーグの組み合わせは、抽選と世界ランキングにより決まる。すなわち参加国はランキング順位により1から4ポットに分けられ、第一ポットには開催国と世界ランキングの1から7位までの国、ドイツ、ブラジル、ベルギーなどの国がA組からH組までに分かれる。次の第二ポットにはランキング8位から18位までの国、スペイン、クロアチアなどがここに入る。日本はワールドカップの抽選の段階では世界ランキングが44位なので、第四ポットである。

 実際、第四ポットに入ったセルビア、ナイジェリア、豪州、モロッコ、パナマ、韓国、サウジアラビア、日本の中で決勝トーナメントに進んだのは日本だけで、それだけでもすごいことである。さらにいうと、第三ポットに入るデンマーク、アイスランド、コスタリカ、スウェーデン、チェニジア、エジプト、セネガル、イランのうち、決勝トーナメントに進んだのはデンマーク、スウェーデンだけであり、スウェーデンが準々決勝に進んだ。逆に第一ポットは、ロシアも含めるなら、ブラジル、ベルギー、フランスの4チームが第二ポットではイングランド、ウルグアイ、クロアチアの3チームが準々決勝に進んだ。

 このことはワールドカップにおいても日本やロシアのような世界ランキングの低いチームが活躍する例外はあるが、基本的にはランキングの高いチームが残っている。つまりワールドカップでベスト8あるいは4になるためにはその前に世界ランキングで十位以内に入っておく必要がある。そうすることで、一次リーグも死の組に入らず、比較的コンデションのよい状況で決勝トーナメントに進めることができる。

 現在、日本は世界ランキング61位。最下位はソマリアの206位。世界は国連加入国が193カ国、その他が13カ国であるので、すべての国がサッカーのランキングに入っている。今回の日本のワールドカップの活躍で、順位をかなり上げそうだが、第二ポットに入る18位以内に入るのは難しい。

 ランキングの算出は難しい計算によるが、現状ではランキングの高い国が揃う欧州、南米諸国が有利な状況になっている。これを打破して今後、日本がランキング上位になるためには、ワールドカップの活躍も大事だし、2019年に招待されている南米選手権(コパアメリカ)でもいい結果がほしい。この大会で活躍すれば、かなりランキングが上がる。またアジア選手権で優勝すれば、コンフェデレーション杯にでられ、この大会での結果もランキングに大きく影響する。それに比べて親善試合の点数は低い。

 アジア代表のオーストラリアでは、欧米のチームに所属する選手は15名(その他Jリーグが2名、韓国、サウジアラビア、トルコリーグが1名)、サウジアラビアでは欧米のチームの所属するのは3名、韓国では5名(その他Jリーグ5名)、イランでは12名(その他カタールのリーグに2名)、日本では15名(本田と長友はイタリアにする)となり、日本とオーストラリアが欧米のチームに所属する選手が多い。といってもオーストラリアの場合、国内リーグのレベルが低いし、もともとイギリス連邦の一員であったので、イギリスでプレイする選手が多い。

  日本がアジアでも強くなった要因の一つは、欧米のチームに所属する選手が多くなり、欧米のプレイに慣れてきたこともある。さらにブラジル、ドイツといった強豪国と試合する場合も名前負けしないようになっているし、選手自身も例え、ネイマールやメッシといったスーパースターも十分に対応できすようになった。最初に日本がワールドカップにでた1998年のフランス大会では海外のチームに所属する選手は一人もいなかった。2002年の日韓大会では中田ら4名が海外のチームにいた。2006年ドイツ大会では6名、2010年南アフリカ大会では4名、2014年のブラジル大会では12名の選手が海外でプレイしていた。今後は代表チームももっと海外での試合をすべきだし、次回開催までには欧米の強豪国、ドイツ、フランスに相手のホームで勝つくらいの実力、ランキングで言えば少なくとも20位くらい、第二ポットに入っていないと、連続して決勝トーナメントあるいはその先のベスト8になるのは難しい。

