2013年11月28日木曜日

きみに読む物語






 最近は、旅行に出るときは映画をダウンロードして、電車の中で見るようにしている。今日も、東北矯正歯科学会の理事会のため、仙台に出張したが、ちょうど2時間くらいで、映画をじっくり見るのはいい時間である。あっという間に仙台に到着する。

 どの映画を見るかは前日、iTuneで検索してみるが、なかなか決めきれない。そういった場合に参考にするのが、雑誌の映画特集などで、おもしろいものは古い雑誌でも、捨てないでとっておき、それを参考にしている。今回は、Brutus 2009 12/1号の「泣ける映画」の中から探した。iTuneの欠点は、見られる映画数が少なく、これを見たいと思っても、なかなかiTuneにない。

 その中で、「やっぱり泣ける純愛ストーリー」で紹介されていたのが、「きみに読む物語」(2004,米)である。内容は見てのお楽しみであるが、結構泣ける。おっさんが電車の中で泣くのほど、見苦しいものはなく、何とか堪えた。

 アメリカ映画を見ていると、しょっちゅう「I love you」と夫婦同士で言いあうが、どうも日本人にはなじめない。この言葉を言わないと夫婦関係がうまくいかないかと、半ばあきれることもある。ところが、この映画では、この言葉がまことにしっくりくる。ネタバレになるが、痴呆症の妻が一瞬正気に戻る時の夫婦の会話が泣ける。自分もそういった歳になったかと思い、感慨深い。

 そういえば、最近、吉村昭さんの著書をよく読むが、「味を追う旅」(河出文庫)でも妻に対する深い愛情を知ることができる。若い時は、どうもシンデレラのような物語を聞くと、「その後、王子とシンデレラは仲のよい一生を送りました」とはいえ、実際はけんかして離婚することだってある。大恋愛で結婚しても、結局はわかれることだって多いし、むしろ見合い結婚より離婚率は高い。あれはあくまで映画での話である。と考えたものである。そういった意味でも、この映画のストーリーも夢物語かもしれないが、せめて映画だけでも、こういった夢物語もOKでよかろう。

 仙台からの帰りにも、もう一度、今度は英語の勉強のために、出来るだけ字幕を見ないようにしたが、この映画についてみると、割合分かりやすい英語が使われ、英語の勉強になる。昔、ボストンからの交換留学生でしゃべっている英語があまりわからず、ひどく落ち込んだことがあるが、どうも若者の英語が難しいようである。その点、この映画は舞台が1940年ころであるため、スラングが少なく、理解しやすい。英語の教材にもいいであろう。

2013年11月22日金曜日

専門家はウソをつく


 勝間和代さんの新著「専門家はウソをつく」。矯正専門医の私としてはタイトルにぎょっとなり、早速、紀伊国屋書店で購入して速読しました。勝間さんの本は、要点がきっちりと書かれていますので、読みやすく、速読できます。これまでも数冊読んでいます。

 結論から言えば、タイトルは著者も述べているように、商品として読者の注目を与えるためのもので、内容はそれほど過激なものではありません。専門家といえでも、何でも信用するな、よく考えて選択しろというものでした。確かにあらゆる分野に専門家がおり、これだけ情報が氾濫すると、選択する思考が停止し、安易に専門家という言葉に信用してしまう傾向があります。医者、歯科医でも専門医というシステムがあるため、その名称に信用してしまうわけです。著書にもあるように、専門家というのは、その分野に長けた人のことを言い、裏返せばそれ以外のことはあまり知らないということになります。同じことは医療の分野でも自分の専門以外はまり知らないというのが欠点でもあります。私は矯正専門医ですので、矯正の分野では他の歯科医よりは経験も知識もありますが、逆に一般歯科の治療は全くしていませんので、経験はありません。それで知識だけでもと、できるだけ一般歯科の雑誌、講演会にでるようにしていますが、いかんせん実践が全くなく、耳年増の状態であるのは事実でしょう。

