2009年10月29日木曜日

日本の矯正歯科医の実力


 こんな田舎で開業していますが、何人かの海外からの転医症例があります。アメリカから3名、韓国から1名です。この少ない経験から海外の矯正歯科医の臨床能力を語るのは難しいと思いますが、友人からの情報や海外留学生からの情報をまとめると、アメリカでの治療はかなり大まかな印象を受けます。患者数が日本に比べると多いためか(年間患者数が平均でも200名、日本では数十名)、スタッフに任せて、どちらかというと並べるだけといった症例が多いようです。一日に数十名の患者をさばくとなると、流れ作業的にアシスタントにドクターが指示して、ワイヤーを替えるといったところです。そのため、治療の細部にはあまり凝らないようですし、症例的にも比較的簡単なものが多いようです。

 あごのずれがある場合は、簡単に手術を併用しますし、歯根もがっちりして、あごの発育も日本人より良好な場合が多いようです。そして比較的、古い治療法に固守する傾向があり、いまだに金属製のブラケットも多用されています。日本では患者の希望もあり、白色の審美ブラケットが主流ですが。また見えない矯正治療、舌側矯正もアメリカではめんどうなためか、それほど普及していません。

 それに比べて韓国からの症例はブラケットのつける位置やワイヤーのベンディングなど、実に日本的で、きちんとした臨床態度に好感を持ちました。日本の矯正歯科医と同じような感覚で治療しているのでしょう。

 日本人の矯正歯科医は、手先の器用さや、几帳面な性格から、世界でもその臨床能力は高いと思います。おそらく日本矯正歯科学会の専門医試験を通った先生方は、語学のことは除いて、アメリカやヨーロッパのボード(資格試験)は十分に通ると思いますし、実際通っています。かってはアメリカが矯正歯科のトップでしたが、今やある意味先進国ではほぼ臨床的には変わらなくなってきているようです。そうはいっても矯正歯科のメーカの多くはアメリカですし、情報発信元はアメリカの雑誌(アメリカ矯正歯科学雑誌)ですので、海外の矯正歯科医にとっても、アメリカがスタンダードになっています。一方、新しい知見はほぼアップデートで情報交換ができますし、材料もそんなに違いがありません。以前、青森県の矯正歯科医が三沢に米軍基地に行ったことがあります。ベースには矯正歯科医が1名、口腔外科医が1名、一般歯科医が3名いましたが、私達矯正歯科医の会話は、主として最新の治療法についてであり、一般歯科の先生はおまえらの言っていることは全くわからないと嘆いていました。矯正歯科ジャーナルという雑誌に時折、各国の矯正歯科医のインタビューが載っていますが、ほとんど違和感を感じません。おそらくその先生にあっても、この症例はどうするか、どんな材料を使うのかといった会話がすぐにできると思います。言葉を別にすれば、欧米の矯正歯科医も日本の患者を見ることができますし、私もイランで開業することもできます。こういった意味では矯正歯科医はグローバルなものと思います。

 ただ世界的に日本の矯正歯科医の最も遅れている点は、その専門教育にあるようです。欧米では3年ないし4年の専門医のコースがあり、ここではかなりきちんとしたカリキュラムが組まれ、多くの症例を配当されます。それに対して我が国では、どちらかというと、学者を育てる教育になっており、歯科大学卒業後、矯正歯科を学ぼうとしても、大学院にいくことになります(国立では)。現代の大学院の研究は欧米誌に投稿するようになっていますので、必然的に基礎の研究をすることになります。その基礎研究の合間に配当された患者を見るわけですが、昨今の患者減に伴い配当患者数も激減し、博士号はとれても臨床能力はさっぱりだということになります。また教官も兼業を禁止しているせいか、臨床能力が低いようですし、若い先生に患者をまわすため、助教以上の教官ではほとんど臨床をみないという現象もおこっています(患者数が足りないため、若い先生に優先的にまわす)。欧米では、教授も含めてプライベートの診療所をもっていることも多く、またベテランの開業医が大学の教育することも多いようです。将来、教授を目指すひとだけが博士号を取得するようです。

