2019年10月14日月曜日

奈良美智作品、27億円

27億円で落札されたナイフ・ビハンド・バック
ニューヨークのバーにある落書き


弘前市鍛治町にある居酒屋の落書き


 弘前出身の現代画家、奈良美智の“ナイフ・ビハインド・バック”という作品が今年の香港でのサザビースのオークションで27億円という高値で落札された。つい最近まで、奈良の作品は数億円と言われていただけに、ここ数年の現代絵画の価格上昇は凄まじい。これは世界中の金持ちが投資対象として絵画を選ぶようになったことによる。かってバブル期、日本の会社が世界中の顰蹙をかって高値でゴッホの向日葵などの絵を買った。その後、バブルの崩壊とともにこれらの絵は競売にかけられたが、実際の価格はそのころの数倍になっており、間違った投資どころか賢明な投資出会った。

 それに関連してニューヨークのバーに奈良が描いた落書きが数億円の価値があると、話題になっているが、同様な落書きは弘前市の居酒屋にもあり、ここでは、壁へのプラスティックの保護板もなく、むき出しのまま手で触られたり、タバコの煙にさらされている。まあ、あくまで落書きであり、作品ではないので、これが数億円になることはないが、それでも好きな人からすれば壁画として数百万円であれば買われる可能性がある。ただ個人的に言えば、どちらもあくまで、作者が気まぐれで描いただけなので、そのまま展示し、汚れれば汚れていいし、店を壊すときはそのまま壊して欲しいだろう。逆に居酒屋の壁として店の歴史とともにどんどん汚れていくのこそ本望と思う。

 ただ個人的には、来春に開館する弘前レンガ倉庫美術館に、奈良美智の作品がこれほど高騰するともはや展示できなくなることを心配する。いくら弘前市出身の作家であれ、こうした売れっ子の作家になるとバイヤーが介在するために、たとえ美術館であっても安い値段で売ることはない。弘前レンガ倉庫美術館の作品購入資金は3億円で、これでは奈良の作品、一つ買うのがいっぱいであろう。むしろ転売を禁止した大型作品、体験型の作品など、作者から構想、デザインを買い、その指導を受けて業者が空間を作る方法の方が良かろう。昔のように有名作品を、見物者が一点一点見ていくやり方は、もはや古く、むしろ作者の世界観を体験できるような作品、環境を展示するような方法が望まれる。例えば、松本市にある松本市立美術館は草間彌生の奇妙な芸術を鏡ばかりの部屋や、水玉模様ばかりの部屋で体験できる。こうした体験型の芸術作品は移動が難しく、その美術館に行かなければ見られない。さらに画家にとって、自分との作品を恒久的に見てもらう場として美術館は必要だし、より自分の芸術を訴える手法としては、キャンバスに描かれた作品も重要であるが、大型の移動できない作品もまた興味があろう。

 もちろん、こうした大型の体験型の芸術作品は、作者にとってその構想からデザイン、製作までかなり時間がかかるため、それ相当な費用は必要であろう。問題はそうしたことも含めて来年春に開館が迫っている美術館サイドが、どこまで具体的に奈良と交渉しているかという点である。館長も決まっていない状況で、東京の会社に丸投げ状態、さらにこの会社と奈良との関係など、開館にあたり郷土出身の目玉作家の作品が展示されないような事態は避けたい。かって同じレンガ倉庫で、歴史的な奈良の展覧会が行われただけに、こうした経験が十分に生かされた内容であって欲しい。

 個人的にはこのレンガ倉庫で行われた奈良の最後の展覧会であるA to Zの2階で見たくらい海とそこに浮かぶ人間型の島、あの作品と理科実験室にような空間が忘れがたい経験であった。全国から多くの若者が来るような美術館になって欲しい。

2019年10月13日日曜日

オークションで掛け軸を買う

西山翠嶂?の月下秋草図

落款


翠嶂の落款、右ページ、右上の署名と左下の印

翠嶂の印、外枠の四隅が太い

 テレビの開運何でも鑑定団は好きでよく見ているが、まさか自分が集めるほうになるとは思ってもみなかった。家を新築した時に和室を作り、ついでに床の間も作った。床の間に飾る掛け軸については、昔、尼崎の実家にあった金屏風に貼ってあった翠石の山水図とこれも実家にあった土佐光貞の土佐物語の掛け軸の二本だけであった。他には母が描いたお雛様の絵と花鳥図くらいで、しばらくはそれらを飾っていた。翠石の山水図については、当初、虎画の名手、大橋翠石のものと考えていたが、タッチが全く違うので、調べると近藤翠石という画家であることがわかった。森琴石の門下生で昭和のはじめ頃に活躍した画家で、当時はそこそこ人気のあった画家であるが、今や全く忘れられている。その後、ヤフーオークションで調べると、近藤翠石の作品が大橋翠石の絵として出品されていた。大橋翠石の作品はほぼ虎と決まっているので、近藤翠石の山水図を買う人はほとんどおらず、数千円程度で買える。

 ここからヤフーオークションでの掛け軸の購入癖が始まった。その後、近藤翠石の作品を数点購入し、ある日、オークションで唐美人とオウムという良い作品があった。作者は嶺雪とあるが、ほとんど資料はなく、唯一、沖縄県立図書館の土佐嶺雪の漁翁図が紹介されていた。たまたまほぼ同時期の作品であったので、落款が一致したので、これも数千円で購入した。その後、ヤフーオークションを見ていくと、時々、嶺雪の作品が見つかり、片っぱしから落札していった。ほとんど無名の作者なので、競合者もおらず、安い値段であった。13作品ほど集まったので、その後はよほど良い作品がない限り、落札しないようにしている。

 最近ではその他の作品も調べているが、これはと思うものは少ないし、あっても競合者が多く、落札価格も高くなり、ギブアップしている。

 私の落札方法は、まず、オークションで作品そのものの良し悪しをみる。素人なのでいい加減であるが、構図、技術やコンデションなどを見ていく。次に作者の落款を調べる。これらは大日本書画名家大鑑という全4冊の厚い本があるが、その中の落款印譜編を参考にする。この本の落款が原寸大かどうかは不明であるが、一応、大きさも検討対象にする。

 例えば、先日、購入した文化勲章受章者の西山翠嶂の月下秋草図でもオークションに載っている落款をまず比較する。すると署名の翠、嶂、それぞれの字はかなり似ているが、翠と小の字間が短く、また本来なら翠の字が嶂より小さいが、オークションの絵は同じである。かなり偽物の可能性が高い。一方、印章を見てみると、右ページ左下の印が非常に似ている。字および大きさはほぼ同じであるが、四角の囲みの四隅が少し違う。本物は四隅が厚くなっているが、オークションの印では右下のみが厚い。ただ印は押すときの力加減やスタンプの量で少し変わる。まあ50%は本物だろう。画風はほぼ西山翠嶂の雅かな京都風の作品であり、作品の内容自体は陳腐であるが、ピンクなどの色とりどりの秋草が現代風である。

