2021年8月28日土曜日

看護師のお仕事

 



 健康診断で異常が見つかり、手術を受けて2週間ほどで何とか無事に退院できました。その間、診療所の方が休診となり、患者さんには色々とご迷惑をお掛けしました申し訳ございませんでした。

 

 入院中は、看護師さん含めて病院の医療スタッフには大変お世話になり、ありがとうございました、こうしたスタッフの献身的な仕事ぶりにはある意味大変感動しましたし、自分のことを振り返っても、何か嫌なことがあると、患者さんにそれを表したりする自分のことを未熟で、情けないと考えさせられました。患者は、心理的に本当に弱いもので、何かにすがりつきたくなります。そうした心理を優しく受け取り、ニコニコして対応するのが看護、医療スタッフに重要なことであり、そうした精神に達していない自分自身を反省するばかりです。もう少し患者サイドに立った治療を残りの人生、していきたいと思います。

 

 一方、コロナ騒動では、感染者の入院先などの報道が連日報じられていますが、実は今回入院して、それ以上の問題があることがわかりました。現在、コロナのために入院中の面会は一切禁止されています。患者への感染リスクを考えると当然のことと思われます。ただ問題なのは、入院患者の多くは高齢者で、痴呆や歩行困難者も多くいます。これまでであれば、こうした患者さんいついては、家族が付き添い、たとえばトイレに行く場合も、家族がベッドからトイレまで運び、トイレをさせたものです。また服の着替えから食事の世話まで、医療行為以外の生活支援の部分で、付き添い、あるいは見舞いの家族がやるパートは多いものです。ところがコロナ騒動のために、家族の付き添いがなくなるとどうなるかいうと、こうした生活支援もまた医療スタッフが行うことになります。それでなくても忙しい病棟管理の上にさらに多くの仕事が増えることになります。隣のおじいさんは痴呆があるのか、ずっとトイレ、トイレと叫んでおり、その都度、ナースコールをします。おそらくズボンを脱がせて、ベッド横のポータブルトイレに座らせ、トイレをさせるのですが、ここまで10分くらいかかるでしょう。そしてまた15分するとナースコールを鳴らすということの繰り返しです。この1人の患者さんに随分と時間を取られます。それでも看護師は怒ることはなく、きちんと声をかけて対応しており、すごいと思いました。


 こうした患者が、病棟全体でも結構いて、看護師さんの仕事量を確実に増やします。おそらく日本中の多くの病院でもこうした問題が発生しており、そこで働く看護師、医療スタッフのストレスと疲れはすごいことになっていると思われます。

 

 コロナ感染者の急増に伴う入院先、ベットの確保などが大きな問題となっていますが、一方ではこうした一般の入院病棟においても、付添人の禁止に伴う看護師の仕事量は確実に増えており、そこで働く看護師、特に病棟の夜勤勤務については、大きなストレスと肉体的な疲労があると思われ、少なくとも仕事は増えているのであるので、手当の増加は必要と思われる。


 コロナ感染は基礎疾患を持つ人では致死率が高まるが、その最たるものが入院患者であり、手術直後は最も弱っている状況であるし、内科的入院においても基礎疾患が深刻なために入院したのであるから、こうした入院患者では絶対にコロナ感染を起こしてはいけません。そのため全ての人がワクチンを受けて、コロナ騒動が完全に収束するまで、今の対応、病棟への付添人、面会の禁止はさらに続くであろうし、場合によっては永遠に収束しないかもしれません。


 こうした状況で、看護師の仕事の負担は相当大きく、付添人がしていた生活介護の仕事については、看護助手の仕事範囲を増やすなどで、もう少し対応できないでしょうか。欧米ではさらに一部の痴呆や歩行支援を必要とする患者さんについては、ワクチン接種証明、PCR検査で陰性であれば、術後の数日、家族による付き添いを許してもいいかもしれないと思います。これだけでも看護師の仕事の負担は随分減ります。


 看護師という仕事は、テレビドラマのような夢のある仕事ではなく、嘔吐物や尿、便の処理など、かなりきつい仕事もあるし、患者の深刻な悩み、さらに死など、ストレスの多い仕事です。それでも看護師がいなくなる、それこそ誰が患者の看護をすると考えると、社会生活上、これほど必要な仕事もありません。医師はその仕事の大変さに相当する高い収入を得ていますが、看護師の仕事内容を考えると、まだまだ看護師の収入は少なく、厚労省においても、少なくとも病棟担当の看護師の給料が増えるべき健康保険の点数増加は必要であると思います。