 それでも若い先生の中には、少ない症例を、それはそれはきちんと考え、丁寧に治療する人もいて脱帽します。私たち世代はどちらかというと、数見て、その経験で適当にやっていることが私も含めて多いのですが、こういった若い先生方はさらに症例も積み重ねるうちに、世界でも最高の治療技術をもつようになるでしょう。

 写真のアイススケートのキムヨナさん、矯正治療終了してきれいになりました。ずいぶんと口元が引っ込みました。抜歯症例でしょう。

2009年10月22日木曜日

セファロ分析



 矯正歯科の検査というと、口、顔の写真、口の模型、口全体の大きなレントゲン写真(オルソパント)とこれは矯正歯科特有のセファロというレントゲン写真をとります。このセファロというのは、正式には側貌頭部X線規格写真と呼ばれ、一定の距離から撮った、規格した大きさの顔の横からのレントゲン写真です。大きさが一定に撮られているため、過去のものと比較することで、あごの発育などを測ることができます。

 まずこのセファロをシャーカステン上に置き、上下のあご、歯、頭蓋などを、紙にトレースしていきます。ついで種々の測定法の沿う基準点、基準線を書き込み、角度や、長さを計測しています。標準あるいは平均値との比較からずれた数値を取り出し、下あごが大きいとか、上あごが小さい、上の歯が出ているなどを調べていきます。矯正歯科では非常に重要な診断です。

 昔の医局教育では、このセファロのトレース、分析が非常に厳しく、エンピツは2Hで、線を引くときは息を止めて、一筆書きでといったことが注意されました。また同じ写真を時間、日にちをかえ、透写させ、ずれがないかチェックされたりしました。現在では、こういった操作をコンピューターの画面上でできるようになっていますので、簡単にはなっていますが、基本は変わりません。

 ここでの基準点、基準点は実際にない頭の中の架空の点を意味しますので、どこに基準をとるかが難しいところです。ある程度の臨床医になると、ほぼ一致してきますが、最近の若い先生では、コンピューターにたよるのか、ほとんど素人のような透写図を書きます。それ故、今でも専門医試験ではトレースを持参させます。トレースだけである程度診断能力が判定されるからです。

 ただここで問題になるのは、いわゆる標準値(平均値)、あるいは標準図形というものです。昔はアメリカのものを使っていましたが、さすがに白人と日本人は違うだろうということで、1950年代ころから日本人の標準値が作られるようになりました。正常咬合で、バランスのよい顔をした人を集めてセファロを撮り、その値を標準値、標準図形にしました。正常咬合をともかく、バランスのよい、いい顔というのはかなり主観的なもので、それも一大学のごく少数の被験者を対象にしたものです。確か、20-50人くらいのサンプルです。これが日本人を代表する値かというとはなはだ疑問です。アメリカのある分析法の基準は一人のハリウッドの若手女優さんのものであるというのは有名な話ですが、他の方法も統計学的な意味でいうなら、似たり寄ったりです。

 多くの集団では、計測値は正規分布を示すことが知られ、平均値付近が一番数が多く、それから離れるにつれ、数が減ってきます。日本人の70%以上は不正咬合ということを考えると、正常咬合で、バランスをとれた顔の人のみを対象とした調査は、歴代のミス日本を集めて平均したようなもので、日本人の基準値というより理想値と言った方がよいかもしれません。

 一方、日本顔学会の東京大学原島博先生の研究、これは色々な世代、人種、職業の人の平均顔を算出したものですが、平均顔というのは実にバランスのとれた顔で美男、美女であることがわかっています。私の個人的な意見ですが、案外矯正歯科で使う標準値も、こういった意味では日本人の平均を表しているかもしれません。

 顔に対する評価、とくに横顔は、一般集団、歯科医、矯正歯科医では好かれる顔は割合一致しており、口元があまり突出せず、バランスのとれた横顔が好まれますが、矯正歯科医はやや一般集団よりオトガイがやや突出し、口元は引っ込んだ白人型の横顔を好むようです。

2009年10月11日日曜日

大学芸術学部を弘前に





 東奥義塾の創始者、弘前市長であった菊池九郎は、雪深く、中央から離れた、貧しく、辺鄙な青森県には何もないのではと問われ、「それでも人間がおるじゃないか」と答えた。青森県は人材の宝庫である。とくに芸術分野では、はっきりとした四季と長い冬が影響するのか、数多くの芸術家を生んでいる。北欧がそうであるように、長い冬は芸術家を生み、育てる基かもしれない。

