2022年5月19日木曜日

アライナー矯正の乱立

 


昨日、今日と「キレイライン」と言うマウスピース矯正治療を受けた、あるいは話を聞きに行った患者が新患として来た。

 

 

一人は、簡単で費用も比較的安いキレイラインのことをネットで知る。青森県でしているところを調べるとむつ市にあることがわかり、わざわざ車で3時間かかけて、みてもらったと言う。下の前歯が二本なく隙間が開いていて(先天性欠如)、上の歯がでこぼこしている。キレイラインで治ると言う。

 

もう一人は、でこぼこがあるため、仙台で1年間、キレイラインにより治療を行い、少しよくなったが、これ以上治らないですかと聞くと、はいそうですと言われ、治療をやめたと言う。

 

まず、最初の症例で言えば、主訴は“上の前歯がでこぼこしている”、“下の隙間が気になる”であり、マウスピース矯正でも上のでこぼこは治るし、下の隙間も閉じるであろう。ただ素人考えても上の前歯を前に出してでこぼこをとり、下の歯を中に入れて隙間を閉じ、奥歯の関係が正常なら、出っ歯になることはまともな頭を持っている人ならわかるはずである。確かに主訴は治るかも知れないが、新たな不正咬合“上顎前突”を作るだけである。おそらくここで治療し、主訴が解消しても、今度は出っ歯になり、その治療を要求しても治療してくれないだろう。上の小臼歯を抜歯して、マルチブラケット装置で治すべきである。次のケースについても、でこぼこだけでなく、口唇の突出感もあり、小臼歯を抜歯してでこぼこの解消だけでなく、前歯を中に入れる必要があり、とてもキレイラインで治る症例でない。

 

いずれの症例も小臼歯の抜歯とマルチブラケット装置による約2年間の治療を要し、とてもでないが、非抜歯、キレイラインで治る症例ではない。それでは、なぜ、この二人の先生はキレイラインで治ると言ったのであろうか。

 

一番考えられるのは、こうした先生は、矯正治療のゴールがわかっていないのである。世界中の矯正専門医のゴールはほぼ決まっている。ある意味、矯正治療というのは、上下の顎の関係によっても違うが、理想的な顔、上下の歯の関係、上下の歯のかみ合わせなどがあり、それを達成するものである。日本で専門医試験に合格する症例がアメリカやヨーロッパの矯正専門医の試験にも合格するのは、ゴールの基準がほぼ同じであるからである。もちろん人種差があるが、審美的観点からは世界中の基準は収束しており、特にアジア人、黒人では口元が出ていて、それを引っ込めることが多くなる。日本の矯正歯科医の多くは、大学でこうしたゴールを学ぶため、どうしても口元の突出感が気になる。一方、一般歯科医の多くは、治療のゴールについて知る、あるいは学ぶことはなく、でこぼこがなくなり、かみ合わせがよくなれば良いと考えるが、アジア人の多くは口元が出ているのを嫌う。欧米人のような口元が中に入っている顔を選ぶため、どうしても抜歯症例の頻度が高くなる。

 

つまり一般歯科医では矯正治療のゴールが明確でないため、でこぼこが治れば、治療を成功したと感じるため今回の二症例においても小臼歯を抜歯して治療をするという発想はない。歯科大学の学生教育でも、こうした美的なゴールについてきちんと教育しなかったせいかも知れない。私も小児歯科にいた時は、あくまで歯のでこぼこを中心に見てきたため、口元の突出感という観点はなかった。矯正歯科専門医であれば、初回検査で、今の前歯の傾きはこれくらいで、抜歯して治療すれば、8mmくらい歯が中に入り、それに伴い口元もこれくらい中に入るとシミレーションできる。また治療途中にも必ず検査を行うので、順調にゴールに向かっているのか確認できる。ところが初回検査の時にレントゲン撮影(セファロ)しなければ、そもそもゴール自体がわからない。そのため、インビザラインやキレイラインで治療する場合も、必ずレントゲンの検査結果を確認し、標準値に比べてどの程度、出ているのか、あるいは治療後にどの程度下がるかを必ず聞いてほしい。先生自体、治療ゴールがはっきりしていないので、ここで患者さんからゴールを確認するのである。

 

もしレントゲン写真(セファロ)を撮らないで治療を開始しようとするなら、そうした医院での治療はやめた方が良い。あるいは先生に、どうしてセファロ分析をしないのですが、口元が出ている、歯が出ているかを数字で客観的に見るのはセファロ分析しないとできないのでは、と尋ねてください。歯科大学の学生教育でも習ったはずである。さらにこうしたことを最初にきちんと確認しておくことは、もし治療が始まって2年経っても口元が下がっていない、逆に出ている場合は、もう一度、レントゲン検査を要求し、初回検査時のそれと比較してもらってください。そうした場合、おそらく小臼歯抜歯が必要となるので、治療計画を変更してもらうことになる。これ以上の治療は無理と言われたなら、契約不履行として治療の達成度に準じて返金を要求してほしい。おそらく、でこぼこが取れた段階であれば、日本臨床矯正歯科医会の基準でいえば、レベリング終了段階で、返金は治療費の60-70%となる。ただ最初、口元が8mm下がると言われ、実際6mmしか下がらなかったのは、必ずしも契約不履行とはならないことは理解してほしい。あくまで8mm下がると言っておきながら全く変化ない、あるいは逆に出ている場合である。あくまで天気予想で、晴れと予測をしても一部曇りになることはある。

 

PS:ヤマト運輸がマウスピース矯正治療に参入したというニュースを聞いた。まんまとアメリカ帰りの医者にそそのかされたようである。矯正歯科産業は、3000億円の市場と言われ、多くのマウスピース矯正法が乱立しているが、いずれもここで紹介したキレイラインと同じで、まず特定商法取引法の指定となり、かなり厳格な契約書が必要となるし、安いと言っても20万円以上はするため、いずれ需要もなくなり、一気に淘汰されていくだろう。

ちなみに私が知る限りの治療法は

 