2021年8月10日火曜日

好戦国 アメリカ


 日本が近代国家となって最初の戦争は、1894年の日清戦争、そして1904年の日露戦争、1937年の支那事変(日中戦争)、最後は1941年の大東亜戦争(太平洋戦争)である。1894年当時の清国は老いたりとはいえ、世界有数の強国であり、また1904年当時のロシア、1941年当時のアメリカも、いずれも日本より巨大な国であり、戦争をしても勝つ可能性の低い国であった。戦前の日本を侵略国家、帝国主義国家とする流れもあるが、1937年の日中戦争を除けば、日本は常に自分より強い国と戦ってきた。

 

 中華人民共和国といえば、1949年の建国後、まず1950年の朝鮮戦争では、義勇軍として百万人規模の兵を投入し、アメリカを主体とする国連軍と戦ったが、その後は、1970年の中越戦争以来、ロシア、インドとの国境紛争以外は大きな戦争をしていない。中越戦争にしても実際の戦争は1979217日から316日のわずか1ヶ月程度のものであり、国境紛争といっても良い。覇権国家と呼ばれる中国だが、大きな戦争は建国当初の朝鮮戦争以来していない。

 

 アメリカはどうかと言うと、南北戦争後について見ても、米西戦争、米比戦争、第一次界大戦、第二次世界戦争、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン紛争、イラク戦争、最近ではイスラム国家へ対ISIL戦争と、ほぼ切れ目なく戦争を起こしている。世界中でこれほど好戦的な国はない。兵および兵器の質は、実戦で鍛えられるので、アメリカ軍ほど強い国はなく、通常兵器でいえば11隻もの大型空母を保有しており、中国が2隻の空母を保有しているといってもその能力はアメリカと比較にならない。同様に空軍、陸軍とも圧倒的な強さを誇る。こうしたアメリカ軍とまともに戦争をしようとする国はない。国同士で問題があれば、戦争をちらつかせることで脅す。これがアメリカのやり方であり、脅すだけでなく平気で戦争を起こす。こうした事実を見れば、アメリカこそが最も好戦的で、覇権主義国であることは間違いなく、中国の最近の軍備拡張も、アメリカを恐れてのことであり、もちろんアメリカを凌駕するような軍隊を作ろうとは考えていない。逆にアメリカは、冷戦下のソ連のように軍事費の増大による中国の内部崩壊を望んでいるのかもしれない。

 

 アメリカのタカ派、戦争好きから見れば、中国の南沙諸島への軍事的進出が一番、美味しい。できればアメリカ駆逐艦がこの地域で、中国軍の攻撃を受けるくらいが一番良い。そうなればアメリカ海軍は大手を振って第七艦隊を派遣でき、占領下の南沙諸島のどれかの島を攻撃できる。もちろん中国は激怒するだろうが、アメリカ空母を攻撃することはアメリカとの全面戦争を意味するため、政府としてはこれ以上の紛争拡大は望まないだろう。ただ中国世論、新聞やテレビ、ネットはより好戦的な流れとなり、場合によっては共産党政権のつまずきに繋がり、アメリカはより強圧的な姿勢をとり、政権を揺さぶるかもしれない。ここらがアメリカの最も得意とするやり方で、ちょっとしたことでいちゃもんをつけて、銃を突きつけて脅す。

 

 実際、中国軍がどれだけ強いかは全く未知数であるが、個人的には日清戦争当時の清国程度、強いと言われていたが実際はたいしたことなかった、ではないかと思う。中国海軍は2隻の空母を持つといっても、第二次世界大戦以来の歴史のあるアメリカ軍とは雲泥の差があり、最新のジェラルド・フォード型は2隻の中国製空母の数倍以上の破壊力がある。中米の空軍力にも相当な差があるし、陸軍においてもあれだけ戦争経験のあるアメリカ陸軍との差はかなり大きいし、中国も朝鮮戦争のような人海作戦も今は取れない。こうしたことを見極めた上のアメリカの中国への経済攻撃は巧みである。中国とアメリカ、どちらが戦争をするかといえば、これまでの歴史からみてアメリカがする可能性が高く、中国による台湾侵攻ができるか、これは大きなチキンゲームとなろう。ちょうど太平洋戦争前に日本による仏印進駐のような状況である。