 画家では、日本画の工藤甲人、現代アートの旗手奈良美智さん、女子美大学長の佐野ぬいさん、現代絵画の小野忠弘さん、版画家天野邦弘も弘前の出身であり、先頃亡くなった抽象絵画の村上善男さんも長らく弘前生活していた。音楽関係でも、現代音楽家の下山一二三さん、イタリアで活躍中の若手ピアニスト堀内亮さん、変わったところではドラえもん、仮面ライダー等作曲した菊池俊輔さんや鈴木キサブロー、三浦徳子、亜蘭知子さんなどの大ヒット歌謡曲の作詞、作曲家もいる。

 また弘前市内には40軒以上の美術ギャラリーがあり、音楽についても、弘前オペラ、弘前交響楽団、弘前バッハアンサンブルはじめ、27の音楽サークルが活動している。日本演劇の父と呼ばれる小山内薫は、その父が弘前藩の藩医であったことあり、古くから弘前では演劇活動が盛んで、現在でも劇団雪国、劇団弘演、弘前劇場、劇団夜行館などがあり、とくに弘前劇場は国際的にも知名度の高い地域劇団として知られている。

 人口17万人の地方都市としては、驚くほど文化的な活動が活発な街であるといえよう。こうしたことから、この弘前に大学の芸術学部を作ったらどうであろうか。先に述べた弘前の芸術家の多くは、東京の芸術大学に進学した。というのは、今は山形に東北芸術工科大学ができたが、当時東北地方に芸術大学がなかったからである。高い授業料とともに東京での生活はかなり費用がかかったであろう。

 先頃、弘前駅前の複合商業施設「ジョッパル」が40億円の負債を抱えて倒産した。こちらの新聞では駅前中心活性化のカナメのこの施設をどうするかが議論になっている。はっきりいってこれだけの負債を払うことはもはや不可能と思われる。ダイエー撤退後、売り上げの何パーセントを家賃として払うという極めておいしい条件でテナントを集めてきたが、それでもがらがらで売り上げも増えなかった。こういった施設に再度同様な商業テナントが入ることは難しいし、負債を返すことはできそうにない。むしろ大学を誘致してきて安い家賃で貸す方が地域としてはうるおう。というのは大学を誘致できれば、学生、教員が地元に落とす金も期待できるし、何よりも若者が地元を離れることが少なくなり、あるいは県外からも若者を呼べる。

 ジョッパルは、地下1階、地上4階のかなり大きな床面積を有し、5学科、120名くらいの学生は十分に収容できる。地下は音楽など遮音を必要とする活動にはもってこいだし、4階の市民ホールはそのまま演劇の講義、実習に使える。最近の芸術大学というと郊外の山に囲まれたといったところをイメージしがちであるが、やはりアクセスがよく、近所に喫茶店や飲みやなどがある中心街がよい。その点でジョッパルは街に中心にあり、バス、電車、車のアクセスもよい。4学年、教員も含めて500人を超える若者が集める意義は弘前市にとっても大きい。

 学科としては、絵画、工芸、音楽、演劇、インテリアの5学科くらいでどうであろうか。奈良美智さんなど教授で来てもらえば、それだけでも全国から学生がくる。また津軽塗、ブナコ、裂織、打刃物などの伝統工芸も発達しており、こういった校外での授業も可能であろうし、既存の工芸製作所とのコラボも可能であろう。またブナをはじめ、木材も豊富なところで、家具の設計や製作にも向いている。

 過去に本多庸一、阿部義宗、古坂 カン城(父が弘前出身)、笹森順造の4名の弘前出身の院長を輩出し、初等部が戦時中に疎開してきた青山学院大学に来てもらうことが一番望ましい。すでに青山学院女子短期大学には芸術学科があり、ノウハウはあるであろうし、ブランド名で全国からの学生を集めることができる。

 芸術学部なんだから、AtoZ 奈良美智展のように学生自身が教室を作ったら面白いし、金もかからないであろう。授業料100万円×480の4億8000万円と私学助成金8000万円の収入では、かなり学校の経営はかなりきついし、何より東京の大学が地方にくる抵抗もあるだろう。青森県、弘前市がかなり誘致に積極的な姿勢をみせないと実現は難しい。