Glory Smie                             セルフ印象、168000円、

We Smile                                 提携医院  1131万円

ローコスト                         提携医院  22-44万円

Be-Setlign                              提携医院  15-40万円

クリアアライナー    提携医院 20-80万円

Hanaravi                               セルフと提携医院33-66万円

Oh my teeth                          セルフ印象、3366万円

キレイライン         提携医院  23-41万円

Depearl                                 提携医院   30-70万円  

Hanalove                                提携医院   20-70万円

SmileTRU                             提携医院   25-65万円

アソアライナー     技工、提携医院

インビザライン     提携医院   4499万円

Sure Smie                               提携医院   インビザラインとほぼ同じ

 

ダイナミックポジショナー

Essix

 


このうち、2(1)と4(3)の角度が非常に重要で、標準値は2は110度、4は56度くらいとなる。1SDは5度くらいなので、説明の場合はこれは覚えておこう。非抜歯の場合は、ディスキングや側方拡大でスペースを獲得でき、でこぼこの程度にもよるが、多くの場合は、この値が大きくなる。もともとこの値が大きい場合は、非抜歯での治療は難しい。




2022年5月14日土曜日

弘前市森町の忍者屋敷について その4





 







 久しぶりに親方町にある成田書店に寄ってきた。本日は、「弘前の町並 武家屋敷 伝統的建造物群保存地区保存調査報告書」、「弘前城西濠発掘調査報告書」、「黒石の町並 伝統的建造物群保存調査報告書」を購入した。店主と久しぶりに会話していると、そういえばお客さんから先生に聞いてほしいことがあると。店主は客のメモを探している。しばらくすると、メモを発見。それをみると先祖が弘前市仲町地区の馬喰町に住んでおり、私のブログにこの地区の地籍図があることを知った。そこで弘前図書館に相談に行ったら、そんな地籍図はないと言われたということであった。確か以前、成田書店で買った仲町伝統建造物群調査報告書にその地籍図が載っていたのを思い出し、店内の本を調べると、ちょうどその本があったので、調べると弘前図書館蔵となっていた。店主に今度、そのお客さんが来たら、この本を買ってもらい、図書館に持って行って、ここに載っている弘前図書館蔵となっている明治初期の絵図を見せてほしいと頼んだらよいと答えた。以前、下町、荒町地区の地籍図を調査したおり、他の地区の地籍図もありそうだったが、それ以上、調べていなかった。図書館倉庫のどこかで忘れられてあるのかもしれない。見つかれば弘前市の地図で初めて地番が入った地図で貴重なものとなろう。

 

 以前のブログで、弘前の忍者屋敷の隠れ部屋について、便所か掃除道具などを収めた納戸のようなものではないかとした。江戸時代とはいえ、弘前の通常の家で、そこにくる客の会話を隠し部屋で聞く必要は考えられない。それほど大きな家でもなく、来る客もたかが知れているような家で、江戸後期から幕末に、隠し部屋をわざわざ作る理由が見当たらない。特に津軽藩は他国からの人の侵入には警戒していたこともあり、そもそも他国からの人の流入も少ない。また仮に藩に対する不満があって藩内の同士が集まったとしても、その会話を誰かがわざわざ隠し部屋で聞くとは考えにくい。

 

 この隠し部屋は幅60cmくらいの狭い空間である。客間壁の半分を仏壇あるいは押入れを作り、半分を床の間にする。例えば押入れの奥行き、90cmとすると、床の間ではそれほど深い奥行きが必要ないので1/3を床の間、後ろ2/3を物入れにしたのであろうと考えた。そうした例を以前のブログでも紹介したが、今回購入した本にも2軒ほど同様な構造の家が載っていたので、紹介したい。

 

 一軒は、若党町の蒔苗家の座敷で、ここは客間となっていて、奥には棚と床の間がある。奥行きが深いと格好悪いので、便所との間にわざわざ空間を作って幅を30-40cmくらいの空間にしている。もう一つは春日町の高杉家で、この家の座敷の壁面、左半分が押入れ、そして右半分が床の間となり、床の間の裏には縁側に続き、幅50cmくらいの空間がある。座敷の右横に縁側のような廊下があり、廊下の奥に幅50cm、奥行き170cmくらいの納戸のような空間がある。森町忍者屋敷の隠れ部屋が幅60cmで奥行きが90cmなので、これよりは奥行きが深いが、構造自体は似ていて、人が入ることができよう。明治2年弘前絵図では春日町に高杉健吉の家が認められるが、この家の住所は春日町7であり、福士勝弥、須田源之烝の名がある辺りとなる。この武家屋敷は、今はないが、ここも忍者屋敷だったというのか。

 

 そもそも本物の隠し部屋を作るなら縁側から丸見えのところ、客間にいる怪しい人が、立ち上がって縁側を向かうと、そこに空間があって人が立ち聞きしているのが丸見えなのは困る。せめて外から見てみそこに人が隠れているのがすぐにわからないような工夫が必要であろう。一見、壁のように見えて、ドアのようになっているような工夫とか。

 

 私のようなアマチュアがブログでいろんなことは言っても、無意味なのかも知れない。ただ歴史、古屋敷の専門家から、これまでこの忍者屋敷に対する解説は一切なく、黙秘している。弘前観光コンベンション協会などでも紹介するのであれば、そろそろ正式な調査を行なっていただきたい。弘前教育委員会ではたくさんの江戸時代の建造物の調査を行なっている。できれば、この忍者屋敷と呼ばれる建物についても仲町の家同様に調査を行なっていただき、もし他の武家屋敷とは違う忍者屋敷と呼ばれるような特殊な構造を持つならば、全国的に紹介すればいいし、逆であれば、紹介すること自体が恥ずかしいこととなる。ただあくまで夢のある話ということで騒ぐのであれば、新郷村のキリストの墓同様にロマンのある話なので、こうして真面目に調査するのも大人気ないのかも知れない。

 

 



2022年5月12日木曜日

アライナー矯正をしている先生 リスクを知ってほしい

 


