2020年3月31日火曜日

新型コロナウイルス と歯科医院 2


 メリーランド大学歯学部の齋藤花重先生の緊急レポートの第二弾が出ていたので報告する。https://www.whitecross.co.jp/articles/view/1592

 アメリカでは現時点のような非常事態下、エッセンシャル(生活必需)に当たらないビジネスは閉鎖するようと勧告されている。そして歯科医院でも「緊急性のある治療」以外はエッセンシャルでないと位置づけられ、緊急性のある急患がなければ休診することになる。こうしたエッセンシャルでない施設として、映画館、劇場、ナイトクラブ、コンサートホール、博物館、フットネスセンター、ジム、美容院、床屋、スパなどが指定され、場合によっては公園、アパレルショップも指定される。ただ不思議なことに、ペットショップ、酒屋、ランドリー、クリーニングはエッセンシャルに指定されている。

 齋藤先生は、メリーランド大学歯学部病院の急患対応を紹介している。朝8時に、担当スタッフはミーティングし、まず電話にてスクリーニングをして、来院した患者を建物エントランスで一般歯科医が再度、問診をして緊急性があるか問診をする。そして患者をみる場合も各診療用個室は使用後消毒し、最低でも90分以上、なるべく3時間の間隔を開けてから使用する。コロナウイルス3時間くらい空中に漂うからである。そして隣同士の個室は使わない、事前に器具をユニットテーブルやその他の台に置かないことになっているので、準備する時間もかかる。さらにエアゾールを防ぐためにタービンの使用は原則禁止となっており、バキュームによる吸引すら必要な時のみに限られている。結局、著者が診たのは4名で、それもインプラント手術に伴う抜糸だけであった。ごく簡単な処置である。

 レポートにはN-95マスクのことが書かれているが、もちろんそれ以外にもゴーグル、シールド、ガウン、グローブなどフル装備で治療したと思われ、原則的にはこれらは患者ごとに交換である。さすがアメリカの大学は違うと感心したが、よく考えればこれらの費用はタダではなく、後で莫大な請求されそうである。処置時間以外に3時間空けるのであれば、1日に歯科用チェアー、一台で二名しか見られないことを意味する。うちのような歯科医院では、完全に分離した個室となっていないので、1日に二名しか見られないことになるが、ただ窓を全開すれば換気は30分くらいで大丈夫だろう。前回述べた武漢大学歯学部病院の場合は、タービンは使っているようなので、アメリカほど厳格ではないが、例の白ずくめの防護服で交換なしで治療しているのかもしれない.

 アメリカ歯科医師会ではHP上に、この緊急性の高い処置の具体例を挙げているが、矯正歯科の分野ではワイヤーが刺ったり、矯正装置により潰瘍ができた場合の処置がある。他は歯の痛みに関するものが緊急性のあるものとしている。ただ処置はできるだけ最低限の処置をするようにとなているので、痛みについては鎮痛剤か、開放あるいは抜歯、義歯の疼痛は義歯を外して様子見るくらいか。これまでの休日診療の治療内容から見れば、本当の緊急性のある処置は少なく、おそらく弘前市、20万人程度の町でも二軒くらいの歯科医院で十分に対応できる。マスクやガウンのことを考えると固定した診療所が望ましい。あるいは武漢大学病院のように中心病院のみの受診が良いかもしれない。
https://www.ada.org/~/media/ADA/Advocacy/Files/200324_cdc_director_cov19_guidance_nosig


PS: 喘息治療薬のシクレソニド(オルベスコ)が初期から中期の新型コロナウイルスに効くという報告が3/9に神奈川県足柄上病院からあり、その後、日本感染症学会はその効果検証のための投与観察研究参加を提唱した。その結果が、少しずつ出てきた。3/30の報告では、大阪急性期総合医療センターの報告が、旭労災病院でもファビピラビル(アビガン)と併用した報告が出た。他にもファビピラビルによる2例報告が出ており、早い段階の治療法としてオルベスコとアビガンの効果が少しずつ出てきた。アビガンには催奇性があるが、催奇性に関係ない患者では、他には大きな副作用も少ない。インフルエンザ薬、タミフルのような使い方ができれば、大きな福音になるかもしれない。

2020年3月26日木曜日

新型コロナウイルス と歯科医院

この写真のようなサージカルマスクではダメであろうし、帽子、チェアー、ライトのカバーも必要

 青森県でも6名の新型コロナウイルス感染者が発生し、深刻な状態となっている。当院でも、標準予防策(スタンダードプレコーション)に沿って治療を行ない、患者ごとの手袋の交換はさらに徹底して、途中でカルテ書きなどをする場合は一度外し、アルコール消毒をして再び新しい手袋をするようにしている。また歯科用チェアーやライトなども患者ごとにアルコールあるいは次亜塩素酸で拭くようにし、入口の外、受付、便所、歯磨きコーナには手指用のアルコールを設置して患者に使うように指示している。また時間があれば、入口や便所の取手、待合室のソファーのアルコールによる清掃をしている。さらに注文中の非接触式体温計が届けば患者の体温測定をするかもしれない。また患者同士の接触をできるだけ減らすことと、周辺機器の清掃に時間がかかるために、予約時間を長く取り、間隔を開けるようにしている。

 ただこうした標準予防策で、今回の新型ウイルスに対処できるかといえば、誠に心持たない。歯科診療は直接、至近距離で患者さんと接するため、非常に感染リスクが高い。唾液中には多くのウイルスが存在し、歯科治療、特にタービン、あるいは超音波スケーラーによるエアーゾルが発生し、ウイルスは周囲に拡散する。それを吸い込むことにより歯科医あるいは歯科衛生士の感染リスクは非常に高まる。こうしたこともあり、感染のひどい中国やイタリアでは歯科医院はどうしているのか非常に気になった。日本歯科医師会や青森県歯科医師会からは、こうした場合の対処法に関しては一切の情報はない。少しずつ出てきた中国の科学者の論文を調べていると、中国の武漢市の歯科医の論文が見つかった。