 


 

2021年8月9日月曜日

日本にも世界的GKが欲しい

 


 東京オリンピックもようやく終了した。暑い時期のオリンピック、出場選手はさぞかし大変だったと思うが、よく健闘したと思う。個人的にはサッカーに最も注目したが、結果は惜しいことにベスト4で、悲願のメダルにはあと一歩であった。惜しかった。チームとして、よく訓練されており、一次リーグでは、これ以上ない調子で、絶対に負けると考えていたメキシコ戦でもあっさりと勝ち、これはメダルを取れると思ったが、そうはいかないのがスポーツである。

 

 久保、堂安も素晴らしかったが、最後の3位決定戦で途中から出た三苫薫選手には驚いた。普段あまりJリーグを見ていないので、これほどドリブルが得意な選手とは知らなかった。たまに川崎フロンターレの試合をダイジェストで見て、そのゴールシーンのみ見ているが、あのメキシコ選手三名をいなすドリブルはすごい。メッシのようなボールが足に絡みつくようなドリブルではないが、なかなか奪われないドリブルで不思議である。確かにスピードはあるが、それほど早いように思えず。おそらく切り返し、あるいは最初の一歩のスピードが他の選手よりコンマ数秒、早いのだろう。オリンピック終了後にイギリスのプレミアリーグに移籍するようなので、その活躍を期待するし、海外の選手にもドリブルが十分に通用するなら、次回のワールドカップでの活躍も期待できる。

 

 あと今回の選手の中では、ゴールキーパーの谷晃生の活躍も大きかった。身長も高く、今後の練習と経験により日本代表の正ゴールキーパーも狙える。3位決定戦の延長後半の失点は、本人にとって悔しい失点であったろう。失点時のビデオを見ると、ごくわずかであるが、ポジショニングが狂っている。キーパーの正しいポジショニングはボールとゴール真ん中を結ぶ線上にあることで、この失点シーンでは、ボールが体より30cm左にあったのに対して谷のポジショニングは相手の体に合わせていた。つまり30cm分、ポジショニングが左にずれていた。たとえ、ポジショニングが正しくてもあのボールが取れたかはわからないが、過去の名ゴールキーパーはあの球は弾いていた。あの失点を防げるかどうかが、世界的なGKと日本のGKの違いである。

 

 オリンピックもそうだが、ワールドカップでも、上位にいくためには、GKのスーパーセーブがどうしても必要であり、まだ年齢も20歳ということで、早めにイギリス、ドイツ、イタリアなどのクラブに移籍し、世界的に通用するGKになってもらいたい。河口や川島といった日本を代表するGKも、海外では活躍できなかった。それ以外のFWMFDFのポジションはほぼ日本人でも通用しているが、唯一、GKだけがいまだに海外で通用していない。ポジション二ングのわずか30cmのズレではあるが、こうしたミスを一試合中になくし、試合の勝敗を決めるビッグセーブを連発することが求められる。GKが世界的なレベルに達して初めて日本代表もワールドカップでベスト4に入ることができよう。イギリスのプレミアリーグで言えば、GKは各国の代表GKが多く、セネガル代表、フランス代表、ポルトガル代表、アルゼンチン代表、スペイン代表、ブラジル代表、ドイツ代表、ポーランド代表、アイルランド代表、スロバキアなどがいる。アジア人のGKは、フィリピン代表GKのエザリッチがカーディフ・シティーで出場し、オーストラリアのマット・ライアンもプレミアリーグで活躍している。過去にはイラン代表やオマーン代表もプレミアリーグに出場した。

 オリンピックは選手のパーフォマンスを世界に知らせるいい機会であり、あの一発を防げれば、谷選手の評価も高まり、ヨーロッパへの道も開けたかもしれないので、わずか30cmズレといってもそのズレは大きい。メキシコ代表GKのオチョアのポジショニングは素晴らしい。



