2021年3月18日木曜日

ダイアグノデントペン買いました

 







 東京などの大都会では歯科医の数が多くて、経営が苦しいという声を聞くが、弘前のような地方では、そろそろ歯科医院の減少傾向が始まっている。弘前の例で言えば、昨年は2件の歯科医院が廃業したが、新規開業はなく、こうした傾向はここ数年続いている。

 

 青森県の歯科医師会の名簿を見ていても、昭和30年代前後に生まれた先生が多く、私も昭和三十一年生まれで今年65歳になりサラリーマンで言えば定年年齢となる。70歳くらいで引退したいという先生が周りにも多く、あと数年でこうした世代の先生は引退する。すると現在の歯科医院の半分くらいなり、新規開業のペースが落ちれば、地区によっては、全く近くに歯科医院がないところが出てくる。

 

 最近の子供たちは、昔に比べて虫歯が本当に少なく、十数年前はまず3歳児健診で、虫歯も持つ子供が減ったと感じたが、最近では中学、高校の歯科検診でも同じような傾向があり、全く虫歯がない子供もそれほど珍しいことではない。うちに矯正治療にくる成人患者の多くもほとんど虫歯あるいは処置歯がなく、初めて来た歯科医が矯正歯科という患者も珍しくはなくなった。一方、40歳以上の患者さんは、それこそほとんどの歯が治療されていて、若者との差が大きい。

 

 今回、新たにダイアグノデントという機械を購入した。これはプローブの先からでたレーザー光でう蝕の程度を探知する機械である。かなり前にでた商品で、こんな装置を使わなくても慢性のカリエスか進行性のカリエスがわかると考え、無視していた。ただ最近では若者の虫歯が少なくなり、虫歯の進行が遅いCOと呼ばれるものも多くなってきた。ほとんど虫歯がなく、大臼歯の溝の部分が若干黒くなっている症例である。こうした軽い虫歯はあまり進行せず、そのままの状態で変化のない場合も多い。ただあくまで主観的な判断であり、こちらがCOと思っていても、一般歯科医で虫歯とされて治療されることがある。ある時、27歳の患者さんがきて、矯正治療のために抜歯するので、近医を紹介すると、大臼歯全て虫歯で8本の治療が必要と言われて、かなりショックを受けたという。調べるとほとんどCOの歯で、すでに処置した2本のレジン充填歯の方が将来的に二次カリエスになりやすそうである。虫歯が少なくなったことで、こうした慢性の進行しにくい虫歯を治す歯科医院も多い。

 

 医原性の疾患ということがあり、私も第二大臼歯3本の溝はすこく黒くなっており、COの歯であるが、ここ50年くらい変化はない。他の一本は学生自体にアマルガム充填の実習のために治したが、ここが少し虫歯になっており、治さなくてはいけない。おそらく他の3本の第二大臼歯のように何も治療しなければ、進行しなかったであろう。予防歯科の観点からが、こうした慢性のCOの歯については経過観察をして、進行するようなら処置するようになっているが、具体的な数値で示されない。ダイアグノデントは、こうした虫歯の程度を数値化できるので、その変化をみて、主治医に虫歯の依頼をしようと考えている。慢性の場合は、その数値を記載し、進行した場合にその数値変化を示して、治療を依頼する方が患者にとってもいいだろう。

 

 測定結果の正確性などはしばらく使ってみて報告したいと思う。これまでの歯科治療を主として虫歯が中心であったが、今の若い世代が中心になる2040年以降は、歯周疾患や不正咬合が中心となり、虫歯については、下手な措置をするよりはこうした機器を用いて経過観察するのが普通となるだろう。いくら治療技術が進んでも、健康な歯よりいいわけではなく、必ず問題、具体的には二次カリエスのリスクは増加する。二次カリエスなどで再治療を必要とされる年数はレジン充填で3532日、メタルクラウンで3276日、およそ9年から10年でダメになる。違う研究ではレジン充填の耐用年数は2-3年、平均使用年数は5.2年で非常に短く、まちまちであるが、個人的な感触では、COの歯の中には10年や20年変化しないケースも多く、早くにレジン充填などをすることはかえって歯の寿命を早める要因になる。


2021年3月12日金曜日

奈良美智 台湾、台北での個展

 