こうしたことから、作品は偽物の可能性は高いものの、安ければ購入という結論に達する。一応、二万円を上限にオークションに参加する。幸い15000円くらいで落札できたので満足している。作品等到着後、印刷かチェックしたが、絵の具自体の厚みがある箇所もあり、手書きであることは間違いない。本物であれば20-30万円はするものだが、多分、偽物の可能性が高く、その場合は1000円くらいである。今時は、落款くらいなら、いくらでもコンピュータで本物そっくりにコピーできるが、一方、例えば、この作品、月下秋草図を肉筆で描き、偽物の落款を描き、装丁すれば、少なくとも偽作者への謝礼も含めて20万円くらいはかかる。本物でも20-30万円くらいにしか売れないのであれば、誰も偽物は作らない。西山翠嶂については広島県の海の見える社美術館で今年の1月まで西山翠嶂 知られざる京都画壇の巨匠”展が行われ、そのカタログ本が出ているようだが、購入できないでいる。


2019年10月11日金曜日

矯正歯科の広告


 昨年、医療広告ガイドラインができ、HP上での広告規制がかなり厳しくなった。それまでは看板、雑誌などで医院を広告する際には厳しい規制があり、患者誘導となるような表現はほとんど禁止されていた。ただ、ネット上のHPではこうした規制もかなり甘く、ほとんど何でもありの状態であった。こうした状態により患者トラブルも増え、さらには特定商法取引法に矯正歯科も含まれる可能性が出てきたため、矯正学会でもこうしたネット上での広告を監視するようになった。実際には、学会で広告規制の雛形を作り、それを周知させるために、学会でアナウンスすると同時に、認定医、専門医の取得あるいは更新の際に、医院のHPをチェックして、広告での表現に問題があれば、それを指摘し、改善するまで資格取得できないようにした。

 例えば、私のHPでも以前は、患者さんの許可を得て、治療前後の口腔内写真を載せていたが、これは禁止となった。というのは全ての医療行為は、人間を扱っているために、必ずしも当初の目的通りに終了できるわけではなく、治療前後の写真を載せることは、患者に間違った情報を与えることになるからである。もちろん同様な理由で、治療終了した患者さんの声も載せられない。また“東北で唯一”、“最高の治療”などといった表現も禁止されている。そのため私のHPで載せていた“弘前で最初の矯正専門医”、“青森県で唯一の日本矯正歯科学会専門医”といった表現も、間違っていないが、禁止となり、消去した。またインビザラインなどのメーカーに依存した特殊な治療法なども掲載できず、例えば、自分の歯科医院では、オームコ社のデーモンブラケットを使って矯正期間を短縮しているといった表現もダメである。また治療患者数などを表示するのも難しくなり、私のHPでも”300人以上の口蓋裂患者“、“250名以上の顎変形症患者“などの表現も消した。逆に患者に与える情報として重要なことの一つに、矯正料金の明示がある。自費治療で、患者のもっとも知りたいのはいくらかということで、それはきちんと載せろというわけである。さらに日本矯正歯科学会の専門医、認定医の表示については、今のところ厚労省に認められていないため、表示は△となっているが、東北で数人とかの表現が×となっている。

 こうした規制により私の医院のHPもかなりの部分を削除したが、逆に規制に無関心の歯科医院、認定医や専門医がいないところでは、日本矯正歯科学会の勧告はほとんど関係がないため、好き勝手にネット上で誇大広告をしている。つまり認定医や専門医を持っている矯正治療のプロは、広告規制を守らなくては学会から認定されないため、客観的な事実しか載せられないのに対して、広告規制に無関係な一般歯科が派手な宣伝をして、患者はそちらに行ってしまう、悪貨が良貨を駆逐する状況になっている。

 どこの歯科医院がいいかなどほとんどわからず、患者さんの多くはネット上の情報から見つけるしかない。そのネット上の情報が、今のように野放しの状況で、かつ専門医のみ広告規制がある状態は非常に問題があり、一般歯科医においても広告規制の周知と何らかのペナルティーをさせるべきである。もちろん医療広告ガイドラインには中止命令や行政指導、罰金もあるが、未だ実施されたことはない。JAROのような機構を作るのも一つの手であるが、それ以上に日本歯科医師会、県歯科医師会で、自主的な指導や厚労省による開設取り消しなども必要かもしれない。おそらくは、過激な広告をしている歯科医院、一つを申し訳ないが犠牲になってもらい、厚労省からの指導、営業停止などの厳しいペナルティーを課せれば、一気になくなる。人間とは臆病な生き物で、ペナルティーがあれば、やめるものである。

2019年10月6日日曜日

ラグビーワールドカップで盛り上がる


 ラグビーのワールドカップ。開催まで盛り上がりに欠け、心配していたが、いざ始まると日本中が熱狂している。改めてラグビーの面白さを知った人も多いだろう。体と体のぶつかり合い、息つぐ間もない攻撃、大男に果敢にタックルする勇気、試合後のお互いの讃え合い。もともとラグビーとサッカーは兄弟であるが、その違いは大きい。

 私の伯父さんは、長崎の平和祈念像のモデルであった長谷川茂雄であることはこのブログで何度か取り上げた。東京高等師範学校卒業後、徳島県の脇町中学に赴任し、そこでラグビーを始めたのが四国で最初であった。さらに淀川工業高校、大阪府立大学の教授などをして、私が子供の頃は大阪府ラグビー協会の副会長であった。テレビのラグビー放送があれば、解説者として出ていたこともあったが、あまり喋りは得意ではなかった。伯父さんは変わっていて、よくご飯に砂糖をまぶして食べていたり、その茶碗を持ったまま寝ていたりした。今でいうナルコレプシーの傾向があった。私が小学校の低学年の頃、大学をそろそろ停年と言っていたので62,3歳くらいだったのだろう。髪の毛は黒々して、体も大きく、足は丸太くらい太かった。小さな家だったが、玄関から入った居間には全日本のユニフォーム、桜のジャージが各種のトロフィーとともに飾っていた。またミニカーの収集をしていたので、それも飾り棚に並んでいた。奥の間にはいつもコタツがあり、猫がいた。伯父さんが書いた油絵の肖像画、多分、伯父さんのお父さんの絵が飾れられていた。叔母さんに聞くと、この狭い家に、息子のターちゃんの同志社、近鉄の仲間である坂田好弘や青森出身の小笠原博もよく遊びに来ていたようだ。伯父さんは、年齢がいっても大阪の惑惑クラブでラグビーを続け、カナダ遠征などをし、三角形の奇妙なカバンをお土産に買ってきてくれた。