 ものすごい勢いで、インビザラインに代表されるマウスピース矯正、アライナー矯正が流行っている。自費診療率を上げる有力なツールとして歯科の経営コンサルタントが着目しているのも理由の一つである。う蝕の減少に伴い、小児、若者層はほとんど歯科医院に行かなくなった。虫歯がないからであり、彼らが唯一、歯科医院を訪れるのはほとんど矯正治療のためである。これまでは矯正専門医に紹介していた先生も、インビザラインなどの講習会を受けると、紹介するよりは自分でしてみようと矯正治療を開始する。実際、インビザラインが日本に上陸したのはここ数年であり、ようやく最近になって、5年間治療したが治らない、最初の約束と結果が違うなどのクレームが増え、日本臨床矯正歯科医会の「矯正歯科何でも相談」コーナーにおいても年々、アライナー矯正に関するクレーム、相談が増え、2020年度の統計では500件くらいの相談のうち2030%の120件ほどがアライナー矯正に関するものであった。おそらくは2021年度、2022年の統計ではもっとアライナー矯正によるトラブルは増えるだろう。

 

ただアライナー矯正をしている先生を見ると、こうした治療の危険性をあまり感じておらず、ここでそのリスクについて説明する。

 

1.     レントゲン撮影をしない

 治療というのはまず検査をして、診断し、そして治療計画を立て、それを患者に説明して、承諾を得てから治療を開始する。とりわけ重要な検査は、セファロ写真分析(側方頭部X線規格写真)で、これにより上下のアゴの関係や歯の傾斜を調べて、不正咬合の分析を行い、その結果から治療計画を立てる。これは歯科大学でもはっきりと学生に教育されており、国家試験にも出題される。歯科医であるなら、知らないではすまない。それ故、一部の例外、ごくわずかな不正咬合を除けば、セファロ写真分析なして、治療を開始したとすれば、医院側の責任となる。もちろん、セファロ分析とその結果を元にした治療計画が、一般的な歯科矯正のレベルに達しているという前提が必要なのだが、これについては種々の解釈や治療法があるため、明らかな間違いがなければ責めることはできない。ただパントモ写真、模型だけで、セファロ写真分析をしていないと大きな問題となる。兵庫県歯科医師会のクレーム担当委員会では、矯正治療に関するトラブル案件があり、患者からクレームがきた際、歯科医院でセファロ写真分析をなされていない場合は、訴訟されると必ず負けるので、すぐに示談するよう勧告すると言っていた。おそらく診断不備、説明義務違反などで訴訟されると負ける公算が高い。

 

2.     薬機法未承認医薬品

基本的には医療で使う医薬品、機材などはその安全性を厚労省が調査して薬機法の承認を与える。ただアライナー矯正については現状では、薬機法未承認医療機材であり、その使用については患者に十分に説明をしないといけない。もちろん使っている素材そのものは、例えばマウスピース型保定装置に材料として薬機法に承認され、安全性が確立しているが、歯を動かす装置としては薬機法未承認である。以前、矯正歯科学会でも矯正用アンカースクリューを医療機材として承認してもらおうと学会をあげて活動し、何度も厚労省に陳情し、数年してようやく承認に至った経緯がある。この場合もチタンのインプラントとしてはすでに医療機材として承認されていたが、矯正用アンカースクリューとして認められなかった。そのため日本矯正歯科学会でもアライナー矯正による治療を行う際には、「歯科医師が患者への十分な情報提供を行った上、患者の理解と同意を得ること」となっている。具体的には未承認の機材であること、他の代替わり治療法として舌惻矯正、唇惻矯正などのワイヤー矯正法があることなどをきちんと説明しないと説明義務違反となる。通常の認可された医療機材より詳しい説明を要する。

 

3.     学会の見解

 日本の矯正歯科を代表する学会として日本矯正歯科学会があり、そこではアライナー矯正について公式な治療指針を発表している。その適応症として1。非抜歯症例で、以下の要件を満たす症例 軽度の空隙を有する症例、軽度の叢生で歯列の拡大により咬合の改善が見込まれる症例、大きな歯の移動を伴わない症例 2。矯正治療終了後の後戻りの改善症例 3。抜歯症例であっても歯の移動量が少なく、かつ傾斜移動のみで改善が見込まれる症例としていて、抜歯症例や骨格性不正咬合症例は推奨されないとしている。

https://www.jos.gr.jp/asset/aligner_pointer.pdf

 

さらに矯正歯科専門医の集まりである日本臨床矯正歯科医会では、治療のゴールはマルチブラケット装置によるものと同等でなければいけない、アライナー矯正をする歯科医はマルチブラケット装置による治療技術を習得していることなどをあげている。アライナー矯正に治療費はワイヤー矯正の治療費に比べて安いものでなく、同等の治療結果を得られなければ、おかしいということであろう。

https://www.jpao.jp/10orthodontic-dentistry/1020thinking

https://www.jpao.jp/15news/1525trendwatch/vol23/vol23_1.html

 一部のアライナー矯正をしている一般歯科の先生は、アライナー矯正は革命的な治療法で、これまでの矯正歯科の牙城を崩すものなので、自分たちのテリトリーを侵すものだと矯正歯科専門医が強く反対しているという。これまでの矯正歯科の歴史を見ても、専門医ほどいいものは素早く利用する。バンドを巻かない、ダイレクトボンディング法は、開発して十年で世界中の矯正歯科医が利用するようになったし、最近では矯正用アンカースクリューを瞬く間に世界中に普及している。もちろん経営に敏感なアメリカの矯正歯科医は、早い時期からアライナー矯正を積極的に利用しているが、症例を制限しているようだし、治療が難しければ、すぐにワイヤー矯正に変えている。むしろ民間のスマイルダイレクトのような安価なアライナー矯正をする人が多い。