 著者は、「信頼性の高い専門家を見抜くための9か条」として、
「1.詳しくない分野は、複数の詳しい人、およびネットに必ず当たること」。これは矯正治療をする場合もあてはまります。できれば矯正専門医院を何カ所か訪ねて意見を聞くべきです。ネットは派手な宣伝をしている医院が目につくので(上位検索やレビュを操作しています)、あまり参考にしない方がよいでしょう。
「2.専門医の実績を経歴ではなく、エビデンス、信頼できる他者評価で把握すること」これについては、経済学者と医者、歯医者とは違うと思います。少なくとも学会が専門医と認定するためには、数年間の専門教育を求めます。経歴で、専門分野での職歴、資格が全くない場合は、素人と考えてもいいと思います。
「3.専門家のアドバイスの裏をとる癖をつけること」あまり過激な宣伝をしている治療法は、インターネットなどで詳しく調べると、その失敗が多く載っています。矯正治療でいえば、非抜歯治療がそれに当たります。「早い、安い、歯を抜かない」と宣伝し、かなりひどい治療をしているところがありますが、どうも患者さんは多いようです。
「4.過剰な自信を持っている専門家は警戒すること」カナダの有名な医師、ウイリアム・オスラーの言葉に「medicine is a science of uncertainly and an art of probability 」というのがあります。医療における科学というのは、例を挙げると胃潰瘍の原因がピロリ菌と判明した途端、それまでの考え、治療法が一気に変わるようなuncertainlyなものなのです。これは多くの医師は知っていますし、そのために学会が雑誌などで新しい研究、理論を学ぶのです。過剰な自信はありえません。

「7.相手の専門性に市場性があるかどうかを確かめる」患者さんが多い、それも長年そういう状態が続いているところはそれなりの評価があるのでしょう。
「8.どんな専門分野でも、少なくとも3人の専門家にアプローチせよ」1と同じになりますが、医療法で広告制限がありますので、自分のところの症例をインターネット上で紹介するのは禁じられています(これを全く無視しているところも多いのですが)。できれば自分と同じような症例の治療結果を見せてもらったらいいと思います。
「9.誰を信じるかは、最後は自己責任、それが失敗しても、学びとすること」

といっても自分がガンになったとすると、どこで治療するかは悩むところです。6条にいうように、できるだけ複数の先生の意見を聞きたいところですし、セカンドオピニオンにも容易に応じてくれて、検査資料なども、気楽に貸してくれればいいと思います。矯正専門医はおそらく気楽に応じてくれると思いますが、一般歯科医では矯正歯科医にセカンドオピニオンをしてもらうので資料を貸してくれというと、抵抗されるでしょうし、肝心の資料もとっていないところもあります。また転医は転医先に自分の症例をさらけ出すことを意味しますので、きちんとした診療をしている自負がないといやがります。費用の清算なども含めて確認しましょう。

2013年11月21日木曜日

小津安二郎生誕110年






 今年は映画監督、小津安二郎生誕110周年ということで、雑誌や本での特集があいつぐ。Brutus12/1号でも「小津の入り口」と題して、小津について、様々な角度から分析をしている。こういった月刊誌はいつから企画して特集を組むのか、よくわからないが、相当な準備と時間がかかったに違いない。よくできた特集である。

 その中で、有名な小津のローアングルについて、記事があった。色々な角度から写真を撮り、ごくわずかな差により小津らしい画作りが違ってくるのが、よくわかった。10cmのわずかなカメラ位置により、まったく写真の雰囲気がかわる。いわゆる小津らしい画面とは徹底した様式美で成り立つことを立証している。「Shall we ダンス」の周防正行監督の処女作、「変態家族 兄貴の嫁さん」というポルノ映画、私の数少ない、DVDコレクトのひとつだが、この作品も小津のバロディーではなく、完全のオマージュとなっているのが、その作品作りの細かい入れ込みにも現れている。予算が少なく、小津のローアングルを再現できる特殊な三脚がないというハンディにもめげず、よく研究し、再現している。確かに小津をポルノでやるという行為は、神をも冒涜する振る舞いなのかもしれないが、実に真面目に作っている。ただポルノとしては、全く失敗作で、全く興奮はない。

 小津の作品については、以前生誕100周年を記念して、BS—NHKでほとんどの作品が上映された。DVDに録画してすべて見たが、印象としたあまりぱっとしない。うちの親父にいわせると、上映当時、あまり人気がなく、2本立ての映画で小津の作品が始まると出て行く観客も多かったという。私のように、いまだにコーヒには砂糖とミルクを入れないとおいしくないという味のわからない鈍感な人種には、小津の芸術性は理解できない。確かに東京物語は、これが世界の映画史上ベストテンかと思うと、すごいなあと感動するが、そういったキャプションがなければ、途中で寝ていたかもしれない。ブラックのコーヒの味がわからない私には、どうも白黒の映画は距離感がある。カラー作品は、「彼岸花」、「お早よう」、「浮草」、「秋日和」、「小早川家の秋」、「秋刀魚の味」の6作品があるが、これらはほとんど過去の作品のリメークに近い。昭和30年代のカラーは独特な色合いをしており、妙に艶かしく、ある意味現実離れしている。確かアグファーという会社のフィルムを使ったように思える。その後、昭和40年代は東洋現像所というキャプションが必ずあり、これもまた独特な色合いであった。モスラなどの怪獣映画の色合いである。

