2016年4月21日木曜日

Saucony シューズ

Saucony Grid 9000とNew Balance 996

靴がかわいそうなくらい横に広がっている

 スニーカーと呼ばれるようなものを履き始めたのはいつのころだろうか。小学生の頃は、尼崎、三和商店街の一番奥の方に靴屋さんがあって、そこに運動靴、大抵は白のキャンバス地のものが置かれていた。子供達には軽くて底の薄い運動靴が好まれていた。中学生になると、サッカー部に入ったので、トレーニング用シューズも兼ねて、今のアシックス、当時はオニツカタイガーのリンバーという靴がサッカー部でははやっていた。白地に赤いラインのもので、トレーニング以外にもちょっとしたサッカー練習にもこれを使った。このあたりがスニーカーと呼ばれるものだろう。その後、高校生になると監督や先輩が履いていたアディダスのローマ、白地に青の三本線のものをずっと履いていた。このシューズは耐久性に優れ、スパイクなしでもサッカーの練習に十分に耐える。

 大学生になると、おしゃれスニーカーを履くようになり、アディダス、ナイキ、プーマと色々なスニーカーを履いたが、当時、雑誌“ポパイ”でよく紹介されていたNew Balanceはどうもナイロン素材が使われていて耐久性の弱い割にに値段が高く、買ったことはない。一番よく履いたのはアディダスのスタンスミスでこれは5足以上買ったと思う。

 昨年、あまりのNew Balance人気で、相当遅れて、M996という評価の高いスニーカーを買った。確かに履き心地はよく、いっぺんに気に入った。ただアメリカの靴は横幅が狭く、通常26cmのサイズがNew Balanceでは9.5(27.5cm)となる。また靴ひもを締めると横に広がってかっこうは悪い。それも長い距離歩くには快適な靴で、雪が降るまではかなり使っていた。今年も雪が溶け、そろそろ散歩でもしようと考え、新しいスニーカーを物色することにした。

 候補はやはり、New Balanceで今度はM996の上位機種の13001500、あるいは990などを検討した。ただ最初の99612000円くらい(アジア製)であったが、候補に挙げたものはいずれも20000円以上、30000円近くする。いくら何でもスニーカーに3万円は高すぎる。この値段を払うなら革製のブーツなり、ビジネスシューズの方がよい、今年は古いNew Balanceで済まし、ダメになったらM996に買い替えようと考えた。

 先月、アメリカ人の友人は会うと、アメリカで最も売れているスニーカーはSauconyというメーカーのもので、ランニングシューズを米国で買ったが、非常に走りやすいと言っていた。日本ではサッカニーというが、ABCマートで独占販売しているようである。といってもどこのABCマートにもあるわけでないため、先日、東京に行った折に新宿のABCマートに寄ってみた。ランニングシューズ、タウンシューズなど種類は多く、レディースものなどはセールになっていた。私の買ったのはSaucony Grid9000というモデルで、10000円くらいだった。ランニングシューズは高いものもあったが、それでも15000円くらい、セールのものでは3000円くらいで売っていた。

 作りはきちんとしていてNew Balanceと遜色はなく、今回買ったGrid9000というシリーズでも、ベロが片方の固定されている変わった構造で、ソールも厚くて、NewBalance996よりは凝っている。それでいて値段は安い。早速、履き比べてみると、New Balanceに比べてソールの反発力が大きい。New balanceではアスファルトの固さを吸収するクッションはあるものの、それが歩行へ影響することはないが、サッカニーは反発力そのものが歩行をサポートする構造となっている。踏み込む力が足を持ち上げる力となるため、歩きやすい。少なくともNew Balance996よりGrido9000の方がコストパーフォーマンスは高いし、13001500に3万円も出すくらいなら、こちらの方が断然お得だし、人とかぶらない。

 サッカニーは1898年に創立された全米でも最も古いアスレチックシューズメーカーであるが、宣伝が下手なせいか、情報通の私でも全く知らなかった。全米での人気は高い一方、かなり流通量が多いのか、Amazon USAをみると、むちゃくちゃに安売りされている。Saucony Grid9000のサイズ9.5でみると、何と43.95ドル、日本円で4800円くらいになる。191人のレビューで4.5の評価はうなずける。ちなみに世界で最も有名なランニング雑誌のRunner’s World2016年春のお勧めシューズでは、SauconyではHurricane iso2kinvara7が、2015年冬ではTriumph ISO2Guide9Hurricane ISOTriumph ISOが選ばれ、とりわけTriumph ISO22015年度ランニング部門でNew Balance1500v2とともにEditor’s Choiceに選ばれている。アマゾン(日本)で見るとNew Balance150025900円(アメリカ定価110ドル)に対して、ABCマートでISO217200円(アメリカ定価150ドル)で安い。要はNew Balanceは中間業者が、人気があるのに乗じてボッテいるだけで、実用性を考えるとSauconyはお勧めできるシューズブランドである。サイズはNew Balanceとほぼ一致するが、実際に履いてみることを勧める。