 日本の場合、まず一般歯科医で診断能力がないため、ワイヤー矯正がいいのか、アライナー矯正がいいのかの診断ができず。何でもアライナー矯正で治療する傾向がある。こうしたケースで失敗した場合、日本のすべての矯正歯科医、歯科大学の矯正科は、治療した歯科医の診断ミスを指摘するため、裁判になった場合、かなり歯科医側は苦しい。誰も味方につかないことは覚悟した方が良い。

 

4.     医療広告法違反

 医療広告法では、誘引や誇大広告を禁止し、商品名や未承認医薬品を広告することを禁止している。ただインターネットでは例外的に一定の要件を満たす場合は限定解除となる。日本矯正歯科学会では、その倫理委員会を中心に、ここ2、3年、認定医の更新に際して矯正歯科医のHPをチェックしてその内容を精査して、医療広告のガイドラインに抵触しているなら、修正を命じ、修正しない場合が、資格更新させないようにしている。そのため、矯正専門医のHPの多くはアライナー矯正について詳しく載せなくなった。一方、一般歯科のHPはますますアライナー矯正に関する広告を載せるようになり、ガイドラインに抵触していないというが、明らかに患者誘導、誇大広告であり、ガイドラインに抵触するものが多く散見される。こうした広告をみて患者が治療を開始し、失敗すれば、医療広告法にも抵触することになり、裁判ではマイナス要因となる。

 

5.  歯科医の臨床能力

 日本の裁判では、医師、歯科医の臨床能力についてあまり重視されていなかった。ただ昨今の、例えば群馬大学医学部、腹腔鏡手術死亡事故では、術者の杜撰な手術で多くの患者が死亡し、術者の臨床能力自体が問われている。そうした点では、これまで成人の矯正治療をほとんどしたことがない先生が、アライナー矯正に手を出し、うまくいかない場合、術者の臨床経験の未熟さを問うことはできる。一方、インビザライン社では購入者の症例数によりスーパー、ゴールド、プラチナなどの認定を行っているが、これは学会による認定医でもなく、一企業の勝手なランクづけであり、こうしたことをHPに載せるのは明らかに誇大広告となる。これも裁判の場合、載せてはいけない資格を載せ、患者に対する 誘引、誇大広告の医療広告法違反となり、歯科医に不利となる。

 

5.     成人患者の対応

 これまで一般歯科の先生は、子供の歯並びの治療をしていたが、成人の患者は専門医に紹介してきた。なぜなら子供の場合はあまり文句を言わないし、治療自体にあまり協力的でなく、なし崩し的に治療を中止するからである。ただ成人については、ネットなどでかなり勉強をし、例えば、2軒の矯正専門医で、小臼歯抜歯、ワイヤー矯正でないと治らないと言われ、3軒目の一般歯科医で非抜歯、インビザラインで治ると言われたとしよう。そして患者は3番目の先生を信じ、治療を開始したが、思うように口元が下がっていない.。ここで治ると言われたので治療を開始したのにとクレームが来るのは確実である。もしこの段階で私のところにセカンドオピニオンで相談にくれば、まず側方頭部X線写真を撮り、上顎切歯や下顎切歯の傾斜度と口唇の突出を計測し、標準値より極端に大きければ、前医の診断を否定する。さらにレントゲンも撮っていないとすれば、弁護士か消費者センターに相談するように言うだろう。私は患者側につく。またこれまで1000人以上の成人患者を治療してきた経験からいうが、ものすごく細かい患者が多く、口元の突出感などはごく普通で、非抜歯から小臼歯抜歯に治療法を変更したケースは数十例あるし、中には上顎切歯のトルク、上下第二小臼歯の舌側咬頭の咬合などを気にする人がいる。目にも見えないほど、0.1mm単位のズレを気にする人もいる。もちろんこうした問題であってもワイヤー矯正であれば、確実に直せるが、今のところインビザラインでもこうした問題は治すのは難しい。日本の大学病院で唯一、積極的なインビザラインの治療を早くからしている昭和大学矯正科では、こうしたクレームがあった場合は、ワイヤー矯正による治療を勧める。子供に比べて成人矯正については、患者からのクレームや場合によっては訴訟が相当多くなることは覚悟した方が良い。成人矯正治療は本当に神経を使う。臨床医にとって患者からのクレームが最もストレスになるのに、なぜストレスになるような成人矯正を、それもインビザライン による治療をするのか、わからない。

 

 こうしてみるとアライナー矯正治療に関しては、よほど注意して治療をしなければ、いざ訴訟となると患者に有利となる要因が多くあり、敗訴する可能性が高い。それゆえ、あるアライナー矯正の講習会では、患者から訴えられれば、すぐに示談し、インビザラインの技工料を引いた料金を返金するように指導している。実際にクレーム、トラブルがあっても、医療訴訟には弁護士費用も含めて100万円以上かかり、訴訟までする人はほとんどいない。それゆえ、こうした人については、さっさと示談して患者数を増やすのに専念した方が良いという考えである。まあこうした金儲け主義の歯科医は、患者のクレームには弁護士を雇って対処するような強心臓の先生なので、ストレスを感じたりもしない。ただ真面目な先生でも、経営コンサルタントの口車に載せられ、もしアライナー矯正を始めるのであれば、今回書いたようなリスクがあることを十分に肝に命じてほしい。またインビザライン治療で、なかなか治らない、口元が出ている、奥歯が咬んでいないなどの不満をお持ちの患者さんは、是非このブログをコピーして先生に質問してください。かなり嫌がられると思う。治療前にこのブログに書いているほど、きちんとアライナー矯正のリスクを説明する先生であれば、そもそも怖くてアライナー矯正などはしない。

 


2022年5月7日土曜日

平吉輝=香川芳園=滋野芳園 顔の画法からの推論

 