 弘前市出身の現代画家、奈良美智さんの個展が台北市内の台北芸術大学関渡美術館で312日から620日までの会期で行われる。311日のオープニングには蔡総統も出席した。この個展の準備のために奈良さんは214日に訪台し、2週間のホテルでの外出禁止と1週間の自主健康管理をした後に、個展の準備をした。一つの個展のために大変の思いをして望んだが、これに応えるように台湾政府もほぼ国賓相当の扱いをし、38日には総統官邸を訪れ、蔡総統と朝食を一緒にし、猫と一緒に記念撮影した。

 

 今回の奈良さんの個展は、東日本大震災に対する台湾の支援、友情に対するお礼としての開催であり、台湾での初めての個展である。奈良さんの作品は世界中で引っ張りだこで、同時に行われていたアメリカ、ロサンジェルスでの個展に多くの作品がいっているために、台湾での個展のために新たな大作“Hazy Humid Day”を制作した。その後、すぐにアメリカのダラスに移動し、ここでも次の個展のために準備をしている。台北の会場には代表作である”Midnight Truth”と完全に対になる形で新作の”Hazy Humid Day“が展示され、個展の目玉となっている。日本での個展同様、台湾でも大きな話題となるであろう。期待される。

 

 台湾の蔡総統自身がおもてなしをして個展が開かれたが、あまり日本の大手新聞やメディアに取り上げられないので、このブログで紹介した。

 

 台湾というと中国のパイナップル輸入禁止に端を発した問題から日本では台湾パイナップルが人気が出ている。弘前でも売っていれば、是非買ってみたいが、売っていない。となるとパイナップルを使ったお菓子、パイナップルケーキとなる。いろんな種類があるが、個人的に一番好きなのは、やはり“Sunny Hills”のパイナップルケーキで、これは以前、台湾に行った時に知人の先生からいただいたものである。日本でも東京は南青山、大阪ではJR大阪駅に店舗があるし、通販でも買える。少し高いが、お洒落度が際立ち、素敵な布袋に入っている。パイナップル以外にも青森産紅玉を利用したりんごケーキもあるが、やはりパイナップルケーキの方がうまい。訪問時のお土産に絶対にお勧めできるものである。

 

 奈良美智さんの個展は、アジアでは確か香港でしたようだが、できれば、中国本土、韓国、タイなどでも開催してほしいし、個人的には是非とも弘前レンガ倉庫美術館で、大規模な個展をしてほしいと思っている。コロナ問題のせいで、何もかもが中止、延期されてきたが、ようやく少しずつであるが、美術展も開催されてきた。美術なんて生活に関係ないと思うかもしれないが、奈良さんの弘前で行なったA to Z展では不思議な感覚を持った。レンガ倉庫に二階、広い空間に人間の形をした小さな島があり、周囲には大海原が広がっている。広い宇宙の中にはこうした世界もありそうで、一瞬、この星に空間移動したような感覚を持った。明らかに日常を忘れる世界がそこにあった。こうした経験は滅多にできるものではなく、アートの持つ力なのだろう。









2021年3月11日木曜日

40年前と変わった?

 

私たちが初めて中国、昆明市に入った観光客なので、市民は外国人みたさに大騒ぎでした。

万里の長城も空いていました(1980.4)、服はノースフェイスの60/40マウンテンパーカー



 すべてのものは、新たに発明され、それが実用化すると急速に進歩していくが、その後の進歩は緩やか、プラトーになる曲線を描く。例えば、ライト兄弟が初飛行したのが1903年、その後、1914年の第一次世界大戦では、飛行機は飛躍的な進歩をとげた。戦闘機として数年で一気に性能が高まり、主要な兵器となった。さらに第二次世界大戦を通じて、さらに発達し、プロペラ機としてアメリカ陸軍のムスタングD型で限界に達して、ほぼプラトーとなった。戦後、ジェット機が新たに登場し、これも瞬く間に進歩したが、速度としては1966年に運用開始したSR-71、ブラックバードのマッハ3が最高となる。それから55年、ステルス機などが発明されたが、速度としてはこれ以上の飛行機はない。同様にボーイング707が登場したのは1957年であるが、それ以降、60年間、旅客機としての大きな発展はない。

 