2021年8月8日日曜日

本を出すこと、売ること




 現在、「弘前歴史街歩き」というタイトルの新たな本を出す準備をしており、大枠はほぼできた。文字数で10万字、写真100枚くらい、150200ページくらいの本になりそうである。弘前駅から出発し、代官町、土手町、上白金町、弘前城、仲町、和徳町などを歩いて、そこに見える建物、商店などを解説するというもので、内容の細かい修正を後、3、4ヶ月して、その後、出版社と協議することになる。

 「明治二年弘前絵図」、「新編 明治二年弘前絵図」、「津軽人物グラフィティー」、「須藤かく 日系アメリカ人最初の女医」の4冊を全て自費出版した。こうした地域限定の出版物では、出版社が企画して書くということはまずあり得ないので、ほぼ自費出版となる。

 この自費出版の目標となるのは、まず本の完売で、印刷した本、全て売れるのが一番望ましい。ただこれは印刷数にも依存するので、まずどれだけ印刷するか決めるのが難しい。最初の「明治二年弘前絵図」は、300部ほど刷り、これはどことも契約しないで、直接、紀伊国屋書店弘前店に交渉し、持ち込んだ。家から近いせいもあり、積み上げられた本を2、3日おきにチェックし、冊数が減れば補充するという形で、自分用の50冊を除き、2、3ヶ月で完売した。次に出した「新編明治二年弘前絵図」は、500冊印刷し、今度は印刷した会社に販売も委託した。これも1ヶ月ほどで完売し、すぐに500部を増刷して、2.3ヶ月で売り切れた。地方雑誌、それも弘前に限定した本が1000冊売れるのはいい方だと思う。その後、「津軽人物グラフィティー」も、明治二年弘前絵図を買った人はこの本も買うだろうと考え、500部印刷したが、全く売れず、六年たった今でもまだ100冊以上余っている。さらに一番の力作、2017年に出版した「須藤かく 日系アメリカ人最初の女医」に至っては、500部刷り、四年経つが未だに300冊以上残っている。最近、出した2冊はいずれも200-300冊程度しか売れていない。

 本の本来の価格は、印刷費、販売店の手数料、本屋の手数料、著者の利益で構成され、手数料は15%25%のほぼ40%かかり、通常はこれに著者への印税の10%となる。そのため、発行部数の少ない、1000部以下の専門書などかなり高くなる。発行部数が増えれば増えるほど、一冊当たりの印刷単価は安くなり、300冊と1000冊でも編集、校正などを含めても、一冊当たりの単価は2/3から半分以下となる。

 こうしたことを考えて、本の定価を決めるのだが、もとより自費出版の場合、利益は考えておらず、マイナス分をいかに少なくするのかが目標となる。「明治二年弘前絵図」の場合は、200冊、販売店を介さず、直接、本屋に持ち込んで売ったため、マイナスは少なかった。さらに「新編明治二年弘前絵図」では増刷した500冊の販売で、少し黒字になった。ところが、「津軽人物グラフィティー」は、当初から印刷費が高くなり、それに手数料の40%を加えると、2000円以上となる。これでは高くて売れないだろうと、200円赤字設定して1800円に定価をしたが、だいぶ売れ残り、かなりのマイナスとなった。さらに「須藤かく」に至っては、ほとんど売れずに、最大のマイナスとなった。

 今回の本は、前回の本に比べて少し砕けた内容なので、もう少し売れそうだが、それでもせいぜい200-300冊が限界か。「津軽人物グラフィティー」より少し厚くなりそうだし、印刷費によってはカラー化も考えているので、印刷費は高くなりそうである。購買層は弘前に住む60歳以上の方が中心であり、年金生活者も多く、なかなか2000円以上の本は買わない。図書館で借りて読む人も多い。本を購入する人は、一部の本好きの人を除くと、仕事が忙しくて、なかなか図書館に行けない40-60歳の人は中心で、65歳以上の人は、新刊が出ても1ヶ月すれば図書館で借りられるので、買う必要がない。

 発行部数と定価、これは本を出す側からすれば一番重要なもので、今のように若者が本を読まないような時代では、自費出版自体が減り、また発行部数も減り、定価が上がるという悪循環となり、ますます売れなくなっていく。まあ自費出版は、金と手間ばかりかかる趣味と言えるが、30年後も自分の本が古本屋や図書館に残っていて、誰かが読むという夢もあり、それが楽しい。