チェスター・ビティー図書館の芳園輝の作品







私の所有する大国主命、香川芳園の署名


現在、京都近代美術館で“サロン 雅と俗—京の大家と知られざる大阪画壇”が開催されている。その一環として、大阪商業大学の明尾圭造先生の「大阪に西山派あり!—芳園・完瑛にみる写生画の系譜」という講演があり、you-tubeにもアップされた。早速、見たが、私のことも講演中に喋っていただき、恐縮している(1:29くらいから)。

https://www.youtube.com/watch?v=AUql_obT36M


その中で、もう一人の芳園、平吉輝のことを今から調べれば、世界3番目の権威になれると冗談で語っていたが、実は私とシンシナティー美術館のホウメイさん以外にも研究している人がいて、私とメールをやりとりしているのは中国のチェンチェンさんと、以前にはロシアのアレクサンダー・クラシェニコフさんという方や、イタリアのベニス美術館のフランチェスカ・ストルティという方からもメールが来た。海外に多くの作品があるので、研究者も世界に散らばっているのだろう。

 

今回の講演でも、もう一人の芳園、平吉輝については、はっきりしないということになったが、個人的にはやはり平吉輝=香川芳園=滋野芳園と考える。理由としては、印章は違うが、署名は極めて近く、画風も一部、似ているためである。平吉輝の作品のうち、人物を描いているのは、シンシナティー美術館に一点、そしてアイルランドのChester Beatty Libraryには絵巻がある。画家により人物描写は、明らかに特徴があるため、今回は人物描写、特に顔の描き方より私の説を検証してみたい。

 

まずシンシナティー美術館の天の岩戸を描いた絵、中央のこちらに顔を向けた人物像に着目する。切れ長の目で、鼻が高く、西洋風の顔である。次にチェスターの絵巻を見ると、冒頭の中国の賢人の絵の人物像、右人物も同様に切れ長の目と高い鼻を持ち、長いひげのせいか、シンシナティー美術館の絵より顔が長い印象を持つ。ここまでが「平吉輝」の人物像である。ついで香川芳園の人物像を見てみると、私が所有する古事記の大国主命像は、より西洋的な風貌をしているが、切れ長の眼、高い鼻など、平吉輝の人物像、特にチェスターの中国の賢者像とほぼ一致し、平吉輝=香川芳園は、画風と署名からは同一人物と推測される。ただ香川芳園は、“比喜麻呂”、“比喜麿”、“蟾麿”などの印章を用いるが、現在、こうした印章のある芳園の作品の多くは、明らかに芳園輝、香川芳園と署名されている作品に比べると、画力がかなり落ち、稚拙である。このギャップが非常に大きい。若い頃はいい絵を描けていたのに、年齢を取ると画力は極端に落ちる、あるいは署名も稚拙になる理由としては、脳梗塞などで手が使いにくくなったとか、目が悪くなったとか、何らかの病気が関与しているのかもしれない。

 

明治初年から中頃まで、海外輸出用の四条派の精緻な絵を描いていた香川芳園は、号が江戸後期に活躍する大阪画壇の西山芳園とかぶるため、「芳園輝」の署名で作品が欧米に輸出された。同時に西山芳園の絵も海外に輸出され、これらが同じ西山芳園の絵として混同され、これまで大英博物館、チェスター美術館、アルバート美術館やシンシナティー美術館で展示されてきたが、逆に日本ではほとんど着目もされなかった。その後、香川芳園の署名のある絵が、イタリアのベニス美術館やオーストラリア美術館に納められたが、実際の香川芳園は、それほど注目されることはなく、神戸市の依頼で漁場、漁法の風景を描いたり、あるいは大阪、兵庫で門人に教えたりしたが、次第に若い頃のような絵が描けなくなり、いつも間にか完全に忘れられていった。その後、オークションや骨董店に出ても、西山芳園の誰が見ても贋作とわかる作品として残った。現在、香川芳園作と思われる内容の良い絵は、ほとんどなく、私が知っている限り、ここ十数年のヤフーオークションでは3つくらいしかない。

 

今回の展覧会でも、そうであるが、大阪や京都の趣味人に絵がそこそこ売れれば、別に帝展などの展覧会に作品を出す必要もなく、そうなると文献上は全く無名の存在になるのは今でも同じである。香川芳園についても多くの優れた作品が海外にあり、逆に国内には芳園と署名のある稚拙な作品が残ったため、これまで誰も注目されることはなかった。香川芳園が亡くなったのは明治40(1907)であるが、横山大観など新しい時代の日本画家が出てくるのは明治30年以降であり、それまで弟子もあまり取らずに、少数の顧客のためだけに描いてきた画家については、今回、紹介されている画家にも上田耕沖、佐藤保大、佐藤魚大など優れた画家がいるが、いまだに評価は低い。


シンシナティー美術館の芳園輝の作品











以前のヤフーオークションに出品された芳園の署名の屏風、署名は全く異なるが、顔は似ている



2022年5月5日木曜日

県内初出店 弘前

 




青森県の県庁所在地は青森市なので、普通に考えれば、全国チェーン店の最初の店は一番人口の多い青森市に作ると思うが、実際には弘前市に作られることがある。

 

例えば、イトーヨーカドーは、現在、青森県には青森市、五所川原市、八戸市、弘前市の4軒あるが、最初にできたのは弘前店で、1976年(昭和52年)に開店した。青森県どころか東北地方でも福島に次いで早い開業であった。

 

また無印良品は、最初、中央通りと百石町の交差点近く、百石町歯科があるところに1987年(昭和62年)に開店した。残念なことに2000年に閉店したが、東北で最初、1988年に開店したのが仙台店で、それよりは早く、店舗面積も小さく、パイロット店扱いだったのだろう。誰が、どのように誘致したのかは不明であるが、最初に見た時は、なぜこんな街に無印良品の店があるのか驚いた記憶がある。

 

同様に中央通りのセブンイレブン前あたりに「ソニープラザ」があった、私が修学旅行で弘前に来た時に弘前城から弘前駅に歩いている途中に見たのだから、昭和48年(1973)頃である。当時、神戸、三宮の“さんちか”にお店があり、神戸の人はここが本拠と思うくらい、自慢の店だったので、一瞬、名前をパクったのかと思った。調べると東京銀座のソニービルにお店ができたのが1966年で、今でも東北では盛岡と仙台しかなく、1973年に弘前に店があったのは驚きである。

 

