2019年11月7日木曜日

弘前れんが倉庫美術館 奈良美智

          
             斎藤義重
小野忠弘



佐野ぬい

天野邦弘


  YUKAKO

GOMA

 桜田弘前市長が、定例会見で、弘前れんが倉庫美術館での開館記念展に奈良美智さんの写真を中心とした作品を展示することを発表した。奈良さんは2015年の夏に美術館整備のアートアドバイザーになったが、翌年1月には役所のやりとりに時間が取られ、自身の制作がないがしろになっていると辞任した。その後、弘前市と奈良さんの関係はどうなっているか、気になっていたが、今回の報道で、高校の同級生である桜田市長の展示要請があったために、ようやく開館記念展に作品を出すことになったようだ。市長の個人的な要請がなければ、奈良さんの作品は展示されなかったことになる。時間的な問題でアドバイザーを辞任したとのことであるが、こうなるともっと深刻な決別理由があったのだろう。

 もともと弘前れんが倉庫美術館の発想は、奈良さんが弘前市民およびgrafと協力して吉野町煉瓦倉庫で行った三回の展覧会にある。私は三回とも行ったが、未だこれほどの展覧会は経験したことはない。一つは煉瓦倉庫自体の魅力で、内部の匂い、空間の時代性あるいは、最後の”A to Z”では二階も展示スペースに使ったが、床が抜ける危険性があるため、階段の下で係員が人数制限をしていたこと、こうした些細な記憶が残る場所であった。さらには、煉瓦倉庫の大きな空間に奈良さんのイメージする街をそのもの作り、独特な空間を市民とともに作ったし、費用の一部は寄付で賄った。そのために作品制作期間も含めて市民の関心は高かった。さらに会期が始まると、町中が奈良さんの展覧会一色となり、それを目指して、本当に全国から多くの若者が集まった。これほど弘前の街に若者が集まったことない。

 こうした煉瓦倉庫での奈良さんの展覧会の大成功が、弘前れんが倉庫美術館の始まりだったと思う。それゆえ、美術館建設の趣旨にも“コミッションワーク(依頼制作による恒久展示のアート作品)”を中心とした内容と書かれていたため、勝手に奈良さんの作品を中心とした”A to Z“のようなものが展示されると期待していた。ところが今回の記事を読む限り、20161月に奈良さんがアドバイザーを辞任してから、美術館と奈良さんとは作品展示も含めて一切無縁になった。もちろん奈良さん本人は出身地の思い出の場所に新しい美術館ができることは嬉しかったし、協力したかったのだろう。ただ弘前市の関係職員か、あるいは運営を任されている”弘前芸術創造“、”Nanjo Associates”(南條史生)との決定的な仲たがいがあったのだろう。むしろ早い時期から館長を決め、grafや立木祥一郎さんなどと組んだ方が良かったのかもしれないが、全国的な実績があるN&Aに運営を任せたのだろう。

 弘前は多くの現代美術アーティストが生まれた街で、奈良美智さん以外にも、現代絵画の小野忠弘さん、女子美大学長であった佐野ぬいさんや多摩美大の斎藤義重さんがいるし、また版画家の天野邦弘さんもいる。また若手ではNYで活躍するYUKAKOやアウトサイダーアーティストのGOMAさんと特別支援学校生徒との共同作品も素晴らしい。弘前大学教授だった村上善男さんも挙げてもいいし、さらに世界的に注目されている田中忠三郎コレクションのBOROやこぎんを現代美術の範疇に入れても良い。また今回の開館記念展にも出展する中国人アーティスト、潘逸舟さんは9歳から18歳まで弘前に居住し、多くのアーティストを生んだ弘前に感化されたのかもしれない。金沢21世紀美術館や十和田現代美術館のように世界中から現代美術の作品を集める必要はなく、奈良さんの作品を中心に十分に地元出身の現代美術アーティストだけで美術館が成立する。それゆえ、当初のコンセプト、奈良さんの煉瓦倉庫で行なった展覧会の延長にある美術館、がどこで変質してしまい、別物の美術館ができようとしている。おそらく美術館の運営を東京の会社に丸投げしたことが大きな要因で、彼らには地元愛はない。また本来、新美術館の開館は市民にとって待ち遠しいものであるが、未だに盛り上がっていない。一つにこれまでの奈良さんの展覧会に協力したNPO法人harappaや弘前市民に対して美術館から積極的協力を求めなかったことがある。唯一、ミュージアムロードに名前を残しませんか、という市からの案内があり、レンガに名前を入れてもらうもので、半年前にすぐに申し込んだが、未だに何の連絡もない。

 来年の春に開館ということで、すでに8名の現代美術アーティストによる開館記念展が決まっている。個人的には開館記念展には“Beyond A to Z”、奈良美智の特別展くらいを考えていた私にとっては期待はずれではあるが、どうか早く優秀で力のある館長を見つけ、自主路線に向かって欲しいところである。美術館本体は非常に魅力的であり、後は全国、世界から見学者が弘前に来る内容を目指して欲しいし、生まれ故郷を若い人にも魅力のある街にするために、苦い経験もあろうが、是非とも奈良美智さんに協力して欲しい。

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