 

2021年8月6日金曜日

自分が絶対に正しいという考え

 


 最近、つくづく思うのは、人はどんなことがあろうが自分が一番正しいと考える生き物である。その次が自分の妻であり、さらには子供であり、友人であり、同級生であり、日本人である。人を殺す極悪非道の人物であっても、本人は、そうした行為を正当化する思いがあり、悪いことはしているとは思わないのかもしれない。

 

 ある家では、ジーパンを一度でも履くと、その都度、洗濯するのが常識であり、違う家ではジーパンは洗濯しないのが常識であり、またある家ではジーパンそのものを着てはいけないものかもしれない。毎日、ジーパンを洗う家からすれば、洗わない人を知ると“非常識”と言ってしまう。逆に洗わない人から見れば、毎日、洗う人は信じられないと思う。人はそれぞれ自分の考えが正しく、常識と考え、それとは違う考えを非常識と思いがちである。これは一つの例であるが、こうしたことはそれほど珍しいものではない。

 

 当たり前であるが、日本の常識は世界の常識ではないのと同じく、自分の常識は他人の常識ではない。平均、多数決という概念からすれば、ある考えの方が多くいて、その多数の意見が常識となる。ただ多数派が常識と言っても、その人の属する地域、社会、年齢により常識は異なる。津軽人は人の悪口が好きで、飲み会などの集まりがあれば、欠席者のうわさ、多くは悪口が、交わされる。ところがこうした悪口を聞いていると、どうも悪口を言う人の意見の方がおかしいことがある。例えば、ある有名なイタリアンレストランを値段が高くて、量が少ない、と悪口を言うが、私にすれば、同じレベルの東京の店の料金の半分以下であり、量も決して少なくはない。事実、このお店は多くの県外からにお客に賑わっている。ただ地元の感覚からすれば高いだけである。よく地方に行くと、なかなか地元の人に受け入れないと言うが、これこそ地元の常識とよそ者の常識が違うためであろう。青森の大鰐地区では部落ごとに共同浴場を持っているので、部落の住民の多くは家の風呂に入らずに、この浴場を利用する。ただ看護師さんなど夜勤で仕事の帰りが遅く、浴場の閉店時間に間に合わない人にとっては、家での風呂に入りたい。ところでここではそれがここでは許されない。共同浴場に入ることが、ここではそれが常識になっている。

 

 こうした多数による常識は、近年、急速に変化しており、今や大がかりの結

婚式や葬式は少なくなり、婚礼家具などは死語となっている。結納金も、今はいろんなパターンがあり、必ずしも渡すものではなくなっている。インターネットの発達により、地域、社会、年齢ごとの常識感は急速に変化しており、一方では先に述べたような津軽特有の常識は今後、消滅していくだろうが、逆に日本人は電車の中では喋らないといった常識が一般的になり、それに従わない人が非常識と批判される。ネットでは、地域、社会、年齢の違いが考慮されないため、一元的な解釈が幅を利かす。

 

 先日も産婦人科の先生が、妊婦の出産時に飲酒をしていたことが大きく叩かれていた。新生児が一時重篤な症状があったとことから、両親がこの医師をマスコミを通じて糾弾していた。ここの病院の評判はそれほど悪くなかったのに、このニュースが出た後はひどいレビューばかりが投稿されていて、おそらく68歳のこの産婦人科の医師は、こうした騒ぎに疲れて、病院を閉院するであろう。告発しているこの親からすれば、院長が引退すれば気がすむのかもしれないが、人の一生を左右させるほど自分の正論を表に出すほど自分は正しいのか。逆に自分の子供の具合が悪くなり、近所の小児科に夜間行くと、先生がすでに飲酒していて見られないと断られても、この親は納得するのだろうか。

 

 正論、常識は社会にとって大事なことではあるが、それがマスコミ、ネットを通じて個人攻撃になると、人の人生を左右することにもつながり、ある程度の寛容さが成熟した社会では求められる。