今はなくなってしまったが、土手町にあった紀伊国屋書店も、弘前店が東北第1号店で、弘前大学があると言うことで、1983年(昭和58)に開業した。惜しまれて2019年に閉店した。もともと紀伊国屋書店の店舗数は全国でも少なく、今でも東北では仙台くらいにしかなく、青森県では当然、初出店であった。

 

ハイローザは、角はデパートの跡地に1980年にできたファッションビルである。私は、1983年頃、仙台にいたが、月に一回、弘前に来て、家内と一緒によくデートをしたところであった。当時、東京や大阪ではこうしたDCブランドが入ったファッションビルができた頃であったが、仙台でもまだなかった。おそらく東北でも早い方だと思う。その後、1994年からこちらに住みだしたので、ちょこちょこ行ったが、そのころになると服も高くて、お客は少なかった印象がある。

 

このハイローザに入っていた家具屋さんが、1998年の閉店後に移ったのが、代官町の旧石郷岡眼科のあった洋館で、確かベターホームズ?という名前だったと思う。当時、家を建てようと計画していて、モダンリビングなどのインテリア雑誌をよく見ていた。そこに掲載されている海外の家具に憧れて、よくこの店に行った。特に北欧の家具を扱うところは青森県内になかったので、Yチェアー、セブンチェアー、ブルーノマットソンのハイパックチェアーなどの北欧家具やドイツ、ムスタング社の三人用チェアーなどすべてここで買った。東京にある家具屋と遜色なく、店長の家具、インテリアの知識も相当なものであった。また家の近所の坂本町には組み立て式の北欧家具、BeConceptを扱う店があり、新築した壁一面に大きな本棚をここの家具で製作した

 

また1977年の弘前マップには、百石町にリーガルショップの記載があるが、リーガルシューズの直営店第一号店、東京、八重洲口にできたのが1970年だから、これも相当早いように思える。

 

最近でも牛めしの「松屋」が青森県で弘前に初進出したが、どうも市場調査すると弘前地域は30万人商圏と考えられ、商売に向いているように思われる。ただ実際は、それほど購買力はなく、売り上げも伸びないことから、進出したのはいいが、結局、売り上げ不振で撤退するケースが多い。弘前のさくら野百貨店に入っていた不二家も青森県内最初の出店であったが、この前行くと閉店になっていた。1873年(明治6年)の都市別人口を見ると、東京60万人、大阪27万人、京都24万人、名古屋13万人となり、東北では仙台が52000人、そして秋田が38100人、弘前が33000人で、弘前は東北では3位、全国では23位となっている。それなりのプライドもあり、先端的なことをしようとしたのだろう。

 

P S: 昨日、本の宣伝も兼ねて、アップルウエーブの「津軽いじん館」の収録に行きました。放送は5/11(水)のPM4:00からです。インターネット上で聞けますので、聴いてみてください。




2022年5月4日水曜日

名前の呼び捨て

 


先生と呼ばれる職業は、医師、弁護士、代議士、先生などろくな職業がない。どれも自分たちの枠の中では、患者—医師、依頼者、被告—弁護士、有権者—代議士、生徒—先生などのような上下の関係がある職業である。実際に人間関係には、確かに会社では平社員から社長、軍で言えば、二等兵から大将という階級差はある。ただこれはあくまで、特殊な集団の中でのことで、社会全体で階級差は基本的にはない。

 

こうした関係も最近では次第に小さくなってきており、弁護士が依頼人を呼び捨てすることはないし、医師が患者、あるいは代議士が有権者を呼び捨てにすることはない。実生活で、他人から呼び捨てされるのは、家族、父母、兄弟あるいは同級生くらいである。自分でも呼び捨てにする、あるいは呼び捨てされるのは、高校、大学の同級生であり、他には非常に仲の良い後輩の一部も呼び捨てする。それ以外は子供であっても“——くん”、あるいは“——〜ちゃん”という。

 

ところがこうした呼び捨てが一般化しているのが、学校の先生である。特に部活の先生は呼び捨てするのが普通であり、ひどいところになると、大学、社会人になっても選手のことを呼び捨てにする。ならば、逆にこの先生が選手、あるいは他人から呼び捨てても気にならないのだろうか。

 

私の娘は中学生の頃、バレー部に入っていたが、練習中に十字靭帯を断裂し、手術を受けた、顧問の先生は入院中、一度も見舞いには来なかったばかりか、退院直後、娘が椅子に座って練習を見学していると、何を座って見学しているのか、立って見学しろと怒られたという。ひどい顧問である。それ以上に腹が立ったのは、整形外科の同じ病棟に二人の小学生、男の子が入院していたが、いずれも野球部で肘の手術のために入院していた。どんな練習方法をしているのか、腹が立った。うちに来る患者さんに聞くと、部活を休むと、レギュラーにしないぞと言われ、熱があっても練習に行くという部員もいる。これは年齢差や教師と生徒という立場の差を利用したパワハラである。パワハラや差別が悪いと教える教師が率先してこうしたことをしている。もちろん教師が言ったことを過剰に反応する親や子供も多く、よく考えれば、病気で具合が悪い部員に練習をしなければレギュラーになれないぞと脅すわけはない。

 

最近読んだ本で面白かったのは、「僕に方程式を教えてください」(高橋一雄他、集英社新書、2022)で、この本は、少年院の子供達に数学を通じて合理性、論理性を学ばせようとする取り組みを描いたもので、ここでの指導法は一般の学校にも通用するように思える。一つに、子供達のことを一人の人間として対等に対応しようと、さんづけで呼ぶようにし、できるだけ、丁寧な言い方をするようにしている。そして間違うことを恐れずに、丁寧に指導する。普通考えれば、少年院に行くような少年に数学を教えるのは最も難しそうに思えるが、実際に驚異的な成果を収めている。おそらく、中学校、高校でもそうであろうが、こうした指導法は落ちこぼれ、ひいては引きこもり、中退を減らす方法の一つであり、その前提に生徒の名前を呼び捨てにする習慣は早くなくしてほしいものである。特に今の子供達は親からも呼び捨てにされることはなく、教師からいきなり名前を呼び捨てられると、中にはかなり傷つく生徒もいるだろう。不思議なもので、名前にさんづけするだけでも、相手に対する対応は異なり、まさかさんづけする部員に暴力を振るうコーチ、監督はないであろう。

 

こうしたことは、実践するのはそれほど難しいものではなく、学校の校長がこれから生徒のことを、呼び捨て、おまえ呼ばわりすることを禁じ、さんづけにするように命令すればよい。どうしても納得できないなら、職員室での先生同士の全ての会話で、名前を呼ぶ場合、呼び捨てあるいはおまえ呼ばわりすればよい。いかに腹がたつかよくわかるだろう。さん付けと丁寧語、これは学校の授業や部活においても基本であろう。

 

 


2022年5月3日火曜日

10万円あげると言われても、断る人は多い?