 負債だけでなく、大学誘致にはかなり煩雑な手続きが必要で、こういった構想も実現の可能性はほとんどない夢物語だが、何らかの将来のビジョンをもった弘前市、青森県の対応が望まれる。
 

2009年10月8日木曜日

アメリカの食事事情



 今、アメリカからの交換留学生を預かっています。これで2度目なので慣れそうなものですが、これがなかなか大変で家内もストレスが貯まっているようです。

 留学生の食事には、家内もずいぶんと気を使っているようですが、あちらでどんな物を食べているかは気になるところです。そんなことで先日、この留学生にアメリカの食事状況について聞いてみました。買い物は月に一度、スーパーに買い出しに行き、車いっぱい、冷蔵庫2台分を一気に買うようです。多くはインスタント食品、冷凍食品で、生野菜は買わないようです。これを冷蔵庫一杯に詰め、各自が帰ってくると勝手に冷蔵庫から好きなものを取り出し、電子レンジでチンするといった案配です。朝はコーンフレークなどのシリアルに牛乳をかけ、昼は学校の食堂でマックなどを食べ、夜はピザ、スパゲティーやラザニアなどを食べるようです。履歴にわざわざ日曜日は母方の両親を呼んで、ファミリーデーを開くと自慢して書いていましたが、要するにこの日だけ、少し料理をして、みんな一緒の食べるというわけです。他の家では、こんなこともしていないようで、各自がめいめい勝手に冷蔵庫から好きなものを取り出し、食べているだけで、お互い何を食べているのか、いつ食べているのかもわからないようです。

 ニュージランドに行った日本人の留学生のホームスティー先も、このような状況で、遠慮してあまり冷蔵庫から取り出せず、いつも空腹だったとを聞きましたし、イギリスもこうだったという声もあります。

 友人のアメリカ人、彼は日本に来てすでに20年以上になりますが、に聞きますと、1960年代くらいはまだ家で食事をして家族で食べるのが一般的だったのが、1970年くらいから冷凍食品が発達し、また主婦も外で働くようになり、次第に自分のところで食事を作らなくなったようです。今では家で料理をするのは、ごく一部の料理好きのひとで、それも毎日作ることはないようです。さらに郊外のスーパーではこのような要望に沿うように、中国産の安くて、大量のいわゆるジャンク、インスタント食品が山のようにあり、自分で作るより安く、うまいため、ますます拍車がかかっているようです。

 日本でも子どもも忙しく、なかなか家族そろって食事をするのは難しくなってきましたが、まだアメリカほどではありませんし、外食も多くなったとはいえ、食事は自分のところで作るというところが多いように思えます。

 欧米のこのような食事事情を、むかしは郊外型の大型スーパーによるものとされていました。日本のように近くにスーパーや店がなく、車で郊外の大型スーパーでまとめ買いするからだと。しかし、近年、日本でも欧米なみに車で郊外のスーパーに買い物に行くというのは、きわめて当たり前のことになりました。

 こうなった理由のひとつにはアメリカ人の無頓着さ、おなか一杯になって食べられれば何でも良い、作るのが面倒だ、自分の好きな物を食べたい、味音痴などによるものでしょうが、米が主食でないことも理由のひとつでしょう。米食を中心としたアジア各国では、欧米ほどインスタント食品の家庭での普及はなされず、多くの家では自分のところで作ると思います。米を主食にする限り、いつも炊くという操作が必要となります。またご飯そのままでは味が薄いため、一緒に食べるおかずが必要となります。カレーだったり、コチジャンだったり、醤油味だったりしますが、何らかのおかずが必要で、これ自体はインスタント、レクルト食品でもいいのですが、どっちみちお米を炊くならおかずも作ってしまえということになります。
 
 アメリカで販売される多くの冷凍食品は,安くて、量の多いものとなると、必然的に中国産、それも何が使われていないかわからないような代物で、これを自分の子どもに毎日食べさせるというのは、子どもの健康を考えると問題があります。また好きな物だけ勝手に食べさせるというのも、偏食や肥満の原因になるでしょう。家族一緒に食べること、家で料理すること、これは家族の基本だと思いますし、実現が困難というほどのものではありませんが、アメリカでもそういった動きはありません。スーパーマーケット、食品業界自体がHome-cookinngを,値段や便利さで排除していっているのかもしれません。近未来の日本の姿として食糧の自給率と共に、こういった食事事情も考えておかないといけない問題です。