 今から40年前の1980年頃の日本はどうだったのだろう。1980年の音楽というと、売れたのは寺尾聡の「ルビーの指輪」であるが、いまだに残っている曲としてはユーミンの「守ってあげたい」、松田聖子の「風立ちぬ」、「夏の扉」、山下達郎の「ライドオンタイム」などがあった。現在、世界中で流行っている日本のシティーポップも、この時代のものだが、それほど古臭さはない。1980年代の40年前といえば、軍歌や古賀政男の演歌の世界で、古臭い。こうした意味ではポップ音楽も1980年頃からそれほど進歩していないのかもしれない。ファッションも同様で、1980年代に流行ったスニーカーや服は今でも好きな人は多い。こうしたことから、これからの40年後、すなわち2060年の世界はどうかといえば、服装や住む家、あるいは音楽もそれほど今と変化はないのかもしれない。映画バックツーザフューチャーでは、主人公がタイムマシンで1989年から2015年の未来に行く。そこでは空中を走る車が見られるし、服もなるほど未来服のようなものを着ていたが、実際の2015年は1989年とあまり違わない。映画“2001年宇宙の旅”では自由に宇宙ステーションに行けたが、2021年現在になってもそうしたことすらできないし、映画“ブレードランナー”に描かれる2019年なってもレプリカントと呼ばれる人造人間はいない。昔の未来予想図も含めて予想はほとんど外れている。これはすべてのものがプラトーになる原理を理解しないで、未来予測をした結果であり、確かにアポロ11号が月面着陸した1969年の勢いでいえば、2001年になれば、宇宙空間に誰でも自由に行けそうな気がするが、実際にここでプラトーの法則が効く。多分、あと100年くらいしても月面基地、火星基地の建設はよほどメリットがなければ、実現しないかもしれない。

 

 ただ1980年と2020年の一番大きな違いとインターネットとスマホであろう。1990年頃にはインターネットの萌芽があり、本格的に利用されるようになって25年くらいになるが、これがコンピュータのみでの利用であれば、これほど日常生活を根本から変えることはなかった。やはりアップルの発明したI-phoneはコンピュータを屋外の出した以上に大きな価値をうみ、個人の日常生活を大きく変えた。I-Phoneが発明されたのが2007年、すでに14年たち、これもどこかでは限界、プラトーになると思う。現行のI-phone12と初代とは原理はそれほど違わないことからすでにプラトー化しているのかもしれず、そうなるとネット社会もそろそろ限界かもしれない。

 

 孔子(BC552)、釈迦(BC565)、ソクラテス(BC469)が活躍したのが約2500年前であるが、いまだにこうした思想は古びておらず、現代人に大きな影響を与えているところを見ると、人間自体、それほど進歩したおらず、等にプラトー化しているのだろう。であれば、2000年後の人類も滅びていなければそれほど違わないはずである。それにしてもキリストを除く四聖人のうちの3人が100年以内で生まれたのは奇跡的である。

 

2021年3月9日火曜日

小学校での郷土教育

 

時敏尋常小学校 明治36年

同拡大

 先日、ヤフーオークションで手に入った明治364月、時敏小学校の卒業写真を寄贈しに行った。大変喜ばれ、今後の郷土授業の参考にするとのことであった。現在、小学校では3年生から6年生まで、総合研究授業で郷土の勉強をしている。時敏小学校では学区の弘前公園、仲町での野外授業や博物館見学などを行なっているという。学校検診でいく相馬中学校では、地元の郷土史家の協力を得て相馬村の歴史を教えている。

 

 こうした郷土の授業は、子供達の郷土への理解と愛情を育てるためには、大変意義ある。つい青森のような中央から離れたところに住む子供達は、東京を中心とした都会に憧れを持ち、故郷を田舎とばかにするようだが、これはとんでもない間違いであり、東京に価値があるように故郷も同様に価値がある。それを具体化するのが、こうした小中学校でも郷土授業であり、たとえ東京の人に弘前のような田舎では芸術がないと言われれば、近くに現代美術家のホープ、奈良美智が住んでいたし、田根剛が設計した弘前レンガ美術館もあると答えればおしまいである。少なくとも人物として東京に負けることはない。

 

 ただ実際に郷土の授業というと、テキストがなく、各小中学校に合わせた授業が望まれるだけに準備も大変そうである。さらに従来のような“わたしたちの弘前”や“新・弘前人物志”などの副読本を活用した授業より、子供達にとって身近なトピックが求められる。そうした点では、昔の絵図や地図を使って実際に近所のことを調べるのは楽しい。例えば時敏小学校の例で言えば、近所の八幡神社の周囲は大きな木で囲まれ、天狗が住んでいたとか、稲荷神社あたりには最勝院とその塔頭が並び、夜になると怖くてばけものが出たという話も面白い。こうした絵図や写真、昔話などを使い、実際にその痕跡を調べたり、八幡神社の神主に話を聞くのもいいかも。