山元春汀の画、ヤフーオークションで1万円くらいで買える。台湾の留学生に右の絵を記念品としてあげた。

今はないが、喫茶店や雑貨店として活用できなかったのか。

まだまだ綺麗な方だと思うが、タダでもいらないと言われた。


滅菌室は去年、リフォームしたばかり



最近は、そろそろ引退ということもあり、個人の利益より、何らか社会や人々に貢献したいという気持ちが強い。具体的に言えば、持っているものを寄贈しよう、持っている技術を教えたいと思っているが、これがなかなか難しい。

 

まず数年前に、明治大正時代の卒業写真が、ヤフーオークションで出ていたので、3000円くらいで落札した、写真は数枚あって、2枚は弘前市の城西尋常小学校、1枚は時敏小学校で、これは学校に直接メールをして寄贈を申し出たところ、すぐに返事がきて、寄贈した。学校に展示して活用してもらっている。残り2枚の卒業写真は徳島県阿南市の那賀郡立那賀実科高等女学校の大正時代の卒業写真と判明し、20203月に、前身を同校とする徳島県立富岡東高等学校の同窓会と学校に直接に寄贈のメールを送ったが、二年以上経つが、未だに返事はなく、仕方なく阿南市立図書館に同様なメールを出してようやく送付してくださいと、2週間経って返事がきたので、本日、送った。

 

また弘前レンガ倉庫美術館には、図書室の郷土コーナーや展示などに活用できないかと、これまで私が書いて本4冊と、明治二年弘前絵図のB0コピー100枚の寄贈を申し出たが、3週間経つが返事はない。以前、横浜市長がラジオ番組で「須藤かく」のことを取り上げてくれたので、横浜市の図書館に20冊の寄贈を申し出たところ、これもすぐに返事はなく、かなり経ってから、図書館で必要な冊数を調べるからとのメールがあり、その後、8つの図書館から希望があり、必要冊数を送った。前のブログでも述べたが、弘前市の藤田記念庭園に孫文と藤田が写った写真を寄贈しようと思った時にも、管理している弘前市の緑地課から一年以上音沙汰なく、上司にメールを送ってから、ようやく藤田記念庭園の洋館に飾られるようになった。

 

民間の会社であれば、メールを送れば、2日以内には返事が来るし、すぐに返答ができない場合も、まず返答をするのに日数がかかる旨のメールがくる。ところが公的機関に、メールを出すと、多くの場合は、返事がないか、かなり遅くなる。返答自体、公式文書と考え、慎重になっているのかもしれないが、それでも1ヶ月以上、返答に日数がいるのであれば、まずそうしたことを早めに伝えるべきであろう。

 

70歳頃には引退しようと、誰か診療所を継承してくれるなら、全てタダであげますよと大学の矯正歯科講座にいる若手に喋っているが、誰一人、興味を持ってくれない。自分で開業することを考えると資金的にも大変助かるように思えるのだが。アメリカではこうした継承はごく普通で、矯正科の専門教育を受けた若手の歯科医は引退する先生から診療所を買い取って開業する場合が非常に多い。大学院の学費(約3000万円)を早く返済するためである。ところが日本では、若手の先生は、どうも引退する先生の診療所を引き継ぐのは、患者の引き継ぎもあって嫌がるようで、それならば借金してでも新たな診療所を建てると考える。また今年の4月まで土曜日に台湾から来た留学生に来てもらい、主として、マルチブラケット装置を学んでもらった。忙しい土曜日に一人でも歯科医がいれば大変助かるし、矯正専門医院で治療方法を学ぶ機会は少ないので彼も非常にためになったようだ。それもあって、彼がいなくなってから給料は出すので、誰か矯正歯科、マルチブラケット装置の勉強にこないかと子供が歯科医になった知人に声をかけているが、誰も応募がない。言っては悪いが、マルチブラケットの実習コースは1年間12回から24回で100万円以上かかり、また実際に患者を治療することはないので、非常にいい条件と個人的に考えているが、空振りである。

 

 青森でも矯正歯科を学びたいという先生は多く、高い金を支払って東京まで講習会に行くが、私のところに習いたいという先生は、ここ30年誰一人いない。寂しいことである。また図書館、美術館に、個人的に寄贈を申し出ても、収蔵庫が一杯という理由で、基本的には断られる。これも寂しい。アメリカのシンシナティ美術館には“芳園”と署名のある掛け軸を2本寄贈させてもらった。すぐに非常に丁寧な礼状が来て、展示の際には寄贈者の名前を記載する旨が書かれている。弘前市立博物館、図書館では、明治27年発行の笹森儀助の「南島探検」初版本を以前、弘前市立図書館に寄贈しようとしたら、一冊あるのでいらないと窓口のおばさんに即答された。古書店では10万円前後する貴重本なので、あげるというならもらっておいて一冊は閲覧用、一冊は展示用など活用方法がありそうなものだが。最終的には愛知大学図書館に寄贈し、喜ばれた。これも以前のブログで書いたが、明治二年弘前絵図と1770年頃の弘前藩領絵図を弘前市立図書館に寄贈しに行った時のこと、図書館の事務所に行くと、用紙を渡され、それに寄贈する物の名を書いて提出してくださいと言われた。明治初期の絵図と、江戸中期の藩領絵図と書いて渡すと、それでおしまいであった。流石にたまりかねて館長はいないのかと問うと、いるというので、できれば持参した絵図を見せたいというと、呼んできてくれて、資料室で絵図をお見せした。結局、寄贈した絵図は倉庫にしまわれたまま、これまで一度も公開されず、そのままになっている。