 ターちゃんは、同志社や近鉄でもポジションはセンターバックで、ペナルティーキックを担当していた。昔は今のようなサッカー式ではなく、ボールに対してまっすぐ後ろに移動し、足のつま先、トーキックでゴールを狙った。ターちゃんはキックの精度は高く、どこか忘れたが海外の大学選抜の試合でも失敗なく、何度もゴールを決めていた。うちに来た時には、ソビエト陸軍のミサイル戦車のプラモデルをお土産でくれて本当に嬉しかった。

 昔のラグビーは、どんな天候でも試合したし、けが人が出ても交代が許されなかった。そのために脳震盪で倒れると、マネージャが水の入ったヤカンを持っていき、倒れていた選手に水をかけるとスーッと立ち上がり、魔法のヤカンと呼ばれた。それでも試合中のほとんど記憶がない選手もいたほどで、今考えると危険であった。またウエールズやニュージーランドなどのナショナルチームは全てアマチュア選手であり、選手の何人かは医者であったため、倒れた選手がいれば、医者の選手がまず見にいき、様子をチェックした。日本の高校生は、現在でも試合中のヘッドキャップが義務付けされているが、これを発明したのが長谷川の伯父さんだ。大阪にあったラグビーメーカーのウシトラと共同してヘッドキャプを作った。これだけでもかなり脳震盪の予防には効果があると思う。

 昔、見た試合では、日本対ウエールズ戦が記憶に残っている。1983年でカーディフ・アームズパークの美しい芝生に驚いた。今でこそラグビーの試合といえば、芝生のグランドで行われているが、昔、花園ラグビー場はほとんど土のグランドで、カディーフのような綺麗な芝生のラグビー専門競技場はなかった。昔のラグビーではゴールキックの度に芝生を削ったりしたため、ラグビーの試合による芝の痛みがサッカーに比べて大きく、本来年間でもあまり試合ができない。秩父や花園も一応、芝のグランドであったが、あまりに試合数が多く、ほぼ土のグランドになっていた。

 今回のラグビーワールドカップではどの会場の美しく、芝も見事である。世界的にも優れた競技場であり、日本が登場しない試合でも多くの観衆を集め、これを見ただけで大成功であると確信できる。これを言っちゃいけないと思うが、サッカーの2002年、日韓ワールドカップも、当初の計画通りに日本の単独開催であれば、もっと歴史に残る大会であっただろうと悔やまれる。まだ大会半ばであるが、ラグビーの醍醐味を日本人に知らせるいい機会となったのは間違いない。高校ではラグビー部員が足りないところが多くなっているが、こうした大会をきっかけに是非入部してほしい。サッカーと違い、高校から始めても遅いということはない。日本代表の中にも高校から始めた選手がいるが、他のスポーツではこういう事はない。

2019年10月4日金曜日

今後、日本人はノーベル賞は取れない



 今年もまたノーベル賞の季節となった。医学生物学賞、化学賞、物理賞、文学賞、日本人の受賞者が出るか、期待される。

 先日、高校の同窓会のために神戸に行ってきた。久しぶりに多くの知人に会えて、楽しい集まりだった。皆、そろそろ会社や大学もリタイアの年齢になり、これからしばらくは関連の子会社に働くが、その後は年金生活だという。私のような歯科医や医師だけがまだまだ現役であるが、それでも70歳くらいでは引退したいと声が多い。63歳は今時まだ若いと言っても、健康寿命は後、10年くらいで、その後は寝たきりなど、何らかの障害を抱えて寿命を終える。海外旅行にしたり、好きなゴルフを思う存分できるのも、ここ10年くらいで、逆に70歳まで働くと、その後は、死ぬまで活動的なことはできなくなる可能性もある。

 同窓会で、大学で理学部の教授をしている友人と久しぶりに会った。彼の研究は多方面に渡っているが、物性などの基礎学問であり、彼の東大時代の恩師はいつもノーベル賞候補に名を連ねる。彼に今後の日本の科学、ノーベル賞について質問すると、かなり前途は厳しいようである。ことに博士課程の学生のポストがなく、予算も厳しいので、満足な研究ができないという。湯川秀樹の時代は鉛筆で物理学の研究ができたが、今や莫大な予算がなければ科学研究はできない。また少なくとも国立大学でいえば、助手など常勤のポストがなければ安心して研究に邁進することができないだろう。ことにノーベル賞の対象になるような基礎研究は、多くの失敗の中から生み出されるもので、成果が出るまでに多くの時間を要する。さらに日本では若者人口が減り、優秀な理系学生は大企業から引っ張りだこで、なかなかマスターまでは行っても、博士課程に行く学生は少なくなり、その後のポスドクの環境も厳しく、企業勤務に吸収されていく。この過程で、ノーベル賞を取るような優秀な若者は基礎研究から離れていく。また医学部の同級生に聞くと、今の若者は海外留学に関心がなく、日本国内の内地留学さえ拒否するという。昔は、欧米留学は全ての研究者、医師、歯科医も憧れたもので、少なくとも1年、できれば3年ほどは海外で生活したいと夢があった。ところが現代の若者は、教授がお膳立てをして海外留学を勧めても拒否されるという。

 中国やインドなどの若者にとってアメリカは憧れの国であり、優秀な学生はアメリカで研究する。それがアメリカのノーベル賞受賞が多い要因の一つであるが、そこに日本の若者はいない。日本国内での研究だけでノーベル賞は取れないことはない。ただアメリカなどの大学や研究機関で働くことは、世界中に多くの研究仲間を得ることになり、同時に多くの国際学会で発表することになる。日本人自身、国民性としてじっくり時間がかかる基礎研究は向いていると思うが、海外留学などのチャレンジ心も含めて、日本政府も本腰を入れないと、今後は日本人のノーベル賞も激減する可能性は高い。

 これは弘前大学だけかもしれないが、勤務する外国人教師の連絡は全て日本語で行われている。教授会の日程から研究予算の申告、授業のカリキュラムなど、全ての情報は日本語で発信される。もちろんこうした漢字も含めたメール文が一日に多く発信され、それを日本語が母国語でない外国人に理解されることは不可能である。こうした例、一つとっても、日本の大学の国際化は遅れている。すでにアジアでもシンガポールの大学では国際化が日本より進んでおり、将来的にはこうした大学で研究する学者がノーベル賞を受賞するかもしれない。日本は治安がよく、研究予算が十分にあれば、外国人学者にとってもいい国であるが、こうした大学の国際化の遅れが、優秀な外国人研究者、特にアジア圏研究者の招致を拒んでいる。

2019年10月3日木曜日

光ミュージアム 近現代日本画の軌跡

この絵以上に陳腐な作品であった(横山大観)


弘前博物館では、現在特別企画展として「光ミュージャム 近現代日本画の奇跡」を開催している。岐阜県高山市にある光ミュージアムのコレクションから、明治初期からの著名な日本画家の作品を展示している。