2018年7月6日金曜日

弘前藩の忍術書



 弘前で忍術書が見つかったというニュースが74日の朝日新聞、毎日新聞、サンケイ新聞など全国紙の記事となった。新聞によると、京都市の忍術研究家、上田哲也さんが今年の3月に弘前市立図書館で調査した文書の中に、武器の作り方やまじないの文言などが書かれた忍術書を発見したという。その後、青森大学の清川繁人教授や青森県古文書研究会の辻敏雄さんらと解読を進めたところ、甲賀忍者や伊賀忍者に伝わる忍術などが書かれているだけでなく、独自の記述も多く、また漢字と片仮名を交えた文章からも江戸中期のもので、弘前藩家老、棟方作兵衛が死去し、忍者集団の早道之者が解散された1756年ころに棟方家の関係者が後世に忍術を伝えるために書いたとしている。さらに明治42年に岩田清三氏より図書館に寄贈されたが、清三氏の父を戊辰戦争に参軍した岩田平吉と推定し、弘前藩の忍者の指導役だったとされる「棟方家」の一族とは同じ部隊で、弘前城下の居住地も近かったことから、棟方家の忍術書が岩田家に送られたとしている。

 かってに写真を引用して申し訳ないが、この忍術書には寄贈者として岩田清三の名が載っている。岩田清三は岩田平吉の子ではなく、孫である。弘前市の仲町の武家屋敷、岩田家にある説明によれば、岩田家は初代、大膳から始まり、十代が平吉恵則(御馬廻番頭格御祐筆、五両一人扶持、西洋砲術師範、明治28年(1895)没)となっている。その子が亮次郎(安政3年(1856)生まれ、明治41年(1908)没)で、孫が清三(明治17年(1884)生まれ、昭和26年(1951)没)である。つまり清三氏が25歳の時、おそらく前年に亡くなった亮次郎の遺品の一部を弘前図書館に寄贈した。岩田平吉は幕末、江川塾で砲術を学び、弘前藩の砲術隊長として活躍した人物だが、明治五年には上京して海軍省造船局砲器科に勤めた。明治20年代に弘前に戻り、明治28年に亡くなった。ということは、平吉の子、亮次郎は16歳で父と一緒に上京した可能性が高く、15年ほどしてから弘前に戻ったのか。

 忍者書の現物を見たわけではないし、専門家でもないのに、適当なことを言うなとお叱りを受けると思うが、まず“漢字と片仮名を交えた文章”から江戸中期の書とするのは、どうかと思う。忍術書として有名な“万川集海”(1678年)も漢字と片仮名混じりの文だし、江戸時代でも科学書などでは唐文字の楷書と片仮名の本はある。ただ楷書漢字に片仮名を交えた文章は、むしろ明治期の本として考えた方が、江戸中期、宝暦の頃のものと見るよりは理解しやすい。これは古文書の時代鑑定の専門家がいるので、調査をすれば簡単にわかるだろう。また早道ノ者は、家老あるいは大目付が物頭を兼ね、その配下として早道ノ者小頭、早道ノ者、見習いなどからなり、小頭、早道ノ者は世襲かもしれないが家禄が少ない軽輩である。忍術書があったとしても、こうした書を小頭あるいは早道ノ者の子孫が持つのはわかるが、より上位、それも度々交代する家老が持っていたとは考えにくい。さらに幕末、棟方滝根(作兵衛の四代後の子孫、晴吉貞敬の長男、忠一)の住まいは長坂町、平田平吉の家は小人町で、それほど住まいが近いとは言えない。表紙には「雑 レ四ノ二  忍之巻」とあり、他のシリーズの中の四ノ二であり、この書だけ取り上げ、忍術書として扱うのはどうかと思う。シリーズ全体の一部として評価すべきあり、他の巻は武芸やまじないなどを集めたものであれば、これだけを忍術書として時代、由来まで決めるのはどうであろうか。

 いずれにしても現物があるので、大学や研究機関の専門家が調査すれば、もう少しはっきりするだろう。弘前藩に忍者がおり、忍術書もあるというには全国的なニュースになるかもしれないが、大騒ぎして後でそうではありませんでは、恥ずかしいことなので、十分調べてから、改めて観光資源などへの活用を検討したらどうだろうか。