 「秋刀魚の味」と「浮草」を載せた。カラーの作品になると、加藤大介や中村鴈治郎など個性派の演技も見られ、「浮草」の最後、中村鴈治郎と京マチ子が列車の中で酒を飲むシーンにはしびれる。映画としても色だけでなく、おもしろくなっている。

2013年11月17日日曜日

古都弘前のチープな旅(冬)



 先に「古都弘前のチープな旅」(冬除く)と題したブログを載せましたが、本当の青森らしい季節は冬です。ただ冬は、町中が雪に覆われ、観光するにも、かなり制限を受けます。

 まず飛行機については、東京からの便は計器着陸システムと空港の懸命な除雪により欠航はかなり減りましたが、大阪からの便はいまだに計器着陸システム搭載の飛行機が少なく、不安定です。これまで大阪あるいは東京からの便で、青森空港まで行った途中で羽田空港に引き返したことが3度ありました。2度は浜松町の東京プリンスホテルに、1回は深夜バスで帰りました。最近では怖くて冬場は飛行機を使わないようにしています。

 新幹線はどうかというと、新幹線は雪に強いのですが、新青森から弘前への奥羽本線が雪に弱く、昨年はバスで2時間かかって弘前に帰ったことがありました。従って、冬の弘前旅行は、新幹線は一番確実な交通手段となります。

 1月後半から2月は、旅行パックが一番安くなる時期ですので、ここは格安の宿泊付き旅行パックを使うことをお勧めします
http://www.travel.co.jp/src/dt/1KANTO/82/925/181/24201402/25118/47OR/)。調べると弘前ブラザホテル1泊で20600-25600円となります。弘前プラザホテルはサービスもよく、いいホテルです(朝食1050円)。前にアメリカからのお客さんが泊まりましたが、評判もよかったです。他には前に紹介した温泉付きのドーミーイン弘前もあります。

 弘前に着くのが、12時から半ころとなります。まずは昼食ですが、ここで注意。雪用の靴を持っていない場合は、駅にある観光案内所に長靴を貸してくれますので、それを利用しましょう。雪道を荷物を持っての移動は、大変ですので、まずは全国チェーンですが、近場の駅前「日本海庄屋」のランチをお勧めします。1000円くらいです。この店はチェーン店ですが、弘前店は結構おいしいです。昼食後は駅前の「虹のマート」を見てから、ホテルに歩きます。10分くらいですが、雪の洗礼を浴びてもらいます。ホテルに荷物を預け、ここからはタクシーを2時間貸し切り弘前の主要観光地を巡るコースがあります(9920円)。ホテルに迎えに来てくれますので、人数が多いと、冬場はかえって安くつきます。青森銀行記念館五重塔りんご公園長勝寺下町(誓願寺)—仲町ねぶた村追手門広場と盛りだくさんです。りんご公園は冬行っても意味がありませんので、ルートを変えて誓願寺から革秀寺にした方がよいでしょう。2時間以内であれば、ある程度、ルートは変えられると思います。
 
 追手門広場からは弘前城に向かいますが、4時ころになっていると思いますので、すでに暗く、さっさと廻り、早めに「高砂」で天ぷらそばを食べ(6時までです)、体を温め、土手町に行きます。土手町では是非、喫茶店「ひまわり」に行ってください。昭和の面影いっぱいのお店です。紀伊国屋書店もありますので、郷土の本を買うのもいいでしょう。夕食は、前のブログで書いたところもいいのですが、津軽三味線を聞きたいという人は、紀伊国屋書店のあるパークホテル内「響」のかご膳、3500円もいいのですが、先にそばを食ったので、少し離れた「あいや」(http://r.gnavi.co.jp/t254700/)に行きます。の三味線奏者、渋谷和生さんの津軽三味線は日本一です。その音色は冬の津軽の景色が目の前に出現します。予算は3000円くらいでしょう(先に腹に入れておくと、つまみだけの注文で、安くあがります)。料理は普通です。

