2007年3月13日火曜日

今和次郎3



今和次郎の珍しい正装姿である。今のイメージはいつもジャンバーにジーパンという感じだが、若いころは凛々しい。今の最も有名な仕事は考現学である。考古学というのが、過去の遺物を発掘して、それをもと過去の生活を類推するものに対して、今の考現学は現在の資料を科学的、さらには統計的に集めて現在の生活を浮き彫りにさせるものである。柳田邦男らの民俗学者らからすれば随分世俗的で皮相的なもの写ったと思える。それ故、民家の研究で一緒に仕事していた柳田からは後に絶縁される(あくまで本人の言からではあるが)。銀座を歩く女の人の服装、昼寝のポーズ、犬小屋の研究、男のほしいものの値段やさらには立ち小便の場所などなんでも調べていた。
こんなものを調べていて何の役に立つのかと当時も言われていたろうし、現在でも官学の学者から見れば学問とは思われないかもしれない。ただ、今日の我々から見ると、昭和初期の東京の状況がよくわかり、実に興味深い。確かに当時の写真や映画も残ってはいるが、普通の人々がどんなことに興味があり、習慣、流行していたかなどがはっきりわかる。データーの採取は科学的な方法で行われていたため、現在の状況と定点的な比較もできる。今らの仕事は、民俗学の梅棹忠夫や社会福祉学の一番ヶ瀬康子らに受け継がれ、生活学となっている。新たな学問としての考現学は今後ますます脚光が浴びていくと思われる。
今のおじさんに当たる今裕は北海道大学の総長をしていたが、このひとは北大の名物総長で、学生にも慕われていたという。戦争中で英語が禁止されていた時代に平気で、学生にもっと英語の勉強をするようにといっていたという。ヒポクラテス全集の本邦初訳も手がけた。
今和次郎と今裕の写真を並べると、確かに親類で、よく似ている。

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