この時代の日本画家は比較的で好きで、興味があるため、本日、早速行ってきた。平日の2時過ぎということもあり、あまり来場者もなく、ゆっくりと観賞できた。光ミュージアムというのは世界真光文明教団の初代教祖、岡田光玉の業績を讃えるために作られた美術館で1999年に開館した。実際に誰が作品を購入したかは不明であるが、美術館コレクションとしては一般的な個人美術館に比べて作品テーマーが雑多で、今回の企画展もその傾向がある。

菱田春草などはいい作品であったが、巨匠、横山大観のものは大型の屏風も含めてつまらない。ことに昭和14年作の蓬莱山という作品は完全な駄作で、一瞬偽物ではないかと思ったほどである。川合玉堂の作品も横山大観ほどではないが、金があるんだったら、もう少しいい玉堂の作品を購入してはと思った。一方、美人画は、内容は濃い。上村松園は、あちこちの展覧会で見ているが、彼女の絵は本当に上手で、今回のコレクションの作品も見事である。特に明治35年作の「夏の夜図」は、線描が本当に細くて美しく、女性の柔らかい曲線を表現している。ただ昭和12年頃、年齢でいうと62歳頃の作品「美人之図」は顔部分で、綺麗に描かれているが、どうも着物部分の描写が太くなっていて、絵の雰囲気を壊す。他には鏑木清方や伊東深水の作品も見事である。

明治期の日本画の優れた作品は、ほぼ国立博物館や海外の主要美術館に収められ、また戦前の金持ちの個人コレクションとなっている。そのため横山大観でもいい作品は横山大観記念館などの収められていて、明治大正期の大観のベストな作品はあまり世にでない。足立美術館の横山大観、ことに戦後の有名な富士山の絵はあまり評価できない。一種のお飾りのような絵であり、芸術性は乏しい。もちろん横山大観は近代日本画のリーダーであり、その才能はすごいが、晩年、名を挙げると、人々が期待する安易なテーマー、富士山、蓬莱山などを書くが、これはつまらない。

ただ一つ、ものすごくびっくりしたのは、ほとんどの作品は掛け軸だったが、その表装は立派で、金がかかっている。最高の表装をしているようで、これだけは流石に展覧会作品と思った。実をいうと、うちにあるオークションで買った掛け軸もそこそこいいと思っているが、それでも表装だけは比較にならない。日本画全体に思うのだが、作品の名を隠して作品を評価、それもできれば外国人に見方で評価した場合、どうであろうか。もちろん今回の展示会の美人画の評価はかなり高いと思われる。外国人から見た日本人女性の典型がそこにはあり、その表現や描写法も西洋画とは全く異なり、中国やインドなどの美術とも違う、日本独自のものであり、見所はあり、それはコレクションとしても価値がある。



キャシュレス社会と銀行



 日常生活におけるキャッシュレスが驚くほどの速さで進んでいる。最初はマスターズやビザのようなカード払いが主体であったが、その後、交通機関にスイカが使われるようになり、スマホ時代になるとPay-Payのような本格的なキャッシュレスの世界となり、食事や買い物などに使われるのが普通になった。日常生活ではほぼキャッシュ、現金がなくても生活できる。それでも一部のところ、例えば歯科医院では手数料の関係で診療費のキャッシュレスはまだまだであるが、これももうすぐ使えるようになるだろう。

 さらには個人間の送金も、銀行や郵便局を介さずに全てアプリを使ってできるようになった。例えば、親が子供に学費と生活費を送る場合も、親のスマホから子供のスマホに時間を選ばず、自由に送金でき、それも子供は一切、現金化せずに生活費に使える(金額の制限があるが)。こうなるとこれまで郵便局や銀行がしていた業務のかなりに部分をスマホでできることを意味する。

 もともと銀行は、商売などをして稼いだ現金を銀行に預けることを一義とした。家に置いておくより銀行の大金庫に預けた方が安全だからである。そのため江戸時代の両替商は金を預ける費用をとった。その後、西洋式の銀行が入ってくると、預けた現金を、誰かに貸してその利益を得るようなシステムとなった。預金に利子をつけて金(現金)を集め、それに上乗せした利率で貸し出し、その差額を銀行の利益とした。ところが近年、その利子が低くなり、銀行は収益を得るのが難しくなった。そしてそれ以外の収入、送金などの手数料を上げて利益を得ようとした。ところが10000円の送金に手数料が300円もかかるようになると、もっと安いところ、例えばジャパネット銀行などのネットバンクを選ぶようになり、さらにはPayPayなどの個人間送金は今のところは手数料がかからない。こうなると銀行は敵わない。さらに現金支払い機そのものが必要なくなる。銀行はこうしたキャシュレスの慣れていない年配の方のみが利用するところになるであろう。そういえば、昔、三井住友ファイナンシャルグループの株を買い、その頃、株価は4300円くらいであったが、その後、その後、5000円以上になり喜んでいたところ、キャシュレス社会の勢いから最近では3700円くらいに低迷している。こうしたことからも将来的には銀行の役割はかなり減るだろうし、その存在も厳しい。

 一方、現金をほとんど持たないのが一般的となると、まず泥棒が減るだろう。彼らにすれば貴金属や宝石などを換金するのは足がつくため、基本、現金を狙っている。下見をして十分な準備をして家に侵入しても全く現金がなければ空振りで、商売としては成り立たない。同様に町のギャング、恐喝して“金を出せ”とナイフで脅かされても現金はない。お賽銭もスマホで払える神社や寺も出現しているようで、中国出張の多い娘に聞くと、中国、それも上海などの大都市は日本以上にキャッシュレスが進んでおり、現金はほとんど使わないという。紙幣は汚いし、偽札も多いとからという。

 レストランや食堂などでは、お客が食事代を現金で払い、店主はそれをまとめて銀行に持っていく。そして店主の生活費や材料代などは銀行に入金された金から払われる。これが現状であるが、これが全てスマホによるキャッシュレスになると、店主はお客の食事代をスマホで確認し、そこから材料代などを払う。全く銀行を介さずに全てスマホだけで処理できることになる。流石に家のローンなどは銀行で借りる必要はあろうが、今後の銀行は店舗、人員も含めてかなりの縮小が予想される。

2019年9月20日金曜日

懐かしのロードショー







 若い人は、映画解説者の淀川長治さんを知らない。亡くなってすでに20年、おなじみの“さいなら!さいなら!”というキャッチフレーズも懐かしい。彼の話し方には、微妙に神戸訛りがあり、長く東京で、中央で活躍していたため、ほぼ標準語であるが、時々、生まれ故郷の神戸のアクセントが出て、それが味のある語りとなっていた。