 

 また今回持っていった明治の卒業写真、戦前の卒業写真、そして最近の卒業写真を比較することで、髪型や服装の違い、それを取り巻く環境なども見つけることができるかもしれない。明治時代の学校は学区の住民が金を出し合って建て、住民の自慢であったことや、旧制中学校に行く生徒はごく一部であったこと、学校に行くのにも授業料がいったこと、弘前城内で行われた合同運動会では、先生が相手校の選手を妨害し、先生同士で喧嘩になったこと、面白い。また子供達の稚児巻きから、髪型の時代変遷を教えるのもいい。弘前の学校はどうか知らないが、昔は小学校の教室の中に今のデンタルユニットのようなものがあり、検診後、虫歯があれば、そこで治された。また弘前市の朝陽小学校では昭和40年頃には、学校に風呂があり、生徒が入浴する時間があったという。おそらく風呂に入れなかった子供がいた時代の名残であろう。男女が一緒には入浴するのがたまらなく恥ずかしかったという。

 

 拙書“明治2年弘前絵図”では、章ごとに各町内の偉人を挙げて、大まかに解説している。時敏小学校についていえば、学区が弘前公園や武家屋敷の多い仲町地区を含み、ここには多くの偉人がいて、場合によっては自分の住んでいるところに以前、素晴らし人物がいたとわかることもある。そうした人物について図書館やインターネットで調べることは、一種の初歩的研究としては大切な経験となる。さらにその結果を発表し、冊子にすれば、学校の研究となる。こうした点では、弘前市は郷土授業をするには非常に恵まれた町であり、それを有効に活用してもらい、子供達の郷土愛を育てて欲しいと思う。

2021年3月7日日曜日

難波小学校、猪俣太郎画伯

 

白髪一雄

猪俣太郎先生の絵

 小学校の図画の先生は猪俣太郎といい、私は幼稚園頃から絵画教室で教えてもらっていた。そのせいか、私には採点が甘く、一年生から六年生まで図画の成績はずっと5であった。他の科目は4だったり、3であることもあったが、猪俣先生には可愛がられた。 

 

 この先生に教えられたのは、画面いっぱいに大きく描き、空白を残さないこと、空とか壁など大きな範囲を塗るときには、太い筆で筆を洗った汚い水を使うことを教えられた。こうしたテクニックを使い、小学校1から4年までは怖いもの知らずで、阪神パークでの写生大会では大抵入賞や銅賞、銀賞など何らかの賞は取っていた。ただ金賞や特賞を取ることはなく、それほど才能はなかったと思う。

 

 6年頃にはとりわけ記憶に残っているのは、筆の先を切り取って、水彩絵の具を水もつけずの紙にポンポンとたたくようにして描く技法を発明した。どうしてこうした技法を発明したか、わからないが母親が少し油絵を描いているのを見たせいであろう。印象派のジョルジュ・スラーの点描画に近い発想である。ただこの方法の問題点は、恐ろしいほど絵の具を使うことと、時間がかかることである。友人のSくんをこの方法で描いたが、顔だけこの方法で描き、バックは水で薄めた黄土色単色で埋めた。猪俣先生が激賞してくれたことを覚えている。顔の部分は何色も色を重ねていき、厚い、ほぼ油絵のような作品となった。

 

 猪俣先生はいつも小学校校舎の端にある図工室で絵を描いていた。子供にはわからないような抽象的な作品を描いていた記憶がある。今回、猪俣先生のことを調べると、新世紀美術協会に所属し、その委員をしていた。新世紀美術協会は、和田三造。川島理一郎、大久保作次郎などで結成されたもので、現在、200名近い会員がいる。ヤフーオークションに出ている猪俣先生の作品を見ると、記憶とは違い、普通の具象の風景画を描いている。現代絵画で有名な白髪一雄は尼崎生まれで、猪俣先生も多少は交流があったのか、当時は同じような抽象画を描いていたのかもしれない。白髪は、尼崎市西本町生まれというから、今の阪神尼崎駅の南の方にあり、尼崎中央商店街の父親の呉服店二階をアトリエとして絵を描いていたようで、猪俣先生が勤務する難波小学校とは歩いて10分くらいの近くに住んでいた。白髪の作品は近年海外でも評価が高く、過去には5億円で落札されたこともあり、人気が高い。

