2022年5月5日木曜日

県内初出店 弘前

 




青森県の県庁所在地は青森市なので、普通に考えれば、全国チェーン店の最初の店は一番人口の多い青森市に作ると思うが、実際には弘前市に作られることがある。

 

例えば、イトーヨーカドーは、現在、青森県には青森市、五所川原市、八戸市、弘前市の4軒あるが、最初にできたのは弘前店で、1976年(昭和52年)に開店した。青森県どころか東北地方でも福島に次いで早い開業であった。

 

また無印良品は、最初、中央通りと百石町の交差点近く、百石町歯科があるところに1987年(昭和62年)に開店した。残念なことに2000年に閉店したが、東北で最初、1988年に開店したのが仙台店で、それよりは早く、店舗面積も小さく、パイロット店扱いだったのだろう。誰が、どのように誘致したのかは不明であるが、最初に見た時は、なぜこんな街に無印良品の店があるのか驚いた記憶がある。

 

同様に中央通りのセブンイレブン前あたりに「ソニープラザ」があった、私が修学旅行で弘前に来た時に弘前城から弘前駅に歩いている途中に見たのだから、昭和48年(1973)頃である。当時、神戸、三宮の“さんちか”にお店があり、神戸の人はここが本拠と思うくらい、自慢の店だったので、一瞬、名前をパクったのかと思った。調べると東京銀座のソニービルにお店ができたのが1966年で、今でも東北では盛岡と仙台しかなく、1973年に弘前に店があったのは驚きである。

 

今はなくなってしまったが、土手町にあった紀伊国屋書店も、弘前店が東北第1号店で、弘前大学があると言うことで、1983年(昭和58)に開業した。惜しまれて2019年に閉店した。もともと紀伊国屋書店の店舗数は全国でも少なく、今でも東北では仙台くらいにしかなく、青森県では当然、初出店であった。

 

ハイローザは、角はデパートの跡地に1980年にできたファッションビルである。私は、1983年頃、仙台にいたが、月に一回、弘前に来て、家内と一緒によくデートをしたところであった。当時、東京や大阪ではこうしたDCブランドが入ったファッションビルができた頃であったが、仙台でもまだなかった。おそらく東北でも早い方だと思う。その後、1994年からこちらに住みだしたので、ちょこちょこ行ったが、そのころになると服も高くて、お客は少なかった印象がある。

 

このハイローザに入っていた家具屋さんが、1998年の閉店後に移ったのが、代官町の旧石郷岡眼科のあった洋館で、確かベターホームズ?という名前だったと思う。当時、家を建てようと計画していて、モダンリビングなどのインテリア雑誌をよく見ていた。そこに掲載されている海外の家具に憧れて、よくこの店に行った。特に北欧の家具を扱うところは青森県内になかったので、Yチェアー、セブンチェアー、ブルーノマットソンのハイパックチェアーなどの北欧家具やドイツ、ムスタング社の三人用チェアーなどすべてここで買った。東京にある家具屋と遜色なく、店長の家具、インテリアの知識も相当なものであった。また家の近所の坂本町には組み立て式の北欧家具、BeConceptを扱う店があり、新築した壁一面に大きな本棚をここの家具で製作した

 

また1977年の弘前マップには、百石町にリーガルショップの記載があるが、リーガルシューズの直営店第一号店、東京、八重洲口にできたのが1970年だから、これも相当早いように思える。

 

最近でも牛めしの「松屋」が青森県で弘前に初進出したが、どうも市場調査すると弘前地域は30万人商圏と考えられ、商売に向いているように思われる。ただ実際は、それほど購買力はなく、売り上げも伸びないことから、進出したのはいいが、結局、売り上げ不振で撤退するケースが多い。弘前のさくら野百貨店に入っていた不二家も青森県内最初の出店であったが、この前行くと閉店になっていた。1873年(明治6年)の都市別人口を見ると、東京60万人、大阪27万人、京都24万人、名古屋13万人となり、東北では仙台が52000人、そして秋田が38100人、弘前が33000人で、弘前は東北では3位、全国では23位となっている。それなりのプライドもあり、先端的なことをしようとしたのだろう。

 

P S: 昨日、本の宣伝も兼ねて、アップルウエーブの「津軽いじん館」の収録に行きました。放送は5/11(水)のPM4:00からです。インターネット上で聞けますので、聴いてみてください。




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