 歯科の基礎科学では有名な“Journal of Dental Research”2020.3.12の論文で、”Coronavirus Disease 2019(COVID-19): Emerging and future challenges for dental and oral medicine”という論文で、著者は武漢大学歯学部のL.Meng, F.Hue, Z. Bianの三名である。武漢といえば中国で最初に感染者が出て、史上稀な1000万人都市の完全閉鎖を行なったところである。
ひどい状態を体験したドクターの論文だけに、多くの示唆に富んでいる。まず著者は、今回の新型ウイルスはこれまでの標準予防策では対処できないとしている。より厳重な予防策、例えば、これまで以上の頻回な手洗い、マスク、手袋、ガウン、メガネあるいはシールドの着用を必要とし、エアーゾールによる空気中の感染を防ぐためにN-95マスクの着用が全ての治療で必要としている。さらに重篤あるいは緊急性の高い患者のみ、指定病院でみることになっており、武漢大学歯学部はその指定病院になっており、新患には住所、連絡先、行動履歴(旅行の有無など)を聞き取り、さらに全員に体温測定をする。論文には書かれていないが、緊急性の低いと判断された患者は追い返すのだろう。さらに歯科用レントゲン写真は唾液接触の少ないパントモあるいはCT撮影を勧めている。また歯髄処置を必要とする患者は、院内感染の恐れから、治療の最後にして、隔離された部屋、できれば陰圧環境下での治療を勧めている。他にも細かいことが書かれているが、詳細は論文を見て欲しい。

 武漢の一般歯科はどうしているかは、この論文ではわからなかったが、おそらくは一般歯科ではこうしたより厳しい感染予防対策は取れないので一時的に閉院し、緊急患者のみ武漢大学付属病院などの大きな病院で対応したのであろう。もちろん矯正治療など全く緊急性はないので、武漢市の閉鎖時の矯正治療はストップしたと推定される。さらに一般歯科医でも義歯の製作、調整、小さなう蝕、補綴物の再製作などすぐに治療が必要なものが意外に多く、すべての歯科医院は休診状態だったろう。もちろん一般歯科でも、これまでの休日における急患対応で何とかできるかもしれないが、実際は上記のようなより厳しい感染予防対策、例えば患者ごとのガウン交換など一般歯科では準備できないので、口腔外科のある大学病院、県立病院、市立病院、大きな民間病院が受け皿とならざるを得ない。ただ調べる限りにおいては、これまで都市閉鎖で歯科医療をどうするかという危機管理は日本にはない。

 アメリカではすでに、裕福な医者は医院を閉鎖して別荘に逃げるという事態まであるようだ。流石に日本ではこうしたことはないと思う。それでも患者からの感染でいえば、歯科医院は多くの感染患者に接する内科に匹敵するリスクがある。都市閉鎖という恐ろしい事態は絶対になって欲しくはないが、そうした場合の歯科医療の指針について、少なくとも日本歯科医師会でもイタリアや中国、さらにアメリカの状況を調査して、すぐに指示が出るよう準備して欲しい。緊急患者の受け入れ、例えば、弘前市では弘前大学医学部附属病院歯科口腔外科、五所川原ではつがる総合病院歯科口腔外科、青森市では青森県立病院歯科口腔外科が、中国の武漢大学病院のような役割を担うが、人員的に厳しい機関もあり、その際に歯科医師会からの歯科医の派遣も必要となる。こうした取り決めは、無駄かもしれないが早急に地区歯科医師会と病院科長、病院責任者と話し合うべきであろう。ニューヨーク歯科医師会では3/25の緊急声明として、ニューヨーク市の歯科医院は、少なくとも3週間は緊急の歯科疾患以外は受け付けないようにアナウンスした。ただ感染予防処置の煩雑さ、歯科医、従業員の感染リスクを考えれば、こうした指示にも関わらず休診にする歯科医院も多いと思われる。https://www.nysdental.org

 ついでに言うと医師休業補償では、先生自身が新型ウイルスに罹り、休業した場合は、その期間の休業補償は出るが、従業員あるいは患者の中から感染者が出て休業する場合の保障はなく、逆に従業員については休業手当を払わなくてはいけない(平均賃金の60%以上)。それに準じれば都市閉鎖期間の歯科医院の休業保障はないと考えてよい。

PS:フェイスブックで知人のドクターから、アメリカの歯科事情を伝えるメリーランド大学の斎藤先生のレポートを教えてもらった。緊急性のない治療はしない方針や具体的な患者対応についての情報が載っているので参考になる。感染者数423名のメリーランド州でもこういうことになっている(メリーランド州577万人)。
https://www.whitecross.co.jp/articles/view/1585?fbclid=IwAR0uU1LbE7ppyQsYyi5NeRMq2sAxYaWxrs4Lkyiw8g6BtFCYUolj4oUmeSI

2020年3月15日日曜日

買って損しない衣料 パタゴニアR2

2020年のR2     スリムな昨年よりは2012年のスタイルになっている

2012年のR2

2012年、2018年、2020年のR2  サイドのパネルが広くなっている

襟が厚くなってる


 パタゴニアのR2をまた買ってしまった。自分用で3着目、家内に1着、お袋に2着、伯母さんに1着買ったので、都合7着のR2を買ったことになる。R3も1着、R1も1着あるが、やはりR2が最も使いやすい。秋から冬、春の半年以上使用可能で、汎用性は高い。10月から12月頃までは下着の上にR2を羽織り、その上にゴアテックスなどのジャケットを着る。冬になるとその上にダウンジャケットを、そして春になると薄いジャケットか、R2のみで過ごす。かなり長い期間の使用となる。今回買ったのも、最初2012年に買ったR2がややくたびれてきて、もう一枚のR2と使い回すのがきびしくなったからである。ほぼ年間150日をR2で過ごすことになり、価格は高いが十分に元は取れていると思う。