 

 こうした有名な画家が、尼崎に住んで活動していたとは、今回調べるまでまったく知らなかった。アトリエは尼崎中央三丁目、神田中通りの木市呉服店の二階にあり、丸亀製麺の斜め前で、ここで活動していた。私は小学生でほとんど毎日のようにぶらぶらしていた界隈であるが、当時、この付近に住む住民で、こんなところに有名な画家がいて絵を描いていたとは誰も知らなかったと思う。生涯、尼崎で創作活動を行っていたというのは尼崎を愛して、そこの雑多な雰囲気が好きだったと思うし、何らかの尼崎のカオスのような喧騒も彼の作品に影響しているのだろう。ちなみに尼崎を代表する漫画家、尼子騒兵衞の事務所も白髪の生家、西本町近くで、忍たま乱太郎の小さな石の像が玄関横にある。

 

 2016年の日本人画家のオークション落札値によるランキングでは、1位は藤田嗣治、二位は奈良美智、三位は白髪一雄、四位は草間彌生、五位は白髪一雄、六位は奈良美智、七位は白髪一雄、八位は草間彌生、九位は白髪一雄、十位は奈良美智となっている。このうち、白髪は私の尼崎の実家のすぐそば、奈良は弘前出身というのは偶然であるが、案外、近くに有名な人がいるようである。

2021年3月4日木曜日

小商いのすすめ

 




 時代を先取った、切り取った本というものがある。今回紹介する“小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ”(平川克美、ミシマ社、2012)は、本当に小さな出版社の本で、それも9年も前に発行されたものである。すでに6刷のロングセラーで、私のよく行く古書店“まわりみち文庫”に行かなければ書店で買うことはなかった。

 

 タイトルと違い、中身は雑談めいたことが多く、特に“小商い”の方法やノウハウを伝授しているものではないが、なかなか考えさせられる内容となっている。東日本大震災およびそれに伴う原発事故後の日本人、特に若者の心理的変化を通じて、新しい生き方を提示している。これは進行形であるコロナ問題が収束すれば、さらにその傾向はよりはっきりとしていくことであろう。

 

 簡単に言えば、生まれた時は平等で、その後、個として過程でお金持ちになったりとばらけていくが、最終的には死という絶対的平等へと降り下っていく。であれば、自分が本当に楽しいと思える仕事、生き方をしようというものである。いくら大金持ちや地位が高くても、そうしたものをあの世に持っていけるものではなく、無理に苦しい仕事をして生きるくらいなら、多少生活が苦しくても、幸せと感じる生き方をする、その延長上に小さくてもいいが、皆の役に立つ、やりがいのある商いをしようという発想である。

 

 昔は、何か商売をしようと思っても、家がそうした商売に関係していなければ、なかなか起業はできなかったし、それなりの金がかかった。それが今では、コンピュータ一台あれば、商売ができる環境になり、特にコロナ下の状況では、こうした考えは稀なケースでなく、普通のこととなった。むしろ衣料、本、さらには食べ物などの販売は、実店舗よりネットの方が多いかもしれない。実店舗だと周辺に住む人々が顧客となるが、ネット販売になると日本中、あるいは今後、世界中の人々が顧客となる可能性があり、ますます実店舗での販売は減るであろう。一方、田舎の小さな町のお店で、ほとんど客がいなくても、ネット販売が多ければそこで生活できる。

 

 膨張する資本主義では、無限大の消費を前提としており、例えば、テレビが出た時は、それが欲しくて皆金を貯めて買ったが、さらに一家に一台から一人一台に、そして風呂場にもテレビをと、拡大していったが、流石にもう必要ないと思いはじめた。一人が食べられる量は決まっており、いくら安くて、美味しくても限界があるように、無限大の消費ということはあり得ず、むしろ消費者の高齢化を考えると著者の言うように縮小社会になってきたと考えた方が良い。