 さらにお酒を飲みたい人は、少し戻りますが、かくみ小路の「Bar Ley」でカクテル、ウィスキーはどうでしょうか(2杯で2000円くらい)。また冬となれば、鍛冶町の「シャンソン酒場 漣」で秋田さんの津軽シャンソンもいいでしょう。私は行ったことがありませんが、東京から来たひとには評判がいいようです。ここは予算4000円くらいでしょうか。チープな旅行といいながら、随分金を使っています。チープにするには、ここはカットしてください。

 二日目は、前にブログで紹介した、大鰐、黒石に行くのがいいでしょう。電車からの雪景色、温泉、これも風情があります。ここまでで、宿泊、電車代が23000円くらいに、タクシー代が5000円、食事代が6000-11000円でお土産を除くと、40000円くらいになります。

 くれぐれも防寒着(ダウン必需、手袋、帽子)とすべりにくい靴はご用意ください。本当に美しく、厳しい弘前は冬にありますので、この機会に是非ご堪能ください。

2013年11月13日水曜日

Santa Ono、Ken Ono 兄弟



 アメリカの友人から、日系二世のサンタ・オノ(Santa Ono)さんがシンシナティー大学の学長となったとのメールがありました。全米の主要大学の学長に日系の方が選ばれることは珍しいことです。うれしいことです。

学長の就任式で珍しく感極まったと告白し、その理由としては自分がここまでこられたのは親のせいでその苦労を思うとやっとお返しが出来たかとの思いがこみ上げたからと言っていました。日本人の勤勉さとかのおかげでそれはとても誇りに思い、大事にしたい。会場にいる多くの日本人・日系人に対し、みなさんをがっかりさせたくない。「奉仕する指導者」を目指したいと言っていました。

 シンシナティー日米協会25周年記念パーティーでのことです。オノさんはシカゴ大学、McGill大学、ハーバード大学で医学生物学を学び、ジョーンズホプキンズ大学、ロンドン大学、エモリー大学で勤務しています。研究はよくわかりませんが、眼科系の遺伝子生化学の仕事です。その後、大学運営能力をかわれ、シンシナティー大学の副学長を経て、昨年10月に学長となりました。現在、51歳でバリバリです。お父さん、小野孝さんも著名な数学者で、西宮生まれの海外頭脳流出組の一人で、現在、ジョンホプキンズ大学におられます。弟のken Onoも、また数学者で、分割数の研究において極めて偉大な業績を挙げ、現在、エモリー大学の教授をしています。非常に優秀な家系で、うらやましい限りです。

 今はどうか知りませんが、私が大学にいた当時、医局とカナダのトロント大学と交流があり、3年ほど、医局から1年間ずつ、3名の医局員が留学しました。骨細胞の培養の研究でした。基礎分野ですが、日本人の研究者は勤勉で、中国、韓国の研究者に比べて自己主張があまりなく、協調性に富み、歓迎されていました。ひとつには大学からの派遣研究者ですので、帰国後もポストが保証されていたためでしょう。中国人、韓国人の研究者は、あわよくばアメリカの大学でポストを得て、帰国せず、アメリカ国籍をとろうと、がんばります。それだけ競争心が旺盛です。

 理科系の学科では、すでに日本語の論文は評価されず、研究も英文で、それもインパクトファクターの高い雑誌に投稿するのが、一般的になっています。というのは英語がすでにこの分野では標準語になっており、英語で論文を書かないと、いくら研究をしても認められないからです。私の友人で、物性関係の研究をしているのがいますが、きわめて限られた分野の研究で、同じような研究をしているのは、イスラエル、ロシア、フランス、アメリカなどの30人ほどで、学会でもこのメンバーでずっと討議していると言っていました。各国から集まる研究者の標準語が当然、英語ということになります。こういった風に、理学部、工学部、医学部では、研究者の国際的な交流は日常的になっています。