 うちの母親にも数年前にR2をプレゼントに買ったが気に入り、その後、もう一枚買い、この2枚で冬の間過ごしている。ほとんどセーターを着ていないという。私も考えれば、ここ数年、羊毛のセーターはほとんど着ておらず、R2がセーターがわりになっている。たまにセーターを着ると、体が締め付けられるようで、また重さが気になる。同じことは高齢の母親も言っており、R2の軽さと動きやすさが病みつきとなる。

 パタゴニアの商品でもRシリーズは最も基本的なアイテムで、とりわけR2R1の評価が高い。値段ははっきり言って相当高いがそれでも使用頻度を考えれば安いと思う。定価で26200円、今回はパタゴニアのアウトレットで買ったが16940円、これは衣料として半端なく高い。それでもこれだけは自信を持ってお勧めできる。特に年配の方にとっては、動きやすく、暖かく、そして消臭性もあり、洗濯をあまりしなくても良い。生活そのものがラクになる。

 このR2もほぼ毎年変更しており、2012年からほぼ1、2年おきに買っているが、若者に要望に合わせて年々、サイズがスリムになってきて、私のような小太りな体型のおっさんにはきつくなってきた。ところがようやく2020年になって、少しゆったりしたデザインとなった。いつもMサイズを買うのだが、今回はゆったり着たかったのでLサイズにしたが、今年のデザインならMサイズで良かったのかもしれない。脇の下のパネル(R1の生地)はこれまで最大の大きさとなり、動きやすくなった。全体的にフリースが厚くなり、首回りはより厚くなった、首からの冷気をシャットアウトして暖かい。最高に素晴らしい仕上げになっている。R2は総じて吸汗性、速乾性は高く、この下にはパタゴニアのキャプリーンサーマル、ミッドウェイトを着ているが、ただ気をつけたいのはユニクロのヒートテックはやめたほうが良い。ヒートテックは暖かいのだが、汗をかくとなかなか乾かずにかえって寒くなるからだ。

 衣料なんてお洒落で、それほど生活には支障の出るものではないと思いがちだが、このR2を着てみて初めて衣料の必要性を知った。外界から身を守る、雪、風、雨、寒さから毛のない人間が身を守るためには衣料を必要とした。特に寒さに対して、衣料がなければ人間は死ぬ。津軽の女性は麻の着物に綿の刺し子をして寒さをしのいだ。彼女らにとって綿の暖かさは憧れであった。その後の羊毛は驚きであったろう。そうした衣料の機能的な働きを再認識させるのがR2であった。

 特に年配の方にとっては、重くて動きにくい衣料は苦痛となる。その点、R2は最高の性能を持ち、軽く、暖かく、前ジッパーで着脱しやすく、冬場は完全にセーターに代品となるため、父親や母親のプレゼントには最適であると思われる。2020年度のモデルはこれまでのモデルチェンジに比べても格段によくなった。以前、屋内用のナイロン素材の薄手のダウンを買って母親に送ったが、どうもナイロンのカサカサ感と衣摺れが嫌で着なかった。それに対してR2のフリースはビロードのような毛並みで、またこれまで8年間使っているが、毛並みの変化も少ない。唯一の欠点は、白人に合わせて袖が長い点であるが、これについては、袖口がへたらないので、それほど気にならず、むしろ寒い時は袖を伸ばして、手袋がわりにできる。

2020年3月14日土曜日

矯正治療 早期治療


 先日、7歳頃から反対咬合の治療のために来院し、14歳頃に中断された患者さんが数年振りに来られました。すでに21歳になり、顎が明らかに大きい骨格性反対咬合を呈しています。手術を併用した治療が必要な症例です。カルテを見ると、初診当時から上下の顎のズレが大きく、将来的には外科的矯正の適用になる可能性が高いと親には説明しました。その後、少しでもよくしてほしいと熱望されたため、上顎骨前方牽引装置による治療を2年間ほどして切端咬合くらいになりましたが、再び少しずつ下顎の成長が大きくなりました。やはり成長が終了してから手術を併用した治療法が良いと説明しましたが、来院されなくなりました。ある意味、7歳の初回検査時の診断が当たったのですが、長年、矯正治療をしていますと、何となく、将来顎が伸びる症例がわかります。もちろん、両親の遺伝もありますが、子供にしては下顔面の長い、大人びた顔をしているなどの特徴があります。

 下顎の小さな上顎前突の場合では、下顎ががっちりした症例では機能的矯正装置などの早期治療で下顎がかなり大きくなるケースを多く経験しますが、逆に下顎がきゃしゃな症例ではあまり効果がないことがあります。前者の場合は、本格的な矯正治療しなくてよい場合がありますが、後者の場合は小臼歯抜歯+マルチブラケット装置による本格的な治療を必要とします。

 反対咬合であれ、上顎前突であれ、成長期の早期治療で、良好な経過を示す場合がある一方、あまり効果がない場合もあります。経験上、早期治療のみで治るのは20-30%くらいで、さらにこのうち全くでこぼこもない理想的なかみ合わせは5%くらいで、その他の症例では通常マルチブラケット装置による二期治療を必要とします。矯正歯科医院も経営のことを考えると、一人の患者に期間をかけるわけにもいきません。いかに効率的に運営するかを求められために、アメリカの矯正歯科医の多くは、あまり早期治療をしません。それに対して日本では、患者さんの親の要望もあるため、多くの矯正歯科医院では早期治療をしますが、基本的には二期治療におけるマルチブラケット装置の治療を重視します。当院もそうした方針です。