 1966(昭和41年)、日本で初めて映画の本格的なテレビ公開が始まった。それまで映画は映画館で見るものであったのが、タダでテレビで見られるのに驚いた。ただ子供の頃ではっきりしなかったが、平日の3時頃にお茶の間映画といった感じで、地味に名作映画を放送していた記憶がある。これが最初のテレに放送であったが、かなり昔の映画を流していただけであった。土曜映画劇場の放送の日、土曜日の9時頃だったか、家族揃ってテレビの前に座り見た。日本で最初に放送された映画は、「裸足の伯爵夫人」、ハンフリーボガードとエヴァガードナーの共演の1954年の映画で、その主題曲は今でも覚えている。内容は10歳の子供には難しくすぎたが、映画が終わると淀川さんが登場し、放送された映画の解説をして、土曜映画劇場のエンド曲が流れておしまいとなる。今では考えられないが、放送が完全に終了するまでじっと見ていた記憶がある。またこの映画はおそらく日本で最初に日本語吹き替えの映画だと思う。それまで映画というと、字幕が中心で、子供向けのディズニー映画などは日本語の吹き替えがあったし、テレビでもララミー牧場などのアメリカドラマは日本語の吹き替えであった。日本で初めて映画をテレビで放送するにあたり、字幕ではまずいと思い。吹き替えにしたのだろう。これ以降、映画俳優と専用の声優が出てきた。

 その後、だいぶ遅れて萩昌弘の月曜ロードショー、水野晴郎の水曜ロードショーなどほぼ毎日のように映画がテレビで放送されるようになった。最近では、“関ジャム 完全燃SHOW”のような音楽番組が登場し、専門家がミュージシアンの作品を詳しく解説し大変面白い。映画においても、こうした解説はより深く作品を鑑賞するためには必要で、漫然と見ていてはわからないことが多い。こうした解説、批評は、ネット上ではたくさんあるのだが、できれば昔のような映画評論家がポイントを話してほしいところである。
 そもそも、今日においては、毎週決まって映画を放送する番組は、地上波ではなく、BSシネマとシBSテレ東京のネマLINEUPくらいしかない。いずれもかなり古い名作を放送していて、新しい映画を見るのは、DVDかネットしかない。もちろん映画専門チャンネルもあるが、あまり一般的ではない。雑誌、ブルータスでも時々、映画特集があり、例えば“いまさら観ていないとは言えない映画”などの特集があったり、有名人のお勧め映画などが紹介される。もちろん解説もあるので、DVDをレンタルするときの参考にしているが、こうした試みはテレビでもできるだろう。BSシネマでは以前、映画監督山田洋次が勧める映画特集があり、面白かったが、こうした試みをもっとしてほしいし、さらに言えば、紹介者の解説も含めてほしいところである。

 全く話が変わるが、弘前レンガ倉庫美術館がいよいよ開館する。とても楽しみにしているが、このブログでも何度も取り上げたが、是非とも夏の野外シネマをしてほしいところである。調べると大型のスクリーン、プロジェクター、映画のレンタルなど上映の一式は、ダスキンなども手がけていて、金さえ出せばそれほど面倒ではない。おそらく野外用のスクリーンと映画上映権くらい借りれば、他のプロジェクター、アンプ、スピーカー、電源、テントなどは文化センターなどの他の市の設備を活用できよう。キッチンカーや移動店舗などを会場の周辺に集め、入場は自由にすべきである。希望としては、美術館にふさわしいフランス映画。弘前の恋人たちが美術館前の芝生に座って映画をみる。
1.     ロシュフォールの恋人たち
2.     シェルブールの雨傘
3.     男と女

他には
1.     ある日どこかで
2.     フェリニーのアマルコルド
-->
3.     パリの恋人



2019年9月18日水曜日

弘前の地図は西を上




 地図といえば、上が北になっているのが常識で、それ以外の地図はほとんど見かけない。欧米の地図が北が上むきになったのは16世紀頃からで、北極星、あるいはそれを表すコンパスの北を上むきにした地図がわかりやすいという理由である。それまで、必ずしも北が上とは限らず、古代エジプトではナイル川の上流を上にしていたので南が上となり、中世のヨーロッパの地図は東を上とした。日本でも明治時代以降、西洋の測量技術を学び、地図もそれに倣って北を上にするようになった。

 明治以前の日本地図(絵図)を見ると、日本全図、藩領絵図など、縮尺の小さいものはほぼ北が上になっているが、城下絵図など、縮尺の大きなものになると必ずしも北が上というルールが守られていない。

秋月御城下絵図(文政2年)     東が上
高松城御城下絵図(文化年間)   南が上
宇和島御城下絵図(元禄16年) 南東が上
萩御城下絵図(慶応元年)     北が上
奥州仙台城絵図(生保二年)   北が上
徳島御城下絵図(享保12年)  西が上
福岡御城下絵図(安永6年)   北が上
若松城御絵図(安政元年)    西が上
桑名城下絵図          南が上
郡山城之城下絵図        西が上
正保城絵図
南部領盛岡平城絵図           西が上
出羽国秋田郡久保田城絵図    西が上
出羽国米沢城絵図        東が上
相模国小田原城絵図       西が上
播磨国明石城絵図        南が上
備前国岡山城絵図        北が上
美作国津山城絵図        南が上
安芸国広島城          北が上
出雲国松江城絵図         南が上
豊後国日出城絵図          北が上

ざっと調べても、城下絵図の方位はまちまちで、同じところでも時代により違うこともある。江戸時代の絵図製作者には北が上という観念はなさそうである。

 弘前藩でいえば、大体の絵図は西が上となっている。これは城下に住む人々にとって、どこからでも見える岩木山が西にあるからで、ここを上にするのが感覚的に合っている。また西方向に弘前城があり、町割りも東西のラインを基軸に、南北に分割している。通常の弘前市街地の地図では弘前城が左にあるが、どうも体感と合っていない。むしろ弘前市の観光案内マップやパンフレットは、独自に西を上、弘前城を上にした地図で統一したら面白い。何も北を上にする必然性はなく、体感にあった地図といては弘前の場合は西が良い。

 江戸時代の絵図では、基本的には山が上、海が下になるため、江戸の絵図では弘前と同じように西が上となっていて、富士山、江戸城が上で、江戸湾が下となる。この西が上という感覚は、東京に行くとなるほどと思うが、江戸時代は今と違って、富士山がもっと見えたはずで、富士山の方向が概ね西と感じ、また街の作りもそうなっていた。

2019年9月15日日曜日

弘前忍者屋敷 隠れ部屋について

旧伊東家 床の間 この裏に納戸がある
旧伊東家、平面図 床の間の裏の納戸(縁側から入る)

対馬家の前に住んでいた佐藤家の平面図、床の間の裏に納戸がある

旧岩田家、ここの床の間の裏にも納戸

 うちの家内が、ニュースで弘前の忍者屋敷の写真を見て、これと同じような小部屋が実家にもあったと言っていた。私が弘前に来た当時、この家に23年住んだが、古い家で、おそらく家内の曽祖父が作ったようで、明治初期から中期頃に建てられたものである。昭和になって、増築されたが、母屋は8畳の部屋が3つ並んでいて、土間から出入りするようなっていた。残念なことに十数年前には壊された。