 これに反して、日本の文科系の研究は、未だに日本語が主流で、とても国際的なものにはなっていません。日本史の教授には、外国人の研究者が来れば逃げるという人もいます。昨今、問題となっている、日韓、日中歴史問題でも、日本の歴史学者の語学力が大きなデメリットとなり、日本の歴史学者の考えが全く、世界では認知されていません。そういった意味では、最近刊行された「日本の朝鮮統治を検証する1910-1945」(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー)は、優れた本で、一読をお勧めします。著者はハワイ生まれの日系二世で、近日中には英語版が刊行されるようです。日本史、文学についての英語の研究は、主として外国人、日系研究者によるものが多く、文系においても、その研究のグロバリデーションが今後、求められるものと思います。友人の弘前にいるアメリカ人教授は、年に何度も国際学会に出席し、論文を書いていますが、そういった場に、日本人研究者が参加することは少ないようです。英文学、比較文化、人類学など、そもそも日本語で書かれているのが、素人考えでもおかしなことです。

2013年11月8日金曜日

古都弘前のチープな旅(冬除く)



 来週も先祖が弘前出身の方を少し、市内を案内しますが、弘前が好きな人は割と多いと思います。そこで私が考えた最も安い弘前観光を考えてみたいと思います。

 まず観光客の年齢を設定しなくては行けません。若い人にとって弘前はそれほど魅力があるところと思われませんので、東京から来た50歳代の夫婦を観光客として設定します。

 おそらくJTBなどでやっているホテル、旅館の宿泊込みのパックが一番安いプランと思います。東京、仙台に出張する時は、たいがいこのパックを利用します。ほぼ宿泊分が浮くと思います。ただここでは通常料金で一番安くて、色んなところを訪れるプランを考えます。

 まず東京から弘前には長距離バスを使ってもらいます。品川から弘前へのバスは、ノクターン号が9900円、パンダ号が4500円となります。50歳となれば、4列シートのパンダ号はさすがに厳しく、これはノクターン号となります。3列でゆったりしていますが、それでもバスに乗るまで、品川でたっぷり酒を飲んでください。私の経験からノクターン号でも、なかなか寝られません。10時に出発して、弘前に着くのが7時15分。バスターミナルのすぐそばの虹のマートが8時から開きますので、青森県の水産物を見てほしいものです。そこでイカメンチなど買って朝食代わりにするのもいいですが、弘前駅に向かい、駅1階にある立ち食いそば「そば処」で津軽そばを賞味してはいかがでしょうか(450円)。

 駅の観光案内所により、地図などの観光案内書をいっぱいもらった後、ここでレンタルバイクを借ります。500円ですが、これがあると一気に回れる距離が倍増します。ここからはまず山道町の昇天教会、弘前吉井酒造煉瓦倉庫に行きます。そして最勝院、新寺町を廻って、一気にりんご公園まで突っ走ります。最勝院に行く途中の「戸田のうちわ餅」はお忘れならないように。りんご公園までは自転車でも20分くらいかかりますので、結構な運動になります。

 その後、新寺町の加藤味噌醤油店から山観普門院と禅林街に行きます。一旦、中心街に戻り、お昼は「高砂」がいいでしょう。ここの天ぷらそば(1450円)はお勧めです。昼もそばかという方は、すぐそばの「うな新」でうな丼がいいでしょう。安い旅行なので泣く泣くシングルを頼みます。確か1000円くらい。

 弘前観光館、図書館などを見て、いよいよ弘前城に入ります。自転車である程度まで城内に入れますので、できるだけ歩く距離は少なくしましょう。入場券は300円です。ここは1時間くらい必要です。その後、津軽藩ねぷた村(入場料500円)、仲町の武家屋敷4軒を見ます。ここはタダです。これで市内の主だったところはすべて廻ったことになります。ここからさらに西の誓願寺、革秀寺を目指します。アップダウンの道となりますので、ちょっときついかしれませんが、下町は独特な雰囲気があります。

 ここから観光館まで戻り、自転車を返却します。夕方近くになると思います。ぶらぶらと土手町を散策します。夜食用のお菓子は、「マタニ」か、創業百年以上の「黄金焼」でゲットしてください。

 宿泊は、安くて評判のいいのが、「ホテルハイパーヒルズ弘前」と「ドーミイン弘前」です。前者はもとウィクリーマンションで部屋がビジネスホテルにしては広く、いつも予約で一杯です。後者は温泉があり、好評です。料金は二人で泊まれば朝食付きで4000から5000円くらいです。ゆっくり休んでください。体力がまだある人は、ひろさき町歩きの夕暮れ路地裏散歩に参加したらどうでしょうか(料金1000円)。