 一方、一般歯科医では、早期治療をかなり重視する歯科医院が増えています。早い段階で治療すれば、歯を抜く必要もないし、本格的な治療が必要なくなるといううたい文句です。中には5,6歳から上アゴを広げるような治療をします。ただこれらの歯科医の多くは、床矯正であれば、1個6万円と矯正装置ごとに値段を取っているために、ある程度、治れば患者は途中で来なくなりことが多いと思います。そのため先生は長期の患者の経過を知らず、マルチブラケット装置による治療そのものを考えていない場合もあります。永久歯列完成時に治療を要求すると、ここまでしか治らない、後は専門医で治してくださいと言われるかもしれません。矯正専門医で治療することになっても、全く新患扱いとなり、これまでの装置代が全く無駄になります。しかしながら最初の説明では早期治療の長所だけを述べ、あまり永久歯が完成してからの仕上げの治療についての説明はないようですので、こうした場合の対応も十分に聞いておいて欲しいと思います。一般歯科の先生は、矯正歯科医が目指す理想的な咬合を目指しておらず、ある程度(非常に範囲が広い)の、でこぼこ、出っ歯があっても、あるいは上下の歯が前に出ていて口が閉じにくくても、問題ないと考えています。そうでなければ、マルチブラケット装置なしの矯正治療は絶対に患者に提示できないはずです。綺麗な歯並びを目指しているなら、最初から矯正専門医に行くべきですし、多少でこぼこがあっても安く治療したいと考えるなら装置代ごとの一般歯科での治療がいいかもしれません。

 私自身、一般歯科での矯正治療はかまわないと思っています。ただし費用が安いという前提です。早期治療で治ると言われて高額な治療費を払ったにも関わらず、これ以上の治療はできませんでは、納得いきませんが、料金が安ければ文句は少なくなります。世界中の矯正歯科医のメインの治療法はマルチブラケット装置であり、早期治療でマルチブラケット装置による治療が必要なくなるなら、皆そうした治療をしています。現在、早期治療と言われる床拡大装置は1970年代頃までヨーロッパで行われた治療法で、ドイツや北欧諸国では矯正治療も保険が適用されたため、費用の安い床矯正治療がメインで行われていました。ある程度、こうした治療法も効果があったのかもしれませんが、今では世界中のほとんどの国でマルチブラケット法が主たる治療となり、本家のヨーロッパではそれと併用して床拡大装置や機能的矯正装置が使われているのが現状です。そうした意味では“早期治療でマルチブラケット装置による本格的な治療をしなくてよい”という考えは、学問的なエビデンスもありませんし、世界中のほとんど矯正専門家は臨床的経験から否定するでしょう。何も古いものが悪いということではありませんが、ヨーロッパの多くの矯正歯科医が床矯正装置を使わなくなったのは、適用が狭く、効果が不確実なためと思われます。逆にいえばこの装置でもうまくいく症例もあり、安い費用ならやってみる価値があるかもしれません。

2020年3月11日水曜日

貨客船 はくおう を病院船に

医療モジュール

貨客船 はくおう


 横浜港に寄港したダイヤモンドプリンセ号の新型ウィルス対応については、船内で多くの感染者が出たことから疑問の声が多い。同様の事例であるアメリカのグランドプリンセス号では全乗客の下船を予定しており、その乗客は軍の施設で二週間隔離することになった。アメリカでは2000人以上の乗客を収容する軍の施設があるということだが、日本ではそうした施設があるのだろうか。

 今回のダイヤモンドプリンセスの対応では、自衛隊のチャーター船である“はくおう”が活躍した。“はくおう”は当初、武漢からのチャーター機乗客の隔離に使われることになっていたが、最終的には千葉のホテルでの隔離に決まった。そこで横浜港に回航、ここを拠点に自衛隊員がダイヤモンドプリンセスの船内の消毒、乗客の生活支援を行った。隊員は、万一の感染を恐れ、はくおうで生活した。ただ“はくおう”は17000トンの大型客船であるが、隊員相互の感染を防ぐために、客室を個室として活用しなくてはいけないために、80名の隊員しか宿泊できなかった。“はくおう”は、熊本震災では避難所生活の人への宿泊、食事、風呂などに活用され、最大500人の宿泊は可能だが、感染隔離となるとこうした客船も活用は難しい。

 “はくおう”は全長200m29.4ノットを誇る大型客船で、トラック122台、乗用車80台、515名の乗客を乗せることができる。陸上自衛隊の普通科連隊の大隊が定員805名、特科連隊の大隊が609名なので、ほぼ特科連隊の大隊規模の部隊が運べる。2014年の北海道演習では戦車、大砲、重機など130台が名古屋から送られたというから、その輸送力が半端でない。2014年から自衛隊のチャーター船として活躍していたが、主だったものでは、2016年の熊本地震では自衛隊員、車両、物資の運送に使われ、また一泊二日のホテルシップとして2600人の熊本市民が宿泊、食事、入浴のサービスを受けた。また2018年の中国地方の集中豪雨でも支援物質の運送や入浴サービス、ミニコンサートなどを行った。2018年の北海道胆振東部地震でも入浴支援などで活躍した。まだ海外への派遣はなく、また航続距離など不明であるが、東アジアの国くらいは高速でいけると思う。自衛隊は民間船のチャーターは双胴船の“ナンチャンワールド”とこの“はくおう”があるが、ここ六年の運行実績からすれば“はくおう”に方が使いやすいのだろう。海上自衛隊の補給船、輸送船に比べて設備が充実しており、一般市民の使用には向いている。最近では何か災害があれば、“はくおう”の出番となり、活躍している。

 今回の新型ウィルス問題から病院船のことが議論されているが、“はくおう”の医務室機能を拡大するか、ちょっとした手術や入院も可能な構造に改造するのが最も現実的な気がする。レストランや大浴場は避難民に活用されているが、サロンやスポーツジムなど災害時に活用されない空間を改造して、医療室を作り、病院船の機能も併せ持つようにできる。さらに後部甲板は一応ヘリポートとなっていてヘリコプターの離着陸はできるが、もう少し飛行甲板を広げれば、重症患者などを陸の病院に移送することが容易となる。もちろん戦時には兵士を戦場に輸送するだけでなく、負傷者の後送にも使われるためにこうした医療設備が必要となる。