2021年8月5日木曜日

北の被差別の人々:「乞食」と「革師」 浪川健治 著





 先日、浪川健治先生の「北の被差別の人々 乞食と革師」を読んだ。関西に住んでいた私からすれば、こうした微妙なテーマについては関心がある反面、あまり関わりたくない研究テーマである。弘前に住んでいると部落問題については、皆あまり関心がないし、学校教育でも、特別にこうした問題を取り上げることはなく、また新聞始めマスコミの記事でも見たことはない。

 

 一番の原因は、そもそも穢多、非人と呼ばれていた被差別の人々の数が、青森県では私の住んでいた西日本に比べて圧倒的に少なく、例えば、東日本部落解放研究所の藤沢靖介の研究から、1869-1870の統計によれば、福島県がやや多く被差別部落人口は2016名であるが、青森県は601名、非人20名、岩手県では282名、非人350名となっている。一方、島根県の例を調べた國歳眞臣の研究によれば、島根県では明治初年で4599名、40年で16794名。またこれは少し信じられないが、地域別部落人口の変動(指数)で見ると、明治初年を100とすると中国地方では明治40年で163.2、昭和10年に169.9、昭和42年に167.5と増加、横ばいになっているが、東北地方では明治40年で49.2、昭和10年には21.2、そして昭和42年には0となっている。この調査によれば東北地方ではもはや被差別部落人口がいないことになっている。19464月の内閣統計局の調査においても、東北では福島県の部落民数が998名であるが、青森、岩手、宮城、秋田、山形は0名である。一方、私の故郷である兵庫県の場合、128963名と県の人口の4.56%が部落民となっている。こうしたまず人数の違いにより青森県と兵庫県や他県との行政、教育機関での扱いが決定的に違っている。


 それではなぜ、浪川先生が部落民のほとんどいない東北、弘前藩での実態を取り上げたのだろうか。それは数の少なさにも起因しているのだが、弘前藩では、こうした被差別の人々が、一種の専門職、革師として、死んだ馬の皮の加工を行っていた。馬の皮は、馬具や鎧兜に必要なもので、武士にとっては欠くことのできないものであった。農民が勝手に剥ぎ取り、加工した馬の革は質が悪く、弘前藩でも専門の職人による加工を必要とした。馬具、鎧兜に使う革は最高級のものを使い、現在でもそうであるが、原皮の取り方、その処理など専門的な工程を経て、バッグや靴に使われる製品となる。専門的な知識、材料が必要となる。弘前藩ではこうした被差別の革師がいなくなった時には、わざわざ他藩から賃金を払い雇っていたことが、この本で示されている。Wikipediaによれば「非人」の仕事として、囚人の世話、死刑囚の処刑、死者の埋葬、死牛馬の処置、街路の清掃、井戸掘り、造園、街の警護となっており、「穢多」の仕事は非人の仕事と重なるが、死牛馬の処理、刑吏、捕吏、番太、山番、水番などであり、これらの仕事は社会活動を支える欠くことができない仕事である。


 明治二年弘前絵図を見ても、「人口360人 非人小頭 秋田六郎支配地 牢屋」、「穢多頭 追掛長助 皮細工営業」、非人丁と穢多丁があり、ここでは非人が刑吏、穢多が革細工に従事した。他には「穢多附革細工営業ノ者」、「穢多手 革師ノ者」とあり、禅林街、新寺町、誓願寺の火葬場では「穢多附陰亡」とある。さらに最近、手に入った明治初期の絵図には「皮納所」の記載があり、門と二軒の家の絵が描かれている。この皮納所は場所的には追掛長助支配地の前で、ここに製作された皮製品を収めたと思われる。こうした絵図からも、弘前藩では穢多、非人など被差別の人々は、社会的に必要な専門職として働いていたことがわかる。こうした事実をこの本では、多くの資料を使って丁寧に証明しており、見事である。もちろん馬具、鎧兜など武士と関係する仕事は、明治以降、激減し、皮師としての仕事も減った。また明治中期に第二師団が来ることになり、皮製品の需要も高まったが、この時には非差別の人々以外の人が参入したため、結局は最初に述べたように部落民数そのものが減っていった。同じように刑吏なども国が管轄するようになり、被差別の人々の特権的だった地位もなくなった。


 明治時代、珍田捨巳らキリスト教信徒による部落への支援活動があったように、いまだに偏見は残っており、解消への取り組みに真摯にならなければいけないが、歴史的な事実としての弘前藩での被差別の人々の役割を詳細に解明した点では、この本は重要である。