 夜は弘前の繁華街、鍛冶町に繰り出してください。お勧めは居酒屋「串の坊」、「海凪」、津軽三味線が聞きたいなら「杏 あんず」でどうでしょうか。一人4000円くらいです。

 次の日は、大鰐と黒石に行きます。まず中央弘前駅に行き、黒石線、大鰐線の乗り放題の「大黒様キップ」(1000円)を買います。中央弘前駅から弘南鉄道のローカル旅を満喫してください。大鰐に着いたなら、「ワニカム」という温泉があります。入湯料が500円です。ゆっくりお湯に浸ります。秘湯がいいという方は、町内ごとにある温泉があります(250円)が、勇気がいります。ここでは「まみや煎餅」で津軽煎餅(101050円)を買い、おみやげとし、大円寺にお参りします。お昼を食べるなら、100年食堂「日景食堂」の大鰐もやしラーメン(650円)はどうでしょうか。弘前に戻り、弘前駅からは黒石線に乗り換えます。

 黒石は、昭和3040年代の日本がそのまま残っている町で、市内を歩いてみてください。黒石には黒石つゆ焼きそばというものがあります。さしてうまいものではありませんが、旅の記念としてお昼に食べてみたらどうでしょうか。

 黒石から弘前に戻り、帰りは新幹線で東京です。料金は17200円です。ほかには二日目は弘前バスターミナルからバスで岩木神社、高照神社に行く手もあります。

 ここまでの費用は、交通費が28100円、宿泊費が4000円、食費が7000円くらいです。その他に入場料、レンタルバイク費が1800円くらいとなります。おみやげを除くと、42000円くらいになります。利用期間が限られますが、JR東日本の大人の休日倶楽部パスでは17000円ですので、さらに1万円ほど安くなります。体力自慢の方は、帰りもバスという手もあり、この場合も1万円ほど安くなります。

2013年11月7日木曜日

山田兄弟 44

 先週の日曜日、台湾の高雄歯科医師会の先生、20名ほどが弘前に来た。15分ほど貞昌寺で山田兄弟の話をしてくれと頼まれ、9時45分から待っていたが、予定の10時になっても来ず、携帯電話も知らせなかったので、そのままじっとまつこと40分して、ようやく一行が乗ったバスが来た。できるだけ短くということで、山田良政、純三郎の碑の前で、碑のいわれや蒋介石、緯国、経国との関連などを10分ほど話した。台湾の先生も初めて聞く話のようで、大変喜んでいた。弘前と台湾との関係を改めて実感した次第である。

 そうこうする内に、昨日、先祖が弘前出身の方からメールをいただいた。何でも先祖が弘前藩の士族で、その一人が水産伝習所(現:東京海洋大学)の一期生であるとのこと。場所はすぐに判明したが、この水産伝習所の方が一向にわからない。そこでインターネットで検索すると、近代デジタルライブラリーに「大日本水産会水産伝習所沿革」という本があるのを見つけた。読んでいると、一期生の名簿にメールをいただいた方の先祖の名前があるが、他に山田良吉の名がある。山田良政の幼名である。これには驚いた。確かに山田良政は東奥義塾卒業後に、青森師範学校に進むも賄い事件で退学した。東京でぶらぶらしている時に陸羯南の助言で中国語の修得と実用学を身につけるために水産伝習所に入学し、卒業している。1年間のことで、あまり資料もなかろうと調べていなかったが、こんなところにあるとはびっくりした。さらにメールをいただいた方が、東京海洋大学で調べた資料をお送りいただいたので、若いときの山田良政の写真も見つかった。

 水産伝習所の一回生は明治22年1月に63名の生徒が入学し、翌年の2月には48名が卒業した。卒業者名簿をみると、青森出身者が多い。豊田駒五郎、浪岡鐵男、山田良吉(政)、今周之丞(洵)、倉光吉郎の5名の名が見える。他県に比べて多い。2回卒業生では青森出身者は石崎伝三郎、村木重次郎、中村経一、3回生は能代日出雄、江良重太郎、青海懐?、種市喜太郎、小笠原方策、三浦貫一と多い。

 伝習所のその後の同窓会誌を見ると、山田良政 在台湾、上海三井洋行 となっており、青森県会員報告では、山田良政氏 南清地方にありてチャン頭を振り回し東奔西走 と書かれている。