 病院船については、議論も大事であるが、これまでの実績を考えると“はくおう”の改造が最も費用が安くて、使いやすと思われる。おそらく医療関係の設備はコンテナ型の医療モジュールで対応できるので、最低限の医療空間の確保、エレベーターの大型化(ストレッチャー対応)、階段の拡大、ヘリポートの大型化とそれに対応した通路などが大きな改造箇所となる。それほど大きな費用はかからず、またこうした設備は災害支援や自衛隊の演習などでも活用でき、ますます災害船としての活躍は期待できるし、できればその高速性を利用して海外での災害活動にも参加してほしい。トラックごと物品を運べることは物資の搬入の手間が省けるだけでなく、現地でもトラックですぐに救援物質を救援地へ運べる。また災害援助に必要なブルドーザーやクレーン車もそのまま運べる強みもある。他の大型カーフェリーについても、大災害時の緊急輸送や海外からの邦人避難などにも活用される可能性があり、そうした可能性も考えて、国も新造船には何らかの補助を出して、無線などの設備については非常事態に対応できるようにしてもらいたい。

2020年3月9日月曜日

中国における新型ウィルス問題


 昔から国を滅ぼす要因の一つに疫病が挙げられる。国が混乱するとなぜだか疫病が流行し、多くの死者が出て、さらに混乱が加速して亡国となる。そのため、施政者にとって疫病対策が最重要課題となる。今見ている韓国ドラマ“ホジュン”でも疫病が発生すると、国家的な事件、あたかも戦争が起こったような事態となり、全ての医師が総動員されてその鎮圧に励む。それほど疫病は恐れられたし、実際にその犠牲者は莫大な数となる。

 こうした点で見ると、現代中国の新型コロナウィルスへの対応は古代からのそれと全く変わらない。この疫病に対する対応を間違えると亡国の危機があるだけに、習近平指導者始め、中国共産党の対応は戦時に準じた本気モードである。今のところ中国の患者数は終息方向に進んでいて、その対応は成功したように思えるが、まだまだ油断はできない。

 今回の騒動でも、中国人の冷静な対応と臨機応変な行動に感心した。武漢市始め、北京や上海などの1000万人以上の都市で、ほぼ外出制限のかかった隔離状態に近い状態であるが、それほど大きな混乱はない。もちろん共産党ならではの公安や警察による厳しい管理があるとは思うが、こうした状態でも市民は冷静に対応している。それと同時に多くのボランティアが活動しており、日本以上に近所同士の助け合いが濃厚に残っていると思われるシーンが見られる。また市民のIT化が日本以上に進んでいるために、学校教育もネットで何とかしているようだし、外出が困難の状態でも食料はネットや管理人を通して注文している。おそらく事態が終息しても、中国におけるIT化はますます加速するであろう。ただ農村部のインターネット普及率が低く、2019年度で普及率は61.2%で日本の90%より低いが、今後は政府が農村部への普及を後押しするだろう。中国では良いことだけ報道されているという批判は正しいが、それでも多くの中国人が困難な状態に耐えているのは間違いなく、建国以来の大きな困難という認識は強い。

 最初に中国では新型ウィルスがやや終息方向に進んでいるとしたが、このまま終息すればあたかも戦争に勝ったかのように、中国国民の連帯と共産党支持が高まる可能性がある。危機は政権にとっては諸刃の剣で、失敗すると政権崩壊に繋がるが、逆に成功すると強化となる。現指導部への支持強化は、すなわち習近平主席が長期に政権を握ることを意味し、民主化への道はさらに難しくなることを意味する。また中国の共産党のやり方を嫌い、民主化を希望していた人々も新型ウィルスへの日本も含めて西側国家の手ぬるい対応に失望し、共産党の強いリーダーシップを受け入れることもあろう。一国の経済を犠牲にしてまでの中国が強い信念でウィルス対策をする理由はこんなところにある。国家としての危機感が日本をはじめ西側諸国の感覚とは違う。

 あと今回の新型ウィルス問題で驚いたのは、発生から基本構造の解析、検査法、治療法、ワクチンの開発などの情報が瞬時にネット上に掲載され、以前とは考えられないくらいの速さで、論文発表となっているのには驚いた。私たちに矯正歯科の分野で言えば、研究をして論文を書くのに半年、その後、査読、掲載かで3ヶ月くらいかかるのが普通であるが、今回の場合は2、3日単位で次々と新しい研究結果が報告され、すでに今月くらいから測定時間の早い検査法が実用化され、ワクチンの開発も進んでいる。あと半年から一年くらいで、対応策もかなり進んでいて、感染は抑えきれなくても、画期的な治療法が見つかるかもしれないし、そうなれば、いくら感染が広がってもそれほど心配はいらない。東日本大震災では、民主党の政権で原発問題では菅総理のあたふた状態を見て、本気でこの国は潰れると思ったが、今回は、自民党、それも長期政権の安部首相であるので安心している。

 娘の会社は、中国での生産の多いアパレル会社であるが、2月の初めはこちらから中国にマスクを送ったが、最近では中国企業がマスクを調達して日本の会社に送ってくれている。新型ウィルス問題を契機に日中両国の市民レベル、ことに会社レベルでの友好と信頼関係はかなり強くなったように思える。こうした危機的な状況での両国の助けは、お互いに忘れない。

2020年3月8日日曜日

弘前の名物、お土産を作ろう

これのもう少し小さいものをクラフトバンド で作る

上のりんご籠の横に奈良さんデザインのりんごイラストをつける


 今年の春には弘前れんが倉庫美術館がオープンする。弘前公園とともに観光の目玉として期待される。弘前駅から代官町、土手町、れんが倉庫美術館、最勝院、そして弘前公園への周遊コースができることになろう。周囲にはこれから若者向けのおしゃれな店も出来ていくことになろう。