2018年7月4日水曜日

最近の結婚





 娘が今度、結婚するのだが、最近の結婚は昔とは様変わりしているので、びっくりしている。

1.      結納がない
 昔は、新郎側の両親(あるいは父、または母親)が新婦側の家に行って、水引と一緒に結納金を納め、さらに婚約指輪なども贈る。そして新婦の家族、親類も正装して迎え、お返しをし、会食をして終了となる。うちの場合も父が歯医者で仕事を休めないので、母親が尼崎から弘前の家内の家に行って、結納の儀式をした。終わると大鰐温泉に泊まり、そこからタクシーに載って竜飛まで行ってしまった。
 姉の場合でいうと、結婚が決まると、嫁入り支度として、まず京都の西陣の着物屋を家に呼び、訪問着、無地着物、留袖、喪服など数種類の着物を作る。兄や私の場合では、当時、結婚指輪は給料の3か月分と言われていたので、数十万円のダイヤの指輪を買いにいく。さらに新居(アパート)を買うあるいは借りる。その後、結納金により新婦側が家具、電化製品など新生活に必要なものを買った。ところが現在では、結納あるいは結納金そのものがなくなり、ダイヤの結婚指輪などは買わないし、結婚家具。電化製品も買わない。さすがに部屋が二人が住むには狭い場合は、転居するがそうでなかったら、どちらかのアパートに住むし、特に新たな家具、電化製品も買わない。

2.      仲人がいない、父親の友人が呼ばれない
 昔の結婚式と言えば、式が決まれば、仲人を誰にするかが両家で話し合う。新郎の場合、誰に仲人するかにより、会社でも引きが違ってくるため、これは重要なこととなる。基本的には新郎の勤める会社の部長、重役、社長レベルの人に仲人をしてもらう。さらに出席者の大半は新郎、新婦の会社関係と親の友人となる。弘前の場合で言えば、親が商工会議所やロータリークラブのメンバーであれば、それだけで100人以上と招待者となる。300人規模の結婚式で言えば、新郎、新婦の親類が50人くらい、友人が50人くらい、そして新郎、新婦の知人、会社関係の人が200人程度なる。結婚式費用はすべて両親持ちとなり、新郎新婦の負担はないかわりに、親が結婚式を席次から内容まで決めてしまう。
 ところが今の結婚式で多いのは、親類と少数の友人のみを招待した50人以下の式で、有名ホテルになると土曜、日用になると十数組の挙式が行われる。また両家の親類とあとは新郎、新婦の会社、友人関係のみ出席、100-150人程度の式で、両家の父親の友人、会社関係は全く呼ばない。こうした場合は、父親、母親と本当に親しい関係であっても結婚式に呼ばれることはなく、私の場合も昔だったら年に数組の結婚式にでていたが、最近が葬式に出る回数は増えたが、結婚式に出る機会は減った。

3.      礼服は着ない。
 昔の結婚式と言えば、父親はモーニングコート、母親は留袖、親類の男性は黒のダブルの礼服、女性は留袖と決まっており、出席者もほぼ皆、これと同じ格好であった。ところが最近の結婚式に行くと、父親のモーニングは変わらないが、母親は洋装のドレスが多く、親類も同様、新郎新婦の友人は、男性が普通のブラックスーツ、女性も洋装のパーティー服がほとんどである。よほどの年配でないと礼服は着ないようである。ある意味、かなりドレスダウンであり、娘が結婚する会場の写真を見させてもらうとアロハシャツやシャツもoutに出している人もいる。

4.      披露宴で余興が少ない
 出席者の負担を減らすためか、昔に比べて余興は少ない。田舎の結婚式では最後は親類縁者のカラオケ大会になり面白かったが、最近は友人のビデオメッセージや新郎、新婦のプロフィールビデオなど映像が多く、人間味がなく面白くない。その割に、両親への感謝の手紙などお涙頂戴演出があり、くだらない。小津安二郎の“麦秋”ではないが、親への感謝は人のいないところでしてほしい。

5.      新婚旅行、婚姻届
 昔は結婚式に続いて、別府、宮崎、ハワイなの新婚旅行に向かった。そして帰国後、しばらくしてから婚姻届をした。ところが今では結婚式の前にいい日を選んで婚姻届をするカップルも多いし、新婚旅行も式に続いて行くことはない。結婚式をして初めて結ばれるカップルも昔は多く、新婚旅行で相手との相性は悪いと“成田離婚”という言葉があったが、この段階では婚姻届もしていないので、離婚にはならない。

 これは姪、甥などの結婚式、披露宴にでた私にあくまで私見であり、地域によっては昔の結婚に近いところもあろうが、それでも確実に言えるのは、昔の結婚式は家同士の式であったが、最近の結婚式はあくまで個人の式である。さらには結婚式そのものもやめていまい、婚姻届だけというカップルも増えている。旦那が給料を稼ぎ、嫁は家と子供の面倒を見るという古い概念はほぼ消滅しており、男女、それぞれが稼ぎ、両方により家事、育児を分担するという流れが定着しており、それに伴い結婚式もどんどん変わっている。

