2007年3月4日日曜日
寺山修司2
寺山の作品を始めた見たのは、おそらく「田園に死す」や「書を捨てよ、町へ出よう」などの独立系の映画、確かATGの製作、だったと思う。大阪の梅田の映画館に高校生ころに見に行った記憶がある。暗い屋内に、白く化粧された中学生、母と子の切っても切れないどろどろした関係、黒と赤のコントラスト、おどろおどろしい風景、当時の空気まで思い出す。こんな映画や寺山の作品を読んで、青森に対して暗くて、こわそうなイメージを持ったが、実際こちらに住むとそんなことは全くなく、あくまで寺山の誇張した表現にすぎない。寺山が死んですでに24年になるが、いまだに人気が衰えない。とくに若いひとには常に新鮮な印象を与えるようで、この現象は太宰とよく似ている。
弘前は、非常に演劇のさかんなところで、弘前劇場、劇団雪国やそれらを支える弘前市民劇場の活動も知られる。弘前劇場は、1978年創立された劇団で、弘前のみならず東京や海外でも公演する国際的にも知名度の高い劇団である。また弘前市民劇場は約800人からなる演劇鑑賞団体で年に何回かの公演を行っている。またデネガという民間の小さな公演施設もあり、街の至るところで年中色々な演劇が行われている。唐十郎とも関連のある劇団夜行館も毎年、ねぶたに出陣して寺山の世界を現出している(写真下)
弘前は美人の多いところであるが、その割には弘前出身の女優や歌手は意外に少ない。古くは相馬千恵子さん(伊藤大輔「二刀流開眼」などに出演)、長内美奈子さん、奈良岡智子さんや木野花さんくらいで、演劇が盛んなわりには少ない。歌手でもあまり聞かない。むしろ劇作家や作曲、作詞などで活躍している人が多い。近代演劇の父、小山内薫の父玄洋は津軽藩洋医である。「ドラエモン」などの作曲の菊池俊輔、中森明菜デザイアの作曲の鈴木キサブロー、松田聖子青い珊瑚礁、郷ひろみお嫁サンバの作曲の三浦徳子、チューブ「シーズンインダサン」の作詞の亜蘭知子、現代音楽の作品で有名な下山一二三もすべて弘前出身である。演じるよりは書く方が津軽人には向いているのかもしれない。そういった意味では寺山も津軽の作家の系譜につながる。
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