 弘前のお土産ランキングを見ると、一位はラグノオの“りんごスティック”、二位はヒロヤの“りんご大福”、三位ははとや製菓の“ラブリーパイ”、四位はおきな屋の“たわわ”、そして五位は“青い森の天然青色りんごジャム”である。全てりんごを使ったお菓子である。つまり弘前のお土産といえばりんごである。おそらくりんごそのものは箱買いして宅急便で送るのだろうが、一人で箱買いするほど食べきれないので、1個、2個は買って、ホテルで食べたりするが、友人のお土産としてはりんごそのものより、その加工品のお菓子がお土産になるのだろう。

 私が高校二年生の時の修学旅行は東北一周で、最終地は弘前で、ここから夜行列車で大阪に帰り、解散となった。生徒の多くは、弘前駅前のりんご販売所で5、6個のりんごが竹製のりんご籠に入ったものをお土産として買った。大阪駅で解散し、そこからは実家にある尼崎まで阪神電車で帰ったが、乗客から青森に行ったのかと尋ねられた。りんご籠にはでかでかと青森りんごと書いていたためである。その後、修学旅行に行った弘前に住むようになるとは思わなかったが、こちらに来るようになった1980年頃にはもはや竹製のりんご籠はなくなり、プラスティック製の緑の籠に入れられて売っていた。こちらで開業した1995年にはもはやりんご籠その物がなくなり、普通のビニール袋に詰めて売っていた。

 せっかくれんが倉庫ができるのだから、この際、お土産の王道、りんごそのものを売ったらどうだろうか。できれば竹製のりんご籠を復活してほしいが、調べると製作自体はそれほど難しくはないが、材料の竹製のひごを揃えるのが難しい。であれば、今流行りのクラフトバンド、PPバンドを使ったりんご籠はどうだろうか。材料を揃えるのは簡単だし、製作法によれば子供でも作れるだろう。クラフトバンドで作った籠に美味しいりんごを4、5個入れて1200円くらいで観光客に売れる。

 ここは弘前市か、弘前商工会議所、弘前青年会議所が、全国のクラフトバンド愛好家に優勝賞金30万円くらいでおしゃれでモダン、かつ製作が容易なりんご籠を募集し、それに郷土出身で、若者に人気のある現代画家、奈良美智さんパッケージ表紙をお願いしたらどうだろうか。製作は、弘前市就労支援事業所などで作ってもらい、出来たりんごかごは一個300円くらいで、買取り納めてもらえばよい。弘前駅、弘前ねぷた村、観光館、美術館などの売店で旬のりんごを4個ほど詰め合わせて売れば、弘前のお土産として間違いなく売れるだろう。その場合、弘前れんが倉庫美術館のショップでも売れるようなモダンなデザインであってほしい。弘前旅行の帰り、りんご籠を持って東京の山手線を乗れば、いやがうえにも目につき、ああ青森に行ってきたのだとわかる。

 弘前大学の農学部であったように思えるが、農学部で作った赤と黄色の大きなりんごを綺麗な箱に入れて、何と1000円で売っていたが、あっという間に売り切れたことがニュースであった。りんごもパッケージで飾れば、加工しなくても十分に売れることが立証された。流石に地元民はりんごをこんな高い金額で購入しないが、お土産としてりんごを送る場合、箱で贈るわけにもいかず、そうかと言ってビニール袋で贈ることできない。こうした立派な包装があって初めてお土産、プレゼントとなる。

 弘前商工会議所、青年会議所の皆さん、何とかりんごそのものを弘前名物のお土産のする方法を検討してほしい。りんご籠とパッケージは、それそのものが全国に弘前をPRできるお土産なので良いアイデアと思い、数年前からブログでも提唱しているのだが、一向にそうした声は地元から出てこない。これも最近はやりの農業の6次産業に該当すると思うのだが。

*東京で”石中先生行状記”(1950、成瀬巳喜男監督)の上映会が3月14日、15日に神保町シアターで行われるが、この作品は弘前ロケで、1950年頃の弘前の街が写っているという。早くDVD化してほしい作品である。




2020年3月5日木曜日

阪急塚口駅の思い出

再開発前の阪急塚口駅の南口

向こうホームの左のアベックの少し前あたりが定位置であった


 私が阪急塚口駅を利用し始めたのは、中学校に入ってからだ。尼崎市東難波町の私の家から神戸の六甲学院に行くには、一つは阪神尼崎駅まで歩いていき、そこから今津駅で阪急今津線に乗り換え、阪急西宮北口から六甲駅に降りて学校に行く方法と、もう一つは家から東難波のバス停に行き、尼崎市バスで阪急塚口、そこから普通電車で六甲駅に行く方法である。バスを使った方が乗り換えも少なく、時間も短いため、この通学路を利用した。

 朝の630分くらいに起き、顔を洗い、歯を磨き、朝ごはんを食べて640分くらいにはバス停、645分くらいのバスに乗り、阪急塚口に行った。今でこそバス停は駅のそばにあるが、再開発前の塚口駅の降車は駅前であったが、乗車は駅から少し離れたところにバス停があった。塚口駅は北口と南口があり、それぞれの入り口からは商店街があって多くの人で賑わっていた。今は南口の方は再開発され、大きなテナントビルが建ち、あまりに変わりすぎて昔の記憶がでてこない。その点、北口の方がまだ昔の記憶が残る。

 阪急塚口駅そのものはあまり変化がなく、通学していた50年前と変わらない。もちろん乗車券売り場など細部はかなり変わっているが、駅の基本的な構造は同じで、駅の構内にある阪急そば(前は完全な立ち食いそば)もそのままだし、駅の柱の位置も変わらない。電車に乗る位置は中学高校通して全く同じで、伊丹線からの地下通路の登り口付近、電車でいうなら後ろから3両目くらいのところであった。塚口駅から私一人、次の武庫之荘駅からもう一人、西宮北口から3名ほど、その後、夙川、芦屋川から友人が乗り合わせいつも7、8人で騒いでいた。このメンバーは6年間、ほぼ同じメンバーで、それも通学友達というようなものだった。学校ではサッカー部や同じクラスの友人がいて、帰りもまたいろんな友人と帰った。小学校と違い、住まいが離れていたので、あまり友人に家に行くことはなかった。