 

2021年8月1日日曜日

わからない写真










読者の方より貴重なお写真を多数、送っていただき感謝している。大方の写真については、その看板や建物から、いつ、どこで撮影したのかはわかるが、どうしてもわからない写真が2枚ある。

 

ここに挙げたのは藩祖為信公350年祭りの大名行列の写真で、撮影年月日は昭和31821日か22日であることははっきりしている。まず最初の写真は、電柱にある広告看板から「松枝医院」の字の横に下白金町の字がかろうじて読める。もともと松枝医院は、現在の松枝歯科医院があるところとはではなく、より城よりにあった。また「福原小児科」の看板があり、現在の上鞘師町の福原循環器クリニックあたりと思われる。松枝医院の看板の下のある松竹の看板は百石町の弘前松竹大和館となる。となるとこの場所は、元寺町と上鞘師町の交差点付近と思われる。

 

 上野菓子店、マルエ食料品の情報はネット上にはない。上野菓子店の看板のある建物は、かなり大きく、二階全て障子があることから、旅館あるいは遊郭が考えられる。大正8年の「青森県弘前市俯瞰地図」を見ると、この付近での旅館は、元寺町の齋栄旅館、齋吉旅館、一番町の佐々木旅館、大室旅館があるが、昭和31年に残っているのは、齋栄旅館くらいか。ただ「青森県弘前市俯瞰地図」に載っている建物の絵とは屋根の向きが異なり、一致しない。また上野菓子店が入っている旅館とマルエ食品の間に道らしきものがあり、ここを元寺町と上鞘師町の交差点とし、元寺町に大名行列が運行しているとすると、この細い道が上鞘師町となる。ただ今はかなり広くなっているが、「弘前大絵図」(1800年頃)で道幅を調べると5間くらい、9mあり、こんなに細い道ではない。すると大名行列が運行されているのが、上鞘師町なのであろうか。マルエ食品と上野菓子店の間は道ではなく、空き地となる。ただ松枝医院、福原小児科の看板の位置が気になる。

 

 

もう一つの写真は、山車が大きく写っていた、それ以外の情報は少ない。左の電柱の広告看板、「ストゼンの下駄」は黒石市のストゼンのことでここでは関係ない。そうすると唯一の目印は右に見える「弘前ホテル」となる。明治に代官町にできた3階建ての弘前ホテルではなく、昭和20年に一番町7にできたホテルである。現在のアルクが入っているビルあたりである。右に看板を信じるなら、一番町から旧警察署方向に撮った写真となる。ただ左にある“カネボウ”と書かれたビルについては、現在でも同じような4階建てのビルがあるが、窓の形態がかなり違う。ただこの鉄塔ハシゴあのような電柱については前の写真にもあり、弘前ホテルの看板も無視すれば、一番町以外の可能性もある。

 いずれの写真も昭和31年というから65年前に撮影されたもので、おそらく撮影者は亡くなった可能性が高いが、在命中にどこで撮ったか聞いていれば、1分でわかることが、後で調べるとなるとなかなかわからない。フィルム写真と違いデジタル写真になると場所、時間がGPSデータとして自動的に記録されるのでありがたい。


PS:先ほど読者の方からメールをいただき、写真の撮影場所が判明しました。上の写真は上鞘師町と元寺町の交差点、斎栄旅館で、大名行列は元寺町を移動しています。次の写真も同じく、元寺町の青森放送弘前支社付近から撮影したものだそうです。貴重な情報どうもありがとうございました。




 

非抜歯治療 インビザライン 、拡大装置による治療


 このブログでも度々書いてきたのが、インビザラインあるいは拡大装置による失敗である。日本人の多くの症例、ことに成人症例は、Skeletal Class I あるいはIIの叢生あるいは上顎前突症で、さらに口唇の突出感も含む。これをディスキングも含めて非抜歯で治療することはかなり難しい。もう少しわかりやすく説明すると、日本人を含むアジア人では短顔系で、もともと歯が大きく、それに比べて歯列は小さいので、でこぼこになりやすく、さらに上下の歯が前に飛び出ていて、鼻が低く、オトガイが発達していないので、口元が出ている。よく抜歯症例の問題点として、口元が下がりすぎたディッシュフェイス(皿のような顔)という表現があるが、こうしたケースは日本人では噛み合わせが逆の反対咬合あるいは下あごが大きい、ロングフェイスの症例以外はほとんどない。つまり鼻が高く、オトガイが出ている白人に比べて、東洋人ではこうしたディシュフェイスを気にするより口元が飛び出た上下顎前突の方がはるかに多い。