 この家の一番奥が仏間になっていて、大きな仏壇と床の間が並んでいた。そして仏間の横には庭に通じる縁側があるが、そこに“ふろ”と呼ばれる長持(衣装ケース)を入れる納戸があった。仏壇と床の間の裏に当たる。幅70cm、奥行き180cmくらいの長持がそこに置かれて着物などが入っていた。家内に言わせると、暗い空間で、長持が棺桶のように見えて気持ちが悪かったようだ。この隠れ物置の幅は80cmくらいで高さは2m、奥行きも2mくらいの幅の狭い小部屋で、あくまで長持を入れるためのスペースだった。

 通常、床の間は奥行き45cmくらいであまり奥行きが広いものではない。うちの家の和室も床の間、物置と並んでいるが、物置は布団を入れるために奥行きが90cmは必要で、床の間との奥行きの差は、床の間を二段にすることで解決している。それでも床の間の幅が180cmあるので何とかバランスが保たれているが、床の間の幅が90cmしかないと掛け軸などが奥まって見えなくなり、床の間の意味がなくなる。

 こうして考えると、弘前の忍者屋敷の謎の空間、床の間後ろの空間は、何かを入れるための物置、納戸だった可能性がある。発表によると、この隠れ部屋は幅0.6m、奥行き1m、高さ2.1mとなっている。床の間の幅は狭く30cmくらいであり、物置(奥行き90cm)に、床の間を合わせるために後ろに部屋を作ったのだろう。家内の実家では縁側に通じた同じような納戸に長持を置いたが、忍者屋敷の隠れ部屋には幅が狭く、長持ちは置けない。他の何かを置いたのだろう。行李や箱膳、刀箪笥などは置けたであろうし、記事にあるような薬を作っていたのであれば、そうした材料を入れておいた可能性もある。

 縁側に面した床の間の裏のスペースについては、若党町にある旧伊東家にもあるし、対馬家にも同様な納戸がある(旧伊東家住宅、対馬家保存修理工事報告書、昭和58年)。もっと大きなスペースで扉も付いているが、長持や武具などを納めた納戸で、江戸時代の津軽の伝統的な配置なのかもしれない。

 家内の曽祖父は岩木神社などの建築にも参加した大工で、明治に自分の家を作るにあたって、津軽の伝統的な設計に準じていたであろう。幕末に建てられた弘前の忍者屋敷もこの流れに沿う、床の間、物置の配置であろう。この隠れ部屋に忍者が隠れて、来客者の会話を聞いていたという話はロマンスがあるが、幕末期に建物に、こうした空間をわざわざ作る必要性はない。隠れ部屋というのは、そもそも誰かが来て、それから隠れるための部屋であり、縁側に開放しているのでは、意味がないし、来客も少ないような家にわざわざ盗聴用の部屋を作る必要もない。

 縁側に向いた床の間の裏の部屋が、忍者屋敷の証拠であれば、家内の家もそうだと言える。こうした類型は、家内に指摘されなくても、津軽の古民家の専門家や、文化財保存の専門家は知っているだろうし、あるいは歴史学者からすれば忍者屋敷でない根拠も挙げられるだろう。マスコミにすれば、こうした興味深いテーマは注目するが、きちんと専門家にも取材して、その真偽を確かめる必要があろう。

 津軽の忍者屋敷?については所有者が、維持できず、取り壊しの可能性もあるという。幕末頃の建物と推定され、改修の程度がどの程度なのか、不明であるが、忍者屋敷ということを外して、家そのものが保存に値するかは、微妙である。若党町にあった笹森家、笹森順造、笹森卯一郎の実家、笹森要蔵の家は、東奥義塾、長崎鎮西学院にとっても重要な家であり、江戸後期くらいの家であるが、今は完全に取り壊されている(保存されているか不明)。保存、移築には大変な金がかかる。古い建物を残すというは大事であるが、観光資源、あるいは歴史的価値があるかという観点から十分に検討すべきであろう。

若党町 笹森要蔵、卯一郎、順造の実家 今はもうない

2019年9月12日木曜日

フィルムカメラのブーム

F4 ボディーだけだと7000円くらいで買える


 スマホのカメラ機能が発達し、もはやカメラそのものの存在が危機に瀕している。私もシグマのDP1SDクアトロ、ソニーのRX100、フジのX10の4機種を持っているが、普段はアップルのi-Phone XRを一番多用するし、写りも悪くない。写真をそれほど好きでなければ、スマホで十分であり、あえてカメラを持っていく必要は全くない。それでもシグマのSDクアトロの圧倒的な描写力をスマホに求めることは容積的にも難しい。

 個人的には、非常に特殊なものであるが、シグマのカメラに惹かれる。この会社のカメラは独特な色合いを持ち、その描写はもはや現実の風景、人物を写すというものではなく、自分の目で見えない、違った世界を切り取っているような感覚を思える。通常であれば、実際に見た景色が写真に再現されるが、シグマのカメラは、デジタル現像してみて初めて全く見たこともないような景色が出てくるので驚く。最近では、このカメラの癖を知り、何もない水面や落ち葉、石、枝など現像後の画面を計算して写真を撮ることがある。今度は、シグマfpという小型のカメラが発売されるようで、動画向けのカメラなので期待している。

 もう一つ、驚いたカメラがある。ソニーのRXシリーズで、このうち最もベーシックなのがRX100である。私は確か35000円くらいで購入したが、2012年に販売されたとは思えないほど、性能は良い。最新のもの、RX100M14万円以上するので、それに比べてRX100はかなり安く、お勧めである。大きさも小さいので、旅行などスマホ以上に美しく撮りたいと思う人にはお勧めカメラである。

 前までフィルムカメラとして、ミノルタの名器、CLEを持っていたが、三年ほど前にシグマのSDクアトロを買うときに下取りに出した。確かロッコール40mmレンズ、フラシュ付きで21000円くらいで引き取ってくれた。最初の査定では18000円なので少しは高くしてもらった。そのころは、フィルムカメラはほぼ全滅状態で、店員さんにもミノルタCLEなので下取りしたが、他のものはライカ以外、値段がつかないと言われた。街のカメラ屋さんも次々と廃業し、フイルムカメラを現像してくれるところがなくなった。暇のときに中古カメラ屋さんのウインドーを眺めていたが、ライカも含めて驚くほど値段が安かった。それでも流石にフィルムはもう使いようがないと買うのは躊躇われた。

 病院では、開業以来、25年近く、患者さんの顔面写真と口腔内写真をポジフィルムで撮ってきた。最近では、ポジフィルムの価格も上がり、現像料も高く、さらに弘前から頼むと現像に1週間以上かかる。それでもデジタルカメラと併用して使っていたが、ついにカメラが故障して、デジタルに切り替えた。かなり頑張った方である。ところが36枚のポジフィルムを10本単位で買っていたのが、5本ほど余っている。メルカリで売ろうかと思ったが、やり方がわからず、安いフィルムカメラを買って使ってやろうと考えた。