2016年4月20日水曜日

石原莞爾 松蔭室




石原莞爾 戦争史大観(自筆)


 養生会の第106回「松蔭祭(吉田松陰先生記念会)」が弘前市元長町の松蔭室(養生幼稚園隣)で開催されたので、お邪魔した。以前から松蔭室に興味があって、訪ねたいと思っていたので、こうした機会はありがたかった。

 寛永五年三月(1852)、若き日の吉田松陰と熊本出身の宮部鼎蔵は、雪の矢立峠を越え、弘前に入り、儒学者の伊東梅軒(廣之進)を訪ねる。そして国事や異国船への弘前藩の対応などを語り合った。その場所を、当時そのままに保存したのが、この松蔭室である。医師である伊東重は、藩医の家系で、家が伊東梅軒の隣にあったことから(親類関係ではない)、この家を購入し、養生幼稚園を創立した。さらに吉田松陰の来弘し、懇談した部屋を記念すべく、そのまま保存した。そして明治44年からは吉田松陰の来弘を記念して、来訪日の3月1日、新暦では419日に松蔭祭を行うことにして、今日に至っている。戦前、戦後、一度もかかさず、今回で106回目の開催となる。

 地元ではこの松蔭室は隣に幼稚園があったことから“幼稚園”と呼ばれ、養生会のメンバーや若者が集まり、いろいろな講演を聞いた。こうしたことから若者に地元の名士の遺品を直に見てもらおうと、多くの方から寄贈品があり、それを陳列した棚を“偉人棚”とした。展示品は以下のものである(松陰室パンフレットより)。

西郷隆盛手製の烏賊釣り具
勝海舟の檜皮篭
福澤諭吉の「民間経済録」坂木(版木の間違いか?)
丁汝昌の菓子入(自殺の枕元にあったもの) 清の北洋艦隊提督、日清戦争
乃木大将愛用の碁石(旅順包囲中に使用したもの)
山県元帥の軍服
児玉大将の状箱
本多庸一の説教原稿
伊東梅軒の書
陸羯南の書
東郷元帥の書
後藤新平の書
一戸大将の書
中村大将の書

 これらの品は、珍田捨巳、一戸兵衛などから寄贈されたもので、由緒ははっきりしている。さらに昭和天皇の傅育官、弥富破摩雄(旧制弘前高校教授)から寄贈の昭和天皇幼年時の学習院制服や、石原莞爾中将の「戦争史大観」の直筆原稿などがある。今回の松蔭祭では札幌在住の方より発禁処分となって、50部しかない北一輝(輝次郎)「国体論及び純正社会主義」が寄贈された。

 私自身、最も興味があったのは石原莞爾の「戦争史大観」の原稿である。戦争史を通観することで、将来の戦争を考察したもので、もともとは講話を本としてまとめたものとされているが、予備役となった昭和167月に中央公論社から出版された。偉人棚にある「戦争史大観」の表紙では昭和162月となっており、出版原稿であろう。一ページおきの文章となっており、表紙の裏には“呈上 伊東六十次郎先生 昭和十九年二月二十九日 石原莞爾”となっている。伊東六十次郎については私のブログ(2011.11.28)を参照してほしいが、石原莞爾と伊東は友人、先生、弟子関係であり、互いに認め合う存在であった。そのため、戦争末期、東条英機に睨まれ、生命の危険性もあった石原は自分の原稿を最も信頼できる伊東に託したのであろう。弘前は戦火にも合わず、松蔭室で大事に保管されてきたため、こうした形で残されることとなった。

 内容については、くわしく検証していないが、青空文庫にある“戦争史大観”と比べると一部は違うが、ほぼ一致する。例えば、第二篇 戦争史大観の序説のところでは“ドイツ流の直訳”、“モルトケ直訳”は、原稿ではそれぞれ“ドイツ流の丸呑”、“モルトケ丸呑”となり、“ヒットラー流?”は“ヒットラー?”となっている。校正時の修正箇所であろう。ほとんど修正、書き込みもなく、淡々と記述しており、字体も特に変わった特徴もなく、天才肌で変わり者とされる石原にしては極めて普通でてらいもない。おそらく印刷屋への持ち込みの清書原稿であろう。近年、石原莞爾の評価は高く、一方では、陸軍の下克上体質を作った人物であったが、もし東条英機ではなく石原莞爾がトップであったら、日本はどうなったかと思わせる、不思議な人物である。