 青森県人が多い理由としては、青森県の新しい産業として漁業が脚光を浴びたことや、おそらく陸羯南の手引きで山田良政に声がかかり、良政が東奥義塾の同級生を誘ったのではないかと勝手に推測している。山田以外の人物は、豊田駒五郎が笹森儀助と一緒に千島探検に行ったようだが、他の人物についてはほとんどわかっていない。

 一回生の卒業写真があり、内村鑑三の姿(黄色矢印)がある。内村はアメリカから帰国後に、一時、水産伝習所に勤務していた。すでに山田良政は東奥義塾時代にキリスト教に入信しており、内村と接触があった可能性もある。この写真には山田良政も写っている(赤矢印)。最初、内村の上の人物が良政かと思ったが、説明によると左端の人物で、この写真が山田良政の最も古い写真となる。山田良政は一応、水産伝習所の卒業生なので、現在の東京海洋大学の人物一覧に載せてもよかろう。

2013年11月3日日曜日

弘前の外国人向け観光


 以前に比べると、日本への海外からの旅行者は増え、もう少しで年間1000万人に達する。それでもフランスへの観光客が年間8000万人、米国や中国でも6000万人と比べると誠に少ない。日本には、美しい四季の景色と文化、そして安全性という条件が揃っていながら、これでは少しさびしい。

 アメリカの友人が、知人からアメリカのボストンから知人の両親が来るのだが、どうしても仕事の関係で一日、弘前を案内してほしいと頼まれたと言っていた。一日くらい、全く言葉も通じない国で、冒険してもよかろう。色々な人に道を聞き、あちこち行くのも面白く、思い出になるのではないかと尋ねると、アメリカでも60歳以上の年配の人は、誰かが案内しないと動こうとはしないらしい。

 アメリカ人と言えば、場末の変なところに出没し、あちこちに顔を出すように思われるが、意外と年配のひとはシャイのようである。その点、日本人の方が、むしろ年配の人でも好奇心が強く、ヨーロッパに行ってもガイドブック片手に、地元民でも知らないところに行く。

 確かに言葉の問題もあるとは思うが、それ以上に何か得体のしれないところに行くのが怖い感じがする。若い時は、何か面白いところ、新しいところに行きたい欲求が強かったが、歳をとると、旅行の目的が気分転換、ストレスの解消という面が強く、訳のわからないところには行きたくない。その点、旅行先に知人がいると、旅に伴うストレスがほとんどかからず、楽な旅行ができる。そういった点ではパック旅行もあるのだが、どうも団体で一緒に行動するのもストレスとなる。

理想的には夫婦で旅行し、旅先に知人がいて、その土地の穴場を案内してもらうのが、楽でいい。まして海外に行くとなると、出発から帰国まですべて案内してょしい。こういった点で、日本は欧米の観光客、メインはオールドの夫婦に焦点を向けると、未だに敷居は高い国である。私などは旅行に行くとなると、ホテル、旅館も結構いいところを探すが、この点、欧米人はけちで、比較的安い宿泊先を、おみやげ、食べ物も安いものを探す。これは金がないということではなく、別にいいところに泊まる必要はないと考えるからであろう。むしろ日本人の方が、せっかくの旅行なんだから、普段より贅沢をしようとする傾向がある。

 弘前でも観光に力を入れ、“弘前 観光”で検索すると、弘前観光コンベンション協会に繋がる。そして中を見て行くと、ガイド付きコースとしてさまざまなルートが紹介されている。実際、こうしたコースを体験した人の評判はいい。私もアメリカから来た観光客に「津軽の奥日光・岩木神社と高照神社めぐり」を利用したが、満足のいく旅であった。それでもこれだけでは弘前を満喫したことにはならない。出来れば個人的な旅のアテンダントがガイドしてほしいところである。

 弘前市が認定した個人ガイドを顔写真付きでHP上で紹介し、旅行の前からメールで旅行プラン、ホテル、食事も含めて相談し、駅に迎えに来てもらい、ホテルに帰るまですべてガイドする。英語、中国語ができるガイドもいればよい。人数に関係なく、一日5000円、50ドルくらいが限度で、学生、退職者がガイドに向いている。ガイドには利用者のレビュー、評価も付けるのもいいかもしれない。旅行前から旅の相談に乗るのがミソである。この過程で、ガイドへの信頼が増し、最初に言ったような知人の関係となろう。できれば、観光ガイドには免許書を発行し、市内の施設の入場は無料、さらには飲食店も割引があってもよい。