 こうした社会では、いい会社、そこでの昇進、高い収入といった生き方より、田舎で自然に囲まれ農業をしたいという若者がいても全くおかしくはない。実際にこうした若者も増えていているようで、さらに伝統工芸品でも少しずつ若者が修行にくるケースも出ている。一流企業を中心としてピラミッド型社会よりこうした小さな色んな山があった方が面白い社会であり、日本人は昔から自分の好きなものに熱中する性格を持つため、このような新しい社会でも成功する国であるように思える。

 

 コカコーラの1990年頃のCMを見ても今とはそれほど違和感がなく、日本のシティーポップが世界中で聞かれているということを聞くと、もはや実世界、社会、実店舗はここ30 年くらいあまり変化していない。1990年の30年前、1960年はまだ車も珍しく、年配の婦人はまだ着物を着ていたことを考えると、1960年から1990年ほど、1990年から2020年は変化していない。おそらく30年後の2050年になっても実際の社会やお店はそれほど変化はないように思え、映画”2001年宇宙の旅”の世界が現実とならなかったように、未来像はもはやプラトーになってあまり変化しないのだろう。それでもネットを通じた仮想空間はどこかでプラトーになるまで今後も発展し、ベテラン教師であればネット上で家庭教師もできるし、家で専属のコーチから減量トレーニングを、アメリカから英語のレッスンも受けられる。もっと言えば、大学だって実際の授業を受けずに卒業できるだろうし、ポストコロナの世界はこうした従来の実体のある器はあまり進歩せず、逆に実体のない仮想空間、社会が急速に普及していき、都市と地方の差、先進国と途上国の差、人種、ジェンダーの差などがなくなっていくのだろう。そうした社会が一種の縮小均衡の社会なのかもしれない。


2021年3月2日火曜日

Google レビューの問題点


 

 Googleで医院を検索すると、医院の住所、場所、診療時間や写真などの他、Googleクチコミというものがあり、星による点数付けが行われます。私のところも厳しい点数を付けられています。

 

*`

“とても評判がよいと聞いていたので、予約しようと電話しましたが、電話に出た受付の方の対応が非常に悪くてとても残念でした。今すごく混んでいてーーーとなんか予約受けるのさえ嫌そうな感じだったので、別の歯科医さんにお願いすることにしました。どの業種でも、いちばん先に接する方はそこの顔だと思います”

 

“受付の態度が悪すぎる”

 

 この2名の投書の方のご意見の通り、最近はかなり混んでおり、なかなか患者さんの希望の日に予約が取れません。その結果、こうした対応になったのは申し訳ないと思います。ただ受付は、午前中は私の家内が、午後は勤続20年以上のベテランがしており、私は絶対の信頼を置いており、患者さんに対して通常の意味での失礼な対応は決してないと思います。というのは受付と診療室は近くなので、受付の電話内容は聞こえ、把握しているからです。おそらく“来週火曜日の5時に予約できますか”、“その日はすでに予約が入っています”、“それでは水曜日の4時はどうですか”、“その日の予約が入っています”、このような会話が数回続き、患者さんが怒ったと推測します。確かにこうしたやり取りは気を悪くするので、こちらから空いている時間帯を先に話すようにすることにしました。

 

 ただ他の歯科医院のクチコミを見ていても、同じように受付の応対で星一つの厳しい評価をしているケースがたくさんあります。レストランなどで有名な食べログでは、実際にその店で食べていない評価を断っています。つまりレストランでの予約の際の電話対応は、あくまでその店のサービスの一部であり、実際にその店にも行かず、料理も食べもせず、電話応対だけでの評価を受けないとしています。あくまで星は総合評価であり、店の雰囲気、従業員のサービス、料理の内容、値段などを総合したものです。上記のように電話応対はあくまでサービスの一部であり、これだけで医院を評価することは全く一面しか見ていないことになります。もしある人に電話をかけてその応対だけで、その人に会いもせず、話もせずに、こいつは星一つの最低の人物であると評価するのと同じようなものです。

 

 SNSではこうした匿名のコメントが多いのですが、私からみると非常に卑怯なやり方のように思え、子供の自殺に追い込む誹謗中傷と基本的には同質なもののように見えます。匿名で好き勝手に責任も取らず、悪口を述べ、自分が上のものとして人を評価する。自由とは制限と責任が同居するものであり、そろそろSNSにおいても匿名のコメントについては、何らかの規制をすべきでしょう。医院以外に美容院も、かなりGoogleでは厳しい評価がされる仕事ですが、少なくともその店で治療、サービスも受けないでの評価はなしにして欲しいところです。予約の受付応対だけで1評価はないと思います。

