2022年5月4日水曜日

名前の呼び捨て

 


先生と呼ばれる職業は、医師、弁護士、代議士、先生などろくな職業がない。どれも自分たちの枠の中では、患者—医師、依頼者、被告—弁護士、有権者—代議士、生徒—先生などのような上下の関係がある職業である。実際に人間関係には、確かに会社では平社員から社長、軍で言えば、二等兵から大将という階級差はある。ただこれはあくまで、特殊な集団の中でのことで、社会全体で階級差は基本的にはない。

 

こうした関係も最近では次第に小さくなってきており、弁護士が依頼人を呼び捨てすることはないし、医師が患者、あるいは代議士が有権者を呼び捨てにすることはない。実生活で、他人から呼び捨てされるのは、家族、父母、兄弟あるいは同級生くらいである。自分でも呼び捨てにする、あるいは呼び捨てされるのは、高校、大学の同級生であり、他には非常に仲の良い後輩の一部も呼び捨てする。それ以外は子供であっても“——くん”、あるいは“——〜ちゃん”という。

 

ところがこうした呼び捨てが一般化しているのが、学校の先生である。特に部活の先生は呼び捨てするのが普通であり、ひどいところになると、大学、社会人になっても選手のことを呼び捨てにする。ならば、逆にこの先生が選手、あるいは他人から呼び捨てても気にならないのだろうか。

 

私の娘は中学生の頃、バレー部に入っていたが、練習中に十字靭帯を断裂し、手術を受けた、顧問の先生は入院中、一度も見舞いには来なかったばかりか、退院直後、娘が椅子に座って練習を見学していると、何を座って見学しているのか、立って見学しろと怒られたという。ひどい顧問である。それ以上に腹が立ったのは、整形外科の同じ病棟に二人の小学生、男の子が入院していたが、いずれも野球部で肘の手術のために入院していた。どんな練習方法をしているのか、腹が立った。うちに来る患者さんに聞くと、部活を休むと、レギュラーにしないぞと言われ、熱があっても練習に行くという部員もいる。これは年齢差や教師と生徒という立場の差を利用したパワハラである。パワハラや差別が悪いと教える教師が率先してこうしたことをしている。もちろん教師が言ったことを過剰に反応する親や子供も多く、よく考えれば、病気で具合が悪い部員に練習をしなければレギュラーになれないぞと脅すわけはない。

 

最近読んだ本で面白かったのは、「僕に方程式を教えてください」(高橋一雄他、集英社新書、2022)で、この本は、少年院の子供達に数学を通じて合理性、論理性を学ばせようとする取り組みを描いたもので、ここでの指導法は一般の学校にも通用するように思える。一つに、子供達のことを一人の人間として対等に対応しようと、さんづけで呼ぶようにし、できるだけ、丁寧な言い方をするようにしている。そして間違うことを恐れずに、丁寧に指導する。普通考えれば、少年院に行くような少年に数学を教えるのは最も難しそうに思えるが、実際に驚異的な成果を収めている。おそらく、中学校、高校でもそうであろうが、こうした指導法は落ちこぼれ、ひいては引きこもり、中退を減らす方法の一つであり、その前提に生徒の名前を呼び捨てにする習慣は早くなくしてほしいものである。特に今の子供達は親からも呼び捨てにされることはなく、教師からいきなり名前を呼び捨てられると、中にはかなり傷つく生徒もいるだろう。不思議なもので、名前にさんづけするだけでも、相手に対する対応は異なり、まさかさんづけする部員に暴力を振るうコーチ、監督はないであろう。

 

こうしたことは、実践するのはそれほど難しいものではなく、学校の校長がこれから生徒のことを、呼び捨て、おまえ呼ばわりすることを禁じ、さんづけにするように命令すればよい。どうしても納得できないなら、職員室での先生同士の全ての会話で、名前を呼ぶ場合、呼び捨てあるいはおまえ呼ばわりすればよい。いかに腹がたつかよくわかるだろう。さん付けと丁寧語、これは学校の授業や部活においても基本であろう。

 

 


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