2018年7月3日火曜日

若手GKの育成


 この時期、ブログもサッカーワールドカップの話題に偏る。私の場合、最初に見たワールドカップはスウェーデン大会(1958)である。随分前の大会であるが、六甲学院中学校の時に、ヒルケルさんがドイツからフイルムを取り寄せ、それをサッカー部の皆と一緒に学校の16mm映写機で見た。この大会はペレの大会といってよいほど活躍した大会であるが、ババ、ジジのいるブラジル代表は今でも過去最強のチームとして評価されている。当時の感想でいえば、これは夢のまた夢の世界であり、日本代表がこうしたワールドカップに出て、ブラジルと戦うといのは想像もできないことであった。青森の弱小高校サッカーチームがブラジル代表との試合を夢見るようなもので、あり得ない話であった。

 その後、日本はあいも変わらず、アジア予選も突破できない状況は続いたものの、メキシコ大会(1986)ころから決勝トーナメントの一部の試合が録画放送であるがNHKで放送されるようになった。それまでは一切、放送もなかったことを考えると画期的なことであった。イングランドのGKゴードンバンクスとブラジル代表、ペレの攻防はすごかったし、世界中の人々にアルゼンチンのマラドーナの名が知れ渡った。

 今回のワールドカップでもアルゼンチン、ドイツ、スペインなどの優秀候補が次々と脱落していったが、逆に言えば、各国の実力差が狭まった大会とも言えよう。接戦の続くなか、GKの良し悪しが決定的な意味を持つ大会となった。一方、専門的な味方をすれバ、ワールドカップのような世界のトップGKが集まった大会においても得点シーンをよく見ると、GKのポジショニングが微妙にずれているシーンがある。日本代表の川島選手もポーランドのゴール右隅へのシュートを搔き出す、ビッグプレイがあったが、よく見ればその前の相手の動きに振られ、ゴール左にポジションがずれていた。いい位置であれば、問題なくキャッチできたはずである。

 昔のサッカーの試合はほとんど土のグランドであったため、GKは試合開始前に、まずゴールラインの真ん中に縦の線を足でひく、そこからペナルティーラインの隅まで斜め線を入れる。つまりゴール真ん中からの線と左右45度の線を引いてしまう。試合中はその線、あるいはその延長上の風景の点、例えば、校舎の右端などを目印にする。こうした線や目印を常に参考にしながら、ボールとゴールの関係を決めていく。ところがワールドカップのような芝のグランドになると、土のグランドと違って線を引けないし、現在のルールでは線を引くのは禁止されている。それでもゴール前の芝生はちょくちょくはげているので、ある程度はゴールの真ん中は把握できる。球技場であれば、広告などの看板を目印にベストポジションが見つける。ところが今回のワールドカップではさすがに芝のコンデションは最高であり、ゴール近くの芝も全くはげていない。そうなるとゴールの真ん中を決めるのは全く目印がなく、感覚による。GKにとってゴールの真ん中の感覚は背部に感じるものであり、それでも試合によっては微妙に狂ってくる。とりわけ、左右に振られると、一瞬、ゴールの真ん中の意識が薄れ、その結果、シュート打たれた時にベストポジションが得られない。


 ボールとゴールライン真ん中、そしてGKの体に送受信機を入れ、それが一致したときに音が鳴るような練習器具できないだろうか。あるいは試合中、練習中にGKのポジションニングにのみ焦点を合わせた画像を撮り、何度も修正するような練習が必要かもしれない。今回のワールドカップでも日本代表GK、川島選手はいい仕事をしたが、それでもベルギー戦の一点目のゴールは入れさせてはいけない。2:0から2:1になったのはまずかった。他にいいプレイをしていても、あの失点で、負けた。2点目もポジションがやや右寄りであった。若手のGKを育成して、ビッグクラブで活躍するような日本人GKが現れる時、初めて日本もベスト8以上も可能かもしれない。そのためには中学、高校生世代の才能あるGKについては、学校の練習ではなく、トレセンなどに集中して練習させるべきであり、ことに海外のGKコーチによる若手のビルトアップをすべきだろう。さらにバスケット日本代表、203cmの八村塁のような若者をピックアップして早めにGKとして育成すべきだろう。今後もフィールドプレーヤーについては世界でも通用する若手選手が現れるであろうが、こと優秀なGKについては日本サッカー協会も本腰を入れないと育たない。