 

 中国では、強豪相手の美容院や医院を潰す目的で、悪口を書き込む低評価レビューの戦争が起こっているようですが、日本ではGoogleのレビューがその対象となっており、私のところにも低評価のレビューを一件5万円で消すという怪しげな会社からの電話が多くきます。流石にGoogle 社がこうした会社とタイアップしていることは考えられませんが、それでも利用されているのは確実であり、詐欺に加担したと言われても仕方ありません。ある矯正の先生は、こうした厳しいレビューに断固として戦い、弁護士に依頼して名誉毀損で訴訟しました。Google社も投稿者の名前を教えるようで、結果、そこの患者がちょっとしたことで腹を立てて、誹謗中傷するような投稿をしたようです。父親は平謝りし、投稿の削除とお詫びのコメントをしましたが、これでは怒りが収まらず200万円の損害賠償をしているところです。ちょっとした発言も場合によっては大変なことになってしまいます。ただこうした反論をする人は少なく、私も含めて多くの歯科医あるいは医者、従業員は、こうした低評価には凹むようで、早く辞めたいと漏らす人も多くいます。無責任に1のレビューを評価をする人はこうした影響もあることを考えておいて欲しいと思います。


 

2021年3月1日月曜日

COの処置 

 

CO要観察歯(日本学校歯科医会より)

CO(学校歯科医会より)、今回はもっと小さなCであった

学校歯科パンフレットより


 COというのは、慢性の進行が遅い、虫歯のことで、私も第二大臼歯の4本は黒く着色しているが、すでにそういう状態で50年以上進んでいない。こうした歯は案外多く、新潟、酒田の日吉歯科、熊谷先生は30年以上前から、COは経過観察し、進行するようだったら治療するように指導してきた。ただ残念なことに経過観察している歯がすぐに違う歯科医院で治療されてしまうと嘆いていた。昔、虫歯は早めに治療するように言われていたが、進行性でなければ、すぐに治療する必要はないと個人的に思っている。COのまま放っておくより、あまり上手くないレジン充填の方がよほど悪くなる可能性は高く、治療介入することでかえって予後を悪くする。今の患者さんは、昔に比べて虫歯も少なく、あったとしてもCOの場合も多い。ただ歯科医院によっては、虫歯だからとすぐに削って詰めるところもあるので、数年以上そのまま変化していなければ、歯科医にCOじゃないかと言って欲しい。もしダイアグノデントという虫歯の程度を数値化する機械があれば、それで測ってもらうか、経過観察にしてもらうことを勧める。

 

 患者さんにどこで虫歯の治療をすればいいですかとよく聞かれるが、いつも行く歯科医院にいってくださいと必ずいう。なぜなら歯科医というのはおかしな習性を持ち、多くの歯科医は自分のところが最高の治療をしていると考えている。そのため、他院で治療したところはやり直しするところが多い。先にあげた歯科医院の治療でもおそらく他院に行けばやり直しとなる。そして、つめたところをやり直す場合は必ず前より歯を大きく削ることになり、何軒も歯科医院を変えるたびに、どんどん歯を削り、処置範囲も大きくなる。そういうことを避けるためにも同じ、かかりつけ医に行き、進行している歯についてのみ治すのが一番よいことになる。さらにひどいケースになると、弘前の方でインレーなどの金属で治療したところを、進学などで東京に行くと、白いのに変えた方がよいと説得され、悪くなくても全てCAD-CAMのセラミックや硬質レジンインレーや冠に変えられるケースが多い。それに伴い削る量が増え、今度は破折してインレーは冠に、冠は抜歯、インプラントとなる。これなどは医療というよりは金儲けとしか言いようがない。ちなみにこうした歯科医に聞くと必ず患者が白い歯を希望したというが、これは嘘で、歯科医がそうするように勧めた場合がほとんどである。

 

 できればかかりつけの歯科医院を決め、そこを信頼してずっと通うことが、歯の予防には一番よく、特に40歳以上になれば、虫歯の問題は少なくなっても、歯周病の問題が出るので、必ず、定期的に歯科医院でメンテナンスをしてもらうことが大切である。私の尊敬する先生は、患者が高齢者施設に入っても、往診をし、最後まで診たいと言っていたが、こうした主治医を持てれば最高であろう。