 沿線には神戸女学院、小林聖心女子学院や宝塚音楽学校の生徒も乗っていたが、西宮北口で降りたのであまり記憶にない。いつも電車で一緒だったのが、甲南女子中学高校、芦屋女子中学高校(現芦屋学園、共学)、海星女子学院である。男子校は甲陽、灘中学高校共に阪神沿線だったので、阪急沿線は関西学院と六甲学院くらいであった。毎日、同じ車両に乗っていると女子中学生、高校生も同じメンバーになることがあり、次第に気になる子が出てくる。友人のY君などは大学卒業後、洋酒メーカーのS社に入ったが、数年して、その会社の新人女子社員から“あなたに憧れてこの会社に入りました。通学電車で一緒でした”と告白されたことがある。私の頃は、今と違い、女の子を意識していても話しかけることなどなく、何もないまま6年間を過ごした。家内や二人の娘は公立の男女共学校に行ったので、こうした意味では羨ましい。

 いまだに記憶しているのは、高校二年の頃、一人の背の高い甲南女子の中学一年生が塚口駅から一緒の車両に毎日乗ってきた。もちろん高校二年生と中学一年生ではあまりに年齢差が大きく、妹のような存在で、この子は大きくなると綺麗な人になるなあとは思い、気にはなっていた。ある日、いつものホームの定位置よりだいぶ手前に一輪の赤いカーネーション(バラ?)を持って彼女が立っていた。映画のようなシーンであったが、それ以降、なぜだか彼女はこの時間の電車には乗らなくなった。その後、大学に入ってからも気になり、帰省した折、神戸に行く時は家から近い阪神電車に乗らずにわざわざ阪急塚口から行くようにした。どこかで会える気がしたからだ。こうした願いが通じたのか、大学六年生のころ西宮北口からの普通電車の二人おいた席に彼女がいた。驚くほどスタイルのよい綺麗な大学生になっていて、彼女も気づいた様子だったので、塚口駅に着いたら声をかけようと思ったが、駅に着くやいなや、あっと言う間に走り去ってしまった。これ以降、もう神戸に行くのに阪急電車は利用しない。家内にこの話をすると、男の人はバカだなあ、女の子からすれば変な人に声をかけられそうでイヤで逃げただけよと言われたが、なるほどそうかもしれない。家内とは5歳違いで、今ではもう年齢差は感じられないが、それでも高校二年生の時の自分と中学一年生の時の家内を空想すると不思議な感じがする。

2020年3月3日火曜日

不定主訴と咬合


 噛み合わせに何となく違和感がある、顎がずれる、顎が痛くなる(顎関節症)などの訴えで、当院を受診する患者が少なくない。小学生でこうした訴えをする患者は少ないが、中学生、高校生、成人になるにつれ多くなり、とりわけ多いのは40歳以上の女性の患者である。大きく口を開けると痛いという患者のほとんどは、大きく口を開けない、硬いものを食べないといった患部を安静にする、あるいは温める、冷やすように指示すると大体は良くなる。あるいは軽い鎮痛剤を飲むことで、一過性のこうした痛みが良くなることが多い。ただ一旦良くなっても、また何かの拍子、例えばものすごく硬いものを咬む、あるいは顎を強く打つなどを契機としてまた悪くなることもある。

 神奈川歯科大学附属病院にはかみ合わせリエゾン診療科という専門外来があり、そこにはかみ合わせの異常を主訴とした患者が来る。その概要を調べた論文、「歯科における咬合異常感を訴える患者の実態とその考え方、対応」(玉置勝司、49,10,2009, 心身医)を見ると、来院した患者182名について精神医学的問診を行なった結果、咬合異常感を訴えている患者では84%が精神疾患に該当し、咬合異常感(違和感)を訴えて来院する患者では、歯科的問題だけでなく精神疾患もあわせもって来院する可能性が高いとしている。また顎関節症の治療で有名な中澤勝宏先生の「顎関節症を見直す:7。顎関節症と心」(歯科学報、103:69-93)を見ると、ここでは患者さんに最初に簡単な心理的スクリーニングテストをしており、問診を通じて何らかの精神的問題点を持つ患者を精神科に紹介しているが、半数以上の患者を心療内科の世話になっているという。

 いずれの施設も、顎に問題のある患者が多く集まり、あちこちの歯科医院を回ってから来るところであり、そうした意味ではかなり重度の患者が来るところである。最初に述べたように多くの患者では、簡単な生活指導あるいは何もしないまま症状が治まるのだが、いろんな治療をしてもなかなか治らず、次々と歯科医院を変える患者はこうした精神的な問題があるのかもしれない。治療を複雑にするのは、多くの歯科医は他のところで治らなくても自分は治せるという変な自信を持っており、何らかの治療を行う。普通、何軒もの歯科医院を回る患者は、難しい症例と分かるであろうが、歯科医というのは、どうしたことか一度の経験がなくてもチャレンジしてしまう。こうした歯科医のレスキュウ ファンタジー(救援幻想:他の人は治せなくても自分はできるという幻想)により非可逆的治療を行なってしまい、症状はますます悪化する。