 

 もちろん口元が出ているかどうか、それを気にするかどうかはかなり美的な問題であり、口元が入っている顔よりは口元が出ている方が良いという人もいるかもしれない。もともと東洋人、黒人はこうした傾向があり、それが平均とも言えよう。ただ大きな美的基準の流れとしては、口元の突出を嫌う風潮が一般的で、世界の美男美女のランキングを見ても、口元の突出している人はいない。これを見ると患者の希望としては、でこぼこを治すだけでなく、口元も綺麗にしてほしいということになる。

 

 それでは、どの程度以上であれば、口元が出ているというのであろうか。一つの尺度としてE-lineという考えがある。横顔でオトガイと鼻を結ぶ線上、あるいは1、2mmそれより中に入った口元が理想とする考えである。私自身はここまで厳密に考えないが、少なくとも上下の唇を閉じた時にオトガイに梅干しの種のようなシワが寄るような場合、あるいは口を閉じるのに意識しないと閉じられない場合、これは口唇閉鎖不全と呼ぶが、こうした場合は、常に口が開き、前歯が乾燥することになり、将来的に歯周疾患のリスクも増える。それゆえ初診で、前歯が見え、口を閉じさせると、オトガイにシワがよる場合は、ほぼ抜歯症例となる。もちろんこれにでこぼこの重症度も踏まえて抜歯、非抜歯を検討する。

 

 白人の場合、上下の歯列が狭く、拡大する余裕があること、鼻が高く、オトガイも大きいこと、さらにもともと矯正の普及率が高く、軽度の叢生患者も治療を受けることから非抜歯の比率が高いが、日本人も含むアジア人では非抜歯率が50%以上になることはないよう思われる。矯正専門医の症例を多く見てきたが、平均して成人症例では小臼歯の抜歯率は6かた70%以上である。こうした事実を見ると、インビザラインや拡大装置による治療の半分以上は失敗することを意味する。実際にこうしたトラブルはかなり多く、抜歯してワイヤー矯正による再治療ができるなら、まだましであるが、医院によっては、そうした治療をできないと拒否される。その理由も、馬鹿げており、健康な歯は歯科医として抜きたくないという。ただ単純にワイヤー治療ができないだけなのだが。

 こうしたインビザラインや拡大装置による欠点は、ネットでもちょっと見れば書いており、矯正専門医ではかなり症例を選択して適用しているため、むやみにこうした治療法を勧めることはない。これだけ多くの歯科医院があり、また矯正歯科専門医もいる状況で、わざわざ一般歯科医でインビザラインや拡大装置による治療を受けるのは、半分は患者にも問題があり、責任がある。さらに言えば、先生にも問題があり、成人の矯正治療をするなら、まずワイヤー矯正治療をマスターすべきであり、それができないのであれば、インビザラインによる治療はしないことである。もちろん一部の優秀な先生は、インビザラインでも抜歯症例を綺麗に治しているが、専門医からすれば、ワイヤー矯正で治せば、それ以上にうまく、短期間で治せる。

 でこぼこがひどく、口元が出ているのが気になる患者さんは、絶対にインビザラインによる治療をしないようにしてほしい。


 200m400mの個人メドレーで金メダルを取った大橋悠依さんは、トミーという会社のクリッピーというブラケットをつけていた。これは結紮線を使わないセルフライゲーションブラケットと呼ばれるもので、当院にもあるが、全体はセラミックで白くていいのだが、シャッター部がアルミか何かの金属で、そこが金属色なので患者に勧めても嫌がられる。かなり前に20セットくらい買ったがあまり人気がなく、まだかなり残っている。今度は大橋悠依さんも使っていたと説明して装着したい。もともとはでこぼこと上顎前突の症例で、たぶん上の左右第一小臼歯を抜いて治療している。上くちびるが中に入り、綺麗な横顔になっている。