 となると昔、欲しかった小型のフィルムカメラ、コンタックスのTシリーズ、ミノルタTC-1、ニコン35Tiなどが候補となる。三年前の感覚で言えば、2、3万円くらいで買えそうだと思ったが、これがネットで調べると意外に高い。コンタックスの名機T278万円する。ミノルタCLEも含めて主として小型フィルムカメラがかなり高くなっている。ここ1、2年に若者を中心に自分たちの全く知らないものとしてフィルムカメラが人気を集めているようだ。20歳の若者にすれば、フィルムカメラなど全く触ったこともないものであり、レトロ感満載である。ネットでフィルムを送れば、現像とデジタル画像を作ってくれるようなサービスも増えており、便利になっている。

 ここでフォルムカメラ最高のものと言えば、おそらくNikonFのシングルナンバーであろう。ニコンのフラッグシップとしてF3は有名だが、さらにF4F5と続き、デジタルカメラに移行した。F4からのオートフォーカスになり、F5からはダイヤル式からボタン式になった。ニコンのFシングルは耐久性も高く、今でも十分に撮影できるだろう。このFシングルが重くて、操作しにくいために、若者に人気がなく価格は暴落している。ボディーのみだとF3F41万円以下である。発売当時、20万円以上したカメラが今では数千円になっており、これは完全の暴落で、せっかくフィルムカメラを買うなら、小型フィルムカメラをやめて、憧れのニコンのFシングルにしようと思っている。


2019年9月8日日曜日

韓国の徴用工問題を考える



 韓国の徴用工裁判の判決では、三菱重工など日本企業に一人当たり1億ウオン(約一千万円)の支払いを命じる最高裁判決が出ている。これは当事者のみ出なく、その子供にも当てはまる。また慰安婦問題では、平成十四年にはアジア女性基金から一人当たり韓国では500万円、さらに平成28年の慰安婦財団から一人当たり約一千万円が支給されている。これらは生者とその子供への支給額であり、いずれも一千万円以上の支給となっている。交通事故などの保険金は一億円以上になるのを考えると決して多い額ではないが、それでも慰安婦、徴用工とも従事した時には、一応、給料は払われ、未払金は1965年の日韓基本条約で解決しており、この一千万円はあくまで慰謝料ということである。額としては安くはない。

 一方、韓国はその開国から、多くの国民の命を政府の弾圧で奪ってきた。例えば、朝鮮戦争中に起こった韓国国内の共産党シンパに対する虐殺、保導連盟事件では60万人から120万人が虐殺されている。また済州島四・三事件では島民の6万人が虐殺されている。これは韓国政府も認める韓国人、韓国政府による韓国国民への虐殺である。もちろんその全責任は韓国政府にあり、盧大統領、文大統領もその事実を知り、陳謝している。ただ寡聞にして、これらの犠牲者に対して、韓国政府がそれなりの賠償金を払ったということは聞かない。おそらく慰安婦や徴用工などの生者に対する賠償金は一千万円を超えることを加味すると、虐殺され、一家の主柱である父、兄を亡くした家族への賠償はそれの数倍になるだろう。一人3000万円とすれば、100万人で30兆円となる。さらに韓国軍はベトナムで女性を妊娠させ、その混血児の問題、いわゆるライダイハンに関しても韓国大統領による陳謝はあるものの、賠償金の支払いはない。

 2000年代始め、盧武鉉大統領は徴用工を含む太平洋戦争被害者遺族に2000万ウオン、生存者には月8万ウオンを払うことにした。当初は遺族に対しては5000万ウオンの予定であったが、大統領はこれを再戻し、2000万ウオンに下げさせた。日本円で200万円くらいであり、また年金額も月8000円、あまりに安いので被害者が今度は日本企業相手に訴訟を起こし、1億ウオンの賠償金を勝ち得た。要は賠償金の出し惜しみが今の訴訟に発展したのだ。さらに被害者に対して、韓国政府は2000万ウオンを出したからと相手にされず、日本からの資金により大会社になったボスコも2014年に日帝強制動員被害者支援財団を発足し、100億ウオンの出資をしたが、結局財団の理事に食い荒らされ、被害者の支援を行なっていない。

 1980年に起こった光州事件では軍による発泡で、170人の死者、3000人の負傷者が出たが、その補償金は総額で2297億ウオン(約230億円)であった。負傷者に500万円、死者に1000万円の補償金で、額としては多い。

 日本でも最近のハンセン病患者の家族に対する判決で、一人当たり33万円から143万円の賠償金の支払いが命じられたが、こうした判決では、賠償金の多寡よりは政府がその過失を認め、名誉を回復することに重点が置かれている。訴訟の多い、アメリカでも日系アメリカ人に対する戦時下の強制収容に対しては生存者に対する一人当たり2万ドルの賠償金で決着した。これも同様である。

 こうしてみると、現在の徴用工問題は、1965年の日韓基本条約だけでなく、その後の盧武鉉大統領の補償ですでに解決しており、国際法だけでなく、自国の政策にも矛盾している。

 戦争末期、ほとんどの日本人男性が兵隊にとられ、兵器製作などに従事する人がおらず、戦時動員として女学生などが軍需工場で働かされた。空爆により亡くなった生徒も多いが、基本的には家庭からの通勤であった。青森や鹿児島の少女が集団で2年間の契約で都市部の軍需工場に住み込みで働くようなことはなかったのでは。ところが朝鮮では、金を稼ぐという目的にしろ、500人以上の少女が朝鮮から富山の不二越工場でやってきて、働かされた。徴用工については、日韓基本条約で解決済みではあるが、個々の症例で、朝鮮人への差別に基づく日本人ではあり得ないことがなされた場合では、日本企業、韓国企業、そして韓国政府で保障すべきなのかもしれない。

2019年9月4日水曜日

未来の地球 SF「三体」から



 お盆休み、どこも行くこともなく、家で本を読んでいた。「三体」(劉慈欣著、早川書房)、大部の作品であったが、面白く一気に読めた。内容については割愛するが、中国のSF史上金字塔となるものであるのは間違いなく、作品の規模の大きさは桁違いで、さらに後2巻あるようなので、楽しみである。

 この本の中では、異星人が地球を乗っ取ろうとするが、輸送機が地球に到達するまでの450年、地球が今の流れで急速な科学発展をすると、異星人が到着する頃には、それを阻止するだけの高度な科学発展を遂げている。そのために何とかこれ以上、地球の科学発展を阻止するために、最小単位である陽子に人工頭脳を入れる奇想天外のものを発明し、前もって光速で地球に送り込む。

 科学の発展には、ブレークスルーと停滞がある。ブレークスルーとは、これまでの概念とは全く異なる新たなもの、例えば、インターネットのようなものである。インターネットの概念は1960年代からあったが、1990年から2000年頃に一気に広まった。コンピューターや携帯電話でもそうであるが、概念と初期製品が出来てから、二十年くらいはそれこそ毎年、性能は2倍、価格は半額という急速な進歩が見られるが、その後は、停滞期となり、進歩の速度は鈍ってくる。