 矯正歯科を宣伝する歯科医院の中には、顎関節症や顎の違和感を矯正治療で直ると宣伝して、患者に勧めるところがあるが、多くの顎関節症は簡単なコンサルトで治る。そうした治療で治らないケースでは、かなり精神的な問題も含んでいる可能性もあり、さらに矯正治療のような不可逆的な治療をすることで、さらに悪化することも考えられる。こうした身体表現性障害は、それほど珍しいものではなく、女性では男性の5倍、1-2%の発生率があると言われ、来院する患者にもそうした傾向の方がいて、かなり診療に苦慮し、応対に神経を使う。初診の段階で、こうした傾向がわかれば、治療を断ることもできるが、矯正治療に熱心で、早く治療をしたいというため、押し切られて治療を開始することがある。そのため初診の段階では、矯正治療のあらまし、費用など大まかな説明をし、よく検討してもらってから検査に入るようにしている。

 矯正治療は、命に関わるものではなく、緊急性も全くない。反面、かなり長い治療期間や高額な費用がかかるため、十分に検討して決めて欲しい。また治療結果にはある程度、80-90%くらい治るくらいに考えて欲しく、100%の治療結果を求めると、期待外れとなる。

2020年3月1日日曜日

近代史の郷土資料

弘前 時敏尋常小学校 明治36年

下白銀町の時敏小学校はかなり西洋風建築だった(上写真、拡大)

卒業式のため、稚児髷に簪を刺しておしゃれしている

明治40年代の弘前、城西尋常小学校

 先週、テレビで新資料による二・二六事件のドキュメタリーを放送していた。まだ存命の方のインタビューがあって驚いたが、全て90歳以上で、これが最後のインタビューだろう。戦後、74年経つと、戦争経験者はもはやほとんどおらず、ドキュメンタリーの主流である事件の当事者のインタビューを取ることができず、二次あるいは三次資料によるものとなる。番組制作者としては難しい時代である。私たちの世代、60-70歳の人々が生まれた昭和24年から昭和34年といえば、青春期はそれより20年後とすると昭和44年から昭和54年となる。映画「ノルウェイの森」や「アポロンの坂道」の頃と考えて良い。誰も食べ物に困ることはなく、戦争など遠い過去のことで、皆青春を甘受していた。

 ただ周りの大人は全て、戦争経験者で、親はもちろん、親類から学校の先生まで何らかの形で軍隊に行っていた。子供の頃の思い出に、友人のところに行って、父親の勲章を見せてもらったことがある。階級は陸軍少将(多分ポツダム少将)で、戦後、後妻との間に生まれたのが友人で、昭和40年頃で父親はすでに60歳を超えていた。また父親の友人の歯科医はラバウル航空隊で零戦に乗っていて、最初に敵機を撃墜した時は嬉しかったと言っていた。みじかなところでは亡くなった父親は昭和17年から満州にその後、昭和23年までロシアの捕虜収容所にいたことから、がっちりの戦争経験者である。母親は大正13年生まれで、まだ元気だが終戦時、21歳で、徳島の田舎、脇町の戦前、戦中をしっかり体験した。母の兄は、昭和十二年頃から軍隊に入り、二等兵からの叩き上げで下士官となり、中国を転戦し、その後、インパールで亡くなった。

 こうしたある程度の年齢で戦争を経験した人は、あと十年で確実になくなる。確かに映像、写真、記録など先の戦争の資料は多く残るが、実際に戦争を実感として経験した人々は全ていなくなるのは、もはや大東亜戦争も歴史の一部となったのだろう。広島、長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦、特攻隊、対馬丸、インパール、ガダルカナル、サイパン、硫黄島などきちんとその事実を我々は後世に伝える義務を持つものの、実感はどうしても持てない。確かに映画「永遠のゼロ」などを見ると泣かされるが、同世代の百田尚樹さんが特攻隊員のリアルな気持ちがわかるわけはない。あくまで推測であり、小説であり、やはり昭和26年生まれの浅田次郎さんの「帰郷」も、50年前、つまり周囲の大人が全て戦争経験者で占められた時代に発表されたなら違和感を感じる人も多かったかもしれない。想像で書いたものと実感の違和感は、経験したもので人でないと分からず、隣国、韓国の従軍慰安婦や徴用工問題でも、実際の慰安婦や徴用工が多かった昭和30年頃であれば、今とは違った見解だったかもしれない。そうした意味では、当事者がいなくなり、実感から歴史になった瞬間に、自由に事実を歪めることができるようになる。誰も経験していないから自由に書けるのである。特に徴用工などは、30年前くらいまで、日本に出稼ぎに来た朝鮮人が多かっただけに、あれは金儲けで行っただけで、強制労働ではないと皆知っていたろう。強制労働の賠償金を払えという発想は少なくともなかったろう。

 実家の親父の子供の頃の写真がある。修学旅行の際に撮った記念写真であるが、どこの学校で、どこに行ったかがわからない。親父が生きているうちに聞いておけばすぐにわかったことが、亡くなってから調べると大変な労力を必要とする。こうしたこともあり、母親の古いアルバムにはできるだけ詳しい説明を書き込むようにしているが、父親のものは母も知らず、そのままになっている。個人的には手紙、日記より写真、それも家族写真よりは風景、町並みを写した写真は記録的価値があり、できれば弘前市でもこうした市民の持つ古い風景写真をスキャンして記録していくのはどうだろうか。弘前市立図書館などにそうした窓口を設け(ボランティア職員)、持ってきた写真の説明の打ち込みと写真のコピーをとる。一時、天守閣御殿の復元のために、昔の弘前城の写真を募集していたが、あまり応募がなく、そのまま終了となった。こうしたデジタル資料は特に場所が必要な訳ではないため、知の記憶としてこれから図書館の仕事の一つになっていくのかもしれない。
先日、明治36年の弘前時敏尋常小学校、明治末期、大正8年から14年の弘前城西尋常小学校の写真はオークションに出ていたので850円で落札した。明治、大正の頃の小学生の服装や小学校の玄関風景がわかって面白い。こうした写真は全国にも多く存在するが、おそらくどんどん捨てられていくのであろう。昔のデータが集まる場所、デジタル図書館としての使命も、これからの公立図書館の役目となると思っている。