2016年4月17日日曜日

鎌倉、東京旅行

鎌倉プリンスホテル

椿山荘の読書灯 隣に迷惑をかけず便利



 娘二人が昨年から東京と横浜に住むようになったので、一度、家内と一緒に鎌倉と東京を旅行しようということになった。初日は弘前から新幹線と東海道線、横須賀線を乗り継いで、鎌倉に着いたのは午後1時。駅前で昼食をとり、すぐに江ノ島電鉄の一日乗車券を買って、ホテルのある七里ヶ浜に着いたのが、午後2時半。江の電に始めて乗ったのが、40年前で、大船に住んでいた友人と流れ星を見ようと江ノ島に行った以来である。当時のことは全く忘れてしまったが、男同士で流れ星を見に行った淋しい思い出だけが残っている。

 鎌倉プリンスホテルは駅から歩いて10分。海岸では多くのサーファーがいる。波も高く、確かにいいサーフスポットである。ホテルのバンケットホールが海岸沿いにあり、ここから斜めエレベーターで高い場所にあるホテルに登るようになっている。ホテルはリゾートホテルで、部屋からは江ノ島海岸が見渡せて美しい。すぐに再び江の電で長谷まで行き、鎌倉大仏と長谷寺を見た。小津安二郎の映画でよく登場する場所であるが、観光客の半分は外人で、韓国人、中国人、西洋人以外にもタイ人の姿が多く、えんじ色の袈裟を被ったタイ人僧侶が目立った。その後、鎌倉市に向かい、鶴岡八幡宮を訪れた時に雨が降り、川喜多映画記念館も見たかったが、5時で休館のため残念し、娘と待ち合わせの藤沢にまた江の電で向かった。藤沢は思った以上の大きな街であったが、とくに特徴もなく、居酒屋は客が多かったが、内容はおそまつであった。
 
 次の日は、午前中ゆったりホテルで過ごしてから、東京に向かった。藤沢から湘南新宿ラインで新宿まで行き、そこからタクシーで宿泊先の目白の椿山荘に。椿山荘はフォーシーズンズの時から憧れのホテルであったが、この時期はパック旅行で安くなるため思い切って泊まることにした。荷物を置いて、今度は池袋のデパートに行き、さらに新宿で買い物をして再びタクシーでホテルに行った。椿山荘の内装は、リッツカールトン系とよく似ていて、韓国ドラマのお金持ちの家のイメージである。最近のホテルではネスカフェのカプセル式のコーヒマシンがあるが、前回、リッツカールトン(大阪)では有料かと思い、やめたが、今回はホテルの人に無料と聞いてから飲んだ。根がさもしいのか、どうもホテルの有料ドリンクを使う気にはならない。リッツではインターネットも有料(確か1000円くらい)であったが、ここは無料で、バスタオルも余分に一枚あり、朝シャワーを浴びた時に濡れたものを使わなくてすむ。ご多分にもれず、このホテルも外国人、ことに中国人が多いが、かなり旅慣れた人が多いため、ロビーでの喧噪はない。夕食は東京に住む長女と日本橋の「皆美」という鯛めしで有名な出雲料理の店に行った。さすがに鯛めしはうまいが、コースの最後の方に出てくるので、満腹で十分に楽しめない。茶碗で2杯分あるから、コースの終盤ではきつい。

 最後の日は、東京の新宿に住む知人の案内で、椿山荘近郊、早稲田界隈を案内してもらった。永青文庫そばの小道を歩いていると、横の小さな神社で何かの撮影があった。ちらっと「奇跡の人」という脚本を見たが、宮本信子さんが演じていた。その後、知人の案内で、神保町の「鶴八」という寿司屋に連れて行ってもらった。昭和の匂いをぷんぷんさせた店で、店主と奥さん、座席は6つという小さな店である。握りがものすごく早く、さらに味は最高で、これぞ江戸前という手の込んだものである。前日の鎌倉の記憶が残っているのか、小津安二郎の映画、笠智衆がカウンターに座っていても違和感はない。こうした店も含めて最新のレストランから東京の食文化は深く、広い。その後、娘からもらった三陽商会のファミリーセールの招待券があり、会場はこの寿司屋から近い科学技術館でやっていたので、歩いた。三陽商会もバーバリーを扱ったころは多少興味があったが、今はマッキントッシュに変わったので、私は一切興味なく、家内はコートが6割引きということで、来年の冬用に購入した。
 
 学会や所用で東京に行くことは多いが、今回は久しぶりに旅行だけなので楽しかった。それでもどこも人が多く、また年ごとに外国人が多くなり、田舎に住む私のようなものからすれば、どうも違和感がつきまとう。