 船でいうと、もちろん年々新たな技術は開発されているが、タイタニック号ができた1910年頃から大きな進歩はない。タイタニック号が乗客乗員3200名、23ノットに対して。2010年に建造されたクインエリザベス号は2000名の乗客を23.7ノットで運ぶ。燃費や操船方法、レーダーなどの機器は雲泥の差があるが、それでもカタログ上の基本スペックからいえば、この100年間に大きな差はない。同様に1930年代のアメリカ車は十分に今でも使えるし、1935年初飛行のダグラスDC3はまだ少数ながら現役で飛んでいる。

 家の設備見ても電化製品以外では、床、壁、窓、屋根などの基本構造はここ数千年変わっておらず、もう少し上位の生活品、椅子、ベッド、机なども千年単位で変化していない。さらに電化製品を入れたものを見ると、テレビ、冷蔵庫、洗濯機なども発明されて数十年単位は経っている。逆にここ20年で、それまで概念もなかった新しいものといえば、コンピューターとインターネットくらいのものである。携帯電話そのものは電話の概念の延長である。それ以外は、概念、製品としては停滞したものと言えよう。

 衣料に至っては、人間が服を着るという概念自体、20003000年前からあり、ある意味、それほど変わっていないし、食にしても同じである。昔のSFでは、未来の食事は宇宙食のような液体あるいはペースト食になるように描かれていたが、何の事はない、あいも変わらず肉や魚を食い、むしろ以前より食のレパートリーは多くなった。

 こうしたことを見ると、スティーブ・ジョブスや山中伸弥さんのようなブレークスルーを作る人がなくなれば、人類の進歩はかなり緩やかなものになると思われる。人間がサルとは違うことの一つに創造的存在であることであり、世界中の情報を瞬時に見たいという欲求、想像がインターネットを生み出し、鳥のように空を飛びたい夢が飛行機を作った。ただこうした夢、想像がなくなった瞬間に、文明の発達は停止すると思われ、そうした意味では、癌の撲滅など一部の叶えない夢があるが、夢そのものがなくなる停滞期にそろそろ突入してきたのかもしれない。百年後の社会、それは今とあまり変化はないかもしれない。
  

2019年9月3日火曜日

小児反対咬合を健康保険化へ 提案



 上下の前歯が逆である反対咬合は、不正咬合の中では、一番、機能的な問題を有する。まず自分でアゴを前に出してみてほしい。前歯が徐々に逆になっていくが、その状態でうどんを食べてみよう。箸でうどんを口に運ぶ際、前歯である程度小さくカットして喉に送る。これが前歯が逆だと、前歯で物がかみ切れず、直接、奥歯にうどんを持っていくしかない。非常に不便なものである。反対咬合の患者さんに聞くと、うどんや蕎麦を食べる時には、前歯で咬まないで直接、奥歯にうどんを運ぶようである。感覚的には正常咬合者に比べるとかなり食べる効率が悪い。昔、研究した咀嚼能力の研究では、正常咬合者に比べて反対咬合患者では咀嚼能力が10%程度低く、矯正治療して正常咬合者のレベルまで戻ることが示された。実際、前歯を主に使う咀嚼では、これ以上に大きな差があると思われる。成人の外科的矯正を行った反対咬合患者に聞くと、手術直後は顔貌の改善を一番満足するが、しばらくすると慣れてしまい、それ以上にものを咬む時の効率、つまりかみやくなったことを喜ぶ。

 反対咬合の発生頻度は、3-4%と言われ、学校の一クラスに一人か二人いることになる。まあまあの頻度であるが、下あご、下くちびるが出ているために、人から反抗的に思われたり、機嫌が悪く思われたりする。またクラスの友人からあごが出ていることをからかわれたりもする。こうしたこともあり、他の不正咬合に比べても矯正治療を受ける割合は高いが、保険がきかないためにそれだけ経済的な負担となる。一方、経済的に厳しい家庭では、自分の子供が反対咬合であっても高額な治療費が必要なために断念することも多い。実際、大人になって手術を受ける大人の反対咬合患者に聞くと、こうした家庭の経済的な問題で小児期に治療を受けられなかったという。

 白人に比べて短顔タイプのアジア人では反対咬合の頻度が高く、多くの症例を持つ日本の反対咬合の研究、治療法が世界でも最も進んでいると言える。小児期から始める反対咬合患児の早期治療については、未だ議論の分かれるところであるが、20年前に行われたシンポジウムでは、永久前歯が生えるころ、年齢で言えば、7から9歳頃からの早期治療、一期治療の必要性はコンセンサスが得られており、その時点で前歯部の咬合の改善などの治療介入が有効と考えられている。そして、成長の終了した時期、高校生頃に外科的矯正も含めた最終的な治療を行うことが勧められた。

 成人の反対咬合では、外科的矯正となる割合は高く、私のところでの結果では、10人の患者のうち9人くらいが対象となる。歯の移動だけで治すケースは少ない。逆に反対咬合にため小児から矯正治療を受けている患者で、外科的矯正になる確率は50人に一人くらいで割合は低い。つまり早期に治療することで外科的矯正を避けられる可能性がある。
 現在、骨格性反対咬合などに対する外科的矯正治療は健康保険の適用となっている。咀嚼能力、発音など障害を持つためであるが、早期の治療により、こうした治療が回避できるなら、小児期の反対咬合の矯正治療も健康保険の適用とすべきである。それにより経済的に厳しい家庭においても子供の反対咬合の治療が可能となる。

 また矯正歯科医にとっても、反対咬合が健康保険に適用されることで助かる。私は現在、63歳で、70歳くらいで引退したいなあと思っているが、そうなると67歳の反対咬合の患者さんは断っている。なぜなら反対咬合の治療には少なくとも成長終了まで見ていく必要があり、後10年以上は見なくてはいけないからである。そうしたことはできそうもないので、断っている。もし保険適用であれば、他の矯正歯科医に転医するのは費用的な点では容易となる。こうした長期の治療が必要なケースであればあるほど歯科医にとっても保険適用はプラスとなる。またすでに30年以上前から口蓋裂患児に対しては、矯正治療の保険適用されており、一般の小児反対咬合患者に対しても保険点数も含めて、システムをそのまま適用できる。

 あとは国の予算だけであるが、小児の反対咬合の治療で、外科的矯正の頻度が減るなら、結果的には小児の治療費は増えても、成人の治療費が減ることになり、大きな出費とはならない。小児の不正咬合、とりわけ反対咬合は先天性のものであり、機能的な問題(咀嚼、発音)があり、その治療にあたって矯正治療以外の代替わり治療はないことから、是非とも保険適用にしてほしい疾患である。