2020年3月1日日曜日

近代史の郷土資料

弘前 時敏尋常小学校 明治36年

下白銀町の時敏小学校はかなり西洋風建築だった(上写真、拡大)

卒業式のため、稚児髷に簪を刺しておしゃれしている

明治40年代の弘前、城西尋常小学校

 先週、テレビで新資料による二・二六事件のドキュメタリーを放送していた。まだ存命の方のインタビューがあって驚いたが、全て90歳以上で、これが最後のインタビューだろう。戦後、74年経つと、戦争経験者はもはやほとんどおらず、ドキュメンタリーの主流である事件の当事者のインタビューを取ることができず、二次あるいは三次資料によるものとなる。番組制作者としては難しい時代である。私たちの世代、60-70歳の人々が生まれた昭和24年から昭和34年といえば、青春期はそれより20年後とすると昭和44年から昭和54年となる。映画「ノルウェイの森」や「アポロンの坂道」の頃と考えて良い。誰も食べ物に困ることはなく、戦争など遠い過去のことで、皆青春を甘受していた。

 ただ周りの大人は全て、戦争経験者で、親はもちろん、親類から学校の先生まで何らかの形で軍隊に行っていた。子供の頃の思い出に、友人のところに行って、父親の勲章を見せてもらったことがある。階級は陸軍少将(多分ポツダム少将)で、戦後、後妻との間に生まれたのが友人で、昭和40年頃で父親はすでに60歳を超えていた。また父親の友人の歯科医はラバウル航空隊で零戦に乗っていて、最初に敵機を撃墜した時は嬉しかったと言っていた。みじかなところでは亡くなった父親は昭和17年から満州にその後、昭和23年までロシアの捕虜収容所にいたことから、がっちりの戦争経験者である。母親は大正13年生まれで、まだ元気だが終戦時、21歳で、徳島の田舎、脇町の戦前、戦中をしっかり体験した。母の兄は、昭和十二年頃から軍隊に入り、二等兵からの叩き上げで下士官となり、中国を転戦し、その後、インパールで亡くなった。

 こうしたある程度の年齢で戦争を経験した人は、あと十年で確実になくなる。確かに映像、写真、記録など先の戦争の資料は多く残るが、実際に戦争を実感として経験した人々は全ていなくなるのは、もはや大東亜戦争も歴史の一部となったのだろう。広島、長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦、特攻隊、対馬丸、インパール、ガダルカナル、サイパン、硫黄島などきちんとその事実を我々は後世に伝える義務を持つものの、実感はどうしても持てない。確かに映画「永遠のゼロ」などを見ると泣かされるが、同世代の百田尚樹さんが特攻隊員のリアルな気持ちがわかるわけはない。あくまで推測であり、小説であり、やはり昭和26年生まれの浅田次郎さんの「帰郷」も、50年前、つまり周囲の大人が全て戦争経験者で占められた時代に発表されたなら違和感を感じる人も多かったかもしれない。想像で書いたものと実感の違和感は、経験したもので人でないと分からず、隣国、韓国の従軍慰安婦や徴用工問題でも、実際の慰安婦や徴用工が多かった昭和30年頃であれば、今とは違った見解だったかもしれない。そうした意味では、当事者がいなくなり、実感から歴史になった瞬間に、自由に事実を歪めることができるようになる。誰も経験していないから自由に書けるのである。特に徴用工などは、30年前くらいまで、日本に出稼ぎに来た朝鮮人が多かっただけに、あれは金儲けで行っただけで、強制労働ではないと皆知っていたろう。強制労働の賠償金を払えという発想は少なくともなかったろう。

 実家の親父の子供の頃の写真がある。修学旅行の際に撮った記念写真であるが、どこの学校で、どこに行ったかがわからない。親父が生きているうちに聞いておけばすぐにわかったことが、亡くなってから調べると大変な労力を必要とする。こうしたこともあり、母親の古いアルバムにはできるだけ詳しい説明を書き込むようにしているが、父親のものは母も知らず、そのままになっている。個人的には手紙、日記より写真、それも家族写真よりは風景、町並みを写した写真は記録的価値があり、できれば弘前市でもこうした市民の持つ古い風景写真をスキャンして記録していくのはどうだろうか。弘前市立図書館などにそうした窓口を設け(ボランティア職員)、持ってきた写真の説明の打ち込みと写真のコピーをとる。一時、天守閣御殿の復元のために、昔の弘前城の写真を募集していたが、あまり応募がなく、そのまま終了となった。こうしたデジタル資料は特に場所が必要な訳ではないため、知の記憶としてこれから図書館の仕事の一つになっていくのかもしれない。
先日、明治36年の弘前時敏尋常小学校、明治末期、大正8年から14年の弘前城西尋常小学校の写真はオークションに出ていたので850円で落札した。明治、大正の頃の小学生の服装や小学校の玄関風景がわかって面白い。こうした写真は全国にも多く存在するが、おそらくどんどん捨てられていくのであろう。昔のデータが集まる場所、デジタル図書館としての使命も、これからの公立図書館の役目となると思っている。

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