2010年8月11日水曜日

弘前ねぷた




 8/1から始まった弘前ねぷた祭りもようやく終わり、例年なら秋の気配も感じる時期だが、今年の夏は暑い。

 2,3年前までは衣装に着替え、祭り運行にも実際参加していたが、だんだん歩くのがきつくなり、最近はもっぱら見学だけになっている。この祭りの特色は、町内、市民が総出で参加している点で、企業も数社参加しているが、基本は町内でねぷたを作り、老若男女が年に一度のこの祭りを楽しみに生きている。ある日は、祭りに参加し、次の日は見物、こういったパターンで、市民ほとんどすべてが何らかの形で参加している。全くショー化していないのがいいところで、観光客には媚びていない。あくまで住民自身が祭りを楽しんでおり、多少柄の悪い若者がいても、その地区の兄貴分が行動を制御しているため、青森ねぶたの「からすはねと」のように付近の住民に迷惑をかけることはない。

 先日、弘前ロータリークラブの例会の卓話でねぶた研究家の葛西敞さんによる弘前ねぷた物語Part IV「ねぷたの貌(かたち)」の話を聞いた。これまでも毎年この時期になると葛西さんからねぷたの歴史、絵についての話があるが、今回はなぜ弘前のねぷたが扇型をしているかという内容であった。

 もともとねぷたは灯籠祭りが原型であり、扇や鳥籠、金魚などの1人持ち灯籠や,担ぎねぶた、あるいはやや大型の人形ねぷたの形式であったのが、明治15年以降、扇型をしたねぷたが見られるようになり、近年ではほとんどのねぷたがこの扇型になった。

 この理由として、維新後の不景気のため、人形ねぷたよりより安価な扇型に移行したこと、あるいは藩祖為信の幼名の扇丸にあやかったという説もあるが、葛西さんは各地の扇祭りを研究し、扇には悪霊、邪気を扇いで追い払う、禊(みそぎ)の意味が込められており、天災、病気など、人の力ではどうしようもないものを扇で打ち払おうとしたとしている。ねぷた運行では、途中本体を回転したり、蛇行したりするが、これはあたかも扇で邪気をあおぐ行為に他ならず、そういった意味で、ねぷたは町内、会社、さらにはこの地域の邪気を祭りで追い払い、豊かで楽しい収穫の秋を迎えたいという人々の祈りだとしている。

 かなりこじつけかもしれないが、ねぷたが邪気払いであると考えると、ありがたみがでてくる。実際に参加しても、ただ見ているだけでも、人々の邪気を払ってくれ、一年間の幸をもたらしてくれるのである。ちょっとねぷたの見方も変わるであろう。

 6月ころに母の知人から是非とも、弘前ねぷたを見たい、宿泊の紹介をしてくれとの連絡があった。インターネットでほうぼうのホテル、旅館を当たったが、周辺も含めて、すべて満室、泊まるところがない。新幹線開業前でこうだから、来年以降はもっと予約しにくいことであろう。また来年は高校総体もあるようだが、宿泊はだいじょうぶだろうか。せっかく新幹線が開業して、来県者も増えるが、肝心の宿泊がこれでは、だめであろう。どうしても夜間の祭りなので、日帰りもできず、宿泊が必要となる。青森学院大学に勤務している台湾の方が、台湾の大学生を青森の農家に泊まらせ、農業経験をしてもらおうと毎年数十名の学生を青森に来てもらっている。農家は家が大きいので、一つの家に数名の学生が泊まることができるようだ。郡部の農家で、例えば一泊2食付きで、ホームスティーしてもらい、田舎の生活を楽しんでもらうような試みがあってもよさそうだ。一人8000円くらいなら、泊めてもよいというところもあるし、また泊まりたいという人もいよう。ねぷたの期間、5日間で5名ずつ泊めたとしても20万円の臨時収入となる。観光を町おこしの目玉にするなら、こういった企画も市、あるは旅行代理店でも検討したらどうであろうか。

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