2007年3月30日金曜日

山田兄弟4


中国のHPを見ていると、左のような写真がありました。解説によれば1924年11月24日、神戸にて日本の朋友らと写したものとなっています。前に坐わっているのは右から孫中山、宋慶齡、山田夫人、後ろに立っているのは右から菊池良一、戴季陶、島田經一、宮崎震作、萱野長知、宮崎龍介、山田純三郎です。孫文は、後に「中国革命に尽くして終生怠らざりし者に、山田兄弟・宮崎兄弟・菊池・萱野がある」とその自叙伝に記していますが、この中で気のなるのは菊池良一というひとです。インターネット検索ではあまり引っかかりませんが、調べると菊池九郎の長男で、衆議院議員を努めたひとでした(1879-1945)。津軽を代表する偉大な政治家菊池九郎の妻は、山田晧蔵(山田兄弟の父)の妹で、九郎の姉は晧蔵の妻だったようで、山田純三郎、良政からすれば、菊池九郎はおじ、菊池良一はいとこにあたると思います。菊池良一は、山田兄弟に誘われ、革命への運動に参加していくうちに深みに入っていったのでしょう。孫文は革命に尽くした日本人の3番目に挙げているところをみると単に資金の提供にとどまらなかったと思いますが、何をしたかはほとんどわかっていません。中国語がわかりませんが、「菊池良一」でインターネット検索すると、中国のものがヒットします。おそらく日本では無名でも中国、台湾では評価されているのでしょう。
写真では山田純三郎の奥さんも写っていますが、きれいなひとです。純三郎の嫁として大変苦労したと思います。

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