2009年10月5日月曜日

世界の傑作機




 本屋で文林堂から出ている世界の傑作機「ドルニエDo335 プファイル」を購入しました。こういった空想兵器に類する試作機もなかなか捨てがたいもので、つい買ってしまいます。とくにドイツ機は、さすがジャーマン魂というか、射出座席など凝った作りをしていて、こんなものをよくつくったなあとつくづく感心します。写真をみると、単座の戦闘機としてはとてつもなくでかく、F-86セイバーなどの戦後のジェット戦闘機よりも大きく、最新のF-16に匹敵する大きさです。日本人ではこんなでかい機体を発想することさえできないし、ましてエンジン2機を串刺しにする機体はあることはあるのですが、実際に作ってしまうことなど到底不可能です。

 文林堂との付き合いは長く、小学校の高学年から中学生ころから、航空ファンを毎月買っていました。今と違い、読者のプラモデルの作品が誌上で紹介され、プラモデルの作り方も載せられていました。当時は今と違いモデル雑誌はほとんどなく、航空ファンが唯一の存在でした。そのころはプラモデルと混じり、ソリッドモデルの作品も載せられ、その完成度の高さには驚き、一度朴の木で挑戦した記憶があります。

 親が歯医者をしていたため、手先の器用さを習得できるプラモデルは奨励され、ほしいというと買ってもらうことができました。実にうれしいことでした。といってもそれほど高いものは買うことはできず、主としてレベル社の1/72シリーズの第二次大戦機やタミヤの1/100のジェット機シリーズなどの100円から200円くらいのものをよく作りました。たまには大枚をはたき、モノグラムの1/48やレベルの1/32も作りましたが。作り出すと、次第に塗装に興味がわき、その資料として買い始めたのが「世界の傑作機」シリーズです。当初はこの雑誌も灰色の表紙に飛行機の図面を書いた、あっさりしたものでしたが、次第にカラー化され、今では相当な部分カラーで表現しています。このシーリズの白眉は、折り込みのイラストで、多くのものが野原茂さんによって描かれていました。その緻密な表現と色づかいは、本当にすばらしく、間違いなく野原さんは本邦屈指の航空機イラストレーターでしょう。

 本屋でこの雑誌、とくに日本の軍用機を見かけると、ほとんど購入していますが、最初のころはその名の通り、世界の傑作機を紹介していましたが、今のシリーズになるとこれが傑作機かと疑うようなものも扱われるようになっています。飛行機ファンにとっては、かえってこの方が購買意欲をそそられます。アラドAR234ブリッツ、コンベアB-36ピースメイカー、さらにはブラックバーンバッカニアや、ロシアの機il-2シュツルモヴィック、ポリカルポフ1−16などしぶいところをついてきます。もはや模型製作の参考書というよりは、航空機マニアの路線になっているようです。内容も、当初は開発経緯や実戦記事などが中心でしたが、最近ではメカ中心になり(試作機では実戦もないわけですが)、私のような長年の航空ファンもチンプンカンプンの高度なオタク内容になってきています。

 すでに40年以上、途中中断期もありましたが、ほぼ2か月ごとに発刊され、今のシリーズで135巻、これまでも何度も違うシリーズが出たと思いますので、一体全体、全部で何冊だしたか見当もつきません。文林堂は主として航空機を扱った雑誌を発行している会社ですが、さどかし航空機オタクが集まっているのでしょう。鉄道ブームで、鉄道オタクはよくテレビに登場しますが、存外飛行機オタクは見かけません。といっても世界中で最も多いのは車オタクと飛行機オタクで、この雑誌も海外でも販売されています。ここまでくれば、未知の領域、第一次大戦機に突入してほしいものです。それこそ傑作機と呼べる機体がまだ残っています。また DVD付きとは言いませんが、文林堂ホームページに雑誌を買った人のみログインでき、そこで動画や音を楽しめたらと思います。どうでしょうか、文林堂さん。実物のエンジン音だけでも聞いてみたいのですが。