 

歳をとると、こうしたグチめいたことをつい書いてしまうが、人の親切、好意は素直に受け取り、何か困ったことがある、何かわからないことがある、何か学びたいことがあり、かつ誰かが助けたい、教えてあげたいというなら、遠慮なら飛び込むべきで、世の中、人を騙す人がいるのと同様に人を助ける人もいるものである。チャンス、美味しいことは、案外、身近にあるのだが、めんどがってつかみ損ねる人は多いのだろう。


 

2022年5月1日日曜日

古いものは残すべきか

 




週一回、英語の勉強のために、仲間とアメリカ人教師と酒を飲みながら雑談している。毎週、その週のテーマとなるようなことを話すのだが、先週は、更地になった旧千葉酒造店のことを話題にし、弘前に残る古い建物保存のことを議論した。

 

私としては、古い建築物については、台湾の文化創生運動に準じて弘前市、青森県が何らかの財政上の援助が必要であるとした。ところがアメリカ人の教師からは弘前市民の支持がないものに対して、弘前市が財政上の援助をするのは、税金の無駄遣いであり、そのいい例として弘前れんが倉庫美術館を引き合いに出した。美術館に併設するレストランはおしゃれなのはいいのだが、冬場は寒いし、客も入っていないという。

 

それに対して、こうした美術館は観光スポットとして町の活性化にも繋がる、現状はコロナ禍で、今後、収束すれば、美術館に来る観光客も増えると反論すると、観光客で潤うのは市民の一部であり、この美術館に来る市民も少ないことから、積極的に美術館を評価する人は少ないのではないか、多くの市民にすれば、古いれんが倉庫が壊され、更地になっても構わない。

 

それでは弘前観光の目玉である弘前城も壊して、更地にしてもいいのかというと、そこに大きな企業が入り、就職する人も増え、直接的に弘前市民の収入が増えるなら、別に弘前城を壊してもいい。古い建物に執着する必要はなく、積極的に壊して新しい建物を建てる方が良い。さらに言うなら、図書館も利用者は一部の市民に偏っている、公民館の利用も老人に偏っている、市営野球場も野球に関心のない人にとっては無用である。まあこれはデベイトと呼ばれる議論における儀式であり、本気で言っているわけではないが。

 

ただこうした議論を突き詰めていくと、弘前市民全てが利用し、確実に税金の無駄ではないものは何であろうか。まず病院、特に弘前大学医学部附属病院のような高次医療機関は必要であろう。ただこれも、大学病院があるのに市立病院が必要かという問題点は残る。ついで学校、小中高校は、これがなければどうなるかと考えれば、誰しもなくなることは嫌がるだろう。特に義務教育である小中学校の廃統廃合は反対する人も多いだろう。また焼場、市役所、保健所、警察、消防署、ここまでは存続に誰しも依存はないと思う。ただ水道局はというと、電気、ガスが民営であることを考えれば、民間移譲は可能である。もちろん市バス、市電、地下鉄なども同様に民間移譲できる。

 

逆に一部の人のみが利用し、必要ないと思われるものとして、弘前で言えば、美術館、博物館、文化センター、市民会館、図書館、藤田記念庭園、弘前市民広場、野球場、陸上競技場、武道館など体育館、公民館、仲町武家屋敷群、弘前城公園、りんご公園などの各地の公園、太宰まなびの家、弘前弥生いこいの広場、高岡の森弘前藩歴史館、城北ファミリープールなど市営プール、市民ゴルフ場、まちなか情報センター、星と森のロマントピア、忠霊塔、相馬ふれあい館、こどもの森ビジターセンター、白神山地ビジターセンターなどなど、市町村合併もあり、かなり多くの施設が弘前市営となっている。他にあるだろうが、アメリカ人教師に指摘されるまでもなく、建築費以上に問題になるのは施設の維持運営費で、どの施設もそれほど市民に使われているとは言いがたく、民間移譲しても経営的にはやっていけそうにない。

 

一方、こうした施設が一切なくなると、公的機関が関係するのは基本的インフラのみに限定され、さながら財政破綻した北海道の夕張市同様となる。実際に夕張市は財政破綻後、上記のような市民生活に直接関係ない施設はすべて廃止、さらに学校、病院も縮小した結果、若者離れが急速に進行し、人口も大幅に減少した。117千人であった人口(1961)は、現在、8612人まで減少している。

 

古いものを残すのはいいが、それを誰が、どうのように維持していくかが、問われる。本町の旧千葉酒造店の件でも、古い土蔵付きの家で喫茶店を始めたいという人を、全国を探せばいたかもしれない。今は更地になっているが、坪数で言えば150坪程度であり、昨今は土地の値段も下がり、売買価格も3000万円は行かないであろう。解体費も含めると2000万円代で売ることも可能であり、その程度の値段であれば、全国にアピールすれば買手がいたかもしれない。直接的に弘前市が財政的に援助できなくても、その保存をさぐる手段はなかったかと悔やまれる。同様に駅前の吉井倉庫と事務所についても、今のままであれば、誰も買手はなく、売るなら更地にしろという不動産屋の声で、結局は空き地か、駐車場になるのが関の山であろう。結局、古いものが残るためには、市民の故郷愛が必要であり、そうしたものが希薄であれば、無くなっても仕方ないのかもしれない。現在、私の本の表紙を飾った一戸時計店を保存しようと有志によるクラウドファンドが立ち上がっている。現時点で(5/1)で目標額の73%である。無事に募集終了まで全額集まるか、一つの弘前市民の文化財保護の見識を見る尺度と見ている。